『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(大澤真幸著、KADOKAWA)を読んで、激しい知的興奮を覚えました。
本書は、早稲田大学文化構想学部における大澤真幸の講義録が基になっていますが、こういう授業を受けることができる学生たちが羨ましい限りです。
とりわけ、私が衝撃を受けたのは、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著、新潮文庫、上・下巻)を題材として取り上げ、論じた箇所です。この「敗戦後の9年目にあたる昭和29年12月22日に、力道山とのプロレスの一戦に敗れた不世出の柔道家、木村政彦」の評伝には私も感銘を受けたのですが、大澤の読みの深さには脱帽です。
なぜ、木村ほど勝敗に拘った勝負師が、力道山との八百長のリングに上がることになったのでしょうか。「はっきり言うと、実は木村という人は、勝負の大義は何であるかとか、哲学が何であるかとか、そうした難しいことを考えるような人ではなかった。強ければいいという、いい意味でも悪い意味でも、ある意味で能天気な、あっけらかんとした人でした。・・・彼には牛島辰熊という先生がいました。・・・この人が木村の才能を、見いだした。先生ですから一回り上の世代になるわけですが、当時、日本一の柔道家でした。木村を単体で考えてはダメで、この牛島辰熊とセットで考えなければならない。ここが重要です」。この目の付け所が大澤の凄さを物語っています。
「木村自身には大義のようなものはない。しかし牛島先生の言うことは何でも聞く。牛島先生についていく。そうした意識しか彼にはなかった。そうすると牛島が持っている重い大義や哲学を、事実上、木村もまた持っているに等しい状態になるのです。つまり木村は、師である牛島を媒介にして、大義を持っていた。自分は持っていない。しかし、自分の代わりに尊敬する師が、それを持っている。そのため間接的に木村の勝負にも、大義や哲学が宿ると、そういう構造です」。
「本人には、あまり意識はなかったかもしれないのですが、実は木村にとって、牛島を裏切ることは、魂を失うに等しいことだったのです。その結果が、いずれ力道山に負けるという致命的な喪失につながる。最初の芽はすでに戦後間もない時、(牛島に隠して)ひそかにプロレス転向を画策しはじめた時に、生まれていたのです」。鋭い指摘です。
「非合理なまでに牛島を慕い、いわば魅了されていた木村が、なぜ彼を裏切って、八百長をやるような人物になってしまったのか。その理由を考えると、おそらくそれは、(太平洋戦争の)日本の敗北とともに、牛島という人から、木村を惹きつけていたプラスアルファの何か、微妙なオーラがなくなっていたからではないかと思います。・・・木村は、今までなぜか逆らえなかったその人を、平気で裏切ることができるようになるのです。しかし同時に、勝負に対して持っていた哲学や、大義も消えていく。やがて、つまらない試合もやってしまうことになる。そうした経緯だったと思います」。
この話を通じて、大澤が学生に言いたかったのは、こういうことです。「皆さんも、皆さんの親の世代も、敗戦の責任は直接的にはない。戦争を遂行した責任も、直接的にはない。しかし『だから敗戦の影響はない、大丈夫』ということにはならない。むしろ、敗戦について、生々しい実感のある人のほうが、まだその影響を克服しやすい。牛島と木村でいうと、牛島はまだ、敗戦を意識している分、対応しやすいところもあった。しかし、意識していなかった木村のほうは、むしろそれが乗り越えがたいものになってしまった。・・・僕らの場合はどうか。僕らは敗戦の後に生まれているから、いわば初めから(敗戦の)記憶を排除されているところから出発している。しかし敗戦の影響を、世代を超えて、いまだに70年間も受け続けているのです。そのようなことが起こりうる、ということを木村政彦の例は僕らに教えています」。
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サブカルの想像力は資本主義を超えるか 単行本 – 2018/3/22
大澤 真幸
(著)
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私たちは、資本主義“後”の世界を構想できるか?構想力を鍛える白熱講義!
歴史上、「資本主義の危機」は何度も言われてきた。
しかし、資本主義は幾度もその危機を乗り越えてきた。
これは、その想像力が私たちの想像力よりも勝ってしまっているからではないか。
資本主義が終わった後の世界を私たちは“構想”することが出来ていないため、資本主義は続いてしまっているのではないか?
