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歌舞伎 家と血と藝 (講談社現代新書) 新書 – 2013/8/13
中川 右介
(著)
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当代の役者はいかなる歴史を背負って舞台に立っているのか? 明治から現在まで、血と家と藝が密接にからみあう歌舞伎の世界には、波瀾万丈の人間ドラマがあった。歌舞伎座の頂点を目指す七大名家の興亡を描きつくした大著。歌舞伎を観るのが、もっと面白くなる! (講談社現代新書)
当代の役者はいかなる歴史を背負っているのか?
明治から現在まで、歌舞伎の世界には、
世襲と門閥が織りなす波瀾万丈のドラマがあった――。
歌舞伎を観るのがもっと楽しくなる本。
○市川團十郎家はなぜ特別なのか?
○松本幸四郎家は劇界の毛利三兄弟?
○中村勘三郎の死は何を意味するか?
○偶数系片岡仁左衛門の悲劇とは?
○栄華を極めた二人の中村歌右衛門の戦略とは?
○尾上菊五郎家の歴史は繰り返す?
○新しい歌舞伎座を担うのは誰か?
「二〇一三年四月二日、歌舞伎座新開場柿葺落の初日に出かけた。この日、いちばん盛り上がったのは、人間国宝や藝術院会員たちの重厚な演技ではなく、中村勘九郎の息子・七緒八が花道を歩いて出てきた時だった。セリフを言うわけでもなければ見得を切るわけでもない。ただ歩いて出てきただけだ。……それなのに、「中村屋」との掛け声と万雷の拍手――こういう光景は歌舞伎ならではのものだろう。こういう世界は、たしかに入りにくい。だが、入ってしまえば、ひとりの幼児の背後にいる何世代にもわたる歴史が見えて、それだけで面白い。」(あとがきより)
当代の役者はいかなる歴史を背負っているのか?
明治から現在まで、歌舞伎の世界には、
世襲と門閥が織りなす波瀾万丈のドラマがあった――。
歌舞伎を観るのがもっと楽しくなる本。
○市川團十郎家はなぜ特別なのか?
○松本幸四郎家は劇界の毛利三兄弟?
○中村勘三郎の死は何を意味するか?
○偶数系片岡仁左衛門の悲劇とは?
○栄華を極めた二人の中村歌右衛門の戦略とは?
○尾上菊五郎家の歴史は繰り返す?
○新しい歌舞伎座を担うのは誰か?
「二〇一三年四月二日、歌舞伎座新開場柿葺落の初日に出かけた。この日、いちばん盛り上がったのは、人間国宝や藝術院会員たちの重厚な演技ではなく、中村勘九郎の息子・七緒八が花道を歩いて出てきた時だった。セリフを言うわけでもなければ見得を切るわけでもない。ただ歩いて出てきただけだ。……それなのに、「中村屋」との掛け声と万雷の拍手――こういう光景は歌舞伎ならではのものだろう。こういう世界は、たしかに入りにくい。だが、入ってしまえば、ひとりの幼児の背後にいる何世代にもわたる歴史が見えて、それだけで面白い。」(あとがきより)
- 本の長さ448ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2013/8/13
- 寸法10.8 x 2 x 17.3 cm
- ISBN-104062882213
- ISBN-13978-4062882217
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商品の説明
著者について
中川 右介
1960年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。「クラシックジャーナル」編集長、出版社「アルファベータ」代表取締役。クラシック音楽への造詣の深さはもとより、歌舞伎、映画、歌謡曲などにも精通。膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる執筆スタイルで人気を博す。主な著書に『カラヤンとフルトヴェングラー』『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』(いずれも幻冬舎新書)、『歌舞伎座誕生』『山口百恵』(ともに朝日文庫)、『悲劇の名門團十郎十二代』(文春新書)などがある。
