世界救済の手段を活用出来て良かった。
ただ、訳者の語調が安っぽく下品で、
こっちの心にまで下品さが影響して来るのが難点。
その代わり、口語でも表現が有っておもろかった。
もっと、宗教的な恍惚感が味わえるとか自分でも
創れるのかと思ってたけど、静かなものだった。
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ハイデガー=存在神秘の哲学 (講談社現代新書) 新書 – 2002/3/19
古東 哲明
(著)
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この世に〈在る〉ことに何の意味があるのだろう。
難解なハイデガーの思索を解きほぐし、存在の深奥を見通す!
この世と出会い直すために――
この本を書くにあたり、なにより導きの糸になったのはハイデガーである。だが、それにしてもなぜことさら、ハイデガーなのか。理由はじつに簡単。存在の味(意味)について、まともに考え、ちゃんと応接してくれる哲学者は、かれひとりしかいないからだ。
ぼくもあなたも死ぬ。その死のとき、こうして生まれ、この世に存在し、そして死ぬことの意味を得心して死にたいとおもう。すくなくとも、ぼくはそうおもっている。
哲学。それはまさに、そんな得心のための思考のいとなみのはずである。だが、にもかかわらず、哲学の歴史をみるとき、ぼくたちのそんな質朴だが痛切な問題に、こたえてはこなかったようにおもわれる。
生きて在るって、どういうことだろう。この世はなぜ存在するのか。そんなこの世にぼくが存在しているのはなぜか。
この本は、そんな「存在への問い」をもういちど堀りおこしながら、それにこたえていこうというものだ。――(本書より)
難解なハイデガーの思索を解きほぐし、存在の深奥を見通す!
この世と出会い直すために――
この本を書くにあたり、なにより導きの糸になったのはハイデガーである。だが、それにしてもなぜことさら、ハイデガーなのか。理由はじつに簡単。存在の味(意味)について、まともに考え、ちゃんと応接してくれる哲学者は、かれひとりしかいないからだ。
ぼくもあなたも死ぬ。その死のとき、こうして生まれ、この世に存在し、そして死ぬことの意味を得心して死にたいとおもう。すくなくとも、ぼくはそうおもっている。
哲学。それはまさに、そんな得心のための思考のいとなみのはずである。だが、にもかかわらず、哲学の歴史をみるとき、ぼくたちのそんな質朴だが痛切な問題に、こたえてはこなかったようにおもわれる。
生きて在るって、どういうことだろう。この世はなぜ存在するのか。そんなこの世にぼくが存在しているのはなぜか。
この本は、そんな「存在への問い」をもういちど堀りおこしながら、それにこたえていこうというものだ。――(本書より)
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2002/3/19
- 寸法11.4 x 1.2 x 17.4 cm
- ISBN-10406149600X
- ISBN-13978-4061496002
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商品の説明
著者について
■古東哲明(ことうてつあき)
1950年生まれ。京都大学大学院博士課程修了。現在、広島大学総合科学部教授。専攻は、哲学・比較思想。著書に、『〈在る〉ことの不思議』――勁草書房――、『現代思想としてのギリシア哲学』――講談社選書メチエ――、編著に、『ニヒリズムからの出発』――ナカニシヤ出版――などがある。
1950年生まれ。京都大学大学院博士課程修了。現在、広島大学総合科学部教授。専攻は、哲学・比較思想。著書に、『〈在る〉ことの不思議』――勁草書房――、『現代思想としてのギリシア哲学』――講談社選書メチエ――、編著に、『ニヒリズムからの出発』――ナカニシヤ出版――などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2002/3/19)
- 発売日 : 2002/3/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 288ページ
