「戦後レジーム」なるものの実態とは、敗戦という動かせない政治的事実を
ごまかすことを背骨にする対米無限従属(その裏側として東アジアで孤立する)
体制である。(本書より)
今の日本のあり方、安倍晋三のやりかたへの、批判の書でもある。
アメリカの核の傘の下で日本のナショナリズムを主張すること、
すなわち外国の庇護の下でナショナリズムの欲望を満たすという異様さ。
この一文は効いた。
対米従属は、オバマからトランプになって政策が180度変わったにもかかわらず、
オバマにもトランプにも「そうだ、そうだ」と言う状態を見ればわかる。
本来、日本がやるべき拉致問題までトランプにお願いしている。
賛否あるにせよ、トランプは北朝鮮と会談を持った。
安倍晋三はなぜ会おうとしないのか。口先ばかりでは、拉致問題は解決しない。
そんなことまで考えさせられる1冊である。
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永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫) 文庫 – 2016/11/18
白井 聡
(著)
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米国に対する敗戦を骨の髄まで内面化する対米無限従属と、一方でアジアに対する敗戦否認。
戦後から内在し、今日顕在化してきた現代日本のねじれた姿を「永続敗戦レジーム」と喝破し、各界に衝撃を与えた注目書、待望の文庫化。
解説・進藤榮一
戦後から内在し、今日顕在化してきた現代日本のねじれた姿を「永続敗戦レジーム」と喝破し、各界に衝撃を与えた注目書、待望の文庫化。
解説・進藤榮一
- 本の長さ296ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2016/11/18
- 寸法10.8 x 1.2 x 14.8 cm
- ISBN-104062816512
- ISBN-13978-4062816519
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2016/11/18)
- 発売日 : 2016/11/18
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 296ページ
- ISBN-10 : 4062816512
- ISBN-13 : 978-4062816519
- 寸法 : 10.8 x 1.2 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 35,442位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 41位講談社+α文庫
- - 153位国際政治情勢
- - 8,587位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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2018年6月22日に日本でレビュー済み
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2022年9月25日に日本でレビュー済み
対米従属を左派の観点から批判した論考であるがなるべく党派的バイアスを抑えそこそこ読ませる。
常識的には敵対的な核保有国に囲まれて核武装しなければ対米従属するしかないと思うが、その辺は全くスルーなので期待できない。
一番面白かったのはエピローグでデンマークでイスラム系のタクシー運転手から「日本人は本当に偉大だ、俺は深く尊敬している。アメリカとあれだけの大戦争をやったんだ、なんて見上げた根性なんだ。」
「今度アメリカとやるときは、絶対一緒にやろうぜ!」
と言われるところ。
筆者は絶句し「大部分の国民の心情は親米そのものであり、「もう一度やる」などと夢にも思っていない、、、」
と記述しています。それはそうなんですが、日本人の自立の伝統の力は極めて大きく、潜在化した対米怨念が噴出する可能性は常にありますので、「もう一度やる」ことも十分あり得ます。
それは対米従属的保守派やアメリカの指導部がよく知っていることですし、昭和天皇もそれを恐れていたことは明らかです。
常識的には敵対的な核保有国に囲まれて核武装しなければ対米従属するしかないと思うが、その辺は全くスルーなので期待できない。
一番面白かったのはエピローグでデンマークでイスラム系のタクシー運転手から「日本人は本当に偉大だ、俺は深く尊敬している。アメリカとあれだけの大戦争をやったんだ、なんて見上げた根性なんだ。」
「今度アメリカとやるときは、絶対一緒にやろうぜ!」
と言われるところ。
筆者は絶句し「大部分の国民の心情は親米そのものであり、「もう一度やる」などと夢にも思っていない、、、」
と記述しています。それはそうなんですが、日本人の自立の伝統の力は極めて大きく、潜在化した対米怨念が噴出する可能性は常にありますので、「もう一度やる」ことも十分あり得ます。
それは対米従属的保守派やアメリカの指導部がよく知っていることですし、昭和天皇もそれを恐れていたことは明らかです。
2020年11月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
おばに、購入したものですが、面白くもあり勉強になると喜んでもらえました。
2020年6月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
敗戦の結果として、対米従属となる一方、東アジアの国々には敗戦と認めない。保守支配層はその姿勢を崩そうとはしないゆえに、敗戦としない終戦が永続する。キチンと反省、整理しない限り「戦後」は終わらないと結論付けされてます。言い回しが複雑で理解するのにちょっと苦労するかもしれません。私としては著者の意見に納得できてません。本当の歴史の真実を基礎にされているのか疑問に思う部分が少々ありました。反省せよというなら、事実認識、歴史認識を明確にせねばなりませんが、占領軍が課した被虐史観をどこまで直せるのか。それを左派は「歴史修正主義」と非難する。進もうにも進めません。読むにあたって歴史は勝者が作るを念頭に置くべきではないでしょうか?
