歴史の教科書では教えてくれないことがいっぱいありすぎで、
どれだけ本を読んでも足りない気がします。
最近思うことは、ロシア(旧ソ連)という国は信用できないということ。
外務省という組織も、どうなのかな、、
ただ絶対にもう戦争はしてほしくない、日本はこのまま非戦を貫いてほしいということです。
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私が最も尊敬する外交官 ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六 単行本 – 2014/8/8
佐藤 優
(著)
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購入オプションとあわせ買い
日本の外交官と外務省の隅々までを知り尽くす佐藤優が、これまでに接した当事者のなかで能力、実績、人格ともに最高に評価するのが吉野文六氏。95歳。
吉野氏は、沖縄返還において日米両政府間に密約が存在したことを、2006年に日本側の交渉当時者として初めて明らかにした。アメリカ局長、外務審議官、旧西ドイツ大使などを歴任した外交官の「職業的良心」はいかに生まれ、形成されていったのか。
旧制高校時代に身に叩き込んだ英米系哲学、帝国大学での学生記者経験、高等文官試験を行政科・司法科・外交科すべて合格し、外務省へ入省。真珠湾攻撃前夜の太平洋を横断、たどりついた北米大陸での見聞、動乱の欧州を視察してベルリンへ。、松岡洋右外相、野村吉三郎駐米特命全権大使らのエピソードや、各在外公館でおこなわれていた諜報活動、またソ連のドイツ侵攻時に、在ベルリン大使館から南方へ避難した大島浩大使からの下された決死の司令。1945年5月ナチス・ドイツ第三帝国が崩壊する瞬間に立ち会う。そして命を賭してシベリア鉄道横断からの帰国。
1941年から1945年にかけた激動の欧州を青年外交官はどのようにとらえたのか。本書は、若き外交官の真実のビルドゥンクス・ロマンである。
太平洋を渡り、アメリカ経由でのドイツ赴任行のとき、ドイツ語でつけた日記が、近年、奇跡的にビュルツブルグ大学図書館で発見された。その全文も併せて収録する。吉野文六と佐藤優が語り合う新感覚のオーラル・ヒストリー・ノンフィクション!
吉野氏は、沖縄返還において日米両政府間に密約が存在したことを、2006年に日本側の交渉当時者として初めて明らかにした。アメリカ局長、外務審議官、旧西ドイツ大使などを歴任した外交官の「職業的良心」はいかに生まれ、形成されていったのか。
旧制高校時代に身に叩き込んだ英米系哲学、帝国大学での学生記者経験、高等文官試験を行政科・司法科・外交科すべて合格し、外務省へ入省。真珠湾攻撃前夜の太平洋を横断、たどりついた北米大陸での見聞、動乱の欧州を視察してベルリンへ。、松岡洋右外相、野村吉三郎駐米特命全権大使らのエピソードや、各在外公館でおこなわれていた諜報活動、またソ連のドイツ侵攻時に、在ベルリン大使館から南方へ避難した大島浩大使からの下された決死の司令。1945年5月ナチス・ドイツ第三帝国が崩壊する瞬間に立ち会う。そして命を賭してシベリア鉄道横断からの帰国。
1941年から1945年にかけた激動の欧州を青年外交官はどのようにとらえたのか。本書は、若き外交官の真実のビルドゥンクス・ロマンである。
太平洋を渡り、アメリカ経由でのドイツ赴任行のとき、ドイツ語でつけた日記が、近年、奇跡的にビュルツブルグ大学図書館で発見された。その全文も併せて収録する。吉野文六と佐藤優が語り合う新感覚のオーラル・ヒストリー・ノンフィクション!
