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八九六四 「天安門事件」は再び起きるか 単行本 – 2018/5/18
購入オプションとあわせ買い
第50回「大宅壮一ノンフィクション賞」受賞!
第5回「城山三郎賞」受賞!
「“その事件”を、口にしてはいけない」
1989年6月4日、中国の“姿”は決められた。
中国、香港、台湾、そして日本。
60名以上を取材し、世界史に刻まれた事件を抉る大型ルポ!!
この取材は、今後もう出来ない――。
一九八九年六月四日。変革の夢は戦車の前に砕け散った。
台湾の民主化、東西ドイツの統一、ソ連崩壊の一つの要因ともされた天安門事件。
毎年、六月四日前後の中国では治安警備が従来以上に強化される。スマホ決済の送金ですら「六四」「八九六四」元の金額指定が不可能になるほどだ。
あの時、中国全土で数百万人の若者が民主化の声をあげていた。
世界史に刻まれた運動に携わっていた者、傍観していた者、そして生まれてもいなかった現代の若者は、いま「八九六四」をどう見るのか?
各国を巡り、地べたの労働者に社会の成功者、民主化運動の亡命者に当時のリーダーなど、60人以上を取材した大型ルポ
語り継ぐことを許されない歴史は忘れさられる。これは、天安門の最後の記録といえるだろう。
●“現代中国”で民主化に目覚めた者たち
●タイに亡命し、逼塞する民主化活動家
●香港の本土(独立)派、民主派、親中派リーダー
●未だ諦めぬ、当時の有名リーダー
●社会の成功者として“現実”を選んだ者、未だ地べたから“希望”を描く者 etc.
語ってはならない事件を、彼らは語った!!
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2018/5/18
- 寸法13.8 x 2.6 x 19.5 cm
- ISBN-104041067359
- ISBN-13978-4041067352
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
電話もネットも監視されてる中国で“最大のタブー"を取材する方法
「現代中国の大きな政治的なタブーといえば、やはり天安門事件。自分も中国ライターとして、そこに挑戦したいという気持ちがありました。私が取材をはじめた2011年頃は、胡錦濤政権の後半で規制もだいぶゆるく、正面きって政府や事件を批判しなければ、発言の自由がかなり許されていました。だから正直あまり大きな覚悟を持って始めたわけではなかったんです(笑)。ところが取材しているうち習近平政権になって空気が変わり、肌感覚として締め付けの厳しさを覚えるようになって……」
安田峰俊さんが最近上梓した『八九六四』は、1989年6月4日に起きた天安門事件に様々なかたちで関わった人々を取材したルポ。民主化デモに直接参加していた人たちだけでなく、参加者に差し入れをしていた北京市民、政府側の警備に駆り出された大学生など多彩な人々の記憶と現在とをひとつひとつ丁寧なインタビューで紹介する。
「これまで天安門事件を扱った本は幾つも出されていますが、多くは民主化運動=善といった紋切り型の本です。自分はそういう内容にしたくなかった。本書がモデルとしたのは、産経新聞の記者たちが“全共闘運動"を取材した『総括せよ! さらば革命的世代』(産経新聞出版)。一方的に断罪するのではなく、当事者たち一人ひとりに淡々と話を聴くなかで、“全共闘運動"とその敗因が浮かび上がってくる。私もそういう筆致で天安門事件を描きたいと思いました」
中国ではその名を口にすることもできない事件の取材だけに、取材はさながらスパイ小説だ。
「人づてに紹介してもらうだけでなく、偶然出会った人との会話から取材の糸口をみつけたり。中国では電話もインターネットも全部当局が監視しているのが当たり前ですから、電話でも“あの時あなたが話していた80年代の思い出について、今度詳しく聞かせてもらえないか"などと遠回しに伝えるんです。すると向こうも察してくれて。取材場所も相手の家だったり、ハイキングを装って山中で話を訊いたり。ただ、正確なところは不明ですが、外国人のジャーナリストである私は中国国内での行動を逐一マークされていてもおかしくない。最近では街中に監視カメラが設置され顔認証システムもありますからね。今では同じような取材は無理ですし、するつもりはない。本書は辛うじてまとめることができたんです」
評者:「週刊文春」編集部
(週刊文春 2018年06月28日号掲載)著者について
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2018/5/18)
- 発売日 : 2018/5/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 304ページ
- ISBN-10 : 4041067359
- ISBN-13 : 978-4041067352
- 寸法 : 13.8 x 2.6 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 41,988位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 9,584位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について

安田峰俊(やすだみねとし)
