この作家の『坊っちゃんの時代』『二葉亭四迷の明治四十一年』『白樺たちの大正』『現代短歌そのこころみ』など、明治以降の日本作家たちを描いたシリーズを好んで読んできました。本書は『坊っちゃんの時代』でわずかに登場した松岡子規の晩年をクローズアップし、その交友や論争、弟子たちとの関わりを述べています。子規を主人公とした司馬遼太郎『坂の上の雲』『ひとびとの跫音』の関川版ともいえる、力のこもった評伝でした。小西甚一など国文学者による評価も勘案しており、文学史の資料としても信頼できます。
夏目漱石に多くページが割かれていたり、樋口一葉が登場したりするところは『坊っちゃんの時代』の読者として懐かしい。一方、海軍に進んだ友人・秋山真之や旧知の禅僧・天田愚庵が出てくるところは文人の評伝としては異色ですが、子規が代表する明治という時代がけっして平板ではないことを示しているようです。高浜虚子、河東碧梧桐、伊藤左千夫、長塚節など多彩な経歴のひとびとが弟子としてつどい、子規の生涯と結ばれていく様は、終章の表題「子規山脈」にふさわしい。
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子規、最後の八年 単行本 – 2011/4/2
関川 夏央
(著)
そのわずか六尺の病床に、明治の青春と文学があった。
二十八歳で結核を発症し三十五歳で逝った子規。激しい痛みに堪えながら旺盛に表現する彼の病床には、漱石・虚子・秋山真之ら、多くの友が集った。
近代日本の文芸表現の道筋を決めた、その“濃密な晩年”を描く。
十一月六日の夜、子規はロンドンの漱石にひさびさ手紙を書いた。
「僕ハモーダメニナツテシマツタ。毎日訳モナク号泣シテ居ルヤウナ次第ダ」……
苦痛のあまり文飾している余裕がない。文章は短く簡潔である。それだからこそ、むしろ劇的緊張感をはらむ。無意識のうちに子規が現代日本語の書き言葉を完成させてしまったといえるその手紙を、漱石はクラパム・コモンの下宿で明治三十四年十二月十六日頃手にした。――<「明治三十四年 その三 律という女」より>
二十八歳で結核を発症し三十五歳で逝った子規。激しい痛みに堪えながら旺盛に表現する彼の病床には、漱石・虚子・秋山真之ら、多くの友が集った。
近代日本の文芸表現の道筋を決めた、その“濃密な晩年”を描く。
十一月六日の夜、子規はロンドンの漱石にひさびさ手紙を書いた。
「僕ハモーダメニナツテシマツタ。毎日訳モナク号泣シテ居ルヤウナ次第ダ」……
苦痛のあまり文飾している余裕がない。文章は短く簡潔である。それだからこそ、むしろ劇的緊張感をはらむ。無意識のうちに子規が現代日本語の書き言葉を完成させてしまったといえるその手紙を、漱石はクラパム・コモンの下宿で明治三十四年十二月十六日頃手にした。――<「明治三十四年 その三 律という女」より>
- 本の長さ410ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2011/4/2
- ISBN-104062167077
- ISBN-13978-4062167079
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2011/4/2)
- 発売日 : 2011/4/2
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 410ページ
- ISBN-10 : 4062167077
- ISBN-13 : 978-4062167079
- Amazon 売れ筋ランキング: - 833,446位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 19,068位日本文学
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上位レビュー、対象国: 日本
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2012年4月5日に日本でレビュー済み
大変面白く読み、そして強く感銘を受けた。俳句を趣味にしている方や、子規のことを多少たりとも知っている方は別としても、私のようにこの分野に余り造詣の深くない者にとっては、多くのことを知ることができ、この本によって教養を高めてもらったような思いがする。
私と家内は、十数年前にフィリピンのマニラに住んでいた時に、日本人のある方が主催する句会に入っていた。マニラを離れてから、私は句を作るということはしなくなったものの、俳句には興味をもち続けて気に入った句などを幾つか覚えるようになっていた。家内は日本に帰ってからも故郷で句会に入って句作を続けていた。そういう環境の我が家では、NHKが昨年まで三年がかりで放映した「坂の上の雲」で描かれた正岡子規の生涯に強い印象を受けたのだった。
