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アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2011/4/8
大和田 俊之
(著)
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アメリカ音楽産業の殿堂・グラミー賞の歴代受賞者も多数登場。
偉大なるプレイヤーたちとそのサウンドの<歴史>をめぐる、エキサイティングな1冊!
ロック、ジャズ、ブルース、ファンク、ヒップホップ……音楽シーンの中心であり続けたそれらのサウンドは、19世紀以来の、他者を擬装するという欲望のもとに奏でられ、語られてきた。
アメリカ近現代における政治・社会・文化のダイナミズムのもと、その<歴史>をとらえなおし、白人/黒人という枠組みをも乗り越えようとする、真摯にして挑戦的な論考。
2011年サントリー学芸賞[芸術・文学部門]受賞
[目次]
はじめに
第1章 黒と白の弁証法 ――偽装するミンストレル・ショウ
第2章 憂鬱の正統性 ――ブルースの発掘
第3章 アメリカーナの政治学 ――ヒルビリー./カントリー・ミュージック
第4章 規格の創造性 ――ティンパン・アレーと都市音楽の黎明
第5章 音楽のデモクラシー ――スウィング・ジャズの速度
第6章 歴史の不可能性 ――ジャズのモダニズム
第7章 若者の誕生 ――リズム&ブルースとロックンロール
第8章 空間性と匿名性 ――ロック/ポップスのサウンド・デザイン
第9章 プラネタリー・トランスヴェスティズム ――ソウル/ファンクのフューチャリズム
第10章 音楽の標本化とポストモダニズム ――ディスコ、パンク、ヒップホップ
第11章 ヒスパニック・インヴェイジョン ――アメリカ音楽のラテン化
注
Bibliographical Essay │参考文献紹介
あとがき
索引
偉大なるプレイヤーたちとそのサウンドの<歴史>をめぐる、エキサイティングな1冊!
ロック、ジャズ、ブルース、ファンク、ヒップホップ……音楽シーンの中心であり続けたそれらのサウンドは、19世紀以来の、他者を擬装するという欲望のもとに奏でられ、語られてきた。
アメリカ近現代における政治・社会・文化のダイナミズムのもと、その<歴史>をとらえなおし、白人/黒人という枠組みをも乗り越えようとする、真摯にして挑戦的な論考。
2011年サントリー学芸賞[芸術・文学部門]受賞
[目次]
はじめに
第1章 黒と白の弁証法 ――偽装するミンストレル・ショウ
第2章 憂鬱の正統性 ――ブルースの発掘
第3章 アメリカーナの政治学 ――ヒルビリー./カントリー・ミュージック
第4章 規格の創造性 ――ティンパン・アレーと都市音楽の黎明
第5章 音楽のデモクラシー ――スウィング・ジャズの速度
第6章 歴史の不可能性 ――ジャズのモダニズム
第7章 若者の誕生 ――リズム&ブルースとロックンロール
第8章 空間性と匿名性 ――ロック/ポップスのサウンド・デザイン
第9章 プラネタリー・トランスヴェスティズム ――ソウル/ファンクのフューチャリズム
第10章 音楽の標本化とポストモダニズム ――ディスコ、パンク、ヒップホップ
第11章 ヒスパニック・インヴェイジョン ――アメリカ音楽のラテン化
注
Bibliographical Essay │参考文献紹介
あとがき
索引
- ISBN-104062584972
- ISBN-13978-4062584975
- 出版社講談社
- 発売日2011/4/8
- 言語日本語
- 寸法13 x 1.7 x 19 cm
- 本の長さ308ページ
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対象商品: アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2011/4/8)
- 発売日 : 2011/4/8
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 308ページ
- ISBN-10 : 4062584972
- ISBN-13 : 978-4062584975
- 寸法 : 13 x 1.7 x 19 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 64,059位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 30位アメリカ史
- - 33位講談社選書メチエ
- - 47位海外のロック・ポップス
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2020年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まだまだ勉強初心者って感じで、内容の理解度は低いですが、歴史を知りたい人にはオススメです!
