第二次世界大戦中、彼ほど有名だった将軍は他にいまい。
ナチスドイツのロンメル将軍の虚像を剥いだ実像に迫る。
彼はドイツ人ではあるが、父親は数学者で軍人家系の出自ではない。母親は県知事の娘。
兄は早世し、姉は教師、弟が二人いるが一人は歯医者、もう一人はオペラ歌手で軍人はロンメルだけだ。
しかし、彼は当時のドイツ帝国で中核を成していたプロインセンではなく、ヴュルテンベルク王国の出身である。この事が生まれながらにして「非エリートの出自」として彼が軍隊で出世する足枷になり、ロンメルを苦しめることになる。
幼い頃のロンメルは機械いじりの好きな少年であり、技術者を志望していたようなのだが家長の父親の命令で軍隊に入ることになる。しかし、出自のせいで出世コースには程遠い。軍隊でのし上がっていくには「戦争で手柄を立てて実績とする」しかなかった。当時の世界情勢がロンメルに味方して第一次世界大戦が勃発する。
彼は少尉として初陣を飾り、自ら隊の先頭に立って戦い戦果を上げた。まだ歩兵なので負傷することもしばしばであり、突出し過ぎて敵軍の真ん中に取り残されることもあった模様だ。けれど持ち前の勇気と独断専行の大胆さで実績を積み上げていき、上官や部下たちの信頼を得ていく。
それが第一次大戦ではあまり出世していなかったので成功したが、第二次世界大戦ではヒトラーに引き立てられて出世の階段を駆け上がると現実と周囲からの期待との間で板挟みになる。
「常勝将軍」は宣伝大臣のゲッベルスお得意のプロパガンダだが、人格は高潔。
捕虜などは処刑するようにヒトラーから命令されてもそれを撥ね付けて国際法を守って丁重に扱った。
彼は中級の指揮官としては優秀だったが、一軍の将軍としてはあまりにも前線に立ち過ぎで却って味方が混乱する事態を招いたりもしていた。さらに戦術家としては一流だが、戦略家として大局を見ることには不得手であり、補給線を軽視して物資が前線まで届かずに部隊が動けなくなることもあった。
北アフリカは東部戦線のロシアに比すれば物資の補給もされていたし、事実として港までは届いていたのだ。しかし、そこからロンメルが戦っている最前線までは数百キロから千キロ以上も離れており、輸送に難があったのだ。
ロンメルは政治的には距離を置き、ナチスにも入党はしなかった。
この本でも「政治的なことで動くロンメル」はほぼ無く、只管「軍人として戦闘に熱中する姿」ばかりである。何せ独ソ戦の開戦すら事前に知らされておらず、開始をして驚愕したほどだったのだ。
政治的には無関心だったロンメルだが、ヒトラー側近のボルマンやナンバー2のゲーリングからはヒトラーの寵愛を受けていることを妬まれて度々嫌がらせをされていた模様だ。そのことが晩年に自殺に追い込まれる遠因となったとも言えなくもないだろう。
ホロコーストについてはこの本では一切触れていない。
おそらくだが、東部戦線に関わっていなかったのでロンメル自身は全く知らなかっただろう。
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「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨 (角川新書) 新書 – 2019/3/9
大木 毅
(著)
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第二次世界大戦を動かした男の虚像と実像を暴く。俗説を打破する決定版!
ヒトラーの忠実なる“軍人”か、誠実なる“反逆者”か。
第二次世界大戦を動かした男の虚像と実像を暴く。
これまでの俗説を打破する決定版!!
ドイツ国防軍で最も有名な将軍で、第二次世界大戦の際は連合国からナポレオン以来の名将とまで言われた男、ロンメル。
最後はヒトラー暗殺の陰謀に加担したとされ、非業の死を遂げるが、北アフリカ戦線の活躍から名づけられた「砂漠の狐」の名称は広く知られている。
ところが、日本ではとうの昔に否定された40年近く前の説が生きている程、ロンメル研究は遅れていた。
ロンメルは、ヒトラー暗殺計画に気づいていたのか!? 知っていたとしたら、それを支持していたのか!? 最新学説を盛り込んだ一級の評伝!
