マーラーの交響曲第5番が一番好きです。一番人気があるのも5番だということは恥ずかしながら知りませんでした。映画は観たことはありませんが、
やはり第4楽章が一番良いですね。
復活や8番はその次に好きです。特に千人の交響曲はあの人数に圧倒されます。あまりマーラーは知りませんでしたが、交響曲は素晴らしいと思っていました。この本を読み、もっと交響曲を聴きたくなりました。

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マーラーの交響曲 (講談社現代新書) 新書 – 2011/12/16
新しい「世界音楽」の時代の到来を予言した。その意味では、やはりマーラーは、音楽やオペラで新時代を切り拓いたモーツァルトや、交響曲で新時代の幕を開けたベートーヴェンと並ぶ偉大な作曲家といえますね。(略)マーラーが、交響曲で伝えたかったメッセージは、結局、言葉でいってしまえば単純な結論になりますが、「愛」ということになるんじゃないでしょうか。――<本書より>
史上最強の交響曲作家の魅力を語りつくす
『巨人』『悲劇的』『大地の歌』や『千人の交響曲』、未完の遺作まで……。常に新しい表現に挑み続けた作曲家マーラーの交響曲をさまざまな角度からユーモアたっぷりに語る入門書の決定版。
ロマン派音楽というひとつの時代にケジメをつける幕を引き、新しい「世界音楽」の時代の到来を予言した。その意味では、やはりマーラーは、音楽やオペラで新時代を切り拓いたモーツァルトや、交響曲で新時代の幕を開けたベートーヴェンと並ぶ偉大な作曲家といえますね。(略)≪君のために生き、君のために死ぬ≫と、最後に楽譜に書き込んで亡くなったマーラーが、交響曲で伝えたかったメッセージは、結局、言葉でいってしまえば単純な結論になりますが、「愛」ということになるんじゃないでしょうか。――<本書より>
史上最強の交響曲作家の魅力を語りつくす
『巨人』『悲劇的』『大地の歌』や『千人の交響曲』、未完の遺作まで……。常に新しい表現に挑み続けた作曲家マーラーの交響曲をさまざまな角度からユーモアたっぷりに語る入門書の決定版。
ロマン派音楽というひとつの時代にケジメをつける幕を引き、新しい「世界音楽」の時代の到来を予言した。その意味では、やはりマーラーは、音楽やオペラで新時代を切り拓いたモーツァルトや、交響曲で新時代の幕を開けたベートーヴェンと並ぶ偉大な作曲家といえますね。(略)≪君のために生き、君のために死ぬ≫と、最後に楽譜に書き込んで亡くなったマーラーが、交響曲で伝えたかったメッセージは、結局、言葉でいってしまえば単純な結論になりますが、「愛」ということになるんじゃないでしょうか。――<本書より>
- 本の長さ368ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2011/12/16
- 寸法11 x 1.6 x 17.5 cm
- ISBN-104062881322
- ISBN-13978-4062881326
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2011/12/16)
- 発売日 : 2011/12/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 368ページ
- ISBN-10 : 4062881322
- ISBN-13 : 978-4062881326
- 寸法 : 11 x 1.6 x 17.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 325,988位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,251位講談社現代新書
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
指揮者“金聖響”氏が、プロの視点から分り易くマーラーの全交響曲を解説しており、ナカナカ面白く、読み易い!
マーラーが常にベートーヴェンの「第九」を意識していたことや、意図的に無視されることが多いクック版「第10」にも言及している等々興味深い話で読者を引き付ける・・・(なかには「夜の歌」を『わからない・・・』と云うあたり偉ぶらず逆に好感が持てる!)
是非、各々方お気に入りのCDと共に読むことをお薦めします!
私は“ショルティ/シカゴ響”盤を聴きながら読んでいます・・・
マーラーが常にベートーヴェンの「第九」を意識していたことや、意図的に無視されることが多いクック版「第10」にも言及している等々興味深い話で読者を引き付ける・・・(なかには「夜の歌」を『わからない・・・』と云うあたり偉ぶらず逆に好感が持てる!)