- ISBN-10 : 406149600X
- ISBN-13 : 978-4061496002
- 寸法 : 11.4 x 1.2 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 33,420位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 41位ドイツ・オーストリアの思想
- - 84位西洋哲学入門
- - 527位哲学 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年5月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年4月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
筆者の独創的なアイデアが盛り込まれており面白く読めた。ただ、筆者自身も書いているように「べつにこの本は、ハイデガーの紹介書ではないから」(p264)、「ハイデガー=存在神秘の哲学」という書名は誤解を招く。「存在神秘の哲学(ハイデガー・ファンタジー・エッセイ)」とでもすべきではなかっただろうか。なお、ハイデガーについて知りたい人は同じ出版社の「ハイデガー哲学入門ー『存在と時間』を読む」(仲正昌樹)」が良いと思う。
2016年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今、ここに、私が、在る。
今、私が人間として生きていることは、よくよく考えたみると奇跡のようなものだ。
存在神秘の哲学は、まだ磨かれていない鉱石のようなもので、それが宝石になるまで人類は今暫く待たねばならないだろう。
なぜなら、存在とは「実在」の同義語であり、今、肉眼で我々が捉えているこの世界は知覚の対象に対する意識の錯覚に基づくものだからだ。
人間が死ぬと肉体は滅びさり、心は蒸発してしまうかも知れないが、
決して人間の魂だけは滅びる事無く永遠不滅であり、それは人間の持つ最も清らかで美しく純粋なる意識へと回帰する。
死ぬということは存在を失うことを意味するわけではない。
むしろ、真実のこの世界、真実のありのままの光の輝きへの回帰を意味する。
いにしえの賢者たちは皆その事実を知っていた。
「私は在る」
それも永遠に。
イエスキリストが「アブラハム以前から、私は在る」
と言った言葉の意味はこれである。
今、こうして生きていることはなんと身に余る幸せではないか?
その幸せな本来の自分を忘れて不満足感を抱く人間は不幸で哀れだ。
「草の葉から至高天の神にいたるまで」
すべては祝福された純粋意識によって覆われている。
それは人間一人ひとりの内奥にも隠されている。
だから人間はみな祝福された永遠の不滅の子として永遠に存在し続けるだろう。
人間死ねば終わりなんて本当は誰も考えてはいない。
いや、私は死んでも生きるだろうと直感している。
そしてその直感は正しい。
今や死は消え去って永遠の生命が出現した。
あなたが在る。素晴らしいことだ。
私が今ここに在る。それもまた素晴らしい。
ハイデッカーの哲学は東洋思想、ひいては仏教哲学の芳香がプンプン漂っている。
本書を読んでフトそんな感慨に浸る私であった
今、私が人間として生きていることは、よくよく考えたみると奇跡のようなものだ。
存在神秘の哲学は、まだ磨かれていない鉱石のようなもので、それが宝石になるまで人類は今暫く待たねばならないだろう。
なぜなら、存在とは「実在」の同義語であり、今、肉眼で我々が捉えているこの世界は知覚の対象に対する意識の錯覚に基づくものだからだ。
人間が死ぬと肉体は滅びさり、心は蒸発してしまうかも知れないが、
決して人間の魂だけは滅びる事無く永遠不滅であり、それは人間の持つ最も清らかで美しく純粋なる意識へと回帰する。
死ぬということは存在を失うことを意味するわけではない。
むしろ、真実のこの世界、真実のありのままの光の輝きへの回帰を意味する。
いにしえの賢者たちは皆その事実を知っていた。
「私は在る」
それも永遠に。
イエスキリストが「アブラハム以前から、私は在る」
と言った言葉の意味はこれである。
今、こうして生きていることはなんと身に余る幸せではないか?