2016年5月31日に日本でレビュー済み
ブルースの世界ではミンストレル影響下のマレイニーやベッシースミス等をクラシックブルースと呼び、ブルースよりジャズ寄りのものだけど歴史的に貴重と認識して大切に発掘しています。
モダンジャズと呼ばれる歴史から滑り落ちてしまった音楽達をジャンプジャイブと呼んで近年大量に復刻してきたのもブルース界です。
筆者も始めに書いてるんで特に突っ込む気はありませんが、ブルースの成立に特大の影響を与えたニグロスピリチュアルへの考察がないので、こことミンストレルとラグタイムやブギやバレルハウスなんかと初期ブルースとの関係性が見える話を読んでみたいんですが、なかなか見つかりません。
でも、フォーキーなブルースこそ至高という政治的な偏向を見事に指摘してくれた評論は気持ちよく、目から鱗が落ちました。要するにジャズとブルースはどこまで軌を一にしてどこで分かれたのかが知りたいのですが、まだ歴史の闇に隠れて見えてきません、でもこの本のスタンスはいつの日かそこの疑問に光を当ててくれるような気がして楽しみです。
新進気鋭の学者さんらしく、色々な視点を尊重するあまり、最後の締めが締まらなくなってしまいましたが、これはこれで面白い未来を示唆しているようで期待してしまいます。
モダンジャズと呼ばれる歴史から滑り落ちてしまった音楽達をジャンプジャイブと呼んで近年大量に復刻してきたのもブルース界です。
筆者も始めに書いてるんで特に突っ込む気はありませんが、ブルースの成立に特大の影響を与えたニグロスピリチュアルへの考察がないので、こことミンストレルとラグタイムやブギやバレルハウスなんかと初期ブルースとの関係性が見える話を読んでみたいんですが、なかなか見つかりません。
でも、フォーキーなブルースこそ至高という政治的な偏向を見事に指摘してくれた評論は気持ちよく、目から鱗が落ちました。要するにジャズとブルースはどこまで軌を一にしてどこで分かれたのかが知りたいのですが、まだ歴史の闇に隠れて見えてきません、でもこの本のスタンスはいつの日かそこの疑問に光を当ててくれるような気がして楽しみです。
新進気鋭の学者さんらしく、色々な視点を尊重するあまり、最後の締めが締まらなくなってしまいましたが、これはこれで面白い未来を示唆しているようで期待してしまいます。
2012年4月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こういう骨子がしっかりした音楽論文を読みたいとずっと思っていました。
ブルースやジャズ、カントリー、R&B、ロック、ヒップホップなど
19世紀以降にアメリカで発生したさまざまなポピュラー音楽が
原初的で純度が高いレアな「黒人」音楽が
「白人」によって模倣されることにより
毒を抜かれた大衆的なものになり商業的に成功を収める、
といった単純なステレオタイプでは割り切れないことを
豊富な資料文献に基づいて丹念に検証されています。
アメリカ近代の政治や経済、社会、文化が
どのような形でポピュラー音楽に影響を与えてきたのか?
国家の制度やさまざまな社会的権力が
私たちが想像する以上に音楽の歴史を左右していることを
「擬装=他人になりすますこと」をキーワードに
鮮やかに描き出してくれます。
ところでこういった音楽関連の書物を読む際に
自分が知らない楽曲が登場したときに
今はYoutube ですぐに再生して視聴できる時代です。
インターネット技術の進歩や普及が
音楽業界全体に良い影響を及ぼす方向に作用するよう
演奏者やマスコミだけではなく音楽ファンにとっても
何らかの役割を果たせる時代が到来したような気がします。
ブルースやジャズ、カントリー、R&B、ロック、ヒップホップなど
19世紀以降にアメリカで発生したさまざまなポピュラー音楽が
原初的で純度が高いレアな「黒人」音楽が
「白人」によって模倣されることにより
毒を抜かれた大衆的なものになり商業的に成功を収める、
といった単純なステレオタイプでは割り切れないことを
豊富な資料文献に基づいて丹念に検証されています。
アメリカ近代の政治や経済、社会、文化が
どのような形でポピュラー音楽に影響を与えてきたのか?