2019年11月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今までの固定された価値観にメスを入れられたような感じです。物事を客観的にまた、多角的に見ることができます。
2018年5月12日に日本でレビュー済み
「永続敗戦」とは、日本が、アジア太平洋戦争での敗けを、表(建前)では認めていても、裏(本音)では認めず、向き合わないので、そののちも、日本に新たな負けを招き、外国(大国)に負け続けるという意味で、「永続敗戦」は、昭和中・後期~平成期にわたる戦後の国家体制の根幹だとしています。
これは、敗戦後に日本独自で、日本人が約300万人・アジア人が約2000万人も戦没したアジア太平洋戦争を、充分検証・評価(反省)しないまま、対米従属(隷従)したことに起因していると主張されており、敗戦を「終戦」と言い換えたのも、戦争の責任を回避・隠蔽したも同然とされています。
日本の経済的繁栄が低下し、東アジアの軍事的危機が上昇した近年、現政権や自民党の右派勢力等は、戦後の現憲法の理知的価値観(個人優先)より、戦前・戦中の帝国憲法の欲望的価値観(全体優先)を、公然と表明するようになりましたが、これだと「永続敗戦」は、際限なく延長されるといっています。
特に、現政権や自民党の右派勢力等は、表では、サンフランシスコ講和条約を認めていても、裏では、アジア太平洋戦争を正当化する言動がしばしば見られますが、これらを本気で突き詰めれば、戦争の是認・条約の否認につながり、そのうちに、アメリカ・東アジアの双方から孤立すると批判されています。
そこまでいかなくても、日中・日韓の歴史認識等で、日本が東アジアとの友好関係が悪化すれば、対米従属をますます強化しなければならず、アメリカの政治的・軍事的・経済的要求への過剰な対応が必要になり、そのうえで、自国を誇るのは、国際感覚と懸け離れた、恥ずかしい状況だとしています。
この矛盾・二重性は、日本の国益にも反し、アメリカの要求に答えられているからこその甘えで、現政権や自民党の右派勢力等が、あえてそうしているのは、かれらの支援団体の意向を反映させた党益だからで、国益より党益を優先する現在の日本は、独立国でもなく、歪んだ従属国といえるでしょう。
米軍駐留経費の各国の負担割合は、アメリカ国防省の2002年の発表によると、日本が約75%、ドイツが約33%、韓国が約40%、イタリアが約41%、スペインが約58%、サウジアラビアが約65%、カタールが約61%、クウェートが約58%、トルコが約54%となっています。
日本の総額は、アメリカの同盟27ヶ国全体の約53%もあり、ドイツの約2.8倍と突出しており、同じ敗戦国で、戦後に敗北と向き合って清算したドイツと比べても、日本の対米従属は異様です。
1章では、東日本大震災・大津波による福島第一原発事故でも露呈した、責任者達の当事者意識が欠如した言動・不決断と混迷・空虚な楽観主義・深刻な事態の過小評価・責任の不追及等、政府・財界・マスコミの日本的な無責任体制は、戦前・戦中から戦後へと一貫していることが指摘されています。
2章では、永続敗戦が国際感覚にも影響しており、中国との尖閣諸島・ロシアとの北方領土・韓国との竹島の領土問題、北朝鮮との拉致問題が取り上げられています。
政府・マスコミ等は、日本側の主張を繰り返すだけですが、本書では、相手側の主張・交渉の経緯や国際的な正当性が要約されているので、大変参考になり、一読すべきです。
領土問題は、中国・ソ連・韓国が、サンフランシスコ講和条約に参加していないので、国交回復の個別交渉の際に障害となり、現在まで未解決ですが、本書では、領土の境界が直近の戦争と条約・協定・宣言等を根拠とするのが、国際的な正当性で、近代以前の曖昧な領有は、無意味だと強調されています。
拉致問題は、日朝ピョンヤン宣言後の拉致被害者5人生存・8人死亡の報告から、日本側が交渉の優先順位を、国交正常化先行から拉致被害者解放先行へと、途中で切り替えたので、北朝鮮側が反発、拉致問題は解決済とし、ピョンヤン宣言に立ち戻り、経済援助を要求していると説明されています。
3章では、アメリカが日本を従属国とするにあたり、戦前・戦中(明治期~大正期~昭和前期)と戦後の国家体制を、いかにつなげたかが解説されています。