「日本では【略】、軍事はアカデミズムにおいて扱われない。
一方、「本職」の自衛隊や旧軍人のあいだでも、戦前、みっちりとドイツ語教育を受けた世代が退くにつれ、
第二次世界大戦の欧州方面の歴史に関する研究が紹介されることもなくなってきたのである。
【略】もちろん、ミリタリー本などでは、多々ロンメルが取り上げられてはいたものの、
それらのほとんどは、1980年代の段階にとどまっており、なかには、
アーヴィングの『狐の足跡』の歪曲を無批判に踏襲するばかりか、誇張して広めるものさえあったのだ。」(「あとがき」より)
ヒトラーの忠実なる“軍人”か、誠実なる“反逆者”か。
第二次世界大戦を動かした男の虚像と実像を暴く。
これまでの俗説を打破する決定版!!
ドイツ国防軍で最も有名な将軍で、第二次世界大戦の際は連合国からナポレオン以来の名将とまで言われた男、ロンメル。
最後はヒトラー暗殺の陰謀に加担したとされ、非業の死を遂げるが、北アフリカ戦線の活躍から名づけられた「砂漠の狐」の名称は広く知られている。
ところが、日本ではとうの昔に否定された40年近く前の説が生きている程、ロンメル研究は遅れていた。
ロンメルは、ヒトラー暗殺計画に気づいていたのか!? 知っていたとしたら、それを支持していたのか!? 最新学説を盛り込んだ一級の評伝!
「日本では【略】、軍事はアカデミズムにおいて扱われない。
一方、「本職」の自衛隊や旧軍人のあいだでも、戦前、みっちりとドイツ語教育を受けた世代が退くにつれ、
第二次世界大戦の欧州方面の歴史に関する研究が紹介されることもなくなってきたのである。
【略】もちろん、ミリタリー本などでは、多々ロンメルが取り上げられてはいたものの、
それらのほとんどは、1980年代の段階にとどまっており、なかには、
アーヴィングの『狐の足跡』の歪曲を無批判に踏襲するばかりか、誇張して広めるものさえあったのだ。」(「あとがき」より)
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2019/3/9
- 寸法11 x 1.6 x 17.4 cm
- ISBN-104040822552
- ISBN-13978-4040822556
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商品の説明
著者について
●大木 毅:現代史家。1961年東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員等を経て、著述業。2016年より陸上自衛隊幹部学校(現陸上自衛隊教育訓練本部)講師。
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2019/3/9)
- 発売日 : 2019/3/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 320ページ
- ISBN-10 : 4040822552
- ISBN-13 : 978-4040822556
- 寸法 : 11 x 1.6 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 86,613位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 214位角川新書
- - 17,525位ノンフィクション (本)
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イメージ付きのレビュー

5 星
はじめて知ることが多い、良書。
ミリタリーファンならロンメルについて今まで読んだ経験があると思う。しかし、この本はロンメルの経歴、出世の秘密について、知らないことをたくさん教えてくれた。驚くことが多いし、なるほどそういうことだったのかと感心した。良書と思う。ロンメルの戦記についても詳しく書かれている。戦記は地図が重要である。願わくば改訂の上、地理についての情報をもっとたくさん載せて欲しい。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年9月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2020年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ロンメルの軍事テクノクラートとしての優秀さと限界について分かりやすく議論し、論証している。