是非、各々方お気に入りのCDと共に読むことをお薦めします!
私は“ショルティ/シカゴ響”盤を聴きながら読んでいます・・・
2024年2月19日に日本でレビュー済み
玉木のリードもあり良い内容だと思うけれど、金聖響の「寸借詐欺」の所業が明らかになって音楽界から消えた今となっては「読まれる必然性のない」本になってしまった。
金聖響よ!今何処?
金聖響よ!今何処?
2013年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
インバルのマーラーの交響曲全集とカップリングで楽しむと、倍!楽しめます。
音楽を楽しむというよりかは、味わうというほうがぴったりの本でした。
筆者のマーラー観に偏ることなく、お客様にどう楽しんでもらえるかという視点がある本なので
勉強にもなり、余韻を残す感想を持ちました。
機会があれば演奏会に行きたいと思わせる文章になっています。
音楽を楽しむというよりかは、味わうというほうがぴったりの本でした。
筆者のマーラー観に偏ることなく、お客様にどう楽しんでもらえるかという視点がある本なので
勉強にもなり、余韻を残す感想を持ちました。
機会があれば演奏会に行きたいと思わせる文章になっています。
2017年12月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
金聖響氏は指揮者なので、指揮者目線で楽曲解説されているので、読み応えがあります。
2018年8月8日に日本でレビュー済み
マーラーが苦手なので理解するために読んだがやはりよく分からない。交響曲というジャンルはベートーヴェン以後、巨大化を続け、マーラーでほぼ頂点に達するのだが、ここまで長くなるとそれだけ退屈な部分も長くなるのである。それはともかく、P151で第五番についてトランペットの冒頭のリズムがベートーヴェンの第五番に似ていることから、「両者の密接な関係を指摘する声もあります」とあり、たしかにこういう説明はよく見かけるのだが、この旋律は第四番の第一楽章にもある。私はただの使い回しだと思うのだが。
2011年12月26日に日本でレビュー済み
おもしろ過ぎて、一気に読みふけってしまった。
関西人同士(金氏は大阪市、玉木氏は京都市の出身)という、ノリの良さ
なのか、ともすれば“世紀末の陰翳”の象徴のように語られるコムズカシイ
大作の森へ、決して鬱陶しいオタク話に陥らずに、すっきりと導いてくれる。
二人の組み合わせによる既刊書は、「ベートーヴェン」も「ロマン派」も
読んでいるが、本書がいちばんおもしろい。…といっても前作がつまらない、
という意味ではありません。前作も、それこそ、ベートーヴェンやマーラーの
“最初の交響曲”同様、意外性や切れ味など再読するたびに様々な発見あり。
しかし、マーラーの長生した妻・アルマにバーンスタインが会った話などを
引き合いに(そして、そのバーンスタインの格好良さにしびれ、彼の演奏を
聴くことでクラシック全般に関心が向かったという玉木氏の該博な知識や
自在な視点が呼び水になって)、マーラーがいかに“現代に直結する作曲家”
であるかということを清新に語っている点で、前作にない魅力に溢れている。
同時に、マーラーが、第1番の交響曲を初演した時代というのは、
ブラームスもブルックナーも健在(それぞれ、4番と8番の交響曲の頃)。
つまり、マーラーがまぎれもなく、19世紀の爛熟したロマン派文化の中で
生い育ちながら、その後1作ごとに新しい試みを重ね、新たな交響曲文化の
創造者に昇華したということも、実にわくわくさせる筆致で読ませてくれる。
どこを読んでも面白いけれど、特に感心した点を、二つ。
まず、金氏は指揮者だから当然かも知れないが、空前の規模をもち、かつ、
作曲者自身が最高の作品と自賛した第8番を、作品として高く評価しながら、
自分がまだ振っていないことを明言し、決して上滑りな話をしていないこと
(それゆえ、本書を読むとぜひ、金指揮の第8番を聴きたくなるけど)。
