夜と霧はよく知られているが、これは、イタリア系ユダヤ人である著者が、科学者として、かつ、現地語を解さない異邦人として経験したことのリポートである。彼は、自分の経験したこと、見たことを公正に筆致することに専心しており、収容当時の感情を吐露していく。
と言うのも、彼が実は優秀な化学の専門家でありながら、それに関する記述が殆ど出てこない、則ち、その日を生存することにのみ全力を傾け、かつ、人間性を失い感情感覚を麻痺させなければ直ちに崩壊する過酷な環境から、自分が化学者であることすら忘却せねばならないことを感じるのである。その様な、忘却したい様な凄惨な経験を、理性ある人類の経験として忘れるとことも考察しないことも、真っ向から否定する著者の科学者としての誠実さを感じざるを得ない。
我々が同じ轍を踏まないためにも、一人でも多くが本書に触れることを願う。
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【改訂完全版】アウシュヴィッツは終わらない これが人間か (朝日選書) 単行本 – 2017/10/10
プリーモ・レーヴィ
(著)
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購入オプションとあわせ買い
『夜と霧』『アンネの日記』に並ぶ古典的名著、
『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版。
強制収容所から生還した著者が、
人間の極限状態を克明に描き出す
レーヴィがナチスのユダヤ人強制収容所から救出されたのは1945年1月27日。自宅に帰り着くとすぐに、彼は記憶を頼りに、本書の執筆にとりかかった。飢えと寒さ、不潔な寝床、病い、そして死にゆく人々……。過酷な強制収容所での生活が非常に緻密に、きめ細かく記されている。ものを考えることが死につながるほどの極限状態にあって、人間の魂がいかに破壊されていくのか。体験を書くという行為は、アウシュヴィッツで全面的に否定された自己の人間性を回復する作業でもあったのかもしれない。生還以来、その体験を証言してきたレーヴィの集大成的ともいえる古典的名著『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版。
暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
夕方、家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。
これが人間か、考えてほしい
泥にまみれて働き
平安を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。
これが女か、考えてほしい
髪は刈られ、名はなく
思い出す力も失せ
目は虚ろ、体の芯は
冬の蛙のように冷えきっているものが。
考えてほしい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでいてほしい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやってほしい。
さもなくば、家は壊れ
病が体を麻痺させ
子供たちは顔をそむけるだろう。
――プリーモ・レーヴィ
『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版。
強制収容所から生還した著者が、
人間の極限状態を克明に描き出す
レーヴィがナチスのユダヤ人強制収容所から救出されたのは1945年1月27日。自宅に帰り着くとすぐに、彼は記憶を頼りに、本書の執筆にとりかかった。飢えと寒さ、不潔な寝床、病い、そして死にゆく人々……。過酷な強制収容所での生活が非常に緻密に、きめ細かく記されている。ものを考えることが死につながるほどの極限状態にあって、人間の魂がいかに破壊されていくのか。体験を書くという行為は、アウシュヴィッツで全面的に否定された自己の人間性を回復する作業でもあったのかもしれない。生還以来、その体験を証言してきたレーヴィの集大成的ともいえる古典的名著『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂完全版。
暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
夕方、家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。
これが人間か、考えてほしい
泥にまみれて働き