日本は戦後、右派と左派で、東京裁判・平和憲法・天皇制をめぐって、思想の対立が繰り返されましたが、アメリカは、そのような善か悪かの道徳的な見地には無関心で、占領政策・従属国として国益を追求するのみです。
天皇制も、占領統治に都合がよかったので、天皇を象徴として存続させたにすぎず、平和主義は、朝鮮戦争(1950-53年)から国防の障害になったため、途中から憲法解釈で、警察予備隊(1950年)→保安隊(1952年)→自衛隊(1954年)が整備されました。
日本は、もし、本土決戦になれば、犠牲者数が膨大になるからではなく、革命が発生するおそれがあるので、国体が護持(天皇制が存続)できる可能性がある時期に、降伏を決断したそうです。
そのうえ、昭和天皇は、占領中に米軍駐留の継続を切望したため、日米安保条約(1952年)で、アメリカに望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留できる権利を与え、独立が承認されたので、国家体制の根幹が、戦前・戦中の国体護持から、戦後の対米従属・永続敗戦へと転換したと言及されています。
アメリカは、一貫して自国に都合のいい要求を押し付けるので、日本は、対米従属を目的化せず、自分の国益の手段として受け入れを精査すべきですが、政治家・官僚の交渉には期待できず、現憲法で戦争協力を阻止できましたが、集団的自衛権の行使容認(2014年)で、今後は押し切られかねません。
もし、日本が歴史認識や靖国参拝・従軍慰安婦・領土問題等で、中国・韓国と険悪になれば、アメリカは、韓国だと、在韓米軍の駐留があるので、友好関係の再構築を強制しますが、中国だと、冷戦構造はすでに崩壊したので、将来、紛争を焚き付けて武器の商機とし、日本を突き放す可能性もあるようです。
中国は、核兵器を、非核保有国には、使用しませんが、核保有国には、使用する可能性があると公言しているので、米軍が参戦しないことも予測でき、そうなれば、アメリカ・東アジアの双方から孤立し、平和と繁栄の時代は完全に終了、戦争と衰退の時代が本格化することになります。
以上のように、本書では、実践すべきことは、具体化されておらず、それよりも、まず、戦前・戦中と戦後の、国際的な正当性のある歴史を認識すべきとしており、それには歴史意識・感覚の構造を変化させること、事実調査・情報公開を徹底することを提唱しています。
なお、本書には、歴史的な視点がやや不足しており(戦後を、平和と繁栄の時代と、戦争と衰退の時代に区分)、著者の続編「国体論-菊と星条旗」では、近現代の変遷(戦前・戦中と戦後を、各々で国体の形成期→安定期→崩壊期に区分)が加味されているので、両書を併読することを、おすすめします。
これは、敗戦後に日本独自で、日本人が約300万人・アジア人が約2000万人も戦没したアジア太平洋戦争を、充分検証・評価(反省)しないまま、対米従属(隷従)したことに起因していると主張されており、敗戦を「終戦」と言い換えたのも、戦争の責任を回避・隠蔽したも同然とされています。
日本の経済的繁栄が低下し、東アジアの軍事的危機が上昇した近年、現政権や自民党の右派勢力等は、戦後の現憲法の理知的価値観(個人優先)より、戦前・戦中の帝国憲法の欲望的価値観(全体優先)を、公然と表明するようになりましたが、これだと「永続敗戦」は、際限なく延長されるといっています。
特に、現政権や自民党の右派勢力等は、表では、サンフランシスコ講和条約を認めていても、裏では、アジア太平洋戦争を正当化する言動がしばしば見られますが、これらを本気で突き詰めれば、戦争の是認・条約の否認につながり、そのうちに、アメリカ・東アジアの双方から孤立すると批判されています。
そこまでいかなくても、日中・日韓の歴史認識等で、日本が東アジアとの友好関係が悪化すれば、対米従属をますます強化しなければならず、アメリカの政治的・軍事的・経済的要求への過剰な対応が必要になり、そのうえで、自国を誇るのは、国際感覚と懸け離れた、恥ずかしい状況だとしています。