いったい、これまでとは違う世界を私たちは見いだせるのか?
社会現象を起こした有名作品(フィクション)を手がかりに構想力を鍛えあげる、白熱の講義録!
大澤社会学の最前線。
有名作品を入り口にして、資本主義社会の“その先”を考える。
第一部 対米従属の縛りを破れるか
取り上げる作品 『シン・ゴジラ』『木村正彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』他
第二部 善悪の枷から自由になれるか
取り上げる作品 『デスノート』『OUT』『薔薇の名前』他
第三部 資本主義の鎖を引きちぎれるか
取り上げる作品 『おそ松さん』『バートルビー』他
第四部 この世界を救済できるか
取り上げる作品 『君の名は。』『この世界の片隅に』『逃げるは恥だが役に立つ』他
歴史上、「資本主義の危機」は何度も言われてきた。
しかし、資本主義は幾度もその危機を乗り越えてきた。
これは、その想像力が私たちの想像力よりも勝ってしまっているからではないか。
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第一部 対米従属の縛りを破れるか
取り上げる作品 『シン・ゴジラ』『木村正彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』他
第二部 善悪の枷から自由になれるか
取り上げる作品 『デスノート』『OUT』『薔薇の名前』他
第三部 資本主義の鎖を引きちぎれるか
取り上げる作品 『おそ松さん』『バートルビー』他
第四部 この世界を救済できるか
取り上げる作品 『君の名は。』『この世界の片隅に』『逃げるは恥だが役に立つ』他
- 本の長さ344ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2018/3/22
- 寸法12.8 x 2.3 x 18.8 cm
- ISBN-104041056721
- ISBN-13978-4041056721
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商品の説明
著者について
●大澤 真幸:958年長野県松本市生まれ。 東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。2007年『ナショナリズムの由来』(講談社)にて第61回毎日出版文化賞(人文・社会部門)を受賞。2011年『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、共著橋爪大三郎)にて新書大賞受賞。2015年『自由という牢獄』(岩波書店)で第3回河合隼雄学芸賞受賞。著書多数。
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2018/3/22)
- 発売日 : 2018/3/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 344ページ
- ISBN-10 : 4041056721
- ISBN-13 : 978-4041056721
- 寸法 : 12.8 x 2.3 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 375,519位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年5月6日に日本でレビュー済み
2020年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
娘が読みたいとの事で購入。面白そうなので、私も読んでみたいと思っています。 笑
2019年8月28日に日本でレビュー済み
1.何気なく図書館で手に取って読みだしたら思わず引き込まれた。
2。力道山と八百長試合をするつもりで準備なしに臨んだ木村が惨敗した試合の分析は別の本も読んでいたが、その深さ、的確さに瞠目。木村は師を媒介として間接的に敗戦の影響をうけ魂を失った。なるほど。それはわれわれ日本人全体の心の今の在り方を示唆する。これは重い。
3.「君の名は」、「この世界の片隅に」の映画もたまたま見ていたが、著者の社会学的視点により、映画の話の錯綜し複雑な構造があらたに見えてくる。最近みた「天気の子」はシンプルでわかりやすかったが、それがまた同じ監督の「君の名は」の構造の複雑さを逆に浮き彫りにするとの印象をもった。
2。力道山と八百長試合をするつもりで準備なしに臨んだ木村が惨敗した試合の分析は別の本も読んでいたが、その深さ、的確さに瞠目。木村は師を媒介として間接的に敗戦の影響をうけ魂を失った。なるほど。それはわれわれ日本人全体の心の今の在り方を示唆する。これは重い。
3.「君の名は」、「この世界の片隅に」の映画もたまたま見ていたが、著者の社会学的視点により、映画の話の錯綜し複雑な構造があらたに見えてくる。最近みた「天気の子」はシンプルでわかりやすかったが、それがまた同じ監督の「君の名は」の構造の複雑さを逆に浮き彫りにするとの印象をもった。
2018年6月22日に日本でレビュー済み
大学での講義録であるため、敷居が低くて解り易い。
特に“第三部 資本主義の鎖を引きちぎれるか”の、資本主義とプロテスタントとの密接な関係は知らない方々なら「へぇー」と感心するかもしれないのだが、“第四部 この世界を救済できるか”は、タイトルが大きいだけに若干物足りず、それに見合うだけの論が展開されているかはちょっと疑問。
以下、長くなりそうなので、気になった点を2点だけ。
P43~、『ウルトラマン』シリーズに言及するなら、金城哲夫だけではなく、もう一人の沖縄出身脚本家であり、『仮面ライダー』の企画にも参加した上原正三にも触れるべき。
また、M78星雲から来た宇宙人であるウルトラマンが云わば同胞たる宇宙人を駆逐し続ける矛盾は、悪魔の力と人間の心を持つ永井豪の漫画『デビルマン』他を取り上げれば、神話をルーツとする半獣半神がサブカルにおいても物語の重要なアーキタイプとして機能していることが、もっと解り易く伝わったのでは?