平安を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。
これが女か、考えてほしい
髪は刈られ、名はなく
思い出す力も失せ
目は虚ろ、体の芯は
冬の蛙のように冷えきっているものが。
考えてほしい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでいてほしい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやってほしい。
さもなくば、家は壊れ
病が体を麻痺させ
子供たちは顔をそむけるだろう。
――プリーモ・レーヴィ
- 本の長さ328ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2017/10/10
- 寸法18.8 x 12.5 x 1.6 cm
- ISBN-104022630655
- ISBN-13978-4022630650
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2017/10/10)
- 発売日 : 2017/10/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 328ページ
- ISBN-10 : 4022630655
- ISBN-13 : 978-4022630650
- 寸法 : 18.8 x 12.5 x 1.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 54,394位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2022年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ホロコースト関係の本は何冊か読みましたが、これを読み始めてすぐに、今までの本はうわべだったように感じました。
解放されてすぐに、思いを片っ端から書き出した…と言っている通りの内容でした。
なぜ良心に従う人が少なかったのか? なぜ従順になってしまうのか? 今まで不思議に思っていましたが、「自分がミミズになったよう・・・」という言葉に、今までは本当に他人事で理解していなかったのだと思います。
続けて著作を数冊購入しました。時系列に沿って読みます。
解放されてすぐに、思いを片っ端から書き出した…と言っている通りの内容でした。
なぜ良心に従う人が少なかったのか? なぜ従順になってしまうのか? 今まで不思議に思っていましたが、「自分がミミズになったよう・・・」という言葉に、今までは本当に他人事で理解していなかったのだと思います。
続けて著作を数冊購入しました。時系列に沿って読みます。
2023年3月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者はイタリアの化学者で、そしてユダヤ人である。当時のイタリアはムッソリーニ政権下で、著者は反ファシストの活動中に逮捕、アウシュヴィッツに送られる。
本書はそこでのおよそ1年間(1944年2月〜1945年1月)の過酷な体験の記録である。
(結果的に1年間の期限付きで生き延びたわけだが、収容時は1年後か10年後かはともかく死ぬまで苦役に従する、あるいは明日にも気まぐれで処刑されるかもしれない、という想像を絶する状況である。)
自身の体験について、憐憫や憎悪といった感情を避け、客観的に記述するように心がけている。
ただ、登場する実在の人物の描写などにはやや誇張があるそうだ。(もちろんそれは、読み易くするための工夫で、起こった事だけを書き、起こっていない事は書いてはいない。と思われる)
著者は化学者であると同時に作家気質も備えているようである。
ある種の極限状態におかれた人間がどのように振る舞い、どのような心理状態になるか彼なりの考察が試みられている。
著者は極限状態におかれた人間を『溺れるもの』と『救われるもの』とに区分する。
『溺れるもの』とは、絶望し、打ちのめされ、考えることも感じることもやめ、従順になり、規律を守るだけの、顔も名前もないような人々である。そういう人々は収容所内では3か月ともたず力尽き衰弱死するかガス室送りになる。そして代わりの人々がまたやってくるのである。
『救われるもの』とは、収容所内でなんらかの役職にありついたような人々である。元々専門の知識や技能があった人々だけでなく、上手く立ち回って、盗みや詐欺や裏取引などを行うものも含まれる。彼らの方が生存率が高かったそうだ。とにかく何らかの“役職”に就いた者たちだ。カポーなども含めて。