2020年9月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
砂漠の英雄伝説、ノルマンディー上陸後の西部戦線での活躍は、別の書物で見て来たが、本書では、英雄や有能な司令官とは違った面が書かれており、有名な部分だけを見て、偏った理解をしていたことが分かった。
ロンメルの人物像を知りたければ、読んでみること。
ただし、部隊編成、軍の行動、階級などの専門用語が多く登場し、読みにくいので、ご注意を。
ロンメルの人物像を知りたければ、読んでみること。
ただし、部隊編成、軍の行動、階級などの専門用語が多く登場し、読みにくいので、ご注意を。
2019年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヒトラー(1889-1945)と
ロンメル(1891-1944)には
少なくとも一つ共通点があります。
どちらも第一次世界大戦に従軍し
実戦を体験したことです。
オーストリア人でありながら
オーストリアを嫌悪したヒトラーは
ドイツ(第二)帝国の
バイエルン王国軍への入隊を志願し
第一六予備歩兵連隊に配属されました。
同大戦中のヒトラーの階級について
いまだに「伍長」と記載している文献を
目にしますがこれは完全な間違いです。
「上等兵」が正解です。
ヒトラー伝記の決定版とも言える
サー・イアン・カーショー
(Sir Ian Kershaw)(1943-)による
『ヒトラー(上)1889-1936 傲慢』
(白水社 2016)(原著 1998)
『ヒトラー(下)1936-1945 天罰』
(白水社 2016)(原著 2000)
によりますと
【一九一四年一一月三日(一日付)に
ヒトラーは上等兵に昇進した。
さらに昇進を重ね、少なくとも
下士官にはなれたかもしれないが、
大戦中にヒトラーが昇進したのは
このときだけである。】
『ヒトラー(上)』p.118 上段
をご参照いただけると幸いです。
「伍長」は下士官のひとつですが
ヒトラーは伍長になったことはありません。
さらに同書によれば
「ヒトラーを下士官にするかどうか]
連隊幕僚も検討したことがありました。
しかし
連隊副官フリッツ・ヴィーデマンの
証言によれば
「ヒトラーは指導力に欠ける」
というのが上官の意見でした。
また当時の准尉マックス・アマンの
証言によれば
「ヒトラーは昇進の話を断った」。
なぜなら下士官になれば
連隊から離れざるをえなくなるから
だったと思われています
(ヒトラーは連隊を離れたくなかった
と考えられています)。
いずれにせよ
「新兵」(Schutze)(シュッツェ)として
バイエルン王国軍第一六予備歩兵連隊
(初代連隊長の名前をとって
「リスト連隊」と呼ばれる)に入隊した
ヒトラーは大戦中に1回だけ昇進し
「上等兵」(Gefreiter)(ゲフライター)
となりました。
カーショーの大著で述べられている通り
下士官(曹長・軍曹・伍長)に
昇進したことはありません。
従ってヒトラーを「ボヘミアの伍長」
などと記載するのは間違いです。
五十年くらい前ならば
ヒトラーの階級を「伍長」とした文献が
多かったように記憶します。
歴史研究が進んだ今さすがに
「ヒトラー伍長」はあまり
見なくなりましたが
まれに散見します。
この記述は
ロンメルを無条件に
「騎士道の騎士」として扱う
「ロンメル神話」あるいは
「ロンメル・レジェンド」
と同様に、古い知識に基づく
時代錯誤と言えるでしょう。
総体的な知見不足を露呈した言説です。
そのロンメルですが
1910年7月19日
ヴュルテンベルグ第124歩兵連隊
「ヴィルヘルム一世」に
士官候補生として入隊します。
1911年3月
ダンツィヒの王立士官学校に進みました。
「ダンツィヒ回廊」で知られるダンツィヒは
現在はポーランドの「グダニスク」です。
当時はドイツ帝国・プロイセン領でした。
1912年1月27日
少尉任官し原隊に復帰します。