P81~、力道山と木村政彦の件、木村が師である牛島辰熊とセットであるからこそ牛島を裏切ったのではなく、敗戦というパラダイム・シフトを境に、牛島の大義や哲学と共に木村の内部にあった同質のものも朽ち果てたのだと思え、ただ、その瓦解の仕方が当時40代で伝統的なものを捨てきれない牛島と、まだ20代で新しく合理的な価値観に対応しようとした木村とでは異なっていたということなのではないか。
と同時に、P67の見出し「原爆を落とされて、あんなに怒らない国はない」の理由として「アメリカに解放された」(P69)とあるように、木村も敗戦を機に牛島の呪縛から解放されたのだと思われ、それは“裏切り”とは違うだろう。
木村には牛島と同根かつ異質な形で表われた坂口安吾の『堕落論』風頽廃と諦念があり、片や力道山には日本が統治した朝鮮民族の血が流れ、日本の国技たる相撲界で苦渋を呑まされた恨みも積り、戦後の価値観転換に乗じて「隙あらば足許を掬ってやる」という奸計もあったかもしれない。
僕は幼稚園に入る前から力士になるのが夢で、中学高校時代には剣道、柔道、空手という武道に勤しみつつどれも挫折した軟弱者であり、かつ、新日→UWF→リングスと辿った前田日明さんに二度ほどしつこいインタヴューをさせてもらって嫌われたクチであり、大澤さんがどれだけ武術や格闘技を身を持って知っているか分からず臆測になってしまわざるを得ないのだが、今、角界やレスリング協会、日大の格闘技の要素もあるアメフト部の危険タックルが問題になっているように、スポーツ界のとりわけ格闘系における先輩、コーチ、監督、師匠は王の如くほぼ絶対的な存在であり、著者はそのあたりの事情を身に沁みて体得しているとはどうも思いにくいふしがあって、如何なものだろう。
全体的に決して悪くはなく愉しんだところも少なくはないのだが、何故か、勉強がデキて取り澄ました温室育ちの優等生による机上の論理っぽい感が否めず、海千山千の兵がゴロゴロしているサブカルを語るなら、聴き手や読者の神経を逆撫でするような、もっと大胆でもっと凶暴に、相手を斬りつけ御本人の血もだらだら流れているような喧々囂々のパフォーマンスを期待したいと思いました。
創り手が自主規制を施す表現が増えれば、それを解釈する側も抑制せざるを得ないなんて、つまらないでしょう?
特に“第三部 資本主義の鎖を引きちぎれるか”の、資本主義とプロテスタントとの密接な関係は知らない方々なら「へぇー」と感心するかもしれないのだが、“第四部 この世界を救済できるか”は、タイトルが大きいだけに若干物足りず、それに見合うだけの論が展開されているかはちょっと疑問。
以下、長くなりそうなので、気になった点を2点だけ。
P43~、『ウルトラマン』シリーズに言及するなら、金城哲夫だけではなく、もう一人の沖縄出身脚本家であり、『仮面ライダー』の企画にも参加した上原正三にも触れるべき。
また、M78星雲から来た宇宙人であるウルトラマンが云わば同胞たる宇宙人を駆逐し続ける矛盾は、悪魔の力と人間の心を持つ永井豪の漫画『デビルマン』他を取り上げれば、神話をルーツとする半獣半神がサブカルにおいても物語の重要なアーキタイプとして機能していることが、もっと解り易く伝わったのでは?