ここで気になるのは、二つの区分のどちらがより“よい人間”なのか、はっきりとしない事だ。そこに、人間の恐ろしさと社会構築の難しさがあるように思われる。
収容所内での人々の振る舞い、右往左往、生存競争などの人間模様をみると、現代日本社会と“本質的”にはそれほど変わらないのではないか?現代日本社会から物質的豊かさを根こそぎ奪い取ったら、野獣性が剥き出しになり、同じような過酷な状況になるのでは?などと感じる。
(盗みを“組織化”などと都合よく言い換える欺瞞や、自分に与えらた役職と自分自身を一体化させ、その職務を粛々とこなすだけで、何も考えない、思考停止や責任の放棄など)
後に著者は「私の短くも悲劇的だった囚人としての経験には、その後の作家=証人としての長く複雑な経験が続いていて、その勘定は確実にプラスになっている。全体的に見るなら、この過去は、私を豊かで、確かな人間にしてくれた。」と肯定的に解釈しているが、そう思わないと生きていけないのかもしれない。
このような過酷な経験自体が大きなトラウマになるのはもちろんのこと、更にその経験をどう解釈して、そしてどう他者に伝えればいいかという問いと長年格闘していたようである。
晩年に自死しているが、アウシュヴィッツでの経験がどの程度影響していたかは不明である。
『アウシュヴィッツは終わらない』というタイトルが意味深長に感じる。
ところでこの手の本はどう読んでいいか、いつも対応に苦慮する。
楽しんで読める本でもないし、知識が身につくような教科書でもない。ましてやホラー小説でもない。生活に追われるなかでわざわざ読まなければならない理由はない。倫理観や義務観に駆られて読むとしても、自身の信奉するイデオロギーの援用のために利用したり、耳障りの良い教訓を引き出したり、かえって反倫理的な状態に陥いる。かといって目を背けてはいけないとも思う。自分なりに言語化、骨肉化しようと試みるも、陳腐な常套句しか思いつかない。出来るだけ当事者のおかれた状況を想像力を働かせて読んでみようとするが、難しい。現在では既にアウシュヴィッツ強制収容所は無いし、それが絶対悪だ、という概ね共通の認識がある。ただ当時はヨーロッパではユダヤ人差別は日常であったし、迫害や虐殺も、ある種の正しさによってなされ、それがいつ終わるとも分からない状態であった。衣食住も尊厳も極限まで切り詰められ死ぬまで苦役に服する。そして家族も友人も容赦なく皆殺しにされる。正義の名の下に。そのような状態を想像するのは難しい。
現代の我々からすれば、間違っているとしか思えないことも当時は正しいとされ、あるいはなし崩し的に悪がなされることに、かえって現代の正しさ、その背後にある日常、習慣、道徳、法などの暗黙の前提が疑わしくなる。
上手く言葉にできない。風化を防ぐためには語り続けないといけないが、語れば語るほど陳腐化する。読むたび暗澹たる気持ちになり、あまり得られるものはない、しかし一度は読んでおかなきゃいけない本のひとつではあると思う。
是非とも当事者意識を持って読んでみるとよろしい。収容者のみならず、カポーやSSや塀の外の民間人として。そこで自己欺瞞や他者の道具的利用、思考停止などせずにいられるだろうか。
本書はそこでのおよそ1年間(1944年2月〜1945年1月)の過酷な体験の記録である。
(結果的に1年間の期限付きで生き延びたわけだが、収容時は1年後か10年後かはともかく死ぬまで苦役に従する、あるいは明日にも気まぐれで処刑されるかもしれない、という想像を絶する状況である。)
自身の体験について、憐憫や憎悪といった感情を避け、客観的に記述するように心がけている。
ただ、登場する実在の人物の描写などにはやや誇張があるそうだ。(もちろんそれは、読み易くするための工夫で、起こった事だけを書き、起こっていない事は書いてはいない。と思われる)
著者は化学者であると同時に作家気質も備えているようである。
ある種の極限状態におかれた人間がどのように振る舞い、どのような心理状態になるか彼なりの考察が試みられている。
著者は極限状態におかれた人間を『溺れるもの』と『救われるもの』とに区分する。
『溺れるもの』とは、絶望し、打ちのめされ、考えることも感じることもやめ、従順になり、規律を守るだけの、顔も名前もないような人々である。そういう人々は収容所内では3か月ともたず力尽き衰弱死するかガス室送りになる。そして代わりの人々がまたやってくるのである。