ルポライター。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了(中国近現代史)。『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)が第5回城山三郎賞、第50回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。他に『さいはての中国』(小学館新書)、『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)、『中国vs.世界』(PHP新書)など著書多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
この本は、天安門事件に関係した様々な立場の人々のその時とそれから、現在を丁寧に取材し、それぞれの事情で立場を変えたり、或いは事件に拘り続ける姿を追っている。
あの日から30年が過ぎ、中国本土や香港、台湾などの状況は大きく変わっている。このタイミングで、彼等の行動や葛藤に耳を傾け、時には封印された思い出に踏み込み文章にすることで、事件を「過去」にし、これからの中国の歴史に繋げて行くためのマイルストーンになるのではないか。
天安門事件を非難して民主化を訴えるような内容ではないので、そういう本が読みたければ他を当たることをおすすめ。
この本の価値は、学生・エリートから市井の市民まで様々な階層に天安門事件がどう受け止められていたか、またどういう影響を与えたかを伝えている点だろう。
民主化の求めを諦めない者、ビジネスに邁進し過去を忘れようとする者、いつの間にか体制寄りになった者、本当に様々。
一部香港の話題も登場するが、あくまで2014年の雨傘運動の関係者が主。この本が世に出る1年後、逃亡犯条例の改正を契機として再び大規模デモが発生、激動の年となったことは記憶に新しい。
デモ中から天安門事件の再来を危惧する声は聞かれたが、一部が過激化していく流れや中国本土の住民の受け止め方など、ある意味では天安門事件をなぞったようだった。
救いは、終盤に出てくる「自分の家の問題は解決できなかったが、よその家の問題を解決していた」という発言だろう。北京では流血鎮圧されて身を結ばなかった運動だが、その後台湾の民主化の道筋という花を咲かせ、また香港の雨傘運動や逃亡犯条例改正デモを生み出すきっかけとなり、さらにはタイやミャンマーなど他地域から参考とされるなど今でも影響を与え続けていると解釈できる。であれば天安門事件の犠牲者や思いは決して無駄ではなかったと思える。
あとこれも終盤だが、王丹の明治大学でのエピソード、そこで外部からのジャーナリストが自分語りに終始し、挙句天安門事件と関係ない人を連れてきて、ある意味しょうもない小物に「ジャック」されたという話が印象に残った。
(ちなみにこの人物は龍谷大学名誉教授の西倉一喜と思われる。共同通信出身とのこと。なるほど「僕が、僕がね〜」と言ってそうな人相だ)
香港デモも同様で、香港のこと語ってこなかった奴までが急に香港のニュースにコメントする例は数多く存在していた。(例:田中龍作)
歴史は繰り返すのか…そういう意味では単なる批判本より何倍も価値があると思える本に出会えた。
政治的に抑圧が強まり、隅々まで監視の網が整備された現在の中国では、天安門事件の取材をするのはもう困難だろうと著者はあとがきで記します。
事件に関わった人たちの複雑な心情とその後の長い人生を感じ取ることのできる一冊です。
予約注文して買ったのですが、裏切られないどころか、期待以上でした。
まず、『和僑』や『境界の民』など今までの著作でもそうなのですが、著者は書き手としての
立場の採り方が、妙な言い方ですが、きわめてうまいのです。天性の才なのか努力しているのか
わかりませんが、一人一人の取材対象に、自身の好悪の感情も含めて人間的な理解を持ちながら、
引いた視点を常に忘れません。第三者的とか客観的とか言うのとも異なる、絶妙な距離感です。
そのゆえにでしょう、個別の人々にインタヴューを重ね、著者の疑問や違和感を率直に綴って
いくうちに、おのずと歴史的な事件としての「八九六四」が内包していた、している、さまざまな
矛盾や齟齬が描き出されていくと同時に、それが「八九六四」だけの問題ではないことが浮かび
上がってきます。産経の記事で秋田明大の現在を引用し、全共闘と重ねているのはまさに卓見です。
特筆すべきは、リーダーだった王丹やウーアルカイシへの迫り方です。実にみごとです。安田で
なければできなかった優れた仕事である、と思います。
蛇足ですが、レヴュアーは、「八九六四」の学生たちとほぼ同世代、リアルタイムにテレビで事件を
見ていました。当時の、ちょっと小生意気な、知識人を気取っていた日本の学生たちは、その年最大の
衝撃事件として必ず「八九六四」を挙げたものです。ショッキングな事件ではあったものの、世界史的
にはベルリンの壁崩壊の方が意味が大きい、と考えていたレヴュアーは、「革命」とか「改革」とかに
対する理念的で夢想的な日本の学生たちの共感に、違和感を覚えたものでした。ですので、今、いわば
日本の八十后である安田が持つ違和感、疑問は、至極まっとうなものであり、また、中国であれ日本で
あれ、何かの流れが大きくうねるときに、こうした違和感、疑問を失わないことは、重要だと感じます。
生の声を記した貴重な資料であると共に、大変面白い。今は天安門事件というと、どうしても政治的な思惑が入って語られることが多いが、知りたいのはまさに、当時現場で何が起きていて、関わった人々、見ていた人々は何を考えていたのか?