- 本の長さ402ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2014/8/8
- 寸法14.2 x 3.3 x 19.5 cm
- ISBN-104062148994
- ISBN-13978-4062148993
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商品の説明
著者について
佐藤 優
さとう・まさる 1960年生まれ。75年、浦和高校入学。79年同志社大学神学部入学、85年同大学大学院神学研究科修了後、外務省に入省。在英国日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館に勤務後、95年より外務省国際情報局分析第一課へ。主任分析官として活躍する。
2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、512日間東京拘置所に勾留される。05年2月、執行猶予付き有罪判決を受け、09年に最高裁で上告棄却、有罪が確定し、外務省を失職。釈放中から精力的な執筆活動に取り組み、書籍、論文を発表してきた。
05年のデビュー作『国家の罠』で第59回毎日出版文化賞特別賞、次作の『自壊する帝国』で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。主な著書に『甦る怪物 私のマルクス』『外務省に告ぐ』『新帝国主義の時代』『宗教改革の物語など多数。
さとう・まさる 1960年生まれ。75年、浦和高校入学。79年同志社大学神学部入学、85年同大学大学院神学研究科修了後、外務省に入省。在英国日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館に勤務後、95年より外務省国際情報局分析第一課へ。主任分析官として活躍する。
2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、512日間東京拘置所に勾留される。05年2月、執行猶予付き有罪判決を受け、09年に最高裁で上告棄却、有罪が確定し、外務省を失職。釈放中から精力的な執筆活動に取り組み、書籍、論文を発表してきた。
05年のデビュー作『国家の罠』で第59回毎日出版文化賞特別賞、次作の『自壊する帝国』で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。主な著書に『甦る怪物 私のマルクス』『外務省に告ぐ』『新帝国主義の時代』『宗教改革の物語など多数。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2014/8/8)
- 発売日 : 2014/8/8
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 402ページ
- ISBN-10 : 4062148994
- ISBN-13 : 978-4062148993
- 寸法 : 14.2 x 3.3 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 592,858位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 80,567位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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元外交官で文筆家。ロシア情報収集・解析のエキスパート。魚住昭/ジャーナリスト。ノンフィクションに著作多数。青木理/ジャーナリスト。元共同通信記者。『日本の公安警察』『絞首刑』など著作多数。植草一秀/経済学者。日本経済、金融論が専門。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 誰が日本を支配するのか!?政治とメディアの巻 (ISBN-13:978-4838721566)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
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2022年8月22日に日本でレビュー済み