第一次世界大戦が勃発すると
1914年9月
第二級鉄十字章を受章
1915年1月
第一級鉄十字章を受章
中尉に昇進しました。
1917年12月末
「プール・ル・メリット」勲章
(通称「ブルー・マックス」勲章)を
受章しました。
1918年10月
大尉に昇進し、翌月には
1918年11月11日の休戦協定
つまり敗戦を迎えます。
一方
連隊付きの伝令兵だったヒトラーも
1914年12月2日
二級鉄十字章を
1918年8月4日
一級鉄十字章を受章しました。
一兵卒としてはまれなことです。
推薦してくれたのは
(皮肉にも)ユダヤ人将校
フーゴ・グートマン少尉でした。
『ヒトラー(上)』p.123 下段
を参照いただけると幸いです。
もちろん
『わが闘争』の中の自伝的部分には
誇張のみならず事実の誤り(意図的?)も
多くふくまれているために
ヒトラーの自伝的要素についても
少なからず見直しが行われています。
例えば
オーストリア人ヒトラーが
バイエルン王国軍にすんなり入隊
できたのはどうやら当局の
うっかりミスだったようで
よく言われているように
志願したら1日で許可が降りた
というのは虚偽と考えられています
(『ヒトラー(上)』p.117 上段 参照)。
ロンメルは
第一次世界大戦の体験を生かして
『歩兵は攻撃する』
を執筆しベストセラーとなります。
同大戦で歩兵(伝令兵)だった
ヒトラーもそれを読み
ロンメルと接点が生まれて行きます。
その詳細は本書に譲るとして
大局的な見地から
ロンメルの一生を見ると
①ロンメルは主観的には
国家に奉仕した。
②しかし客観的には
国家元首たる「総統」に奉仕した
ことになる。
‥という「双対性」が見えてきます。
実はこの構造はロンメルに限らず
国防軍の軍人には共通して言えることです。
ヒトラーのあやつり人間だった
カイテル(1882-1946)から
ヒトラーを爆弾で暗殺しようとした
シュタウフェンベルグ(1907-1944)
までその幅はかなりありますが。
1934年2月21日
ベルリンで開かれた会合で
プロイセン農務省事務次官
ヴェルナー・ヴィリケンスは
次のように述べました。
「総統の意をくんで
総統のために働こうとすることが
すべての者の義務なのだ」
『ヒトラー(上)』p.549 上段。
‥このコトバが第三帝国の本質を
よく表現しています。
今風に言い換えれば
「総統の気持ちを【忖度】して
総統のために働く」
ということになりましょう。
第三帝国の国民の義務ですが
その中でも
・国防軍の軍人
・官僚
・産業界
・実業界
‥に属していた、第三帝国内の
ナチ党員ではないエスタブリッシュメント
(非ナチ選良階級)である人々が特に
「総統のために」働いた結果
第三帝国を支えていたことになります。
ロンメルはその典型であったと
申し上げることができましょう。
国内外のプロパガンダによって
作り上げられていた「虚像」が
多かったことは否定できません。
本書によってその「実像」を
知ることができます。
ロンメルはヒトラーのお気に入りであり
ロンメルも他の国防軍軍人と同様
ヒトラー個人に対して忠誠を誓いました。
しかし最後には
ヒトラーから【離反】することに成功しました。
従って少なくともその一点において
やはりロンメルは優れた人間であったと
思います(あくまで個人の見解です)。
ロンメル(1891-1944)には
少なくとも一つ共通点があります。
どちらも第一次世界大戦に従軍し
実戦を体験したことです。
オーストリア人でありながら
オーストリアを嫌悪したヒトラーは
ドイツ(第二)帝国の
バイエルン王国軍への入隊を志願し
第一六予備歩兵連隊に配属されました。
同大戦中のヒトラーの階級について
いまだに「伍長」と記載している文献を
目にしますがこれは完全な間違いです。
「上等兵」が正解です。
ヒトラー伝記の決定版とも言える
サー・イアン・カーショー
(Sir Ian Kershaw)(1943-)による
『ヒトラー(上)1889-1936 傲慢』
(白水社 2016)(原著 1998)
『ヒトラー(下)1936-1945 天罰』
(白水社 2016)(原著 2000)
によりますと
【一九一四年一一月三日(一日付)に
ヒトラーは上等兵に昇進した。
さらに昇進を重ね、少なくとも