この矛盾・二重性は、日本の国益にも反し、アメリカの要求に答えられているからこその甘えで、現政権や自民党の右派勢力等が、あえてそうしているのは、かれらの支援団体の意向を反映させた党益だからで、国益より党益を優先する現在の日本は、独立国でもなく、歪んだ従属国といえるでしょう。
米軍駐留経費の各国の負担割合は、アメリカ国防省の2002年の発表によると、日本が約75%、ドイツが約33%、韓国が約40%、イタリアが約41%、スペインが約58%、サウジアラビアが約65%、カタールが約61%、クウェートが約58%、トルコが約54%となっています。
日本の総額は、アメリカの同盟27ヶ国全体の約53%もあり、ドイツの約2.8倍と突出しており、同じ敗戦国で、戦後に敗北と向き合って清算したドイツと比べても、日本の対米従属は異様です。
1章では、東日本大震災・大津波による福島第一原発事故でも露呈した、責任者達の当事者意識が欠如した言動・不決断と混迷・空虚な楽観主義・深刻な事態の過小評価・責任の不追及等、政府・財界・マスコミの日本的な無責任体制は、戦前・戦中から戦後へと一貫していることが指摘されています。
2章では、永続敗戦が国際感覚にも影響しており、中国との尖閣諸島・ロシアとの北方領土・韓国との竹島の領土問題、北朝鮮との拉致問題が取り上げられています。
政府・マスコミ等は、日本側の主張を繰り返すだけですが、本書では、相手側の主張・交渉の経緯や国際的な正当性が要約されているので、大変参考になり、一読すべきです。
領土問題は、中国・ソ連・韓国が、サンフランシスコ講和条約に参加していないので、国交回復の個別交渉の際に障害となり、現在まで未解決ですが、本書では、領土の境界が直近の戦争と条約・協定・宣言等を根拠とするのが、国際的な正当性で、近代以前の曖昧な領有は、無意味だと強調されています。
拉致問題は、日朝ピョンヤン宣言後の拉致被害者5人生存・8人死亡の報告から、日本側が交渉の優先順位を、国交正常化先行から拉致被害者解放先行へと、途中で切り替えたので、北朝鮮側が反発、拉致問題は解決済とし、ピョンヤン宣言に立ち戻り、経済援助を要求していると説明されています。
3章では、アメリカが日本を従属国とするにあたり、戦前・戦中(明治期~大正期~昭和前期)と戦後の国家体制を、いかにつなげたかが解説されています。
日本は戦後、右派と左派で、東京裁判・平和憲法・天皇制をめぐって、思想の対立が繰り返されましたが、アメリカは、そのような善か悪かの道徳的な見地には無関心で、占領政策・従属国として国益を追求するのみです。
天皇制も、占領統治に都合がよかったので、天皇を象徴として存続させたにすぎず、平和主義は、朝鮮戦争(1950-53年)から国防の障害になったため、途中から憲法解釈で、警察予備隊(1950年)→保安隊(1952年)→自衛隊(1954年)が整備されました。
日本は、もし、本土決戦になれば、犠牲者数が膨大になるからではなく、革命が発生するおそれがあるので、国体が護持(天皇制が存続)できる可能性がある時期に、降伏を決断したそうです。
そのうえ、昭和天皇は、占領中に米軍駐留の継続を切望したため、日米安保条約(1952年)で、アメリカに望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留できる権利を与え、独立が承認されたので、国家体制の根幹が、戦前・戦中の国体護持から、戦後の対米従属・永続敗戦へと転換したと言及されています。
アメリカは、一貫して自国に都合のいい要求を押し付けるので、日本は、対米従属を目的化せず、自分の国益の手段として受け入れを精査すべきですが、政治家・官僚の交渉には期待できず、現憲法で戦争協力を阻止できましたが、集団的自衛権の行使容認(2014年)で、今後は押し切られかねません。
もし、日本が歴史認識や靖国参拝・従軍慰安婦・領土問題等で、中国・韓国と険悪になれば、アメリカは、韓国だと、在韓米軍の駐留があるので、友好関係の再構築を強制しますが、中国だと、冷戦構造はすでに崩壊したので、将来、紛争を焚き付けて武器の商機とし、日本を突き放す可能性もあるようです。
中国は、核兵器を、非核保有国には、使用しませんが、核保有国には、使用する可能性があると公言しているので、米軍が参戦しないことも予測でき、そうなれば、アメリカ・東アジアの双方から孤立し、平和と繁栄の時代は完全に終了、戦争と衰退の時代が本格化することになります。