1960年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。「クラシックジャーナル」編集長、出版社「アルファベータ」代表取締役。クラシック音楽への造詣の深さはもとより、歌舞伎、映画、歌謡曲などにも精通。膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる執筆スタイルで人気を博す。主な著書に『カラヤンとフルトヴェングラー』『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』(いずれも幻冬舎新書)、『歌舞伎座誕生』『山口百恵』(ともに朝日文庫)、『悲劇の名門團十郎十二代』(文春新書)などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2013/8/13)
- 発売日 : 2013/8/13
- 言語 : 日本語
- 新書 : 448ページ
- ISBN-10 : 4062882213
- ISBN-13 : 978-4062882217
- 寸法 : 10.8 x 2 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 372,756位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,382位講談社現代新書
- - 2,227位ステージ・ダンス (本)
- - 56,884位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年10月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歌舞伎界の家の相続、芸の継承、企業松竹が 絡み合う。
文化勲章 人間国宝など名誉欲、歌舞伎界を支配する権力欲。
良い家系に生まれなければ、主役になれない不条理、閉鎖性。
その一方で養子や、婚外子には寛容。
江戸時代は士農工商のカースト外、明治以降は芸術家としての地位。
こんご歌舞伎は どうなっていくのだろう。
歌舞伎を観劇すると 観客は高齢、年寄りの趣味でしかない。
消えていくのか、ほそぼそと能の様に 過去の芸として 保存されるのか。。。
個人的には、過去の遺産に頼り、進化を怠っている様に見える。
今時 早着替えなど 誰も驚かない事を 平気で 自慢している 古い感覚。
言葉も 古文調、歌も何を言っているか不明。
まずは そこを 現代語に してほしい。
分かり易い演目は良い。良いストーリーも有る。
本は 初心者の自分でも その世界をうかがい知れて 大変 読みやすかった。
文化勲章 人間国宝など名誉欲、歌舞伎界を支配する権力欲。
良い家系に生まれなければ、主役になれない不条理、閉鎖性。
その一方で養子や、婚外子には寛容。
江戸時代は士農工商のカースト外、明治以降は芸術家としての地位。
こんご歌舞伎は どうなっていくのだろう。
歌舞伎を観劇すると 観客は高齢、年寄りの趣味でしかない。
消えていくのか、ほそぼそと能の様に 過去の芸として 保存されるのか。。。
個人的には、過去の遺産に頼り、進化を怠っている様に見える。
今時 早着替えなど 誰も驚かない事を 平気で 自慢している 古い感覚。
言葉も 古文調、歌も何を言っているか不明。
まずは そこを 現代語に してほしい。
分かり易い演目は良い。良いストーリーも有る。
本は 初心者の自分でも その世界をうかがい知れて 大変 読みやすかった。
2016年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歌舞伎の歴史は江戸時代から始まるので系譜が比較的たどりやすいということもあってか、いまも続く各家の流れが把握できた。まるで大河ドラマを見るように興隆·衰退が繰り返され、飽きずに読み通せた。
一方で前半大きく取り上げて後半に引っ張っているように見えた六世中村歌右衛門の話があまり出てこず肩透かしだったのと、数年前に立て続けに亡くなった団十郎·勘三郎の話がアッサリと済まされている点が引っ掛かった。おそらく前者は筆者が別の本で取り上げているため、後者は筆者が力を落としてしまったからかと邪推した。現役の役者へのスタンスにも曖昧さを感じ、筆者の興味の赴くままバランスや構成を考慮せず書いたという印象。読み物としては面白い。
一方で前半大きく取り上げて後半に引っ張っているように見えた六世中村歌右衛門の話があまり出てこず肩透かしだったのと、数年前に立て続けに亡くなった団十郎·勘三郎の話がアッサリと済まされている点が引っ掛かった。おそらく前者は筆者が別の本で取り上げているため、後者は筆者が力を落としてしまったからかと邪推した。現役の役者へのスタンスにも曖昧さを感じ、筆者の興味の赴くままバランスや構成を考慮せず書いたという印象。読み物としては面白い。