再掲 2015
図書館本
吉野文六(1918年8月8日 - 2015年3月29日)逝去を新聞報道で先日知りました。
旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業、外務省。
教科書では習わない歴史が個人や組織の動きから理解できます。
佐藤さんが書く様にノブレス・オブリージュ(エリートとしての責務)な外交官であったと思います。
ナチスドイツ崩壊直前のベルリン駐在までにアメリカ、ポルトガル、スペインと旅行させる外務省の教育指導とでもいうのだろう配慮。
その時点で吉野氏はアメリカの経済的状況(誰もが車を所有すると日記に書く)を体感し、日本の敗戦を想定してのだろう。そしていかに日本の損害を少なく終戦に持ち込むのかと。
当時の外交官達の日記や外交文書を佐藤さんが読み込み、吉野さんとの面談を通して日本敗戦までの流れを示してくれている。
備忘録的メモ
わが闘争の現著と邦訳の違い
逃げ足の速い大使
沖縄密約の公文書発表における職業的良心(国益的?)真摯さ
ドイツへのソ連侵攻におけるソ連兵のレイプ事案の多さ
宮川舩夫ハルビン総領事のソ連の満州侵攻の確信、その後の長期拘留後に死亡(ソ連の違法拘留、名誉回復)
満鉄病院における「五族協和」という平等
佐藤氏が吉野氏より聞き取りした内容は今後さらに公表されるとの事。
図書館本
吉野文六(1918年8月8日 - 2015年3月29日)逝去を新聞報道で先日知りました。
旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業、外務省。
教科書では習わない歴史が個人や組織の動きから理解できます。
佐藤さんが書く様にノブレス・オブリージュ(エリートとしての責務)な外交官であったと思います。
ナチスドイツ崩壊直前のベルリン駐在までにアメリカ、ポルトガル、スペインと旅行させる外務省の教育指導とでもいうのだろう配慮。
その時点で吉野氏はアメリカの経済的状況(誰もが車を所有すると日記に書く)を体感し、日本の敗戦を想定してのだろう。そしていかに日本の損害を少なく終戦に持ち込むのかと。
当時の外交官達の日記や外交文書を佐藤さんが読み込み、吉野さんとの面談を通して日本敗戦までの流れを示してくれている。
備忘録的メモ
わが闘争の現著と邦訳の違い
逃げ足の速い大使
沖縄密約の公文書発表における職業的良心(国益的?)真摯さ
ドイツへのソ連侵攻におけるソ連兵のレイプ事案の多さ
宮川舩夫ハルビン総領事のソ連の満州侵攻の確信、その後の長期拘留後に死亡(ソ連の違法拘留、名誉回復)
満鉄病院における「五族協和」という平等
佐藤氏が吉野氏より聞き取りした内容は今後さらに公表されるとの事。
2019年11月6日に日本でレビュー済み
著者佐藤優氏は人との出会いを大切にしている。外務省の大先輩である吉野文六氏(対談当時96歳、2015年3月逝去)もその一人にちがいない。吉野氏は1971年沖縄返還協定時の外務省アメリカ局長で、返還交渉の担当者だった。同年、沖縄返還協定に米国との密約ありとすっぱ抜いた毎日新聞(当時)西山太吉記者らが逮捕された「外務省機密漏洩事件」では、公判で密約は存在しない旨を証言していた。2006年の北海道新聞の取材に米国外交文書のコピーを示され、吉野氏は密約の存在を認めたという。佐藤氏が吉野氏に密約があったという真実を話した理由を問いただすと、「結局、私の署名なり、イニシャルのついた文書が、アメリカで発見されまして、これはおまえのサインじゃないか、イニシャルじゃないかと言われたら、肯定せざるを得ないという話です。」と吉野氏は答えている。米国では、外交文書は三十年を期限として一般に公開される仕組みになっている。これは民主主義国家として歴史の真実を国民に公開し、後世に歴史の審判を委ねようという優れたシステムだ。残念ながら日本にはまだ同様の外交文書公開制度はない。政府、外務省がこれまで認めてこなかった密約の存在を認めた吉野氏の発言は、かつて政府の責任ある地位にあった者が歴史の真実を語る責任を負うていることを示した、勇気ある行為だと言えよう。その人柄に注目した佐藤氏が企画したのが本書で、主として吉野氏が新米外交官として第二次大戦中のドイツのベルリン大使館に赴任、駐在した1941年~45年ドイツ敗北で帰国するまでの体験を回想したインタビューである。
