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死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発 (角川文庫) 文庫 – 2016/10/25
門田 隆将
(著)
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あの時、何が起き、何を思い、どう闘ったのか。原発事故の真相が明らかに!
2011年3月、日本は「死の淵」に立った。福島県浜通りを襲った大津波は、福島第一原発の原子炉を暴走させた。日本が「三分割」されるという中で、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した男たちがいた。
2011年3月、日本は「死の淵」に立った。福島県浜通りを襲った大津波は、福島第一原発の原子炉を暴走させた。日本が「三分割」されるという中で、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した男たちがいた。
- 本の長さ516ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2016/10/25
- 寸法10.7 x 2 x 15 cm
- ISBN-104041036216
- ISBN-13978-4041036211
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小説 Fukushima 50 (角川文庫) | Fukushima 50 オフィシャルフォトブック CD付き | 記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞 (角川文庫) | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.2
152
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5つ星のうち4.8
7
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5つ星のうち4.4
149
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価格 | ¥704¥704 | ¥2,640¥2,640 | ¥968¥968 |
定価(税抜) | 640 | 2,400 | 880 |
内容紹介 | 2011.3.11 未曾有の大震災の中、福島第一原発に残り、メルトダウンを食い止めるために戦った名もなき作業員たちがいた。彼らには、想う人たちがいた。オリジナルエピソードも描かれる迫真の小説版 | 東日本大震災が発生、福島原発事故後も現場に残った名もなき作業員たち。岩代太郎による日本映画史に残る映画音楽3曲を収録した豪華特典CD付き! 忘れてはならない男たちの闘いの記録がここに――。 | その時、記者たちは、なぜ海に向かったのか――。東日本大震災で存続の危機に立った福島民友新聞。『死の淵を見た男』著者、門田隆将があの未曾有の危機に直面した記者たちの真実の姿と心情を描く。 |
商品の説明
著者について
●門田 隆将:1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒。ノンフィクション作家として、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなど幅広い分野で活躍。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』(新潮文庫)、『太平洋戦争 最後の証言』(第一部~第三部・角川文庫)、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所)、『記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞』『慟哭の海峡』(KADOKAWA)。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年10月30日に日本でレビュー済み
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福島原発の事故のリアルさが伝わってきます。それにしても当時の首相菅直人は🌀・・・。
2020年12月16日に日本でレビュー済み
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3.11原発事故の際、何が起こっていたのか知りたくて、読んでみた。
映画「Fukushima 50」の原作とのことで、そちらも興味があったが残念ながらコロナ禍で鑑賞できなかった。
本書は吉田所長がメインというわけではなく様々な当事者の取材をまとめたものとのことで、福島第一原発の歴史、人物の背景が描かれている点がよい。所長以下現場の作業員たちがいかにプロフェッショナルの集団だったか、それぞれの行動がいかに原発(=地元、故郷)への愛着と結びついていたかということがよく分かった。また作業員、関連企業の人たちそれぞれが責任感と家族との狭間で苦悩し、葛藤していた様子は、読んでいて心が締め付けられる思いだった。
「吉田調書」はPDFでダウンロードできる形で公開されているので、こちらも読んでみると良いと思う。本書を読む前に「吉田調書」は読んでいたが、吉田所長がどのように考え対応したかについては「吉田調書」のほうが当時の緊迫感が伝わってくるところも多く、「どんな手を使っても炉を冷却する」という原理原則からブレなかったのがよく分かる記録だ。本書ではその価値観が現場の作業員にも共有され、現場の判断でも作戦が練られていた様子がよく分かった。緊急時にトップと現場が価値観を共有して動ける、というのは一刻を争う事故対応において非常に重要なファクターだったのだろう。
映画「Fukushima 50」の原作とのことで、そちらも興味があったが残念ながらコロナ禍で鑑賞できなかった。
本書は吉田所長がメインというわけではなく様々な当事者の取材をまとめたものとのことで、福島第一原発の歴史、人物の背景が描かれている点がよい。所長以下現場の作業員たちがいかにプロフェッショナルの集団だったか、それぞれの行動がいかに原発(=地元、故郷)への愛着と結びついていたかということがよく分かった。また作業員、関連企業の人たちそれぞれが責任感と家族との狭間で苦悩し、葛藤していた様子は、読んでいて心が締め付けられる思いだった。