国家の制度やさまざまな社会的権力が
私たちが想像する以上に音楽の歴史を左右していることを
「擬装=他人になりすますこと」をキーワードに
鮮やかに描き出してくれます。
ところでこういった音楽関連の書物を読む際に
自分が知らない楽曲が登場したときに
今はYoutube ですぐに再生して視聴できる時代です。
インターネット技術の進歩や普及が
音楽業界全体に良い影響を及ぼす方向に作用するよう
演奏者やマスコミだけではなく音楽ファンにとっても
何らかの役割を果たせる時代が到来したような気がします。
2011年6月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書によって、米国を始めとする英語圏における90年代以降に蓄積されてきた popular music を対象にした音楽学や民族音楽学の研究成果がようやく反映されたアメリカ音楽史が手頃なフォーマットで掴めるようになった。本書は日本国内ではかなり衝撃的な受けてめ方をされるであろうと思われるが、いまやアメリカの音楽史学からみれば「最新の定説」とでもいえる論旨が多い。本書はミュージック・ファンが書き、読むような本ではない。そうではなく、音楽と音楽の生産・流通・消費、そして音楽がどのように歴史化されてきたかという総体を政治史的・文化史的な眼差しで捉え直そうとする試みである。こうした視座を前もって了解さえしていれば、スリリングに読めるはずである。そして巻末の文献紹介エッセイだけでも、本書を買うメリットはある。ただ、ゴスペルについてに言及は皆無に均しく、著者もその事を断わっている。その理由は、何よりも、アメリカの宗教事情と黒人表現文化の双方の研究の膨大さに対して著者が安易に手が出せない現実があるからであろう。
2021年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
多くの音楽ファンにとって比較的共通認識が少ないミンストレル・ショウを扱った第1章が1番難解かと思われる。特に19世紀のアメリカ特有の人種論は日本人にはリアリティが無くてピンと来ないし、精神分析学やジェンダー論まで絡んできて、ひたすら抽象的な話を一方的に展開されてチンプンカンプン。(「〜から〇〇を想像することはたやすいが」みたいな独善的な物言いは、知識人の方々なら仕方ないんですかね?)もうちょっと端折らず丁寧に論じて欲しかったです。
2章以降は年表的にアメリカ音楽史を俯瞰できる内容で非常に役に立ちました。
2章以降は年表的にアメリカ音楽史を俯瞰できる内容で非常に役に立ちました。
2012年5月5日に日本でレビュー済み
本書の目的は主に2つある。
1. ブルース、ジャズ、ロックンロールをはじめとして、アメリカで生まれたさまざまな音楽ジャンルが、どのように形成され、発展してきたのかをたどる。現在まで蓄積された研究成果の紹介。
2. これらアメリカのポピュラー音楽史を、「偽装」をテーマに読み解く。その駆動力となったのは、「自己表現としての音楽」ではなく、「他人になりすます」欲望であることを論証する。
1番目のものについては文句なし。これまでの正史・通説をざっとまとめ、当時の社会状況を概説し、往々にして批評とは相性の悪いポピュラー音楽を体系的に論じることの意義や魅力を知ることができる。エルヴィスがいかに過小評価されているか――彼の業績に比べれば、ビートルズやローリング・ストーンズなどはちょっとセンスのいい青年みたいなものだ――、あるいはジャズにおいて革命といえばビバップだけど、モードの成立もそれに劣らず――ジャズをコード進行(ヨーロッパ音楽)の束縛から解放し、大衆音楽から鑑賞する芸術へと押し上げた意味で――重要だ、という指摘は非常に説得力がある。
本書の主題である2番目、「偽装」について。
・白人(ユダヤ人やアイルランド人が多い)が黒人を戯画化して演じたミンストレル・ショウを、今度は黒人が演じるようになる。この偽装ひいては欲望の重層構造こそアメリカポピュラー音楽を読み解く鍵だ。