下士官にはなれたかもしれないが、
大戦中にヒトラーが昇進したのは
このときだけである。】
『ヒトラー(上)』p.118 上段
をご参照いただけると幸いです。
「伍長」は下士官のひとつですが
ヒトラーは伍長になったことはありません。
さらに同書によれば
「ヒトラーを下士官にするかどうか]
連隊幕僚も検討したことがありました。
しかし
連隊副官フリッツ・ヴィーデマンの
証言によれば
「ヒトラーは指導力に欠ける」
というのが上官の意見でした。
また当時の准尉マックス・アマンの
証言によれば
「ヒトラーは昇進の話を断った」。
なぜなら下士官になれば
連隊から離れざるをえなくなるから
だったと思われています
(ヒトラーは連隊を離れたくなかった
と考えられています)。
いずれにせよ
「新兵」(Schutze)(シュッツェ)として
バイエルン王国軍第一六予備歩兵連隊
(初代連隊長の名前をとって
「リスト連隊」と呼ばれる)に入隊した
ヒトラーは大戦中に1回だけ昇進し
「上等兵」(Gefreiter)(ゲフライター)
となりました。
カーショーの大著で述べられている通り
下士官(曹長・軍曹・伍長)に
昇進したことはありません。
従ってヒトラーを「ボヘミアの伍長」
などと記載するのは間違いです。
五十年くらい前ならば
ヒトラーの階級を「伍長」とした文献が
多かったように記憶します。
歴史研究が進んだ今さすがに
「ヒトラー伍長」はあまり
見なくなりましたが
まれに散見します。
この記述は
ロンメルを無条件に
「騎士道の騎士」として扱う
「ロンメル神話」あるいは
「ロンメル・レジェンド」
と同様に、古い知識に基づく
時代錯誤と言えるでしょう。
総体的な知見不足を露呈した言説です。
そのロンメルですが
1910年7月19日
ヴュルテンベルグ第124歩兵連隊
「ヴィルヘルム一世」に
士官候補生として入隊します。
1911年3月
ダンツィヒの王立士官学校に進みました。
「ダンツィヒ回廊」で知られるダンツィヒは
現在はポーランドの「グダニスク」です。
当時はドイツ帝国・プロイセン領でした。
1912年1月27日
少尉任官し原隊に復帰します。
第一次世界大戦が勃発すると
1914年9月
第二級鉄十字章を受章
1915年1月
第一級鉄十字章を受章
中尉に昇進しました。
1917年12月末
「プール・ル・メリット」勲章
(通称「ブルー・マックス」勲章)を
受章しました。
1918年10月
大尉に昇進し、翌月には
1918年11月11日の休戦協定
つまり敗戦を迎えます。
一方
連隊付きの伝令兵だったヒトラーも
1914年12月2日
二級鉄十字章を
1918年8月4日
一級鉄十字章を受章しました。
一兵卒としてはまれなことです。
推薦してくれたのは
(皮肉にも)ユダヤ人将校
フーゴ・グートマン少尉でした。
『ヒトラー(上)』p.123 下段
を参照いただけると幸いです。
もちろん
『わが闘争』の中の自伝的部分には
誇張のみならず事実の誤り(意図的?)も
多くふくまれているために
ヒトラーの自伝的要素についても
少なからず見直しが行われています。
例えば
オーストリア人ヒトラーが
バイエルン王国軍にすんなり入隊
できたのはどうやら当局の
うっかりミスだったようで
よく言われているように
志願したら1日で許可が降りた
というのは虚偽と考えられています
(『ヒトラー(上)』p.117 上段 参照)。
ロンメルは
第一次世界大戦の体験を生かして
『歩兵は攻撃する』
を執筆しベストセラーとなります。
同大戦で歩兵(伝令兵)だった
ヒトラーもそれを読み
ロンメルと接点が生まれて行きます。
その詳細は本書に譲るとして
大局的な見地から
ロンメルの一生を見ると
①ロンメルは主観的には
国家に奉仕した。
②しかし客観的には
国家元首たる「総統」に奉仕した
ことになる。
‥という「双対性」が見えてきます。
実はこの構造はロンメルに限らず
国防軍の軍人には共通して言えることです。
ヒトラーのあやつり人間だった
カイテル(1882-1946)から
ヒトラーを爆弾で暗殺しようとした
シュタウフェンベルグ(1907-1944)
までその幅はかなりありますが。
1934年2月21日
ベルリンで開かれた会合で
プロイセン農務省事務次官
ヴェルナー・ヴィリケンスは