2013年9月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴史書には「編年体」と「紀伝体」があるけど、どちらでも楽しめる本。
渡辺保の本が「正史」なら、この本は「稗史」です。出典も筆者が咀嚼した上で一篇の文章に仕立てているので、非常に内容は際どい部分まで書き込んでいるけど、却って得心がいきます。
歌舞伎興行の側面と、藝の伝承という側面と、血統という側面と、「名跡」という伝統と、人気と。
それらの要素の連立方程式の一つの解を示す1冊です。
明治時代の團菊時代、あるいは昭和の菊五郎、吉右衛門、戦後の歌右衛門……。
上記の要素を満たした首魁が現れ、時代を動かしてきたのがよく分かります。
筆者は当代を2代目吉右衛門にその首魁の姿を当てはめているけど。確かに当たっているかもしれない。
こういう政治力学的に歌舞伎を読み解いた本は興味深い。
確かに現実の権力闘争は「先代萩」や「菅原伝授手習鑑」よりずっと神妙なものだから。些事から読み解いた筆者の力量に拍手。
渡辺保の本が「正史」なら、この本は「稗史」です。出典も筆者が咀嚼した上で一篇の文章に仕立てているので、非常に内容は際どい部分まで書き込んでいるけど、却って得心がいきます。
歌舞伎興行の側面と、藝の伝承という側面と、血統という側面と、「名跡」という伝統と、人気と。
それらの要素の連立方程式の一つの解を示す1冊です。
明治時代の團菊時代、あるいは昭和の菊五郎、吉右衛門、戦後の歌右衛門……。
上記の要素を満たした首魁が現れ、時代を動かしてきたのがよく分かります。
筆者は当代を2代目吉右衛門にその首魁の姿を当てはめているけど。確かに当たっているかもしれない。
こういう政治力学的に歌舞伎を読み解いた本は興味深い。
確かに現実の権力闘争は「先代萩」や「菅原伝授手習鑑」よりずっと神妙なものだから。些事から読み解いた筆者の力量に拍手。
2015年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
資料的で新書としては読みづらいですが、相当な労作だと思います。歌舞伎座の舞台に立つ役者たちがどの様な家系図を背負って立っているのかを歌舞伎が成立した江戸時代にまで遡って現代までの系譜として纏めた著作です。調べるのも大変だし、それを整理して一般の方にも分かる様に纏めるのもとても大変な作業だったろうと思います。著者の主観的な判断も含まれ、それに対し疑問を抱かれる方もいるかも知れませんが、そういう見方もあるのかと冷静に読めばそれ程気になることでも無い様に思います。それよりも、それぞれの一族の系譜を一覧的に纏め、資料的に見れる様に纏めたことに敬意を払うべきかと思います。
一方、歌舞伎役者の一族の系譜に関心を持たず、現在演じられている芸が判断の全てと思われる方には、無用の本かも知れません。その様な歌舞伎の見方もあって良いと思うも、演じている歌舞伎役者にとっては一族の血を守ると生を受けた意味を覚悟して小さい時から芸を深めている側面があることも事実にて、そのような歌舞伎役者の系譜を理解して置くことは歌舞伎見巧者には必要なことではないかとも思います。
一方、歌舞伎役者の一族の系譜に関心を持たず、現在演じられている芸が判断の全てと思われる方には、無用の本かも知れません。その様な歌舞伎の見方もあって良いと思うも、演じている歌舞伎役者にとっては一族の血を守ると生を受けた意味を覚悟して小さい時から芸を深めている側面があることも事実にて、そのような歌舞伎役者の系譜を理解して置くことは歌舞伎見巧者には必要なことではないかとも思います。
2016年2月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の視点は他の歌舞伎書では書きえないところに眼を据えており、この世界の「なぜ?」を紐解く一助になるだろう。
2023年7月15日に日本でレビュー済み
この人は、資料をみそもクソも一緒くたに並べ、しかも自分のストーリーに合わない資料は故意にかわざとか(同じですが)無視する癖がある。3代目猿之助が「人気はあったが歌舞伎座、松竹大歌舞伎には出られなかった」などという大ウソを平気で書いている。3代目猿之助は、「歌舞伎座の」花形スターであった。1974年から2003年まで、7月の歌舞伎座は猿之助奮闘公演と銘打って昼夜猿之助の責任公演であった。30年間ですよ。他にそんな役者は一人もいない。年間3〜4回は歌舞伎座に出演し、そのほかにも南座や大阪新歌舞伎座(松竹座になってからは松竹座)にも出演していた役者を、「松竹大歌舞伎に出られなかった」と断定する根拠はなんなのか。歌舞伎見たことないんじゃないかとさえ疑われる。その他にも長男はその家の芸を継ぐために子供の頃から云々カンヌンと、もっともらしいことを書いているけれど、玉三郎丈は養子である。仁左衛門丈は三男で、お兄さんが二人もいる。11代目團十郎も養子である。牽強付会が多すぎて読むに耐えない。こんな本を読むのはおよしなさい、と強く勧めたい。
