『仏教思想のゼロポイント』の魚川氏と、山下良道氏と共に『アップデートする仏教』で「仏教3.0」を提唱した藤田一照氏の対談本。
両者は昔からの知り合いで、考えも比較的近いが、魚川氏は藤田氏・山下氏が口にする「自分(達)の仏教解釈・実践(仏教3.0)こそがゴータマ本来の仏教に違いない(はずだ)」という主張「はずだ論」には批判的、という関係にある。逆に藤田氏・山下氏側に言わせれば、「それぐらいの確信が無ければ、仏道実践者・指導者としてやってられるか」という話になるだろうし、ここは永遠に平行線だろう。
山下良道氏は自身の経歴・思想・メソッドをまとめて書籍で発表しているので話が非常に分かりやすいが、藤田一照氏は、一般には経歴もよく分からないし、山下良道氏のパオメソッドのような分かりやすいテーラワーダ仏教の背骨・基盤があるわけでもなく、基本的に曹洞宗一本の人なので、メソッドも分かりづらい。今回の対談本は、そんな藤田一照氏の経歴・思想面を、友人の魚川氏との対談を通して、あらためて紹介していくという面もあるので、藤田一照氏個人に興味がある人なら、とりあえずは読む価値はあるだろう。
魚川氏側から見ると、今回の著作は、魚川氏の仏教関連書籍の中で、「最もテーラワーダ仏教から遠い作品」となっている。妻帯僧としての藤田氏の経歴紹介のくだりや、そのメソッドの曖昧さも相まって、「テーラワーダ仏教脳」の人や、「仏教の基本教理を知りたい」人が読むには、かなりしんどい内容だと思うし、最後まで読み通せずに挫折してしまう人も多いと思う。そういう意味で、「読み手」を選ぶ著作だ。
内容としては、序盤に藤田氏の妻帯・子育てを含む経歴紹介があり、後は思想・実践を巡る議論となっている。メソッドの紹介などは無く、むしろそういうメソッド的なものに批判的な藤田氏の思想が開陳されている。曹洞宗的と言ったらいいのだろうか。パオでの経験を基に効果的・効率的なメソッドの再構築を目指している山下氏とはこの点では対照的だ。
思想的には、『アップデートする仏教』以来、藤田・山下両氏が強調している「シンキングマインドで瞑想してはダメ」というモチーフの反復(あるいは拡張)だと言っていい。そうした思想が、妻・子供という他者との関係性を否応なく抱え込んでしまった藤田氏の中に生じた変化と共に、「命令して、コントロールする(order & control)」から「感じて、ゆるす(sense & allow)」へ、というコンセプトで語られている。
したがって、これは瞑想のヒントであると同時に、社会生活・人生全般のヒントともなっている。意識の持ち方ひとつで、瞑想も実生活も共に豊かなものにしていくことができる、というわけだ。元々の仏教のあり方からすれば「在家的」とも言える発想かもしれないが、このような形で仏教を捉え、活かしていくこともできるという一例をこの著作は示してくれている。
とはいえ、魚川氏によるウ・ジョーティカ氏の訳書『ゆるす』にしてもそうだが、テーラワーダ仏教系の書籍では、「ゆるし」「手放し」「怒らない」「慈悲」といった概念・発想が、瞑想初心者・在家者向けに非常に頻繁かつ強調的に語られる。したがって、こうした切り口は、テーラワーダ仏教の文脈では特段目新しいものではないということも、付け加えておかねばならないだろう。藤田氏のような専ら日本伝統仏教の文脈にいる人によってこういう発想が持ち出されることが、いくらかの目新しさであり、本書の主たる意義と言えるのかもしれない。
個人的にビックリしたのが、終盤に魚川氏が述べた「「分別と無分別の弁証法」こそが仏教の本質なのであって~」(P258)というくだりだ。ここまで抽象化できるのなら、仏教の文脈はヘーゲルもマルクスも現代哲学も飲み込み、西洋哲学全体はおろか、人類のあらゆる思想・哲学を飲み込む大海原になってしまうじゃないか、すごい発想するもんだなあと、ちょっとした衝撃を受けた。
なお、この著作は、魚川氏視点から見ると、一連の彼の仏教関連書籍の「締めくくり」的な雰囲気も漂っている。『仏教思想のゼロポイント』の終盤で示唆した「仏教の多様性と可能性」について、プラユキ氏や藤田氏といった旧知の仏教仲間と対談し、出し尽くした感があるからだ。特に藤田氏は、ある意味で元々の仏教のあり方から最も遠い位置にいる存在なわけで、彼以上に魚川氏と「仏教の多様性と可能性」を語るにふさわしい人物は、もう残されていないのではないだろうか。
というわけで、魚川氏の大学院時代からの「仏教を巡る長い旅」が、この対談本で一応のゴール(ひと区切り)を迎えている印象がある。実際、本作の末尾では、魚川氏自身が今後、仏教をメインテーマとした活動からは徐々に手を引いていくと述べている(P288)。
個人的には、魚川氏にはスマナサーラ氏に匹敵するだけの「仏教関連の対談エキスパート」になれる素養があると思うので、こっち方面で息長く活動してもらいたいとも思うのだが、彼が今後どんな「新たな旅」を始めるのかも気になるところだ。

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感じて、ゆるす仏教 単行本 – 2018/5/25
世界で活躍する禅僧と気鋭の著述家が、新しく魅力的な仏教について語り合う