「坂の上の雲」は若い時に読んではいたが、その時の子規を記述した箇所の印象はほとんど無かった。それがどうだろう、もちろん巧みに作られたNHKの作品と役者の鬼気迫る演技に圧されたこともあるが、原作を読んでからの三十数年の年月と俳句の経験が興味の対象を広げてくれて、むしろ秋山真之よりも正岡子規の生き様に興味をもつようになっていたのだった。それは、端的な言い方になってしまうが、軍人の秋山の話よりも文芸の子規の生き様のほうが語る言葉が深く、そして多くなるので、当然の事かも知れない。
映像に感化を受けて書籍を読むということは、易きより入ったようで忸怩たる思いのしないわけでもなかったので、この本を読んだ動機を敢えて述べた。映像ということで言えば、たまたま読む前に子規庵を訪ねたことも、読書中にあれこれと室内の情景が浮かんできて、より楽しませてくれた。
さて、この本である。題名の通り、子規が亡くなる最後の八年間の活躍と友人や弟子たちとの交流を描いたものである。時には子規を巡る人々にも焦点を当て、その頃の社会生活を述べるなどの余談が内容を幅広いものにして、読むものを飽きさせない。
読んでみてまず感じるのは、子規の明るさ、親分肌で面倒見のよいところ、病のつらさに泣きながらも、一途に文芸の革新に徹する意志の強さである。病床にありながら、まるでじゃじゃ馬の跳ねるようだと思いながら読んでいた。司馬遼太郎氏が子規を「坂の上の雲」やその他の著述に書き込んだのは、そういう子規の人柄を愛したからだという、なるほど、という思いである。
子規が目指した文芸の革新とは、子規に言わせると、「野心」即ち「歴史に名をとどめること」だという。具体的には、新体詩の確立、和歌の革新、美文を過去の遺物とする写生文の実践、である。そして、子規は自分自身をこのように表現している、「世間、大望を抱きたるままにて地下に葬らるる者多し。されども余(われ)程の大望を抱きて地下に逝く者はあらじ。」これは脊椎カリエスの宣告を受け、一瞬茫然として言葉を失い、その間に無意識に考えたことである、と虚子に伝えている。
そして、子規のその写実主義である。著者の解説は分かり易い。子規は源実朝の歌を高く評価しているが、その内の一つに、「武士(もののふ)の矢並みつくろふ小手の上に霰たばさる那須の篠原」という、その場の情景が彷彿と浮かぶような歌を挙げている。まるで俳句のように簡潔で、その場面を写真で切り取ったようだ、と私には思えた。一方で子規が嫌う歌は、百人一首にも採用されている、「こころあてにおらばやおらん初霜のおきまどわせる白菊の花」である。子規は、初霜で白菊がどこにあるかわからなくなるような事態が起こるはずがない、つまらない嘘だ(写実的でない)、と唾棄している。更に、歌よみの人々に警告するのは、使う言葉を和語のみの「国粋」にしたいという思想に対してである。「深見草、など言わず、漢語で、牡丹、と言え。牡丹という語は、たちまち牡丹の花の幻影を人に見せるが、深見草ではそうはいかない。そうして牡丹の語は音も強く、かの花の大きくて凛としたところによく添う。」などは、明快な論理で気持ちがいい。あまりに写実主義であると趣や技巧がなくなるという反論もあろうが、それはそれである、この本は子規について書かれたものなので、素直に子規の感性を受け取りたいと思う。
さて、律のことである。この本でも一章を設けて書かれているが、残念ながらこれまでに他から得た知識以上のものは書かれていなかった。本当に彼女はどんな思いで兄を看病してきたのか、生きているうちに誰か聞いておけばよかったのに、と思うが、そういう生き方が明治の女性の典型だったのだろうか。
既に上記の文で何回も述べたが、改めて、いいものを書いてくれた作者の努力と文芸に対する感覚に敬意を表したい。
私と家内は、十数年前にフィリピンのマニラに住んでいた時に、日本人のある方が主催する句会に入っていた。マニラを離れてから、私は句を作るということはしなくなったものの、俳句には興味をもち続けて気に入った句などを幾つか覚えるようになっていた。家内は日本に帰ってからも故郷で句会に入って句作を続けていた。そういう環境の我が家では、NHKが昨年まで三年がかりで放映した「坂の上の雲」で描かれた正岡子規の生涯に強い印象を受けたのだった。
「坂の上の雲」は若い時に読んではいたが、その時の子規を記述した箇所の印象はほとんど無かった。それがどうだろう、もちろん巧みに作られたNHKの作品と役者の鬼気迫る演技に圧されたこともあるが、原作を読んでからの三十数年の年月と俳句の経験が興味の対象を広げてくれて、むしろ秋山真之よりも正岡子規の生き様に興味をもつようになっていたのだった。それは、端的な言い方になってしまうが、軍人の秋山の話よりも文芸の子規の生き様のほうが語る言葉が深く、そして多くなるので、当然の事かも知れない。