その幸せな本来の自分を忘れて不満足感を抱く人間は不幸で哀れだ。
「草の葉から至高天の神にいたるまで」
すべては祝福された純粋意識によって覆われている。
それは人間一人ひとりの内奥にも隠されている。
だから人間はみな祝福された永遠の不滅の子として永遠に存在し続けるだろう。
人間死ねば終わりなんて本当は誰も考えてはいない。
いや、私は死んでも生きるだろうと直感している。
そしてその直感は正しい。
今や死は消え去って永遠の生命が出現した。
あなたが在る。素晴らしいことだ。
私が今ここに在る。それもまた素晴らしい。
ハイデッカーの哲学は東洋思想、ひいては仏教哲学の芳香がプンプン漂っている。
本書を読んでフトそんな感慨に浸る私であった
2016年8月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハイデガーの入門書は枚挙に暇がない。『存在と時間』をはじめとする彼の著作は、その後の哲学界に測り知れない影響をもたらしたものの、その内容は難解でわれわれ素人が素手で立ち向かってもまず太刀打ちできない。主著『存在と時間』の邦訳が数え切れないほど出ているという一事をもってしても、いかに彼が一筋縄では行かない哲学者であるかが分かる。ナチスとの関係などスキャンダラスな面も含めて、二十世紀最大の問題児への尽きせぬ興味が、多くの入門書を生む動機となっているのだろう。
本書は前半部で「存在」を、後半部で「ニヒリズム」を論じ、両者にはさまれる形で『存在と時間』を解説する構成になっている。夥しいハイデガー入門書の一冊に過ぎない本書であるが、しかし他の類書とは一線を画する個性を持っていると思う。一つは主著『存在と時間』のみを対象とするのではなく、ハイデガー哲学全体を視野に入れた議論を行っている点。もう一つはハイデガー語録の単なる切り貼りに終わるのではなく、あくまでも自分の言葉で語ろうとしている点である。特に後者においてこの入門書は傑出していると思う。
ハイデガーの哲学は実存哲学と存在哲学に分かれるとよく言われる。『存在と時間』では「存在とは何か」という壮大な問題を冒頭に掲げながらも、その「存在」を認知(忘却?)している「人間」すなわち「現存在」の予備分析に終始し、結局存在論に辿り着く前に『存在と時間』は未完のまま頓挫する。この『存在と時間』において展開されている哲学が実存哲学であり、そちらこそがハイデガー哲学の真骨頂であると論じる識者も少なくない。しかしハイデガー自身はそうは思っておらず、ケーレと呼ばれる転換点を経たその後の彼の哲学は存在論に終始する。そちらこそがハイデガー哲学の本髄であり、『存在と時間』は捨て石に過ぎないと主張する研究者もあまたいる。
存在問題については『哲学の教科書』における中島義道氏の「もしかすると最も巨大な問題なのかも知れないが、自分にはそれほど強い問題意識がない」という発言に共感を覚える。若い頃の心臓発作、さらに世界大戦を経て、ハイデガーが自分の死をリアルに感じ、そこから存在への驚きが発現したというストーリーは分かるし、その真摯な言葉は傾聴に値するとは思う。だがサルトルが指摘したように、無という背景の上に存在が載っているのではなく、存在という背景の上に無が捏造されたとするならば、存在について論じるのは不毛ではなかろうか。それはもはや哲学ではなく宗教に近いものになってしまうのではないか。事実後期のハイデガー哲学は言語を超越し神へと接近しているように思える。彼の存在哲学よりも実存哲学の方が評価されている理由の一つはそこにあるような気がする。
本書は前半部で「存在」を、後半部で「ニヒリズム」を論じ、両者にはさまれる形で『存在と時間』を解説する構成になっている。夥しいハイデガー入門書の一冊に過ぎない本書であるが、しかし他の類書とは一線を画する個性を持っていると思う。一つは主著『存在と時間』のみを対象とするのではなく、ハイデガー哲学全体を視野に入れた議論を行っている点。もう一つはハイデガー語録の単なる切り貼りに終わるのではなく、あくまでも自分の言葉で語ろうとしている点である。特に後者においてこの入門書は傑出していると思う。
ハイデガーの哲学は実存哲学と存在哲学に分かれるとよく言われる。『存在と時間』では「存在とは何か」という壮大な問題を冒頭に掲げながらも、その「存在」を認知(忘却?)している「人間」すなわち「現存在」の予備分析に終始し、結局存在論に辿り着く前に『存在と時間』は未完のまま頓挫する。この『存在と時間』において展開されている哲学が実存哲学であり、そちらこそがハイデガー哲学の真骨頂であると論じる識者も少なくない。しかしハイデガー自身はそうは思っておらず、ケーレと呼ばれる転換点を経たその後の彼の哲学は存在論に終始する。そちらこそがハイデガー哲学の本髄であり、『存在と時間』は捨て石に過ぎないと主張する研究者もあまたいる。