・フォーク・リヴァイバルによって「再発見」されたライトニン・ホプキンズやジョン・リー・フッカー、彼らは当時すでに電化していたが、泥臭く商業化されていないブルースを求める大衆のためにアコースティックに持ち替えた。
・ユダヤ人が多くを占めたティンパンアレーはラグタイムやジャズをはじめとした「黒人音楽」を表象することで次々とヒット曲を生んだ。
これらのように、ジャズやロックンロールやファンクやヒップホップが、いかに偽装――白人(例えばエルヴィスが性的魅力を強調して)が「黒人音楽」を演奏し、また黒人は自ら進んで戯画化された黒人像、ホットで力強く商業化されていない黒人像、を引き受け、といった具合に――のもとで、白人と黒人の欲望の渦巻く中で「ポピュラー音楽」が立ち上がってくるのかを論証する。
なるほどたしかに「偽装」はアメリカポピュラー音楽のいたるところにみられるようだ。でも、彼らは本当に偽装することを欲していたのかなあ(ただ売れるための人もいたんじゃないの?)、という疑問に対しては、ミンストレル・ショウで戯画化された黒人像を場末のクラブで黒人が演じて倒錯的な快楽を得る場面や、エリントンがビッグバンドを率いるのに黒人像と戯れ、ピート・シーガーがフォーク・ソングを歌うのに労働階級を装い……と描くことで、たしかに「偽装」が重要な駆動力となったことを指摘する。それでも個人的には、あらゆるポピュラー音楽が「偽装願望」を源泉としているかというと疑問ではあるが、たしかに説得力はある。
大衆の好みに合わせて形を変えるような商業音楽は(本書でもハモンドがジャズについて言っているように)芸術としては一歩劣るかというと、そんなことはない。冒頭でマクベスを演じる俳優についての議論を引き合いに出して指摘されているように、商業主義と退けてしまうのではなく、大衆のために形を変えながらも豊穣な文化を提供してきたアメリカ音楽の理解を深めるために本書がある、というのが正しいかと思う。
「自己表現としての音楽」と、これまで何の疑いも持っていなかった価値観がぐらりと揺らぐ体験で、最後には黒人と白人だけでなくラテンの系譜を取り入れた研究の一端なども紹介する。
1. ブルース、ジャズ、ロックンロールをはじめとして、アメリカで生まれたさまざまな音楽ジャンルが、どのように形成され、発展してきたのかをたどる。現在まで蓄積された研究成果の紹介。
2. これらアメリカのポピュラー音楽史を、「偽装」をテーマに読み解く。その駆動力となったのは、「自己表現としての音楽」ではなく、「他人になりすます」欲望であることを論証する。
1番目のものについては文句なし。これまでの正史・通説をざっとまとめ、当時の社会状況を概説し、往々にして批評とは相性の悪いポピュラー音楽を体系的に論じることの意義や魅力を知ることができる。エルヴィスがいかに過小評価されているか――彼の業績に比べれば、ビートルズやローリング・ストーンズなどはちょっとセンスのいい青年みたいなものだ――、あるいはジャズにおいて革命といえばビバップだけど、モードの成立もそれに劣らず――ジャズをコード進行(ヨーロッパ音楽)の束縛から解放し、大衆音楽から鑑賞する芸術へと押し上げた意味で――重要だ、という指摘は非常に説得力がある。
本書の主題である2番目、「偽装」について。
・白人(ユダヤ人やアイルランド人が多い)が黒人を戯画化して演じたミンストレル・ショウを、今度は黒人が演じるようになる。この偽装ひいては欲望の重層構造こそアメリカポピュラー音楽を読み解く鍵だ。
・フォーク・リヴァイバルによって「再発見」されたライトニン・ホプキンズやジョン・リー・フッカー、彼らは当時すでに電化していたが、泥臭く商業化されていないブルースを求める大衆のためにアコースティックに持ち替えた。
・ユダヤ人が多くを占めたティンパンアレーはラグタイムやジャズをはじめとした「黒人音楽」を表象することで次々とヒット曲を生んだ。