「吉田調書」はPDFでダウンロードできる形で公開されているので、こちらも読んでみると良いと思う。本書を読む前に「吉田調書」は読んでいたが、吉田所長がどのように考え対応したかについては「吉田調書」のほうが当時の緊迫感が伝わってくるところも多く、「どんな手を使っても炉を冷却する」という原理原則からブレなかったのがよく分かる記録だ。本書ではその価値観が現場の作業員にも共有され、現場の判断でも作戦が練られていた様子がよく分かった。緊急時にトップと現場が価値観を共有して動ける、というのは一刻を争う事故対応において非常に重要なファクターだったのだろう。
2023年7月17日に日本でレビュー済み
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そう思いました。事実を、その時その場所で、どれだけの人が、奮闘し、苦悩したかを。便利さを求め、それを普通とし、生きている私には、その恩恵を受けるのであれば、少しでも、知らなければいけないと思いました。
2022年10月28日に日本でレビュー済み
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現場の方々が必死に体を張って戦っていたことが分かり感動した。
2022年9月25日に日本でレビュー済み
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11年前にニュースで見た爆発する原発の建屋の下で、沢山の人たちが不撓不屈の意志と勇気をもって事故に立ち向かっていたことを本書は教えてくれた。原子力という人類が到底立ち向かえないような圧倒的エネルギーに立ち向かう人間の底力がまさかここまで心を揺さぶってくるとは思わなかった。
本書は、普段あまりレビューを書かない私が、これはもっと沢山の人に読んでほしいと思えた一冊であると同時に、あの震災事故を記した数々の本の中でも間違いなく後世に残る名著であると思う。
本書は、普段あまりレビューを書かない私が、これはもっと沢山の人に読んでほしいと思えた一冊であると同時に、あの震災事故を記した数々の本の中でも間違いなく後世に残る名著であると思う。
2020年2月4日に日本でレビュー済み
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チェルノブイリの十倍に匹敵する原子力災害になりかけていた、福島第一原子力発電所の危機に命懸けで立ち向かった人々、中でも、津波をかぶり電源消失制御不能暴走する原子炉格納容器を冷却爆発を止める水を供給し続ける作業を続けるため、死を覚悟し現場に最後まで留まった吉田所長以下、50数名の東電職員の実相が、手練れのノンフィクション作家門田氏の筆によって感動的に描かれる。文庫本の初版は2016年、既に10版を重ねる。事故発生から10年、数多ある福島本の中では広く読まれ最近“FUKUSIMA50”として映画化される。試写を観た櫻井よしこ氏が週刊新潮に皆でFUKUSIMA50を観ようと書いてました。
遅れ馳せながら本書を読み、一丁上がりだな、って直感した。われわれ日本人は、戦争も、地震も、未曾有の原子力災害も、いざ起こってしまえば、何故そうなったのかを事実に基づき冷徹に分析、再発対策を実行するより、起きてしまった出来事を甘受し、人々が如何にその困難に対処したのかのところに相応しいヒーローと感動のエピソードを、同時に怒りの矛先を見出せば大方一丁上った気分になれるものらしい。福島第一原子力発電所事故のヒーローは吉田所長と50数名の職員、怒りの矛先はなまじ原子力に知見を持っていたため関係者の足を引っ張った管首相と原子力ど素人であったためただ狼狽えるだけで責任逃れに終始した東京電力本店幹部、と言うわけです。
事は、そんな単純でしょうか。当時の吉田所長は、出入り業者も含めれば、1000人近い人間の頂点に立ち発電所を運営、監督、指揮する立場にあり、発電所で起りうるあらゆる事態を予見、対策、回避する責任と権限があったはず。なのに、原子炉制御不能に直結するのは素人でも分る、電源喪失という究極の事態への備えを専門家でありながら怠っていた。事故が起きた後の英雄的行為云々より、そもそも、所長として不適格であったと言わざるを得ません。本店のお偉方にお前らに何が分ると言わんばかりのもの言いに周囲は、言いたいことの言える頼もしい上司と映ってたらしいが、その専門家としての自信が事故を未然に防ぐことに役立つことはなかった・・。
片や、管首相、この程度のお粗末なトップはどこの世界にも居る。そもそも、相手になるから駄目、無視すれば、いいのです。首相に回すと防護服が足りなくなるなんておかしいでしょう。死ぬ覚悟でやってんですから、そう、言えばいい 。文句は言わせません。
感動するし涙も出るノンフィクションライター門田氏の労作です。が、正味の話し、福島事故再発防止にヒーローや感動的エピソードは要らない、って思う次第です。
遅れ馳せながら本書を読み、一丁上がりだな、って直感した。われわれ日本人は、戦争も、地震も、未曾有の原子力災害も、いざ起こってしまえば、何故そうなったのかを事実に基づき冷徹に分析、再発対策を実行するより、起きてしまった出来事を甘受し、人々が如何にその困難に対処したのかのところに相応しいヒーローと感動のエピソードを、同時に怒りの矛先を見出せば大方一丁上った気分になれるものらしい。福島第一原子力発電所事故のヒーローは吉田所長と50数名の職員、怒りの矛先はなまじ原子力に知見を持っていたため関係者の足を引っ張った管首相と原子力ど素人であったためただ狼狽えるだけで責任逃れに終始した東京電力本店幹部、と言うわけです。
事は、そんな単純でしょうか。当時の吉田所長は、出入り業者も含めれば、1000人近い人間の頂点に立ち発電所を運営、監督、指揮する立場にあり、発電所で起りうるあらゆる事態を予見、対策、回避する責任と権限があったはず。なのに、原子炉制御不能に直結するのは素人でも分る、電源喪失という究極の事態への備えを専門家でありながら怠っていた。事故が起きた後の英雄的行為云々より、そもそも、所長として不適格であったと言わざるを得ません。本店のお偉方にお前らに何が分ると言わんばかりのもの言いに周囲は、言いたいことの言える頼もしい上司と映ってたらしいが、その専門家としての自信が事故を未然に防ぐことに役立つことはなかった・・。
片や、管首相、この程度のお粗末なトップはどこの世界にも居る。そもそも、相手になるから駄目、無視すれば、いいのです。首相に回すと防護服が足りなくなるなんておかしいでしょう。死ぬ覚悟でやってんですから、そう、言えばいい 。文句は言わせません。
感動するし涙も出るノンフィクションライター門田氏の労作です。が、正味の話し、福島事故再発防止にヒーローや感動的エピソードは要らない、って思う次第です。
2020年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
3月3日「真相深入り!虎ノ門ニュース」ゲストの作家・門田隆将氏が紹介した映画「Fukushima 50」原作の本書に興味を持ったので購読した。 本書の内容は、「2011年3月、日本は『死の淵』に立った。東日本大震災で福島県浜通りを襲った大津波は、福島第一原発の原子炉を暴走させた。全電源喪失、原子炉へ注水不能、放射線量増加…このままでは故郷・福島が壊滅し、日本が『三分割』されるという中で、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した男たちがいた。あの時、何が起き、何を思い、人々はどう闘ったのか。ヴェールに包まれた未曾有の大事故を当事者たちの実名で綴る。」とアピールしている。