もう一つは、(玉木氏の視点であることを断わったうえで)マーラーと、
夏目漱石の同時代性に言及していること。1860〜1911のマーラーと、
1867〜1916の漱石が同時代人であることは自明(ただしお互いに知らず)。
だが、世代を超えて日本で最も読み継がれている漱石は、マーラー同様、
第一級の知識人ながら読者(聴衆)の関心に配慮し、1作ごとに新しい試みを
重ねた苦労人。それは諸作品の書き出しの“つかみ”に明快に現われている。
それを踏まえた上で、作曲家の最初の音づくりとの類似を指摘している点。
本書は、別に比較文化論の本ではない。もちろん、著者の蘊蓄を自慢する
煩瑣な本でもない。だが、前作同様、旬の指揮者ならではのイキのいい表現が
ますます冴えている上に(自虐気味に「私生活」を暗示する表現もあり…)、
音楽とスポーツの手練れの書き手ならではの、漱石とマーラーの対比のような、
扱い様によっては失笑されかねない、だが、彼らのような巧者が繰り出せば、
効果抜群の話もふんだんにあって、興奮必至のマーラーへの案内になっている。
関西人同士(金氏は大阪市、玉木氏は京都市の出身)という、ノリの良さ
なのか、ともすれば“世紀末の陰翳”の象徴のように語られるコムズカシイ
大作の森へ、決して鬱陶しいオタク話に陥らずに、すっきりと導いてくれる。
二人の組み合わせによる既刊書は、「ベートーヴェン」も「ロマン派」も
読んでいるが、本書がいちばんおもしろい。…といっても前作がつまらない、
という意味ではありません。前作も、それこそ、ベートーヴェンやマーラーの
“最初の交響曲”同様、意外性や切れ味など再読するたびに様々な発見あり。
しかし、マーラーの長生した妻・アルマにバーンスタインが会った話などを
引き合いに(そして、そのバーンスタインの格好良さにしびれ、彼の演奏を
聴くことでクラシック全般に関心が向かったという玉木氏の該博な知識や
自在な視点が呼び水になって)、マーラーがいかに“現代に直結する作曲家”
であるかということを清新に語っている点で、前作にない魅力に溢れている。
同時に、マーラーが、第1番の交響曲を初演した時代というのは、
ブラームスもブルックナーも健在(それぞれ、4番と8番の交響曲の頃)。
つまり、マーラーがまぎれもなく、19世紀の爛熟したロマン派文化の中で
生い育ちながら、その後1作ごとに新しい試みを重ね、新たな交響曲文化の
創造者に昇華したということも、実にわくわくさせる筆致で読ませてくれる。
どこを読んでも面白いけれど、特に感心した点を、二つ。
まず、金氏は指揮者だから当然かも知れないが、空前の規模をもち、かつ、
作曲者自身が最高の作品と自賛した第8番を、作品として高く評価しながら、
自分がまだ振っていないことを明言し、決して上滑りな話をしていないこと
(それゆえ、本書を読むとぜひ、金指揮の第8番を聴きたくなるけど)。
もう一つは、(玉木氏の視点であることを断わったうえで)マーラーと、
夏目漱石の同時代性に言及していること。1860〜1911のマーラーと、
1867〜1916の漱石が同時代人であることは自明(ただしお互いに知らず)。
だが、世代を超えて日本で最も読み継がれている漱石は、マーラー同様、
第一級の知識人ながら読者(聴衆)の関心に配慮し、1作ごとに新しい試みを
重ねた苦労人。それは諸作品の書き出しの“つかみ”に明快に現われている。
それを踏まえた上で、作曲家の最初の音づくりとの類似を指摘している点。
本書は、別に比較文化論の本ではない。もちろん、著者の蘊蓄を自慢する
煩瑣な本でもない。だが、前作同様、旬の指揮者ならではのイキのいい表現が
ますます冴えている上に(自虐気味に「私生活」を暗示する表現もあり…)、
音楽とスポーツの手練れの書き手ならではの、漱石とマーラーの対比のような、
扱い様によっては失笑されかねない、だが、彼らのような巧者が繰り出せば、
効果抜群の話もふんだんにあって、興奮必至のマーラーへの案内になっている。