私は戦前の革新官僚の動向に関心がある。当時のベルリン大使館は外務省革新派(三国同盟を軍部と共に推し進めた枢軸派)の牙城だったはずだが、吉野氏の回想にはあまり詳しくその話題はのぼらない。先輩外交官への配慮があるのかもしれない。ただこんなくだりが出てくる。
吉野「牛場さん(注:当時枢軸派の若手外交官、戦後に外務次官、駐米大使)という、後に私の上司になった人ですが、彼がハイデルベルクに訪ねてきたんです。彼はロンドンで三等書記官か何かをしていたんですが、大島さんが牛場さんを呼び寄せたんです。『俺のところへ来い』と。」
佐藤「気に入られていたわけですね。」
吉野「当時の外務省は大島さんの言うことをよく聞いていたわけでしょうからね。牛場さんは飛行機でロンドンからリスボンへ飛んだんでしょうが、ともかくベルリンへ来たんです。転任して間もなく、ドイツの外務省の連中と一緒に、バインシュトラーセ(ワイン街道)を自動車旅行して、ハイデルベルクまで訪ねてきたんですよ。(後略)」(p122~123)
「大島さん」とは、当時の駐独大使、陸軍中将大島浩(注:戦後、東京裁判でA級戦犯に指名され終身刑を宣告され服役、後釈放)のことである。吉野氏が大島大使に初めて会った印象は、三国同盟を推進した武闘派のヒトラー崇拝者というイメージどおりではなく、めっぽう酒に強いが他人の見解にも耳を傾けることのできる常識人だそうである。ただ吉野氏たちの前で、ソ連と中立条約を結んだ松岡外相を松岡と呼び捨てにして批判したり、独ソ戦の近いことを広言してヒトラー政権との親密ぶりを誇示したりしたらしい。
大島の人物像がわかるエピソードが他にもある。1945年4月ソ連軍がベルリン近郊まで迫っているという緊迫した情勢下で、一部の大使館員や駐在武官らを引き連れドイツ南部の温泉地バート・ガシュタインに避難していた大島大使から、ベルリン大使館に残された吉野氏ら残留職員へ、大使館の倉庫から酒と肴を持って来いという命令が届いたという。吉野氏は、制空権をすでに米国に奪われた空の下、車で酒と肴の命がけの運搬に従事したそうである。しかも二度までも。大島大使一行はドイツ敗戦後バート・ガシュタインで米軍捕虜となり、終戦後日本へ移送された。東京へ着いた時の言動が、一緒に移送されてきたジャーナリストの回想記の引用にこう記されている。(本書p294)「われわれの降船の許しの出る前に、米軍のMPが、タラップの下にジープを停め、待機しているのが見えた。そこで早々と甲板で待機していた大島大使に『ジープのお迎えが来ていますよ』と、半分冗談気味に声をかけてみた。その時の大島大使の反応はこうである。『迎えは僕ではないよ。大使は本省の訓令に従って動いているだけである。従って政策の遂行に対して責任はない』。(以下略)」(江尻進「ベルリン特電」)日本をドイツ、イタリアという二つのファシズム国家との軍事同盟へと導いた枢軸派の中心人物の一人が責任逃れに走る言動を知るにつけ、国家エリートの「戦争責任」否、「敗戦責任」がうやむやにされてしまった戦後の歴史に嘆息を禁じえない。
吉野氏は枢軸派官僚には距離をおいて職務を遂行していたようだが、その理由を吉野氏が旧制松本高校、東京帝大時代の人格形成期に身に着けた教養にあると、佐藤氏は見ている。(第1章教養主義 参照)松本高校時代の読書では、アダム・スミス、J.S.ミル、ウィリアム・ジェームズらのイギリス経験論や功利主義、アメリカのプラグマティズムの流れを汲む哲学、思想書を読み、トマス・ハーディー、C・ディケンズ、H・G・ウェルズなどの英文学にも親しんだという。帝大法学部進学後は,多くの学生が高等文官試験(注:今の国家公務員試験Ⅰ種に相当)の勉強に打ち込む中、帝国大学新聞の記者活動や日米学生会議の活動に熱心に取り組んだらしい。当時の教養の主流だったカント、ヘーゲル、ニーチェなどのドイツ観念論哲学や西田哲学、あるいはマルクス主義思想という、いわば“ドイツ的教養”ではなかった点が、自由主義、合理主義、多元論という吉野氏の思想形成を特徴づけている。
私は戦前の革新官僚の動向に関心がある。当時のベルリン大使館は外務省革新派(三国同盟を軍部と共に推し進めた枢軸派)の牙城だったはずだが、吉野氏の回想にはあまり詳しくその話題はのぼらない。先輩外交官への配慮があるのかもしれない。ただこんなくだりが出てくる。