次のように述べました。
「総統の意をくんで
総統のために働こうとすることが
すべての者の義務なのだ」
『ヒトラー(上)』p.549 上段。
‥このコトバが第三帝国の本質を
よく表現しています。
今風に言い換えれば
「総統の気持ちを【忖度】して
総統のために働く」
ということになりましょう。
第三帝国の国民の義務ですが
その中でも
・国防軍の軍人
・官僚
・産業界
・実業界
‥に属していた、第三帝国内の
ナチ党員ではないエスタブリッシュメント
(非ナチ選良階級)である人々が特に
「総統のために」働いた結果
第三帝国を支えていたことになります。
ロンメルはその典型であったと
申し上げることができましょう。
国内外のプロパガンダによって
作り上げられていた「虚像」が
多かったことは否定できません。
本書によってその「実像」を
知ることができます。
ロンメルはヒトラーのお気に入りであり
ロンメルも他の国防軍軍人と同様
ヒトラー個人に対して忠誠を誓いました。
しかし最後には
ヒトラーから【離反】することに成功しました。
従って少なくともその一点において
やはりロンメルは優れた人間であったと
思います(あくまで個人の見解です)。
2020年9月22日に日本でレビュー済み
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「砂漠の狐」との異名を持つロンメルですが、必ずしもバランス感覚に優れた智将という訳では無く、むしろ極めて人間くささのある軍人だったことを知ることができました。最期は、いかにも当時のドイツという感じがするもので、やりきれないものを感じました。
2023年5月29日に日本でレビュー済み
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ロンメルといえば「砂漠の狐」と称され、勇敢で機略に富み、ナチス・ドイツのヒーローという印象が強いですが、この本の著者である、大木毅先生は、冷静にロンメルについて、分析されておられます。まず、当時のドイツがプロイセンと言った頃、身分制度が極めて厳格で、ドイツと国名が変わってからも厳然として、それは存在し、士官学校を卒業したロンメルのキャリアは、1等兵からであった事に驚きました。本の内容は詳しく述べませんが、ドイツ人(ゲルマン民族?)でもいろいろな人種があったので、そういうことは全く知りませんでした。先生は
NSDAPの事をナチス党とされておられますが、下手に翻訳すると誤訳になってしまいますので、私はこれが正解だと考えております。先生は、「訳せないものは訳せない」と他のドイツ語でもおっしゃっていますので、素晴らしいことだと思います。ドイツ語の原文も載せていますので、とても良いことです。話しがそれてしまいましたが、ロンメルについて、これ程、簡潔明瞭に書き下ろされた本を私は知りません。翻訳本でないところが、凄いと思います。新書ですので読みやすく、ナチスなどに興味がある方には最適です。お薦めの一冊です。
令和五年皐月に記す
NSDAPの事をナチス党とされておられますが、下手に翻訳すると誤訳になってしまいますので、私はこれが正解だと考えております。先生は、「訳せないものは訳せない」と他のドイツ語でもおっしゃっていますので、素晴らしいことだと思います。ドイツ語の原文も載せていますので、とても良いことです。話しがそれてしまいましたが、ロンメルについて、これ程、簡潔明瞭に書き下ろされた本を私は知りません。翻訳本でないところが、凄いと思います。新書ですので読みやすく、ナチスなどに興味がある方には最適です。お薦めの一冊です。
令和五年皐月に記す
2023年1月22日に日本でレビュー済み
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ロンメル将軍という人って、どんな人と興味が元々、ございまして。ドイツ軍(ナチスドイツ下の軍人ということもあり、イメージが?という方も多いでしょうね。)劣勢の戦力でアフリカでの奮闘。ノルマンディー上陸作戦のDdayの読み違え。悲劇的結末。色々、解釈は人それぞれ。日本史以外の世界史に目を転じて見ようとしていた小生にとっては、引きずり込まれるような魅惑の世界。決して、綺麗事だけではない。興味津々な。