3.11東日本大震災から丸9年経過したが、これまで様々なメディア、ブログなどでその真相究明されており、その結果も含め、本書の購読及び関連情報で感じた感動、賛同、期待、懸念、疑問、不満 等についてまとめたので、今後の購読者の参考になれば幸いです。 尚、このレビューは、3.11東日本大震災から9周年(10回忌)の命日に、犠牲になられた多くの人々のご冥福を心からお祈りするための投稿でもあります。
【本書の目次】
・はじめに ・プロローグ ・第一章;激震 ・第二章;大津波の襲来 ・第三章;緊迫の訓示 ・第四章;突入 ・第五章;避難する地元民 ・第六章;緊迫のテレビ会議 ・第七章;現地対策本部 ・第八章;「俺が行く」 ・第九章;われを忘れた官邸 ・第十章;やって来た自衛隊 ・第十一章;原子炉建屋への突入 ・第十二章;「頼む!残ってくれ」 ・第十三章;一号機、爆発 ・第十四章;行方不明四十名! ・第十五章;一緒に「死ぬ」人間とは ・第十六章;官邸の驚愕と怒り ・十七章;死に装束 ・十八章;協力企業の闘い ・第十九章;決死の自衛隊 ・第二十章;家族 ・第二十一章;七千羽の折鶴 ・第二十二章;運命を背負った男 ・エピローグ ・終わりに ・文庫版あとがき
<<本書の購読及び関連情報による主なポイント&コメントの列挙>>
(1)感動・賛同・期待・懸念ポイントのまとめ
●本書のエピローグに、「明日の見えない太平洋戦争末期、飛行技術習得や特攻訓練の厳しい現場となった陸軍航空訓練基地『磐城陸軍飛行場』の跡地に立つ福島第一原子力発電所で起こった悲劇―絶望と暗闇の中で原子炉建屋のすぐ隣の中央制御室にとどまった男たちの姿を想像した時に、私は『運命』という言葉を思い浮かべた。戦時中と変わらぬ、いや、ある意味では、それ以上の過酷な状況下で、退くことを拒否した男たちの闘いはいつ果てるともなくつづいた。自らの命が危うい中、なぜ彼らは踏みとどまり、暗闇に向かって何度も突入したのか。彼らは死の淵に立っていた。それは、自らの『死の淵』であったと同時に、国家と郷里・福島の『死の淵』でもあった。そんな事態に直面した時に、人は何を思い、どう行動するのか。本書は、吉田昌郎という男のもと、最後まであきらめることなく、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した人達の物語である。」とあるが、これが全てを表しており、まさか、神風特攻訓練と原発事故のベント志願という同じ『死の淵』に遭遇した、知られざる『運命的な繋がり』があったことにビックリしたが、感動もした。
●「Fukushima 50」の福島第一原発所長の吉田昌郎氏は、2年後の2013年7月9日に食道がんで死去(享年58)。合掌! その他の人々、特に、その1号機原子炉建屋二階のMO弁を開けに行った大友・大井川組、圧力抑制室の上にあるAO弁を開けに行った遠藤・紺野組の人達は、その後に放射線障害による疾病などで死去されていないか、心配なことである。 そして、運悪くベントした放射能を浴びた避難中の双葉町・浪江町・大熊町などの人々も、その後に放射線障害による疾病などで死去されていないか、心配なことである。
●寺島祥希(享年21)は、福島第一原発四号機の点検のために同僚一人と一緒にタービン建屋の地下一階に入って大津波に巻き込まれ、三週間近くが経過した3月30日に同僚と共に遺体となって発見された。母・百合子は行方不明が判明した3月12日から、地獄のような日々を耐えるために鶴を折り始めたが、祥希の無事を祈る折鶴は、彼の母校むつ工業の先生やそれぞれのクラスの子たち、その他も協力したので数を増し、それが七千羽になった時に、「寺島君らしい遺体が。。」と東電から連絡が入った。祥希の無事を祈って折られた七千羽の鶴が棺をすっぽりと覆い、それに守られながら、祥希はお正月以来のわが家へ帰宅し、この七千羽の折鶴と一緒に荼毘に付された。七千羽の鶴に囲まれて寺島祥希は旅立っていったのである。誰も知らない感動の人間ドラマがあった。合掌!
●福島第一原発・吉田昌郎所長によれば、「原子炉格納容器が爆発すると、放射能が飛散して放射能レベルが近づけないものになり、他の原子炉の冷却も、当然、継続できなくなり、人間がもうアプローチできなくなる。福島第二原発も近づけなくなるので、第一と第二で計十基の原子炉がやられるので、単純に考えても、『チェルノブイ事故の十倍』という数字がでる。その事態を考えながらあの中で対応していた。だからこそ、最後まで突入を繰り返してくれた現場の部下たちの凄さを思うのですよ。そして、命を顧みずに駆けつけてくれた自衛隊をはじめ、沢山の人たちの勇気を称えたいんです。」と述べているが賛同する。
●官邸サイドが東電本店を動かして海水注入ストップのテレビ会議があったので、吉田は直前打合せ通りに海水注入ストップの指示を班長に出したが、実際は、海水注入が無事「続行」されたことは言うまでもない。これは、吉田が「なんのために闘っているのか」という本質を決して見失っていなかったことを示す“吉田らしさ”のエピソードである。吉田や現場の人間が闘ったのは、会社のためでも、自分たちのためでもない。世の中で一番大切な“命を守る”ためであった。原子炉が暴走すれば福島の浜通りに住む人のみならず、多くの命が失われ、日本という国家の命さえ失われるのである。これがわかっているからこそ、吉田は海水注入を止めなかった。
●必要最小限の人間を除いて退避―吉田の指令で六百人あまりが退避して免震重要棟に残ったのは「六十九人」だった。海外メディアによって、のちに「フクシマ・フィフティ」と呼ばれた彼らは、そんな過酷な環境の中で、目の前にある「やらなければならないこと」に黙々と立ち向かった。
●班目春樹・原子力安全委員会委員長によれば、「最悪の場合、吉田さんの言う想定よりも、もっと大きくなった可能性がある。福島第一が制御出来なくなったら、福島第二だけでなく、茨城の東海第二発電所もアウトになり、『日本は三分割』されていたかもしれない。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の三つです。」 ⇒⇒⇒ 小生がこのコメントで思い出したのは、2036年からやってきた未来人ジョン・タイターが予言した「2020年の日本地図」で、日本は、福島原発放射能で汚染されたと思われる東日本の立ち入り禁止区域、北海道・東北の一部の蝦夷共和国、東海・北陸・西日本の新大和皇国に「三分割」され、首都は古代日本の地方国家である吉備の国「岡山」へ移され新大和皇国の首都「岡京」となっていることだが、幸いにして吉田所長たちの働きで阻止できたと思われる。しかし、今後、その予言が実現するかもしれないので要注意!