映像に感化を受けて書籍を読むということは、易きより入ったようで忸怩たる思いのしないわけでもなかったので、この本を読んだ動機を敢えて述べた。映像ということで言えば、たまたま読む前に子規庵を訪ねたことも、読書中にあれこれと室内の情景が浮かんできて、より楽しませてくれた。
さて、この本である。題名の通り、子規が亡くなる最後の八年間の活躍と友人や弟子たちとの交流を描いたものである。時には子規を巡る人々にも焦点を当て、その頃の社会生活を述べるなどの余談が内容を幅広いものにして、読むものを飽きさせない。
読んでみてまず感じるのは、子規の明るさ、親分肌で面倒見のよいところ、病のつらさに泣きながらも、一途に文芸の革新に徹する意志の強さである。病床にありながら、まるでじゃじゃ馬の跳ねるようだと思いながら読んでいた。司馬遼太郎氏が子規を「坂の上の雲」やその他の著述に書き込んだのは、そういう子規の人柄を愛したからだという、なるほど、という思いである。
子規が目指した文芸の革新とは、子規に言わせると、「野心」即ち「歴史に名をとどめること」だという。具体的には、新体詩の確立、和歌の革新、美文を過去の遺物とする写生文の実践、である。そして、子規は自分自身をこのように表現している、「世間、大望を抱きたるままにて地下に葬らるる者多し。されども余(われ)程の大望を抱きて地下に逝く者はあらじ。」これは脊椎カリエスの宣告を受け、一瞬茫然として言葉を失い、その間に無意識に考えたことである、と虚子に伝えている。
そして、子規のその写実主義である。著者の解説は分かり易い。子規は源実朝の歌を高く評価しているが、その内の一つに、「武士(もののふ)の矢並みつくろふ小手の上に霰たばさる那須の篠原」という、その場の情景が彷彿と浮かぶような歌を挙げている。まるで俳句のように簡潔で、その場面を写真で切り取ったようだ、と私には思えた。一方で子規が嫌う歌は、百人一首にも採用されている、「こころあてにおらばやおらん初霜のおきまどわせる白菊の花」である。子規は、初霜で白菊がどこにあるかわからなくなるような事態が起こるはずがない、つまらない嘘だ(写実的でない)、と唾棄している。更に、歌よみの人々に警告するのは、使う言葉を和語のみの「国粋」にしたいという思想に対してである。「深見草、など言わず、漢語で、牡丹、と言え。牡丹という語は、たちまち牡丹の花の幻影を人に見せるが、深見草ではそうはいかない。そうして牡丹の語は音も強く、かの花の大きくて凛としたところによく添う。」などは、明快な論理で気持ちがいい。あまりに写実主義であると趣や技巧がなくなるという反論もあろうが、それはそれである、この本は子規について書かれたものなので、素直に子規の感性を受け取りたいと思う。
さて、律のことである。この本でも一章を設けて書かれているが、残念ながらこれまでに他から得た知識以上のものは書かれていなかった。本当に彼女はどんな思いで兄を看病してきたのか、生きているうちに誰か聞いておけばよかったのに、と思うが、そういう生き方が明治の女性の典型だったのだろうか。
既に上記の文で何回も述べたが、改めて、いいものを書いてくれた作者の努力と文芸に対する感覚に敬意を表したい。
2012年7月12日に日本でレビュー済み
子規は,教科書の写真と,「柿食えば・・」しか知らない世代ですが,坂の上の雲で初めて生き生きと動く子規を知りました。
この程度でも知ると,いかに教科書の子規がつまらなく書かれているか,あきれるほどです。なぜ短文のひとつも読ませないのか。
子規が病床に臥しがちになってからその死までの8年間,死を思うがゆえに,ふわふわした青年期から進むべき道を這ってでも進もうとする執念に燃えた8年間の歩みです。
子規論はこれまでに山のように書かれていると思いますが,その山をこの1冊で見渡すことができるほど,子規に近づけたような気がします。
この程度でも知ると,いかに教科書の子規がつまらなく書かれているか,あきれるほどです。なぜ短文のひとつも読ませないのか。
子規が病床に臥しがちになってからその死までの8年間,死を思うがゆえに,ふわふわした青年期から進むべき道を這ってでも進もうとする執念に燃えた8年間の歩みです。
子規論はこれまでに山のように書かれていると思いますが,その山をこの1冊で見渡すことができるほど,子規に近づけたような気がします。
2012年2月28日に日本でレビュー済み
正岡子規の最晩年、病の床にいた8年を描いたノンフィクション。講談社版の『子規全集』をはじめ、虚子、漱石ら、周辺の人々の書き残した文章をたんねんに読み、丁寧にしあげた評伝。病が重くなるにつれ、生を愛しみ、生き抜いた子規の姿が浮かんでくる。また、その後、子規を愛する人々によって子規の業績が残っていった事情も詳しく触れてある。まるで金継ぎの技法のように、それぞれの元の文章がより引き立ち、わかりやすくなる。読み終わった後、糸瓜の絶唱三句が、いっそう味わい深くなった。