吉野「牛場さん(注:当時枢軸派の若手外交官、戦後に外務次官、駐米大使)という、後に私の上司になった人ですが、彼がハイデルベルクに訪ねてきたんです。彼はロンドンで三等書記官か何かをしていたんですが、大島さんが牛場さんを呼び寄せたんです。『俺のところへ来い』と。」
佐藤「気に入られていたわけですね。」
吉野「当時の外務省は大島さんの言うことをよく聞いていたわけでしょうからね。牛場さんは飛行機でロンドンからリスボンへ飛んだんでしょうが、ともかくベルリンへ来たんです。転任して間もなく、ドイツの外務省の連中と一緒に、バインシュトラーセ(ワイン街道)を自動車旅行して、ハイデルベルクまで訪ねてきたんですよ。(後略)」(p122~123)
「大島さん」とは、当時の駐独大使、陸軍中将大島浩(注:戦後、東京裁判でA級戦犯に指名され終身刑を宣告され服役、後釈放)のことである。吉野氏が大島大使に初めて会った印象は、三国同盟を推進した武闘派のヒトラー崇拝者というイメージどおりではなく、めっぽう酒に強いが他人の見解にも耳を傾けることのできる常識人だそうである。ただ吉野氏たちの前で、ソ連と中立条約を結んだ松岡外相を松岡と呼び捨てにして批判したり、独ソ戦の近いことを広言してヒトラー政権との親密ぶりを誇示したりしたらしい。
大島の人物像がわかるエピソードが他にもある。1945年4月ソ連軍がベルリン近郊まで迫っているという緊迫した情勢下で、一部の大使館員や駐在武官らを引き連れドイツ南部の温泉地バート・ガシュタインに避難していた大島大使から、ベルリン大使館に残された吉野氏ら残留職員へ、大使館の倉庫から酒と肴を持って来いという命令が届いたという。吉野氏は、制空権をすでに米国に奪われた空の下、車で酒と肴の命がけの運搬に従事したそうである。しかも二度までも。大島大使一行はドイツ敗戦後バート・ガシュタインで米軍捕虜となり、終戦後日本へ移送された。東京へ着いた時の言動が、一緒に移送されてきたジャーナリストの回想記の引用にこう記されている。(本書p294)「われわれの降船の許しの出る前に、米軍のMPが、タラップの下にジープを停め、待機しているのが見えた。そこで早々と甲板で待機していた大島大使に『ジープのお迎えが来ていますよ』と、半分冗談気味に声をかけてみた。その時の大島大使の反応はこうである。『迎えは僕ではないよ。大使は本省の訓令に従って動いているだけである。従って政策の遂行に対して責任はない』。(以下略)」(江尻進「ベルリン特電」)日本をドイツ、イタリアという二つのファシズム国家との軍事同盟へと導いた枢軸派の中心人物の一人が責任逃れに走る言動を知るにつけ、国家エリートの「戦争責任」否、「敗戦責任」がうやむやにされてしまった戦後の歴史に嘆息を禁じえない。
吉野氏は枢軸派官僚には距離をおいて職務を遂行していたようだが、その理由を吉野氏が旧制松本高校、東京帝大時代の人格形成期に身に着けた教養にあると、佐藤氏は見ている。(第1章教養主義 参照)松本高校時代の読書では、アダム・スミス、J.S.ミル、ウィリアム・ジェームズらのイギリス経験論や功利主義、アメリカのプラグマティズムの流れを汲む哲学、思想書を読み、トマス・ハーディー、C・ディケンズ、H・G・ウェルズなどの英文学にも親しんだという。帝大法学部進学後は,多くの学生が高等文官試験(注:今の国家公務員試験Ⅰ種に相当)の勉強に打ち込む中、帝国大学新聞の記者活動や日米学生会議の活動に熱心に取り組んだらしい。当時の教養の主流だったカント、ヘーゲル、ニーチェなどのドイツ観念論哲学や西田哲学、あるいはマルクス主義思想という、いわば“ドイツ的教養”ではなかった点が、自由主義、合理主義、多元論という吉野氏の思想形成を特徴づけている。
2017年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
対談本かと思いきや、佐藤優の先の大戦に関する知識や分析が濃縮還元された名著だった。
鈴木宗男事件に連動して外交史料館(港区)に"左遷"された佐藤優が調べ上げたハルビン総領事・宮川舩夫(モスクワに連行後、獄死)の電報を紹介し、ヤルタ秘密会談より以前からHUMINT(人間を媒介とした諜報活動)を用いてソ連対日参戦の可能性を主張していたと指摘するなど、「日本にとってソ連参戦は全く予想できなかった」などという結論ありきで歴史を語るのではなく、至ったプロセスを一つ一つ丁寧に追うことで、日本人外交官の影の努力にきちんと光をあて、「歴史」と向き合って生きる我々に対して公平に判断する土俵をならしてくれている。