存在問題については『哲学の教科書』における中島義道氏の「もしかすると最も巨大な問題なのかも知れないが、自分にはそれほど強い問題意識がない」という発言に共感を覚える。若い頃の心臓発作、さらに世界大戦を経て、ハイデガーが自分の死をリアルに感じ、そこから存在への驚きが発現したというストーリーは分かるし、その真摯な言葉は傾聴に値するとは思う。だがサルトルが指摘したように、無という背景の上に存在が載っているのではなく、存在という背景の上に無が捏造されたとするならば、存在について論じるのは不毛ではなかろうか。それはもはや哲学ではなく宗教に近いものになってしまうのではないか。事実後期のハイデガー哲学は言語を超越し神へと接近しているように思える。彼の存在哲学よりも実存哲学の方が評価されている理由の一つはそこにあるような気がする。
2015年12月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハイデガーの入門書のなかで、ありきたりのスタイルをとらず、「存在とは何か」からストレートに切り込んだ、ユニークかつ王道な書。
ハイデガーの膨大な遺稿が出てきて、かつてのハイデガー哲学解釈がいかに間違っていたかを述べ、それにもとづいて「真正」な解釈を著者流のくだけた言葉で展開する。
語り口が軽妙なので、時々具体例が上滑りしているように感じられる部分もあるが、それにツッコミを入れながら読むのが、この書物的には「正しい」読み方のように思う。なぜならば、ハイデガーがニーチェから引き継いだという「根源的・本質的なニヒリズム」は、本質的な意味で「最もニヒリズム的ではない」のだから。
ハイデガーのあの「いかつい顔」からは想像が難しい、人間の精妙な存在神秘の内実が、存在論哲学という「形式的指標」を媒介として次々と明かされていく。
ハイデガー哲学の入門書として欠かすことができない、驚異の新書というほかない好著と思う。
ハイデガーの膨大な遺稿が出てきて、かつてのハイデガー哲学解釈がいかに間違っていたかを述べ、それにもとづいて「真正」な解釈を著者流のくだけた言葉で展開する。
語り口が軽妙なので、時々具体例が上滑りしているように感じられる部分もあるが、それにツッコミを入れながら読むのが、この書物的には「正しい」読み方のように思う。なぜならば、ハイデガーがニーチェから引き継いだという「根源的・本質的なニヒリズム」は、本質的な意味で「最もニヒリズム的ではない」のだから。
ハイデガーのあの「いかつい顔」からは想像が難しい、人間の精妙な存在神秘の内実が、存在論哲学という「形式的指標」を媒介として次々と明かされていく。
ハイデガー哲学の入門書として欠かすことができない、驚異の新書というほかない好著と思う。
2022年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハイデガーの解説としは優れているが、究極根拠を否定して存在自体を目的とせよという本書の主旨 は論理的に破綻しているのではなかろうか。信仰を持つ読者には難しくもの足りないと感じるかも知れないが、近年の無神論者がどんな議論を展開するかを知るには役立つ。
2016年4月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても解りやすく、ハイデガー入門としておすすめです。
最近出た仲正さんの入門より良いと思います。
最近出た仲正さんの入門より良いと思います。
2011年8月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハイデガーの思想を初期から晩年まで、在ることは自明に思われても、実は各瞬間に万物が生成消滅していることから、実は在りえないほど不可思議なことである、という存在神秘という立場から総合的に解説。決して普通の入門書ではなく、著者の独特の姿勢が滲み出ている。
空虚な隠語に過ぎないと言われる本来性(Eigentlichkeit)という中心概念も、日常的な役割的自己に対する剥き出しの私(私が端的に私である事態)、という視点から明快に説明される。
「死ぬことの意味を得心して死にたいと思う」など多分に人生論的もしくは実存主義的だが、ちゃんとハイデガー哲学の核心としての時間論が解説されているのでこれでもいいと思う。