●著者は、取材を通して、現場で奮闘した多くの人々の闘いに敬意を表すると共に、やはり、これを防ぎ得なかった日本の政治家、官庁、東京電力。。。。等の原子力エネルギーを管理・推進する人々の「慢心」に思いを致さざるを得なかった。安全を期して二重、三重に防御を張り巡らせている原発の敵は「自然災害」と「テロ」である。今回の福島第一原発事故の最大の要因となった、海面から十メートルという高さに対する過信は、その中の「自然災害」に対するものだ。「まさか、十メートルを超える津波が押し寄せるわけがない」の思い込みには、過去千年に渡って福島原発の立つ浜通りを「そんな大津波が襲ったことがない」という自然に対する「侮り」「甘え」が根底にあったとの見解に賛同する。
●原発の重大事故「全電源喪失」「冷却不能」に対処するには多額の費用が必要であり、行政も事業者も「安全」よりも「採算」を優先する道を選択し、人間が生み出した「原子力」というとてつもないパワーに対する「畏れのなさ」を表すものだったが、1992年、原子力委員会は「三十分以上の全電源喪失」について「考慮する必要はない」の報告書をまとめ、安全指針の改定を見送っていたことが、二十年後の2012年に明らかになった。そして、原子力委員会廃止にあたって、班目春樹委員長は記者会見で、「原子力安全を確保できるかどうかは、結局のところ“人”だと痛感している」と痛恨の弁を語っている。
●著者は、「この未曾有の事故の真実をキチンと後世に伝えなければならない」と言う思いで関係者に取材したが、当初は予想もしなかった問題点や、これまで誰も知らなかった感動の人間ドラマが浮かび上がってきた。そして、「人間には、命を賭けなければならない時がある」ということを痛感した。暗闇の中で原子炉建屋に突入していった男たちや、命の危険をかえりみず、放射能に汚染された真っ只中に突っ込んでいった自衛隊員に取材しても、彼らは「当然の行為」「当たり前のことをしただけです。自衛隊の中でも、あの時の行動は今もあまり知られていない」と語った。今回の不幸な原発事故は、はからずも現代の日本人も、かっての日本人「他人の為に生きた世代」と同様の使命感と責任感を持ち、命を賭けてでも、毅然と物事に対処していくことを教えてくれた。この作品は、原発事故の「悲劇の実態」と共に、最悪の事態に放り込まれた時に日本人が発揮する土壇場の「底力と信念」だったかもしれない。そして、使命感・自己犠牲・愛国心の崇高な日本精神(大和魂)の発露でもあったことに感動した。
●東日本大震災の大津波で、佐々木朗希投手の父親は死亡しているが、この災害で死亡した2万人以上の人達の思い、期待、サポートにより、東北地方を代表する大谷翔平投手、菊池雄星投手、そして佐々木朗希投手は、今後とも大活躍するのではないかと期待している。
●既報道のYouTube【ドキュメンタリー】自然災害の脅威「東日本大震災」、「311東日本大震災 釜石市大津波 地元TV局が捉えた魂の記録映像」、【東日本大震災】大津波の全記録(50市町村の津波映像)などの映像が生々しく脳裏に残っているせいか、「あの日、あのころ」を思い出しながら映画「Fukushima 50」を見つめたスクリーンでは、最初に大津波が福島第一原発に襲い掛かる迫力の画面に圧倒されたが、当時のテレビは各地の大津波被害と自衛隊ヘリコプターでの注水冷却作業に代表される福島第一原発の原子炉冷却注水状況をトップで放送していたが、その陰で福島第一原発内部では、自らの『死の淵』であったと同時に、国家と郷里・福島の『死の淵』の事態に直面して、吉田昌郎所長のもと、最後まであきらめることなく、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開していたことを知り、改めて感動した。 全体を通じて、決死の覚悟で任務に挑み、日本を救った人たちの真実が描き出されていたが、無私の心と最上の勇気で奇跡を起こした「名もなき」人たちと対照的に、上に立つ者、特に総理大臣はじめとする政治家や経営者の無力が容赦なく描かれていた。 そして、旧日本軍あるいは会社上層部が無力であっても、現場の兵士あるいは社員の奮闘努力で難局を乗り切る、これまた、日本人らしい有り様であり、リーダーシップの欠如という不幸をカバーして余りあるほど、日本人の「現場力」はいつの時代も優れていることを改めて実感した。 反面、日本社会では、如何なる組織でも、出世して上に行けば行くほど、夫々の立場で必要とされるリーダーシップ欠如の無力・無能の人間になるのは何故なのか、日本社会・日本人の宿痾なのか、改めて考えさせられた次第です。 一つの見方として、広大な大陸の騎馬民族、狩猟民族、農耕民族などが混在した弱肉強食の多民族国家のリーダーは、いつも多方面からの思考が必要で、必然的に長期戦略的思考のリーダーシップ人材となるが、これに対して、狭い島国でほぼ単一民族の農耕民族の日本人は、四季の変化、台風、地震などの災害に対処すべく協調的な年功序列の人間関係重視の社会の中で、切磋琢磨・創意工夫の得意な「戦術的思考=現場力」の人間になるようで、つまり、世界水準の物の見方が出来る長期戦略的思考のリーダーシップ人材養成が難しい環境なのが日本社会の欠陥のようですね。 余談だが、本作を見ると、2014年4月16日、韓国南西部で沈没し、死者295人、行方不明者9人を出した大型旅客船「セウォル号」の船長ら乗組員が乗客を捨てて真っ先に逃げたことが韓国社会のみならず世界中から非難されたが、福島第一原発事故でも同様に所長と所員が逃げ出していたとして、福島と日本を救ったヒーロー・ヒロインたちの真実を悪意で歪めたと思しき偽記事「吉田調書」を書いた朝日新聞は許せない気持ちにもなる。 ところで、朝日新聞は、戦前は軍部と結託して戦争を煽り、戦時中は軍部の大本営発表を垂れ流して戦意高揚に加担し、戦後はGHQに阿り、左翼と結託して戦前の政治・日本軍を貶して名誉を貶め、誤報により近隣諸国条項の自虐史観教科書普及に寄与し、天皇・首相の靖国神社参拝阻止に邁進している。更に、吉田清治の「追軍売春婦=慰安婦」捏造記事報道、本田勝一記者の「南京大虐殺」捏造記事報道、福島原発の「吉田調書」捏造記事報道など、戦後日本の政治問題の根源は全て朝日新聞のヘイト・誤報・捏造報道であり、いつも錦の御旗の報道・言論の自由を掲げているが、その自由には結果責任が伴うことを失念しており、これらのヘイト・誤報・捏造報道は日本国及び日本国民への万死に値する大罪であり、朝日新聞は直ちに廃刊すべきある。