これらのように、ジャズやロックンロールやファンクやヒップホップが、いかに偽装――白人(例えばエルヴィスが性的魅力を強調して)が「黒人音楽」を演奏し、また黒人は自ら進んで戯画化された黒人像、ホットで力強く商業化されていない黒人像、を引き受け、といった具合に――のもとで、白人と黒人の欲望の渦巻く中で「ポピュラー音楽」が立ち上がってくるのかを論証する。
なるほどたしかに「偽装」はアメリカポピュラー音楽のいたるところにみられるようだ。でも、彼らは本当に偽装することを欲していたのかなあ(ただ売れるための人もいたんじゃないの?)、という疑問に対しては、ミンストレル・ショウで戯画化された黒人像を場末のクラブで黒人が演じて倒錯的な快楽を得る場面や、エリントンがビッグバンドを率いるのに黒人像と戯れ、ピート・シーガーがフォーク・ソングを歌うのに労働階級を装い……と描くことで、たしかに「偽装」が重要な駆動力となったことを指摘する。それでも個人的には、あらゆるポピュラー音楽が「偽装願望」を源泉としているかというと疑問ではあるが、たしかに説得力はある。
大衆の好みに合わせて形を変えるような商業音楽は(本書でもハモンドがジャズについて言っているように)芸術としては一歩劣るかというと、そんなことはない。冒頭でマクベスを演じる俳優についての議論を引き合いに出して指摘されているように、商業主義と退けてしまうのではなく、大衆のために形を変えながらも豊穣な文化を提供してきたアメリカ音楽の理解を深めるために本書がある、というのが正しいかと思う。
「自己表現としての音楽」と、これまで何の疑いも持っていなかった価値観がぐらりと揺らぐ体験で、最後には黒人と白人だけでなくラテンの系譜を取り入れた研究の一端なども紹介する。
2011年8月12日に日本でレビュー済み
たいへん優れた音楽論であることは分かったうえで感想を少しだけ。
ある定説があればその反動があるのは当たり前のこと。これを丹念に拾ってまとめた労作という気がする。
だけど音楽「学」というのはつくづく因果な商売だと痛感させられる。
たとえば憂歌団に向かって(ちょっと古いか)
きみたちの演っている黒人のブルースってね、実はそれほど黒人の音楽じゃないんだよ
とか、カントリーでもロックンロールでもいいが、こういう音楽を演ってる面々に向かって
実はそれほど・・・じゃないんだ、なりすましているだけなんだよ
と言うのは自分じゃとても真似できない(たぶん「大きなお世話だ」とぶん殴られるだろう(アメリカでだったら「だからなんだって言うんだ」とぶん殴られるだろう))。
歴史の「真実」としては本書の言うとおりだろうけど、ぢゃあ聴き方や受け取り方まで「嘘なの?」と疑ってしまう。
偉大なる勘違いのほうが、学問的に暴かれた真理よりも、はるかに生産的な気がする。
あともう一言だけ付け加えると、こういうふうにアメリカ音楽を論じる、日本の研究者の立ち位置について、ちょっとは発言してもらいたかった。
ある定説があればその反動があるのは当たり前のこと。これを丹念に拾ってまとめた労作という気がする。
だけど音楽「学」というのはつくづく因果な商売だと痛感させられる。
たとえば憂歌団に向かって(ちょっと古いか)
きみたちの演っている黒人のブルースってね、実はそれほど黒人の音楽じゃないんだよ
とか、カントリーでもロックンロールでもいいが、こういう音楽を演ってる面々に向かって
実はそれほど・・・じゃないんだ、なりすましているだけなんだよ
と言うのは自分じゃとても真似できない(たぶん「大きなお世話だ」とぶん殴られるだろう(アメリカでだったら「だからなんだって言うんだ」とぶん殴られるだろう))。
歴史の「真実」としては本書の言うとおりだろうけど、ぢゃあ聴き方や受け取り方まで「嘘なの?」と疑ってしまう。
偉大なる勘違いのほうが、学問的に暴かれた真理よりも、はるかに生産的な気がする。
あともう一言だけ付け加えると、こういうふうにアメリカ音楽を論じる、日本の研究者の立ち位置について、ちょっとは発言してもらいたかった。