ナチス問題についての叙述も実に示唆的である。「ナチズム的ではないのに、ナチ運動に参加できたところに、『問題』があり、危険がある」という独特の問題設定がなされる。実際ハイデガーは人種差別的でも全体主義的でもないと思う。そうではなくて、ナチスとハイデガーの共鳴した点は、ハイデガーが早くから唱えていた「深き眠りから深き目覚めへ」(古東氏)という「精神革命」(ハイデガー本人)であろう。ナチズムは、「ニヒリズムへの抵抗運動」として、強烈な価値創出と国民単位の共同性により、共産主義でもなくアメリカ主義でもない第三の道として現れたという。「国家社会主義」を「国民社会主義」へと進化させることがハイデガーの目的だったという(本人の証言)。
当然ハイデガー本人もナチスがそのような壮大な企みを託せるような相手ではないことに気付き、ナチス参加を「生涯最大の愚考」として後悔するようになり、草稿の中で厳しく批判するようになる。いずれにせよなぜ彼が対外的に謝罪とかをしようとしなかったのかは謎のままであるが。
かくして栄光と挫折を味わったハイデガーが最後にたどり着いた境地は、技術と結託した「惑星帝国主義」に対してイエスともノーともいわず目覚め続け、在るがままにする「放下」(ほうげ;Gelassenheit)というものだった。基本的には、『存在と時間』の自力主義がそれ以降で他力主義に転換した、という見方である。
この本の語り口は非常に軽妙で、砕けている。とにかく体言止めが多く、1人称は一貫して「僕」だし、ハイデガーの墓参りみたいな場面で、いきなり「ビートルズの歌『フール・オン・ザヒル』が聞こえてきた」とか言い出すので面白い。「決意性」と訳されるEntschlossenheitという概念を、ドイツ語の原語に立ち返って、「オープンマインド」とか訳してる場面は、新書だから気楽に書いてるなとも思ったが、実は結構当たっているかもしれない。
いかにも非学問的な雰囲気であるが、ハイデガー全集からの引用は、全てページ数を明示してあるので参考になる。他の新書もこういうふうにして欲しいものだ。
実は相当ちゃんとした解説書だと思う。
空虚な隠語に過ぎないと言われる本来性(Eigentlichkeit)という中心概念も、日常的な役割的自己に対する剥き出しの私(私が端的に私である事態)、という視点から明快に説明される。
「死ぬことの意味を得心して死にたいと思う」など多分に人生論的もしくは実存主義的だが、ちゃんとハイデガー哲学の核心としての時間論が解説されているのでこれでもいいと思う。
ナチス問題についての叙述も実に示唆的である。「ナチズム的ではないのに、ナチ運動に参加できたところに、『問題』があり、危険がある」という独特の問題設定がなされる。実際ハイデガーは人種差別的でも全体主義的でもないと思う。そうではなくて、ナチスとハイデガーの共鳴した点は、ハイデガーが早くから唱えていた「深き眠りから深き目覚めへ」(古東氏)という「精神革命」(ハイデガー本人)であろう。ナチズムは、「ニヒリズムへの抵抗運動」として、強烈な価値創出と国民単位の共同性により、共産主義でもなくアメリカ主義でもない第三の道として現れたという。「国家社会主義」を「国民社会主義」へと進化させることがハイデガーの目的だったという(本人の証言)。
当然ハイデガー本人もナチスがそのような壮大な企みを託せるような相手ではないことに気付き、ナチス参加を「生涯最大の愚考」として後悔するようになり、草稿の中で厳しく批判するようになる。いずれにせよなぜ彼が対外的に謝罪とかをしようとしなかったのかは謎のままであるが。
かくして栄光と挫折を味わったハイデガーが最後にたどり着いた境地は、技術と結託した「惑星帝国主義」に対してイエスともノーともいわず目覚め続け、在るがままにする「放下」(ほうげ;Gelassenheit)というものだった。基本的には、『存在と時間』の自力主義がそれ以降で他力主義に転換した、という見方である。
この本の語り口は非常に軽妙で、砕けている。とにかく体言止めが多く、1人称は一貫して「僕」だし、ハイデガーの墓参りみたいな場面で、いきなり「ビートルズの歌『フール・オン・ザヒル』が聞こえてきた」とか言い出すので面白い。「決意性」と訳されるEntschlossenheitという概念を、ドイツ語の原語に立ち返って、「オープンマインド」とか訳してる場面は、新書だから気楽に書いてるなとも思ったが、実は結構当たっているかもしれない。
いかにも非学問的な雰囲気であるが、ハイデガー全集からの引用は、全てページ数を明示してあるので参考になる。他の新書もこういうふうにして欲しいものだ。
実は相当ちゃんとした解説書だと思う。