P81~、力道山と木村政彦の件、木村が師である牛島辰熊とセットであるからこそ牛島を裏切ったのではなく、敗戦というパラダイム・シフトを境に、牛島の大義や哲学と共に木村の内部にあった同質のものも朽ち果てたのだと思え、ただ、その瓦解の仕方が当時40代で伝統的なものを捨てきれない牛島と、まだ20代で新しく合理的な価値観に対応しようとした木村とでは異なっていたということなのではないか。
と同時に、P67の見出し「原爆を落とされて、あんなに怒らない国はない」の理由として「アメリカに解放された」(P69)とあるように、木村も敗戦を機に牛島の呪縛から解放されたのだと思われ、それは“裏切り”とは違うだろう。
木村には牛島と同根かつ異質な形で表われた坂口安吾の『堕落論』風頽廃と諦念があり、片や力道山には日本が統治した朝鮮民族の血が流れ、日本の国技たる相撲界で苦渋を呑まされた恨みも積り、戦後の価値観転換に乗じて「隙あらば足許を掬ってやる」という奸計もあったかもしれない。
僕は幼稚園に入る前から力士になるのが夢で、中学高校時代には剣道、柔道、空手という武道に勤しみつつどれも挫折した軟弱者であり、かつ、新日→UWF→リングスと辿った前田日明さんに二度ほどしつこいインタヴューをさせてもらって嫌われたクチであり、大澤さんがどれだけ武術や格闘技を身を持って知っているか分からず臆測になってしまわざるを得ないのだが、今、角界やレスリング協会、日大の格闘技の要素もあるアメフト部の危険タックルが問題になっているように、スポーツ界のとりわけ格闘系における先輩、コーチ、監督、師匠は王の如くほぼ絶対的な存在であり、著者はそのあたりの事情を身に沁みて体得しているとはどうも思いにくいふしがあって、如何なものだろう。
全体的に決して悪くはなく愉しんだところも少なくはないのだが、何故か、勉強がデキて取り澄ました温室育ちの優等生による机上の論理っぽい感が否めず、海千山千の兵がゴロゴロしているサブカルを語るなら、聴き手や読者の神経を逆撫でするような、もっと大胆でもっと凶暴に、相手を斬りつけ御本人の血もだらだら流れているような喧々囂々のパフォーマンスを期待したいと思いました。
創り手が自主規制を施す表現が増えれば、それを解釈する側も抑制せざるを得ないなんて、つまらないでしょう?
2021年2月11日に日本でレビュー済み
他の方も書いていたけれど、タイトルが少し誇大につけられている感は否めない。
タイトル通りに考えようとすると、どうしても疑問に思うのが、一連の講義のもととなっている問い
”われわれはまず、フィクションを生み出すような人間の最も自由な想像力のレベルで、資本主義に拮抗できなくてはならない。「サブカルの想像力は資本主義を超えるか」”
ここがかなりマニアックというか、アクロバティックというか、ほんとうに一縷の望みを託すようなギリギリの希望な気がしてしまうのは自分だけだろうか。
いうまでもなくサブカルは資本主義社会に花ひらいた文化であり、いうなれば資本主義的想像力とでもいうようなものな気がする。サブカル的想像力から新しい物語が生まれるとすれば、その時は現実の中にすでに大きな変化が起きている時ではないだろうか。当然ありえることとして、本当に資本主義を超えた社会が構想される時、サブカルは存在しないという可能性が考えるられると思う。つまり資本主義を超えそうな社会に達したとき、サブカルはもはや存在しないかもしれない。そしてそれを哲学や思想的な知見から批評するという構図に対しても、この問いに関していえばひじょうに希望的な望みな気がする。
内容自体は面白い指摘がいろいろとあり、収穫もあったけれど、物語や批評が説得力をもって資本主義を超える想像力にたどり着くためには、サブカル以外に自由な想像力が爆発するようなオルタナティブが必要なのではないか、とどうしても思ってしまう。
個人的に思うことは、著者の世代は戦後冷戦構造のわかりやすい枠組みのなかでの小説や思想とその批評といった構図にあまりに慣れすぎていて、思考回路がある指向性に傾きすぎているような気がするのだけれど、どうなんだろうか?!それはつまり、大きな物語、あるいは大きな解決策が存在するというモデルで、物語を批評するという行為にこうしたより大きな物語を期待していると思うのだけれど、今後長期的な変化が落ち着くまでは、じつはこれを疑わなくてはならないのではないかという気がしたりするのです。