2013年9月20日に日本でレビュー済み
この著者独特の「見てきたようにものを言い」が本書でも炸裂します。歌舞伎役者のライバル物語を芸や人気や近代化を乗り越えるための切磋琢磨ではなく、既得権益への権力争いと見る物語は面白く、これはこれで「もうひとつの近代歌舞伎史」と言えなくもない。ただ、そのまま信じてしまう読者のいそうな点を危惧します。
そもそも人の心を見透かして「この野望があったから、この役者はこう動いたのだ」と断定できるはずがない。「こう動いたのだ」とすら言えない。なぜなら、本書で描かれる役者たちの「動き」は、諸説ある中の1説だから。明治以後の書籍雑誌新聞伝聞に残る役者のいろんな行動から、著者の選んだ1説に著者の憶測(野望)を付会して、それを数珠つなぎすることで「野望の全体像」を描こうとしている。これは司馬遼太郎の小説のようなメタフィクションです。
読者は、見てきたような文章のどこが事実に照らし合わされたものかわからない。自伝からの引用についても(こう言ってるけどホントだろうか?)と書くことで、地の文はさも確実な文献に基づいてるのだろう、と思わせるレトリックになっているけど、そもそも著者は何も実地調査をしてないんじゃないか。本人は死んじゃってるかもしれないけど、遺族子孫当事者同席者からの新発掘の証言は見当たりません。過去の文献だけ。でも文献てほとんどが、明治大正昭和平成と小引孫引きされてきた通説ですよ。ましてや当代の芸から2代3代前の芸を彷彿させるような眼力が、この著者にはないようです。見巧者を感じさせる記述が1行もないもの。芸といえば論じるべき「型」の話がどこにもない。
そもそも役者のメンタリティはこんなふうに動いてないんじゃないかと僕は思います。5代歌右衛門は千駄ヶ谷に2000坪の御殿を建てたから勝者で、ライバル6代梅幸は無念の思いで死んでいった? どうしてそんなことがわかるんでしょう。梅幸は世紀の二枚目羽左衛門の相方を独占的に務め、5代菊五郎の実子6代目も演じなかった音羽屋の芸(たとえば怪談もの)を次代に伝え、その名人6代目に芸で畏怖の念を抱かせ続けて、さらには女形のバイブルとされる『梅の下風』『女形の事』などの著書を現代に残し……同じように文献を読んできた僕には6代梅幸は至福の役者と思えるのに、著者には権力闘争の敗者にしか見えないんでしょうか?
そもそも人の心を見透かして「この野望があったから、この役者はこう動いたのだ」と断定できるはずがない。「こう動いたのだ」とすら言えない。なぜなら、本書で描かれる役者たちの「動き」は、諸説ある中の1説だから。明治以後の書籍雑誌新聞伝聞に残る役者のいろんな行動から、著者の選んだ1説に著者の憶測(野望)を付会して、それを数珠つなぎすることで「野望の全体像」を描こうとしている。これは司馬遼太郎の小説のようなメタフィクションです。
読者は、見てきたような文章のどこが事実に照らし合わされたものかわからない。自伝からの引用についても(こう言ってるけどホントだろうか?)と書くことで、地の文はさも確実な文献に基づいてるのだろう、と思わせるレトリックになっているけど、そもそも著者は何も実地調査をしてないんじゃないか。本人は死んじゃってるかもしれないけど、遺族子孫当事者同席者からの新発掘の証言は見当たりません。過去の文献だけ。でも文献てほとんどが、明治大正昭和平成と小引孫引きされてきた通説ですよ。ましてや当代の芸から2代3代前の芸を彷彿させるような眼力が、この著者にはないようです。見巧者を感じさせる記述が1行もないもの。芸といえば論じるべき「型」の話がどこにもない。
そもそも役者のメンタリティはこんなふうに動いてないんじゃないかと僕は思います。5代歌右衛門は千駄ヶ谷に2000坪の御殿を建てたから勝者で、ライバル6代梅幸は無念の思いで死んでいった? どうしてそんなことがわかるんでしょう。梅幸は世紀の二枚目羽左衛門の相方を独占的に務め、5代菊五郎の実子6代目も演じなかった音羽屋の芸(たとえば怪談もの)を次代に伝え、その名人6代目に芸で畏怖の念を抱かせ続けて、さらには女形のバイブルとされる『梅の下風』『女形の事』などの著書を現代に残し……同じように文献を読んできた僕には6代梅幸は至福の役者と思えるのに、著者には権力闘争の敗者にしか見えないんでしょうか?