『救われるもの』とは、収容所内でなんらかの役職にありついたような人々である。元々専門の知識や技能があった人々だけでなく、上手く立ち回って、盗みや詐欺や裏取引などを行うものも含まれる。彼らの方が生存率が高かったそうだ。とにかく何らかの“役職”に就いた者たちだ。カポーなども含めて。
ここで気になるのは、二つの区分のどちらがより“よい人間”なのか、はっきりとしない事だ。そこに、人間の恐ろしさと社会構築の難しさがあるように思われる。
収容所内での人々の振る舞い、右往左往、生存競争などの人間模様をみると、現代日本社会と“本質的”にはそれほど変わらないのではないか?現代日本社会から物質的豊かさを根こそぎ奪い取ったら、野獣性が剥き出しになり、同じような過酷な状況になるのでは?などと感じる。
(盗みを“組織化”などと都合よく言い換える欺瞞や、自分に与えらた役職と自分自身を一体化させ、その職務を粛々とこなすだけで、何も考えない、思考停止や責任の放棄など)
後に著者は「私の短くも悲劇的だった囚人としての経験には、その後の作家=証人としての長く複雑な経験が続いていて、その勘定は確実にプラスになっている。全体的に見るなら、この過去は、私を豊かで、確かな人間にしてくれた。」と肯定的に解釈しているが、そう思わないと生きていけないのかもしれない。
このような過酷な経験自体が大きなトラウマになるのはもちろんのこと、更にその経験をどう解釈して、そしてどう他者に伝えればいいかという問いと長年格闘していたようである。
晩年に自死しているが、アウシュヴィッツでの経験がどの程度影響していたかは不明である。
『アウシュヴィッツは終わらない』というタイトルが意味深長に感じる。
ところでこの手の本はどう読んでいいか、いつも対応に苦慮する。
楽しんで読める本でもないし、知識が身につくような教科書でもない。ましてやホラー小説でもない。生活に追われるなかでわざわざ読まなければならない理由はない。倫理観や義務観に駆られて読むとしても、自身の信奉するイデオロギーの援用のために利用したり、耳障りの良い教訓を引き出したり、かえって反倫理的な状態に陥いる。かといって目を背けてはいけないとも思う。自分なりに言語化、骨肉化しようと試みるも、陳腐な常套句しか思いつかない。出来るだけ当事者のおかれた状況を想像力を働かせて読んでみようとするが、難しい。現在では既にアウシュヴィッツ強制収容所は無いし、それが絶対悪だ、という概ね共通の認識がある。ただ当時はヨーロッパではユダヤ人差別は日常であったし、迫害や虐殺も、ある種の正しさによってなされ、それがいつ終わるとも分からない状態であった。衣食住も尊厳も極限まで切り詰められ死ぬまで苦役に服する。そして家族も友人も容赦なく皆殺しにされる。正義の名の下に。そのような状態を想像するのは難しい。
現代の我々からすれば、間違っているとしか思えないことも当時は正しいとされ、あるいはなし崩し的に悪がなされることに、かえって現代の正しさ、その背後にある日常、習慣、道徳、法などの暗黙の前提が疑わしくなる。
上手く言葉にできない。風化を防ぐためには語り続けないといけないが、語れば語るほど陳腐化する。読むたび暗澹たる気持ちになり、あまり得られるものはない、しかし一度は読んでおかなきゃいけない本のひとつではあると思う。
是非とも当事者意識を持って読んでみるとよろしい。収容者のみならず、カポーやSSや塀の外の民間人として。そこで自己欺瞞や他者の道具的利用、思考停止などせずにいられるだろうか。
2023年7月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分を大切に生きることを常に啓発してくれる書物です。
2020年2月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アウシュヴィッツ解放75周年を機会に、Kindle版を購入。
とても読みやすいです。
私は恥ずかしながら、
「カポがどういった位置づけの存在なのか」
さえ知りませんでした。
こちらを読み終えてからは、
同題材を扱った(映画などの)他作品に
順を追って触れて行きたいと思えました。
とても読みやすいです。
私は恥ずかしながら、
「カポがどういった位置づけの存在なのか」
さえ知りませんでした。
こちらを読み終えてからは、
同題材を扱った(映画などの)他作品に
順を追って触れて行きたいと思えました。
2020年9月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ビクトールフランクル「夜と霧」を最初に読んだので、新鮮味はないが、イタリア人の分析は新鮮だった。
2021年6月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は著者がアウシュヴィッツ収容所で実際経験した、