●映画「Fukushima 50」は、米アカデミー国際長編映画賞、世界三大映画祭(ベネチア国際映画祭、カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭)などの世界中の映画祭の最高賞受賞に相応しい作品であり、使命感・自己犠牲・愛国心の崇高な日本精神(大和魂)に対して、世界中に感動の嵐を巻き起こすのではないかと思われる。そして、米軍の「トモダチ作戦」の活躍もあり、ハリウッド側も受賞サポートするのではないだろうかと期待している。
(2)疑問ポイントのまとめ
●福島第一原発1〜4号機の設置位置とその非常電源装置設置位置の問題
福島第一原発の1号機はGE社がつくり、それを東芝と日立に技術移転し、二号機はGE社と東芝との合作となり、三号機は東芝、四号機は日立という「純国産」で誕生している。 福島第一原発1〜4号機は、標高35mの丘陵を岩盤に近づけ標高10mまで削って整地し、非常用電源もタービン建屋の地下や1階に設置していた。この為に、10mを超える大津波で非常用電源も全滅した。 5号機・6号機は、1〜4号機と立地が異なりやや離れた高所にあり、津波被害がやや軽微だった。6号機の高い位置に設置されたディーゼル発電機1基のみ津波被害を免れ実働であったので、これを輪番で兼用することで全電源喪失を免れることができ、核燃料冷却を継続できた。 そもそも、GE製原発1〜4号機は、アメリカ大陸のハリケーン対策として非常用電源はタービン建屋の地下や1階に設置する方式だったが、日本では海水冷却し易さから、わざわざ標高10mまで削って整地したところに建設している。 標高は5号機・6号機は13m、福島第二原発は12m、東北電力・男女川原発は標高15mであり、津波被害の軽重へ直結した。 従って、誰の指示で、なぜ、1〜4号機は、わざわざ標高10mまで削って整地し、非常用電源もタービン建屋の地下や1階に設置していたのかの責任追及が必要である。
(3)不満ポイントのまとめ
●管直人総理の罪
本書では不十分な記載なので補充するが、すべては、あの愚かしいパフォーマンスの“遊覧飛行”から始まった!ということです。 *あの日、菅総理はヒラリーからの冷却剤提供の申し出を断っています *米政府の原子炉冷却に関する技術的な支援申し入れも菅総理は断ってしまった *その後も米国が原発事故対策技術団を派遣する用意があるという申し出も菅総理は断った *ロシアからもこれと同様の申し出があったが菅総理は断った *文科省から総理官邸に送られて来たSPEEDIによる放射性物質拡散予測を使って住民を避難させるとの国の防災計画が決まっていたが、これも菅総理は無視して発表せず、枝野官房長官に放射線の強さを過少発表させていた *さらに菅総理は原子炉の製造元である東芝・日立の意見も一切訊こうとしなかった *菅総理は、「僕は物凄く原子力に詳しい!」と専門家を吹聴しまくり誰の意見も訊かなかった *菅総理は東電を怒鳴りつけて脅しまくり協調して対処しようとしなかった。。。 以上8点をザッと上げましたが、どれもこれも福島第一原発事故激甚災害の原因になっています。米国のメディアは日本の地震災害について,“Natural and Manmade Disasters” (天災および人災)という表現を使っていました。天災だけではない、人災だ!というのです。然り! 人災(菅災)なのです。
●東電・清水社長の自衛隊機緊急輸送を拒否した北側防衛大臣の罪
本書に記載はないが、菅総理がベント指示をしたにもかかわらず、東電本店側には最高責任者がおらず、東電・勝俣恒久会長は中国旅行中、関西旅行中の東電・清水正孝社長は運休の新幹線・飛行機利用できず、名古屋空港から東電グループの民間ヘリで帰京しようとしたが、航空法の規定でヘリは午後7時以降は飛行できなかった。 そこで、清水社長を緊急で自衛隊機移動させることを知った北沢防衛大臣が『被災者救援を優先すべきだ』と指示した『 自衛隊機Uターン事件』があり、自衛隊機での緊急帰京も拒否されている。しかも、現場を確認しなければベントはできないと、『災害対策マニュアル』に書いてあることもあり、東京電力はベントを行わず、社員は双葉町の町の方々に朝まで避難の電話をかけまくっていた。そこでやむなく、原子力災害対策特別処置法20条3項により菅総理が直接福島に飛び、吉田所長にベントをするように指示したとありますが、東電・清水社長が東電グループの民間ヘリまたは自衛隊機で当日夜中に緊急帰京しておれば、『災害対策マニュアル』通りにベント作業が行われて、翌朝に菅総理が直接福島に飛び、吉田所長にベント指示することもなかったのではないかと思いますね。つまり、東電最高責任者の東電本店不在、そして、清水社長帰京の便宜を図らなかった政府のまずい初動対応が問題であったと思いますね。
(4)東日本大震災から丸9年、午後2時46分過ぎに奇跡的な大きな虹
*神戸新聞NEXT 3/11(水) 15:47配信
*午後2時46分過ぎに大きな虹 東日本大震災9年
*東日本大震災から丸9年。発生時刻の午後2時46分を過ぎたころ、宮城県名取市の震災メモリアル公園上空に、大きな虹がかかった。見上げた女性は犠牲者を思い、「こうやって渡ってきてくれたんだね」とつぶやいた。奇跡的な現象が起こるものなんですね。
3.11東日本大震災から丸9年経過したが、これまで様々なメディア、ブログなどでその真相究明されており、その結果も含め、本書の購読及び関連情報で感じた感動、賛同、期待、懸念、疑問、不満 等についてまとめたので、今後の購読者の参考になれば幸いです。 尚、このレビューは、3.11東日本大震災から9周年(10回忌)の命日に、犠牲になられた多くの人々のご冥福を心からお祈りするための投稿でもあります。
【本書の目次】