タイトル通りに考えようとすると、どうしても疑問に思うのが、一連の講義のもととなっている問い
”われわれはまず、フィクションを生み出すような人間の最も自由な想像力のレベルで、資本主義に拮抗できなくてはならない。「サブカルの想像力は資本主義を超えるか」”
ここがかなりマニアックというか、アクロバティックというか、ほんとうに一縷の望みを託すようなギリギリの希望な気がしてしまうのは自分だけだろうか。
いうまでもなくサブカルは資本主義社会に花ひらいた文化であり、いうなれば資本主義的想像力とでもいうようなものな気がする。サブカル的想像力から新しい物語が生まれるとすれば、その時は現実の中にすでに大きな変化が起きている時ではないだろうか。当然ありえることとして、本当に資本主義を超えた社会が構想される時、サブカルは存在しないという可能性が考えるられると思う。つまり資本主義を超えそうな社会に達したとき、サブカルはもはや存在しないかもしれない。そしてそれを哲学や思想的な知見から批評するという構図に対しても、この問いに関していえばひじょうに希望的な望みな気がする。
内容自体は面白い指摘がいろいろとあり、収穫もあったけれど、物語や批評が説得力をもって資本主義を超える想像力にたどり着くためには、サブカル以外に自由な想像力が爆発するようなオルタナティブが必要なのではないか、とどうしても思ってしまう。
個人的に思うことは、著者の世代は戦後冷戦構造のわかりやすい枠組みのなかでの小説や思想とその批評といった構図にあまりに慣れすぎていて、思考回路がある指向性に傾きすぎているような気がするのだけれど、どうなんだろうか?!それはつまり、大きな物語、あるいは大きな解決策が存在するというモデルで、物語を批評するという行為にこうしたより大きな物語を期待していると思うのだけれど、今後長期的な変化が落ち着くまでは、じつはこれを疑わなくてはならないのではないかという気がしたりするのです。
2018年10月25日に日本でレビュー済み
本書ではサブカルチャー、つまり漫画やアニメや映画や小説を題材にしながら現代社会を論じるといった一風変わった書籍である。
大学の先生らしく、章ごとに講義っぽくまとまっている。
サブカルチャーにはそれが生み出された背景がある。
作者が意図したものは当然だが、そうでないものも時代の文脈を含んでいる。
例えば、第一章では「シン・ゴジラ」を題材としているが、この作品の時代背景をこう考察する。
投票率で見た場合、若者は政治や社会に関心がないということが示されている一方で、若者の意識の研究によれば、30年前よりも社会の役に立ちたいと思っている若者はずっと多い。
オタク的なものにイメージされている若い人たちの実際の態度、メンタリティは、意外と社会や国のために物事をやりたいということがわかるのだ。
その背景の中で「シン・ゴジラ」はある。
オタクたちは、オタクなりのインターナショナルなネットワークを持っていて、世界中の機密情報も同意させたりした。
つまりオタクを核に置いた、人類的な連帯を描いているともいえる。
このように考えれば、確かにサブカルという眼鏡を通して、今の時代を見るとこの世の中の流れを抽象的に解釈できるように思う。
大学の先生らしく、章ごとに講義っぽくまとまっている。
サブカルチャーにはそれが生み出された背景がある。
作者が意図したものは当然だが、そうでないものも時代の文脈を含んでいる。
例えば、第一章では「シン・ゴジラ」を題材としているが、この作品の時代背景をこう考察する。
投票率で見た場合、若者は政治や社会に関心がないということが示されている一方で、若者の意識の研究によれば、30年前よりも社会の役に立ちたいと思っている若者はずっと多い。
オタク的なものにイメージされている若い人たちの実際の態度、メンタリティは、意外と社会や国のために物事をやりたいということがわかるのだ。
その背景の中で「シン・ゴジラ」はある。
オタクたちは、オタクなりのインターナショナルなネットワークを持っていて、世界中の機密情報も同意させたりした。
つまりオタクを核に置いた、人類的な連帯を描いているともいえる。
このように考えれば、確かにサブカルという眼鏡を通して、今の時代を見るとこの世の中の流れを抽象的に解釈できるように思う。