【章立て】
第一章 「感じて、ゆるす」の誕生編
第二章 「感じて、ゆるす」の方法論
第三章 「感じて、ゆるす」の人生論
【章立て】
第一章 「感じて、ゆるす」の誕生編
第二章 「感じて、ゆるす」の方法論
第三章 「感じて、ゆるす」の人生論
- 本の長さ296ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2018/5/25
- 寸法13.6 x 2.1 x 18.9 cm
- ISBN-104044003254
- ISBN-13978-4044003258
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商品の説明
著者について
●藤田 一照:1954年、愛媛県生まれ。東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。82年、博士課程を中退し禅道場に入山、翌年得度。87年、渡米し現地で坐禅を指導する。2005年帰国。国内はもとより、Starbucks、Facebookなど、アメリカの大手企業でも坐禅指導を行う。17年5月より、オンライン禅コミュニティ「大空山磨せん寺(たいくうざんませんじ)」開創。著書に『現代坐禅講義』(佼成出版社)、共著に『アップデートする仏教』(幻冬舎新書)、『〈仏教3.0〉を哲学する』(春秋社)など。
●魚川 祐司:1979年、千葉県生まれ。著述・翻訳家。東京大学文学部思想文化学科卒業(哲学専攻)、同大学院人文社会系研究科博士課程満期退学(インド哲学・仏教学専攻)。2010年以降はミャンマーやタイに居住し、現地にてテーラワーダ(上座部)仏教の教理と実践を学ぶ。著書に『仏教思想のゼロポイント』(新潮社)、『講義ライブ だから仏教は面白い!』(講談社+α文庫)、訳書にウ・ジョーティカ『自由への旅』(新潮社)などがある。
●魚川 祐司:1979年、千葉県生まれ。著述・翻訳家。東京大学文学部思想文化学科卒業(哲学専攻)、同大学院人文社会系研究科博士課程満期退学(インド哲学・仏教学専攻)。2010年以降はミャンマーやタイに居住し、現地にてテーラワーダ(上座部)仏教の教理と実践を学ぶ。著書に『仏教思想のゼロポイント』(新潮社)、『講義ライブ だから仏教は面白い!』(講談社+α文庫)、訳書にウ・ジョーティカ『自由への旅』(新潮社)などがある。
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2018/5/25)
- 発売日 : 2018/5/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 296ページ
- ISBN-10 : 4044003254
- ISBN-13 : 978-4044003258
- 寸法 : 13.6 x 2.1 x 18.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 527,946位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,901位仏教 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年6月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年5月27日に日本でレビュー済み
曹洞宗の僧侶で、ティクナットハン氏などの訳業をされたり、仏教3.0を取り巻く活躍をされる藤田氏と、仏教思想のゼロポイントなど、話題の著書を提供する魚川氏との対談。
色々な事が語られていますが、特に印象に残るのが、仏教を受験勉強の様に一生懸命クリアする課題と捉える「ガンバリズム」的なものから、「感じて、ゆるす」仏教への変質について語られています。
「ガンバリズム」から「ゆるす」仏教への2段階の変容を踏まえるべきでは?という魚川氏と、最初から「ゆるす」仏教を、という藤田氏が語り合います。
これはこれで良いのですが、個人的には、感じてゆるす仏教の中身をもっと深く聴いて見たかったです。というのも、「ガンバリズム」的仏教というのは修行という言葉から、日本人としてイメージしやすいと思いますが、ゆるす仏教は、あまり馴染みのない概念だと思うからです。
次はその辺をお願いしたいなぁ、などと思いました。
色々な事が語られていますが、特に印象に残るのが、仏教を受験勉強の様に一生懸命クリアする課題と捉える「ガンバリズム」的なものから、「感じて、ゆるす」仏教への変質について語られています。
「ガンバリズム」から「ゆるす」仏教への2段階の変容を踏まえるべきでは?という魚川氏と、最初から「ゆるす」仏教を、という藤田氏が語り合います。
これはこれで良いのですが、個人的には、感じてゆるす仏教の中身をもっと深く聴いて見たかったです。というのも、「ガンバリズム」的仏教というのは修行という言葉から、日本人としてイメージしやすいと思いますが、ゆるす仏教は、あまり馴染みのない概念だと思うからです。
次はその辺をお願いしたいなぁ、などと思いました。