・はじめに ・プロローグ ・第一章;激震 ・第二章;大津波の襲来 ・第三章;緊迫の訓示 ・第四章;突入 ・第五章;避難する地元民 ・第六章;緊迫のテレビ会議 ・第七章;現地対策本部 ・第八章;「俺が行く」 ・第九章;われを忘れた官邸 ・第十章;やって来た自衛隊 ・第十一章;原子炉建屋への突入 ・第十二章;「頼む!残ってくれ」 ・第十三章;一号機、爆発 ・第十四章;行方不明四十名! ・第十五章;一緒に「死ぬ」人間とは ・第十六章;官邸の驚愕と怒り ・十七章;死に装束 ・十八章;協力企業の闘い ・第十九章;決死の自衛隊 ・第二十章;家族 ・第二十一章;七千羽の折鶴 ・第二十二章;運命を背負った男 ・エピローグ ・終わりに ・文庫版あとがき
<<本書の購読及び関連情報による主なポイント&コメントの列挙>>
(1)感動・賛同・期待・懸念ポイントのまとめ
●本書のエピローグに、「明日の見えない太平洋戦争末期、飛行技術習得や特攻訓練の厳しい現場となった陸軍航空訓練基地『磐城陸軍飛行場』の跡地に立つ福島第一原子力発電所で起こった悲劇―絶望と暗闇の中で原子炉建屋のすぐ隣の中央制御室にとどまった男たちの姿を想像した時に、私は『運命』という言葉を思い浮かべた。戦時中と変わらぬ、いや、ある意味では、それ以上の過酷な状況下で、退くことを拒否した男たちの闘いはいつ果てるともなくつづいた。自らの命が危うい中、なぜ彼らは踏みとどまり、暗闇に向かって何度も突入したのか。彼らは死の淵に立っていた。それは、自らの『死の淵』であったと同時に、国家と郷里・福島の『死の淵』でもあった。そんな事態に直面した時に、人は何を思い、どう行動するのか。本書は、吉田昌郎という男のもと、最後まであきらめることなく、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した人達の物語である。」とあるが、これが全てを表しており、まさか、神風特攻訓練と原発事故のベント志願という同じ『死の淵』に遭遇した、知られざる『運命的な繋がり』があったことにビックリしたが、感動もした。
●「Fukushima 50」の福島第一原発所長の吉田昌郎氏は、2年後の2013年7月9日に食道がんで死去(享年58)。合掌! その他の人々、特に、その1号機原子炉建屋二階のMO弁を開けに行った大友・大井川組、圧力抑制室の上にあるAO弁を開けに行った遠藤・紺野組の人達は、その後に放射線障害による疾病などで死去されていないか、心配なことである。 そして、運悪くベントした放射能を浴びた避難中の双葉町・浪江町・大熊町などの人々も、その後に放射線障害による疾病などで死去されていないか、心配なことである。
●寺島祥希(享年21)は、福島第一原発四号機の点検のために同僚一人と一緒にタービン建屋の地下一階に入って大津波に巻き込まれ、三週間近くが経過した3月30日に同僚と共に遺体となって発見された。母・百合子は行方不明が判明した3月12日から、地獄のような日々を耐えるために鶴を折り始めたが、祥希の無事を祈る折鶴は、彼の母校むつ工業の先生やそれぞれのクラスの子たち、その他も協力したので数を増し、それが七千羽になった時に、「寺島君らしい遺体が。。」と東電から連絡が入った。祥希の無事を祈って折られた七千羽の鶴が棺をすっぽりと覆い、それに守られながら、祥希はお正月以来のわが家へ帰宅し、この七千羽の折鶴と一緒に荼毘に付された。七千羽の鶴に囲まれて寺島祥希は旅立っていったのである。誰も知らない感動の人間ドラマがあった。合掌!
●福島第一原発・吉田昌郎所長によれば、「原子炉格納容器が爆発すると、放射能が飛散して放射能レベルが近づけないものになり、他の原子炉の冷却も、当然、継続できなくなり、人間がもうアプローチできなくなる。福島第二原発も近づけなくなるので、第一と第二で計十基の原子炉がやられるので、単純に考えても、『チェルノブイ事故の十倍』という数字がでる。その事態を考えながらあの中で対応していた。だからこそ、最後まで突入を繰り返してくれた現場の部下たちの凄さを思うのですよ。そして、命を顧みずに駆けつけてくれた自衛隊をはじめ、沢山の人たちの勇気を称えたいんです。」と述べているが賛同する。
●官邸サイドが東電本店を動かして海水注入ストップのテレビ会議があったので、吉田は直前打合せ通りに海水注入ストップの指示を班長に出したが、実際は、海水注入が無事「続行」されたことは言うまでもない。これは、吉田が「なんのために闘っているのか」という本質を決して見失っていなかったことを示す“吉田らしさ”のエピソードである。吉田や現場の人間が闘ったのは、会社のためでも、自分たちのためでもない。世の中で一番大切な“命を守る”ためであった。原子炉が暴走すれば福島の浜通りに住む人のみならず、多くの命が失われ、日本という国家の命さえ失われるのである。これがわかっているからこそ、吉田は海水注入を止めなかった。
●必要最小限の人間を除いて退避―吉田の指令で六百人あまりが退避して免震重要棟に残ったのは「六十九人」だった。海外メディアによって、のちに「フクシマ・フィフティ」と呼ばれた彼らは、そんな過酷な環境の中で、目の前にある「やらなければならないこと」に黙々と立ち向かった。
●班目春樹・原子力安全委員会委員長によれば、「最悪の場合、吉田さんの言う想定よりも、もっと大きくなった可能性がある。福島第一が制御出来なくなったら、福島第二だけでなく、茨城の東海第二発電所もアウトになり、『日本は三分割』されていたかもしれない。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の三つです。」 ⇒⇒⇒ 小生がこのコメントで思い出したのは、2036年からやってきた未来人ジョン・タイターが予言した「2020年の日本地図」で、日本は、福島原発放射能で汚染されたと思われる東日本の立ち入り禁止区域、北海道・東北の一部の蝦夷共和国、東海・北陸・西日本の新大和皇国に「三分割」され、首都は古代日本の地方国家である吉備の国「岡山」へ移され新大和皇国の首都「岡京」となっていることだが、幸いにして吉田所長たちの働きで阻止できたと思われる。しかし、今後、その予言が実現するかもしれないので要注意!