以上のように、本書では、実践すべきことは、具体化されておらず、それよりも、まず、戦前・戦中と戦後の、国際的な正当性のある歴史を認識すべきとしており、それには歴史意識・感覚の構造を変化させること、事実調査・情報公開を徹底することを提唱しています。
なお、本書には、歴史的な視点がやや不足しており(戦後を、平和と繁栄の時代と、戦争と衰退の時代に区分)、著者の続編「国体論-菊と星条旗」では、近現代の変遷(戦前・戦中と戦後を、各々で国体の形成期→安定期→崩壊期に区分)が加味されているので、両書を併読することを、おすすめします。
2023年2月22日に日本でレビュー済み
帯に「日本人の必読書!」という宣伝文句が書かれているが、誇張でもなんでもなく、本当に必読書だというのが率直な感想である。それはなぜか。本書は、この国に生きている以上あらゆる人びとが避けがたく巻き込まれている、異常な文化的・政治的・経済的・歴史的・精神史的状況を広く深く考察しているからだ。そして、その異常性についてほとんどの人が現状まったく無知と言ってよいからだ。
以下、本書の内容を簡単に書き出しておく。劈頭にはポスト3.11の状況分析とそこに現出しつつある戦後の終焉が論じられ、いやがおうにも読者の危機意識は高められる。次に、加藤典洋の『敗戦後論』を批判的に読み解きつつ「永続敗戦論」が論じられる。さらに、領土問題の本質的議論と、それを敷衍した尖閣諸島・竹島・北方領土問題の考察(ここで読者は日本政府の主張の多くが無理筋であることを知るだろう)が披露され、また拉致問題を中心とした北朝鮮外交の内情と、そこでも現出する「永続敗戦」が論じられる。最終章では、アメリカとの関係と国体に関する議論などが収載されている。エピローグでは、「永続敗戦論」に関連する、著者が体験した3つのエピソードが紹介される。
どれもが史実・史料や文献の本質的批判に基づいているため説得力があり、舌鋒鋭い論調もまた魅力的である。歯に衣着せぬ、それでいて高度に知的な痛罵に、評者は何度か笑い転げてしまったほどだ。また、非常に示唆に富むエピローグでは、著者が自身の体験から敏感に感じ取り深く学ぶことのできる人物であることが窺えるし、そのパトスと慧眼から本書が生み出されたことがわかる。
ただ惜しむらくは、「永続敗戦論」の中身が必ずしも明確ではないという点である。「永続敗戦論」のイメージを頭の中に描きにくいのである。おそらくは敗戦したという事実を受け入れないがために、日本の政治経済の劣化に歯止めがかからないし、諸外国との関係改善もまったく進展を見ないという状態を指すものと思われる。それゆえ、「永続敗戦論」が内容空疎なわけではまったくないのだが、しかし、この事態を「永続敗戦論」なる言葉で表す必要性や意義があったのだろうかとも思う。敗戦の否認が巻き起こす深刻な問題群くらいの表現でよかったのではないかと思うのだ。
これは推察にすぎないが、様々な事実から「永続敗戦論」という鍵概念が帰納されたというよりも、まずはじめに「永続敗戦論」というパワーワードがあって、その切れ味鋭い概念でもって様々な史実や現象を分析したというのが実情に近いのではないだろうか。それゆえに、ところどころ牽強付会をにおわせる記述があることも確かだ。もっとも、パワーワードで耳目を集めるというやり方は、広く世に問う言論活動や本書のような多くの人に読まれるべき啓蒙書にあっては、狡いやり方というわけではなく、戦略的で賢いやり方であるようにも思える。評者自身も、このタイトルに「やられた」口なのだから。
他に気になった点としては、各章、各節、さらに言えば各段落の布置や接続がいまひとつわかりにくいところであろうか。各論点で論理が貫徹していないように思われる部分や理路の筋道が見失われてしまう箇所が少なからずあって、何度か読み直さないと論理や前後関係が掴めないこともあった。とはいえ、ひとつひとつの記述は目が覚めるほどに鋭いし、深く納得させられることもしばしばであるという事実は何度でも強調しておきたい。