知りたかったことが書かれている。貴重な力作です。
天安門事件は、いかにも紋切り型の中共批判と民主主義礼賛で語られることが多い。
しかるに本書では、そうした紋切り型を排し、天安門事件と何らかの形で関わりあってしまった人々の、現在からみる天安門事件、そして現在の中国への本音のインタビューを載せている。
全体的には、天安門事件は結局のところ問題解決にはつながらなかったし、民主化せずとも中国の人々の暮らし向きは良くなった、という現実に対して妥協している人々の声が多いような気がした。
つまるところ、現在の中国でうまく行っている人はそこまで強く批判的にはならないし、逆に現在の中国で苦境にある人は中国政府批判とつながって天安門事件にも強い中共批判のまなざしを向けやすい。
しかし中共批判をしていても、再び天安門事件があったら自分は参加するか、自分の子供が学生運動にかかわるとしたらどうか、などの問いには勢いを失う人が多いのは非常に人間らしく感じられる。
しかし、天安門事件だけでなく現代の中国の危険性ともまたこの話は繋がっている。
特に良い教育を受けることも出来ず、ネットで過激な政府批判動画をあげていた姜野跳のインタビューのあとに、彼が当局に捕まり、謝罪文を読み上げる姿をネットで晒し者にされる話が出ていたのには、天安門事件から続く体制は全く過去のものではないことを改めて感じた。
市井の人々だけでなく、天安門事件のリーダーたちへのインタビュー、天安門事件を機に人が変わってしまった学生(その人と当時交際していた日本人女性の回想はなかなか生々しい)、香港の雨傘革命からの視点など、いろいろな視点からの話が出ていて面白い。
今や右翼と変わらないように見える石平がなかなか理知的な人だというのも、彼の辿ってきた複雑な歴史が作っている難しい二面性なのかなと思った。
ひとつ気になるのは、実際の天安門の6月4日を目撃している人はインタビュー対象に意外と少ないという点であろうか。そして数少ない実際にその場に居合わせて銃撃や戦車での轢殺被害を目撃した人(張宝成、凌静思)は、現実とは安易に妥協せずに抵抗を続けているというのは、示唆的な感覚を覚える。
ともあれ、いろいろな視点から眺めたリアルな天安門事件のインタビューであり、筆者の深く突き刺さる質問と相まって、本書は非常に読むに値する一冊になっていると言えよう。
その一方で、表面的な部分だけで相手の人間性や思想を決めつけ、勝手に批評する著者の言葉は邪魔に思えた
あくまで聞き手は聞き手として、フラットな目線でいてほしいが、相手の意見に関わらず結論ありきで話を聞いたり、大きなお世話ともいうべき心配や疑問を書いているので、そこを自重してくれたらもっと良かった
せっかく人間ごとに相反する意見やあまり見られない意見が出てきているのに、ネットを探せばいくらでもててくるようなありきたりな価値観で纏められてはたまらない
著者が勝手に相手の言いたいことをまとめたり批評するのてはなく、それらは読み手に任せるべきことではないだろう