移り変わる様々な人物の内的描写を細かに記した書である。
著者は、
反ファシズム活動→パルチザン闘争→密告→逮捕→
といった経緯で約1年ほどラーゲルでの強制労働を経験する。
収容所内でも特権的地位、ある種の快適さを得る為に、
権力争いが起こっている。
ユダヤ人の名士、囚人長、カポーなど、いつの時代、どこでも、
支配的社会システムによる生存競争の縮図がみられる。
その収容所での描写は残虐でグロテスクで凄まじく、
感覚を麻痺させるほどである。
いくつか挙げると、
・窓の正面の死体の山は崩れて溝の外まであふれ出ていた
・人をモノのように、死体利用法、おぞましい、排泄物まみれ
・便所は全て溢れ、飯盒をすべて便器に変えていた
・自分の内臓は管理できないので、いたるところに糞便をまき散らしていた
・骸骨のような病人たちが、ウジ虫の侵略部隊のように、這いずりまわっていた
・希望は苦痛の源となり、感性が破壊され、待つことは疲れさせる
・顔にも目にも思考の影さえ読み取れない、心が死んでいる人たち
・非人間、ただ黙々と行進し働く
・厨房では最後の10個の腐ったジャガイモを争って取っ組み合いをしていた
・ぼろをつかみあい手足の定まらないゆっくりとした奇妙な動作で殴り合い
イディッシュ語で罵りの言葉を吐き出していた
ただ、その中でも救いとなるような小さな出来事に出会う描写も存在する。
・彼が誰よりも先に苦しみだしたのを感じ取れたからだ、内向的無口
・不安定な自由業、自由、気まま、新奇のアイディア、別の予想外の方法で向き合う
・パンを一切れずつ贈ろう、人間に戻って行く過程
本書をのぞくと、
何が人間を野獣化、利己的させたのか、
その社会の縮図に対して、いくつか疑問が浮かんでくる。
著者は晩年、共有できない苦しみを背負い向き合いながら、
様々な観点で本書の内容を幾度と改編している。
反ファシズム活動から逮捕されるまで語られていないが、
おそらくこの間にも強烈な体験をしたともとれる。
・自由になってもひとりぼっちでいる(収容所を出会た後の著者の気持ち)
・非人間的、残虐さの根源は
・不寛容、圧制、隷属の根源は
・「別世界に住む生き物」(視線相互理解が到底不可能な異質な何か)
→大いなる狂気の本質は
→何の変哲もない普通の人々が変わるとき、境界は
移り変わる様々な人物の内的描写を細かに記した書である。
著者は、
反ファシズム活動→パルチザン闘争→密告→逮捕→
といった経緯で約1年ほどラーゲルでの強制労働を経験する。
収容所内でも特権的地位、ある種の快適さを得る為に、
権力争いが起こっている。
ユダヤ人の名士、囚人長、カポーなど、いつの時代、どこでも、
支配的社会システムによる生存競争の縮図がみられる。
その収容所での描写は残虐でグロテスクで凄まじく、
感覚を麻痺させるほどである。
いくつか挙げると、
・窓の正面の死体の山は崩れて溝の外まであふれ出ていた
・人をモノのように、死体利用法、おぞましい、排泄物まみれ
・便所は全て溢れ、飯盒をすべて便器に変えていた
・自分の内臓は管理できないので、いたるところに糞便をまき散らしていた
・骸骨のような病人たちが、ウジ虫の侵略部隊のように、這いずりまわっていた
・希望は苦痛の源となり、感性が破壊され、待つことは疲れさせる
・顔にも目にも思考の影さえ読み取れない、心が死んでいる人たち
・非人間、ただ黙々と行進し働く
・厨房では最後の10個の腐ったジャガイモを争って取っ組み合いをしていた
・ぼろをつかみあい手足の定まらないゆっくりとした奇妙な動作で殴り合い
イディッシュ語で罵りの言葉を吐き出していた
ただ、その中でも救いとなるような小さな出来事に出会う描写も存在する。
・彼が誰よりも先に苦しみだしたのを感じ取れたからだ、内向的無口
・不安定な自由業、自由、気まま、新奇のアイディア、別の予想外の方法で向き合う
・パンを一切れずつ贈ろう、人間に戻って行く過程
本書をのぞくと、
何が人間を野獣化、利己的させたのか、
その社会の縮図に対して、いくつか疑問が浮かんでくる。
著者は晩年、共有できない苦しみを背負い向き合いながら、
様々な観点で本書の内容を幾度と改編している。
反ファシズム活動から逮捕されるまで語られていないが、
おそらくこの間にも強烈な体験をしたともとれる。
・自由になってもひとりぼっちでいる(収容所を出会た後の著者の気持ち)
・非人間的、残虐さの根源は
・不寛容、圧制、隷属の根源は
・「別世界に住む生き物」(視線相互理解が到底不可能な異質な何か)
→大いなる狂気の本質は
→何の変哲もない普通の人々が変わるとき、境界は