次に疑問点を挙げておけば、著者が「永続敗戦論」の淵源を「伊藤博文らによる発明品」に求めているところに関しては、評者には合点がいかなかった。というのも、例えば江戸時代、この国の民衆は本当に貧しく犬畜生同然に虐げられていたにもかかわらず、「パックス・トクガワーナ」は300年近く続いたのである。しかも、それは外圧と新旧支配層の覇権争いによって終焉したにすぎない。主体性を持った人びとの判断と行動によって終わらせることができたわけではないのだ。庄屋様や徳川様にかしずいていたのが.今度は天皇様を崇めるようになったというわけである(そして敗戦後はアメリカ様がほとんど血肉化されるに至った)。
つまり、「永続敗戦論」は、実はより大きな「永続隷従論」とでもいうべきメタテーマの第何章かに位置づけられるものなのであって、この国の人びとの奴隷根性は、単なる歴史の一コマを超えて、文明史的な広がりと深さを持つのではないだろうか。このかくも従順で卑屈で柔弱で主体的な判断を放棄した人びとの群れがなぜかくも長きに渡り存在し続けているのか、ということなのである。このあまりに単純な愚かさに不釣り合いなほどに難解なその起源の解明は、著者を含めたこの国のアカデミズムが何としても引き受けるべき使命であるように思う。余談ではあるが、この国の研究者はまだまだ大衆を恐れていて、ラディカルな大衆批判に二の足を踏んでいるように見受けられるのだ。
他にも、最終盤に唐突に東アジア共同体構想をぶち上げるあたりも、いかにも不用意で本書の論旨と無関係であるように思われた。散漫な印象を与えるし、少なくとも現状では非現実的と言わざるをえず、最後まで敗戦論を掘り下げることに徹したほうがよかったのではないだろうか。
というわけで、上記のような難点や疑問点はあるものの、新たな発見はあるし、洞察を与えてくれるし、いろいろ深く考えさせてもくれるし、そもそも読み物として面白いし、ということで、一読に値する著作であることに何ら変わりはない。
ちなみに、この期に及んで、呑気に左派がどうこうなどと言っている人びとは、まったく本書の内容を理解しておらず(おそらく読んですらいない者もいるのではないか)、著者の言葉を引いておけば、何の自覚もないままに「永続敗戦」の「燃料」になってしまっているのである。「自虐史観批判」などというものも、敗戦したという事実をかき消したいがための意味不明の喚き声にすぎず、ほかならぬ否認の仕草なのである。しかし、当時の安倍首相が身をもって示したように、「自虐史観批判」ですら米国の許容範囲内でしか可能ではないということは強調しておかねばなるまい。つまるところ、「自虐史観批判」もまた「永続敗戦」の「理想的な」実践の一形態なのである。
以下、本書の内容を簡単に書き出しておく。劈頭にはポスト3.11の状況分析とそこに現出しつつある戦後の終焉が論じられ、いやがおうにも読者の危機意識は高められる。次に、加藤典洋の『敗戦後論』を批判的に読み解きつつ「永続敗戦論」が論じられる。さらに、領土問題の本質的議論と、それを敷衍した尖閣諸島・竹島・北方領土問題の考察(ここで読者は日本政府の主張の多くが無理筋であることを知るだろう)が披露され、また拉致問題を中心とした北朝鮮外交の内情と、そこでも現出する「永続敗戦」が論じられる。最終章では、アメリカとの関係と国体に関する議論などが収載されている。エピローグでは、「永続敗戦論」に関連する、著者が体験した3つのエピソードが紹介される。
どれもが史実・史料や文献の本質的批判に基づいているため説得力があり、舌鋒鋭い論調もまた魅力的である。歯に衣着せぬ、それでいて高度に知的な痛罵に、評者は何度か笑い転げてしまったほどだ。また、非常に示唆に富むエピローグでは、著者が自身の体験から敏感に感じ取り深く学ぶことのできる人物であることが窺えるし、そのパトスと慧眼から本書が生み出されたことがわかる。
ただ惜しむらくは、「永続敗戦論」の中身が必ずしも明確ではないという点である。「永続敗戦論」のイメージを頭の中に描きにくいのである。おそらくは敗戦したという事実を受け入れないがために、日本の政治経済の劣化に歯止めがかからないし、諸外国との関係改善もまったく進展を見ないという状態を指すものと思われる。それゆえ、「永続敗戦論」が内容空疎なわけではまったくないのだが、しかし、この事態を「永続敗戦論」なる言葉で表す必要性や意義があったのだろうかとも思う。敗戦の否認が巻き起こす深刻な問題群くらいの表現でよかったのではないかと思うのだ。