帯に記された「歴史に嘘をついてはいけない」(吉野)という言葉は、沖縄密約文書などに関わった当事者としての歴史との向き合い方、ないし果たすべき責務について語ったものであろう。本書は駐独日本全権委任大使・大島浩陸軍中将についても詳しく言及されており、その点も非常に参考になった。故吉野氏の歴史に対する態度と佐藤氏の仕事に対して、一日本人として敬意を表したいと思う。
鈴木宗男事件に連動して外交史料館(港区)に"左遷"された佐藤優が調べ上げたハルビン総領事・宮川舩夫(モスクワに連行後、獄死)の電報を紹介し、ヤルタ秘密会談より以前からHUMINT(人間を媒介とした諜報活動)を用いてソ連対日参戦の可能性を主張していたと指摘するなど、「日本にとってソ連参戦は全く予想できなかった」などという結論ありきで歴史を語るのではなく、至ったプロセスを一つ一つ丁寧に追うことで、日本人外交官の影の努力にきちんと光をあて、「歴史」と向き合って生きる我々に対して公平に判断する土俵をならしてくれている。
帯に記された「歴史に嘘をついてはいけない」(吉野)という言葉は、沖縄密約文書などに関わった当事者としての歴史との向き合い方、ないし果たすべき責務について語ったものであろう。本書は駐独日本全権委任大使・大島浩陸軍中将についても詳しく言及されており、その点も非常に参考になった。故吉野氏の歴史に対する態度と佐藤氏の仕事に対して、一日本人として敬意を表したいと思う。
2015年3月23日に日本でレビュー済み
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吉野氏の回想は、まったく自分を演出したり、よく見せたりというようないやらしい意図が全く感じられない。淡々と語る文章に、何も足さない、何も引かない素の当時の現実が迫力をもって浮かび上がる。またそのことを補足するように、佐藤氏が丹念に資料文献にあたって収集した関係者の文章を引用しながら、よりふくよかに育てている。ふたりの呼吸のあった絶妙の名著と個人的には思う。手嶋龍一氏との対談では味わえない独特の静謐感が漂う。
2014年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦時中にも拘わらず、日本という国は(当時は)長い眼で人を育てていたのだなあと感心した。つくづく外交官とは特殊な仕事で、彼らに日本の命運が握られているかと思うと、人品骨柄の優れた人だけを採用してもらいたいと想うわけだ。
2014年9月1日に日本でレビュー済み
最初のページに”大戦末期のドイツ大使館のロビーに1トン爆弾の不発弾が落ちていた
事があった。 4人のドイツ人が毛布にくるんで持って行った。”とあって読む気がなくなり
ました。 ドイツ人がどんなに力持ちでも4人で1トン爆弾持てるわけないです。
時限装置付の爆弾だったら1キロ四方全滅する位危ないので爆弾処理班でないと扱えないです。
壊れた机かソファーを爆弾と間違えたのでしょう。
誰でもそうですが、何十年も前の記憶を辿る証言を本にする場合はしっかり検証してからに
したほうがいいです、本人の名誉の為にも。
事があった。 4人のドイツ人が毛布にくるんで持って行った。”とあって読む気がなくなり
ました。 ドイツ人がどんなに力持ちでも4人で1トン爆弾持てるわけないです。
時限装置付の爆弾だったら1キロ四方全滅する位危ないので爆弾処理班でないと扱えないです。
壊れた机かソファーを爆弾と間違えたのでしょう。
誰でもそうですが、何十年も前の記憶を辿る証言を本にする場合はしっかり検証してからに
したほうがいいです、本人の名誉の為にも。
2018年1月25日に日本でレビュー済み
対談本かと思ったら違い
個人的に尊敬する人間を神格化して書いた本かと思ったら違い
人物列伝かと思ったらやはり違う。
凄く濃ゆい本です。
第2に世界大戦前後のドイツにおける、
外交官の生活や出来事を、これ以上に無い濃度で語ってくれてます。
これだけの認識をしていたのに、
日本はなにをやっていたのか。
個人的に尊敬する人間を神格化して書いた本かと思ったら違い
人物列伝かと思ったらやはり違う。
凄く濃ゆい本です。
第2に世界大戦前後のドイツにおける、
外交官の生活や出来事を、これ以上に無い濃度で語ってくれてます。
これだけの認識をしていたのに、
日本はなにをやっていたのか。