●著者は、取材を通して、現場で奮闘した多くの人々の闘いに敬意を表すると共に、やはり、これを防ぎ得なかった日本の政治家、官庁、東京電力。。。。等の原子力エネルギーを管理・推進する人々の「慢心」に思いを致さざるを得なかった。安全を期して二重、三重に防御を張り巡らせている原発の敵は「自然災害」と「テロ」である。今回の福島第一原発事故の最大の要因となった、海面から十メートルという高さに対する過信は、その中の「自然災害」に対するものだ。「まさか、十メートルを超える津波が押し寄せるわけがない」の思い込みには、過去千年に渡って福島原発の立つ浜通りを「そんな大津波が襲ったことがない」という自然に対する「侮り」「甘え」が根底にあったとの見解に賛同する。
●原発の重大事故「全電源喪失」「冷却不能」に対処するには多額の費用が必要であり、行政も事業者も「安全」よりも「採算」を優先する道を選択し、人間が生み出した「原子力」というとてつもないパワーに対する「畏れのなさ」を表すものだったが、1992年、原子力委員会は「三十分以上の全電源喪失」について「考慮する必要はない」の報告書をまとめ、安全指針の改定を見送っていたことが、二十年後の2012年に明らかになった。そして、原子力委員会廃止にあたって、班目春樹委員長は記者会見で、「原子力安全を確保できるかどうかは、結局のところ“人”だと痛感している」と痛恨の弁を語っている。
●著者は、「この未曾有の事故の真実をキチンと後世に伝えなければならない」と言う思いで関係者に取材したが、当初は予想もしなかった問題点や、これまで誰も知らなかった感動の人間ドラマが浮かび上がってきた。そして、「人間には、命を賭けなければならない時がある」ということを痛感した。暗闇の中で原子炉建屋に突入していった男たちや、命の危険をかえりみず、放射能に汚染された真っ只中に突っ込んでいった自衛隊員に取材しても、彼らは「当然の行為」「当たり前のことをしただけです。自衛隊の中でも、あの時の行動は今もあまり知られていない」と語った。今回の不幸な原発事故は、はからずも現代の日本人も、かっての日本人「他人の為に生きた世代」と同様の使命感と責任感を持ち、命を賭けてでも、毅然と物事に対処していくことを教えてくれた。この作品は、原発事故の「悲劇の実態」と共に、最悪の事態に放り込まれた時に日本人が発揮する土壇場の「底力と信念」だったかもしれない。そして、使命感・自己犠牲・愛国心の崇高な日本精神(大和魂)の発露でもあったことに感動した。
●東日本大震災の大津波で、佐々木朗希投手の父親は死亡しているが、この災害で死亡した2万人以上の人達の思い、期待、サポートにより、東北地方を代表する大谷翔平投手、菊池雄星投手、そして佐々木朗希投手は、今後とも大活躍するのではないかと期待している。
●既報道のYouTube【ドキュメンタリー】自然災害の脅威「東日本大震災」、「311東日本大震災 釜石市大津波 地元TV局が捉えた魂の記録映像」、【東日本大震災】大津波の全記録(50市町村の津波映像)などの映像が生々しく脳裏に残っているせいか、「あの日、あのころ」を思い出しながら映画「Fukushima 50」を見つめたスクリーンでは、最初に大津波が福島第一原発に襲い掛かる迫力の画面に圧倒されたが、当時のテレビは各地の大津波被害と自衛隊ヘリコプターでの注水冷却作業に代表される福島第一原発の原子炉冷却注水状況をトップで放送していたが、その陰で福島第一原発内部では、自らの『死の淵』であったと同時に、国家と郷里・福島の『死の淵』の事態に直面して、吉田昌郎所長のもと、最後まであきらめることなく、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開していたことを知り、改めて感動した。 全体を通じて、決死の覚悟で任務に挑み、日本を救った人たちの真実が描き出されていたが、無私の心と最上の勇気で奇跡を起こした「名もなき」人たちと対照的に、上に立つ者、特に総理大臣はじめとする政治家や経営者の無力が容赦なく描かれていた。 そして、旧日本軍あるいは会社上層部が無力であっても、現場の兵士あるいは社員の奮闘努力で難局を乗り切る、これまた、日本人らしい有り様であり、リーダーシップの欠如という不幸をカバーして余りあるほど、日本人の「現場力」はいつの時代も優れていることを改めて実感した。 反面、日本社会では、如何なる組織でも、出世して上に行けば行くほど、夫々の立場で必要とされるリーダーシップ欠如の無力・無能の人間になるのは何故なのか、日本社会・日本人の宿痾なのか、改めて考えさせられた次第です。 一つの見方として、広大な大陸の騎馬民族、狩猟民族、農耕民族などが混在した弱肉強食の多民族国家のリーダーは、いつも多方面からの思考が必要で、必然的に長期戦略的思考のリーダーシップ人材となるが、これに対して、狭い島国でほぼ単一民族の農耕民族の日本人は、四季の変化、台風、地震などの災害に対処すべく協調的な年功序列の人間関係重視の社会の中で、切磋琢磨・創意工夫の得意な「戦術的思考=現場力」の人間になるようで、つまり、世界水準の物の見方が出来る長期戦略的思考のリーダーシップ人材養成が難しい環境なのが日本社会の欠陥のようですね。 余談だが、本作を見ると、2014年4月16日、韓国南西部で沈没し、死者295人、行方不明者9人を出した大型旅客船「セウォル号」の船長ら乗組員が乗客を捨てて真っ先に逃げたことが韓国社会のみならず世界中から非難されたが、福島第一原発事故でも同様に所長と所員が逃げ出していたとして、福島と日本を救ったヒーロー・ヒロインたちの真実を悪意で歪めたと思しき偽記事「吉田調書」を書いた朝日新聞は許せない気持ちにもなる。 ところで、朝日新聞は、戦前は軍部と結託して戦争を煽り、戦時中は軍部の大本営発表を垂れ流して戦意高揚に加担し、戦後はGHQに阿り、左翼と結託して戦前の政治・日本軍を貶して名誉を貶め、誤報により近隣諸国条項の自虐史観教科書普及に寄与し、天皇・首相の靖国神社参拝阻止に邁進している。更に、吉田清治の「追軍売春婦=慰安婦」捏造記事報道、本田勝一記者の「南京大虐殺」捏造記事報道、福島原発の「吉田調書」捏造記事報道など、戦後日本の政治問題の根源は全て朝日新聞のヘイト・誤報・捏造報道であり、いつも錦の御旗の報道・言論の自由を掲げているが、その自由には結果責任が伴うことを失念しており、これらのヘイト・誤報・捏造報道は日本国及び日本国民への万死に値する大罪であり、朝日新聞は直ちに廃刊すべきある。