これは推察にすぎないが、様々な事実から「永続敗戦論」という鍵概念が帰納されたというよりも、まずはじめに「永続敗戦論」というパワーワードがあって、その切れ味鋭い概念でもって様々な史実や現象を分析したというのが実情に近いのではないだろうか。それゆえに、ところどころ牽強付会をにおわせる記述があることも確かだ。もっとも、パワーワードで耳目を集めるというやり方は、広く世に問う言論活動や本書のような多くの人に読まれるべき啓蒙書にあっては、狡いやり方というわけではなく、戦略的で賢いやり方であるようにも思える。評者自身も、このタイトルに「やられた」口なのだから。
他に気になった点としては、各章、各節、さらに言えば各段落の布置や接続がいまひとつわかりにくいところであろうか。各論点で論理が貫徹していないように思われる部分や理路の筋道が見失われてしまう箇所が少なからずあって、何度か読み直さないと論理や前後関係が掴めないこともあった。とはいえ、ひとつひとつの記述は目が覚めるほどに鋭いし、深く納得させられることもしばしばであるという事実は何度でも強調しておきたい。
次に疑問点を挙げておけば、著者が「永続敗戦論」の淵源を「伊藤博文らによる発明品」に求めているところに関しては、評者には合点がいかなかった。というのも、例えば江戸時代、この国の民衆は本当に貧しく犬畜生同然に虐げられていたにもかかわらず、「パックス・トクガワーナ」は300年近く続いたのである。しかも、それは外圧と新旧支配層の覇権争いによって終焉したにすぎない。主体性を持った人びとの判断と行動によって終わらせることができたわけではないのだ。庄屋様や徳川様にかしずいていたのが.今度は天皇様を崇めるようになったというわけである(そして敗戦後はアメリカ様がほとんど血肉化されるに至った)。
つまり、「永続敗戦論」は、実はより大きな「永続隷従論」とでもいうべきメタテーマの第何章かに位置づけられるものなのであって、この国の人びとの奴隷根性は、単なる歴史の一コマを超えて、文明史的な広がりと深さを持つのではないだろうか。このかくも従順で卑屈で柔弱で主体的な判断を放棄した人びとの群れがなぜかくも長きに渡り存在し続けているのか、ということなのである。このあまりに単純な愚かさに不釣り合いなほどに難解なその起源の解明は、著者を含めたこの国のアカデミズムが何としても引き受けるべき使命であるように思う。余談ではあるが、この国の研究者はまだまだ大衆を恐れていて、ラディカルな大衆批判に二の足を踏んでいるように見受けられるのだ。
他にも、最終盤に唐突に東アジア共同体構想をぶち上げるあたりも、いかにも不用意で本書の論旨と無関係であるように思われた。散漫な印象を与えるし、少なくとも現状では非現実的と言わざるをえず、最後まで敗戦論を掘り下げることに徹したほうがよかったのではないだろうか。
というわけで、上記のような難点や疑問点はあるものの、新たな発見はあるし、洞察を与えてくれるし、いろいろ深く考えさせてもくれるし、そもそも読み物として面白いし、ということで、一読に値する著作であることに何ら変わりはない。
ちなみに、この期に及んで、呑気に左派がどうこうなどと言っている人びとは、まったく本書の内容を理解しておらず(おそらく読んですらいない者もいるのではないか)、著者の言葉を引いておけば、何の自覚もないままに「永続敗戦」の「燃料」になってしまっているのである。「自虐史観批判」などというものも、敗戦したという事実をかき消したいがための意味不明の喚き声にすぎず、ほかならぬ否認の仕草なのである。しかし、当時の安倍首相が身をもって示したように、「自虐史観批判」ですら米国の許容範囲内でしか可能ではないということは強調しておかねばなるまい。つまるところ、「自虐史観批判」もまた「永続敗戦」の「理想的な」実践の一形態なのである。
2018年9月13日に日本でレビュー済み
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白井聡氏の日米の歴史研究には敬服しています。内容も大変にわかりやすく腑に落ちる著書です。