●映画「Fukushima 50」は、米アカデミー国際長編映画賞、世界三大映画祭(ベネチア国際映画祭、カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭)などの世界中の映画祭の最高賞受賞に相応しい作品であり、使命感・自己犠牲・愛国心の崇高な日本精神(大和魂)に対して、世界中に感動の嵐を巻き起こすのではないかと思われる。そして、米軍の「トモダチ作戦」の活躍もあり、ハリウッド側も受賞サポートするのではないだろうかと期待している。
(2)疑問ポイントのまとめ
●福島第一原発1〜4号機の設置位置とその非常電源装置設置位置の問題
福島第一原発の1号機はGE社がつくり、それを東芝と日立に技術移転し、二号機はGE社と東芝との合作となり、三号機は東芝、四号機は日立という「純国産」で誕生している。 福島第一原発1〜4号機は、標高35mの丘陵を岩盤に近づけ標高10mまで削って整地し、非常用電源もタービン建屋の地下や1階に設置していた。この為に、10mを超える大津波で非常用電源も全滅した。 5号機・6号機は、1〜4号機と立地が異なりやや離れた高所にあり、津波被害がやや軽微だった。6号機の高い位置に設置されたディーゼル発電機1基のみ津波被害を免れ実働であったので、これを輪番で兼用することで全電源喪失を免れることができ、核燃料冷却を継続できた。 そもそも、GE製原発1〜4号機は、アメリカ大陸のハリケーン対策として非常用電源はタービン建屋の地下や1階に設置する方式だったが、日本では海水冷却し易さから、わざわざ標高10mまで削って整地したところに建設している。 標高は5号機・6号機は13m、福島第二原発は12m、東北電力・男女川原発は標高15mであり、津波被害の軽重へ直結した。 従って、誰の指示で、なぜ、1〜4号機は、わざわざ標高10mまで削って整地し、非常用電源もタービン建屋の地下や1階に設置していたのかの責任追及が必要である。
(3)不満ポイントのまとめ
●管直人総理の罪
本書では不十分な記載なので補充するが、すべては、あの愚かしいパフォーマンスの“遊覧飛行”から始まった!ということです。 *あの日、菅総理はヒラリーからの冷却剤提供の申し出を断っています *米政府の原子炉冷却に関する技術的な支援申し入れも菅総理は断ってしまった *その後も米国が原発事故対策技術団を派遣する用意があるという申し出も菅総理は断った *ロシアからもこれと同様の申し出があったが菅総理は断った *文科省から総理官邸に送られて来たSPEEDIによる放射性物質拡散予測を使って住民を避難させるとの国の防災計画が決まっていたが、これも菅総理は無視して発表せず、枝野官房長官に放射線の強さを過少発表させていた *さらに菅総理は原子炉の製造元である東芝・日立の意見も一切訊こうとしなかった *菅総理は、「僕は物凄く原子力に詳しい!」と専門家を吹聴しまくり誰の意見も訊かなかった *菅総理は東電を怒鳴りつけて脅しまくり協調して対処しようとしなかった。。。 以上8点をザッと上げましたが、どれもこれも福島第一原発事故激甚災害の原因になっています。米国のメディアは日本の地震災害について,“Natural and Manmade Disasters” (天災および人災)という表現を使っていました。天災だけではない、人災だ!というのです。然り! 人災(菅災)なのです。
●東電・清水社長の自衛隊機緊急輸送を拒否した北側防衛大臣の罪
本書に記載はないが、菅総理がベント指示をしたにもかかわらず、東電本店側には最高責任者がおらず、東電・勝俣恒久会長は中国旅行中、関西旅行中の東電・清水正孝社長は運休の新幹線・飛行機利用できず、名古屋空港から東電グループの民間ヘリで帰京しようとしたが、航空法の規定でヘリは午後7時以降は飛行できなかった。 そこで、清水社長を緊急で自衛隊機移動させることを知った北沢防衛大臣が『被災者救援を優先すべきだ』と指示した『 自衛隊機Uターン事件』があり、自衛隊機での緊急帰京も拒否されている。しかも、現場を確認しなければベントはできないと、『災害対策マニュアル』に書いてあることもあり、東京電力はベントを行わず、社員は双葉町の町の方々に朝まで避難の電話をかけまくっていた。そこでやむなく、原子力災害対策特別処置法20条3項により菅総理が直接福島に飛び、吉田所長にベントをするように指示したとありますが、東電・清水社長が東電グループの民間ヘリまたは自衛隊機で当日夜中に緊急帰京しておれば、『災害対策マニュアル』通りにベント作業が行われて、翌朝に菅総理が直接福島に飛び、吉田所長にベント指示することもなかったのではないかと思いますね。つまり、東電最高責任者の東電本店不在、そして、清水社長帰京の便宜を図らなかった政府のまずい初動対応が問題であったと思いますね。
(4)東日本大震災から丸9年、午後2時46分過ぎに奇跡的な大きな虹
*神戸新聞NEXT 3/11(水) 15:47配信
*午後2時46分過ぎに大きな虹 東日本大震災9年
*東日本大震災から丸9年。発生時刻の午後2時46分を過ぎたころ、宮城県名取市の震災メモリアル公園上空に、大きな虹がかかった。見上げた女性は犠牲者を思い、「こうやって渡ってきてくれたんだね」とつぶやいた。奇跡的な現象が起こるものなんですね。