面白かったです。
一言で言うと「時代を写す鏡としてのアンアンの変遷を通して見た、この40年の日本社会の変遷」がむしろ真の主題だと思いました。
私、男だし、アンアンを手にしたこともなければ、何が書いてあるかも知らなかったのですが、それを知らなくとも十分に楽しめました。
そうだったのか。お口でキレイに(笑)。初めて知った(笑)。
楽しめたというだけでなく、100%とは申せずとも90%くらい共感できる内容でした。
── 40年前のアンアンは「もっともっともっと、私たちは自由になろうよ!」と叫んでいた。
という一文には、私もたまたま北原さんと同年代なのですが(男ですが)、目頭が熱くなりましたよ。
空気を読むのも自己啓発も結構だけど、そればかりが幅を利かせる社会は息苦しくてイヤだな、と思うタイプの方には共感できる可能性が高いと思われます。
タイトルは、前のレビュアーの方の書かれた通り、反語ではなく仲間への呼びかけなのですが、そのことを別にして、私言うところの「主題」がわかりにくい凝ったタイトルなので、私も今日たまたま図書館で手にしましたけれども、すれ違ったまま一生この本に出会わない方も多いと思います。
それももったいない気がしましたので、せんえつながら「アンアン読んだこともない人代表」のつもりで、面白かったですよとレビューを加えさせていただきました次第。

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アンアンのセックスできれいになれた? 単行本 – 2011/8/19
北原 みのり
(著)
〝私たち〟は、どう生きてきて、これからどう生きていくのだろう――。70年代の驚くほどに先鋭的な特集の数々。1989年3月のセックス特集「セックスできれいになる!」の衝撃。日本の女性の生き方、SEX観に影響を与え続けてきた雑誌「アンアン」が創刊されてから40年ちかく。アンアンと同い年の著者が、創刊号からのページをひもとき、日本女性の生き方の変遷を追う。
- ISBN-104022508078
- ISBN-13978-4022508072
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2011/8/19
- 言語日本語
- 本の長さ244ページ
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2011/8/19)
- 発売日 : 2011/8/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 244ページ
- ISBN-10 : 4022508078
- ISBN-13 : 978-4022508072
- Amazon 売れ筋ランキング: - 509,502位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2012年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2011年9月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
名作すぎて、5回くらい震えて1回号泣した。
号泣したのは、北原さんとこの間亡くなった飯島愛さんの関わりについて書かれた部分。
それは単に自殺してしまった飯島愛さんへのセンチメンタルな共感とかじゃなくて、セックスに対する女の悲しい思いを飯島さんが象徴していたように読み取った北原さんの、セックスに纏わる女の悲しさに対する寄り添い方に、ものすごく心打たれたから。
私は筆者の北原みのりさんより10つ年下で、かつてはオリーブとかJAPANとかを購読しているサブカル女子ではあったが、アンアンという雑誌については今までほとんど手に取ったことがなかったし、アンアンはいつもセックスや「どうやったらもてるのか?」についてばかり書いてあるつまらないマニュアル雑誌、というイメージしかもっていなかった。
そんな私はついこの間、生まれて初めてアンアンを購入した。
私の恋人が「”脈あり”かと思ったら全然違った!思わせぶりな男の心理とは」という企画で紙面に載っていたからだ。生まれて初めてかぶりつくように読んだアンアンはとても「興味深く」て思わず、アンアンすごいなあ、とツイッターでも呟いた。おもしろかったのは、自分が知っている人の意見を紙面で読んだってこと以上に、ここまで女に「もてること」や「愛されること」を求める雑誌と、それを読んでいるこの社会の女たちってなんなんだろう?と思ったのだ。
北原さんも後半で指摘しているような、「愛される女になることが大事」イデオロギーや「愛あるセックス至上主義」。
そして愛される女になるためには、いくつものマニュアルが存在する。複雑で(時にはすごく単純なところもある)、プライドが高く、地雷の多い男の子たちが、肉食系・草食系・文化系など様々なカテゴリーに分けられていて、それぞれに対してより効果的なアプローチがあり、彼らの求める女の子像がこれでもかというくらい詳細に提示される。やれこういう仕草にきゅんとくるだの、こういう状況ではこんな言葉をかけてほしいだの。
アンアンから私が感じた事は、読んでる女の子たちが全然主体的になれていないっていうこと。
希求する先が自分を中心とした憧れの世界じゃない。いつも参照枠があって、そこに照らし合わせながら自分の立ち位置を確認したり、男に通用する魅力を評価される世界。
私という女が中心で、女目線で書かれていたセックスから、男に愛され、認めてもらうためのセックスへ。
この本では、アンアンという雑誌の分析を通して、日本で女にとっての性のあり方やセックスがどういう風に変わっていったのかを分析し、提示している。
セックスは愛とつながるけれど、愛とつながらないこともある。
一時期センセーショナルな事件だった東電OL殺人事件の被害者は、殺されたのに「売春していたから」騒がれ、死んだあとも社会的にレイプされた。
愛とつながらないセックスをする女の子はビッチって言われる。男は言われないのに。
愛とつながらないことをすごく恐れている女の子たちがいて、それは身体にリスクがあるから。
怖いのは、妊娠したらどうしよう、ということ。それは男は絶対持つことのない(そして絶対にわからない)怖さだ。
生命を生み出すという奇跡をおこして、場合によってはそれを殺してしまわなければいけないということが自分の内部でおこるのは、はっきりいって半端ない。もし半端なくなんかなくて、堕ろしてもへっちゃら!っていう女の子がいるとしたら、それは自分が傷つかないように麻痺させているからだ。
愛あるセックス至上主義や「愛されるオンナになることが大事」イデオロギーは、この怖さによって加担され、そしてその怖さが愛=性の関係を正当化することで、女の子たちのセックスを「愛」という名前でとことん縛る。
大事にしてもらうために。愛されるために。セックスしても嫌われたり飽きられたりしないために。
愛っていう看板を掲げているだけ、何倍もタチの悪い、抑圧だ。
本来ならば、と思う。
自分のために体があって、それを男の人が愛してくれたら気持ちがいい。
ほめてくれて、夢中になってくれるような体でいたいと思うのは、そういう体であれば自分自身も自分のことを好きでいられるからだと思う。
でも愛あるセックス至上主義のせいで、自分を愛してくれるはずの男の反応や評価や視点を気にして、女の子たちがもがいているのだとしたら悲しすぎる。
女とセックスや、女の自由についてすごく興味がある(そしておそらく多くの人が気を惹かれる)のは、私という女が当事者であり、変革したくて、そしてなにより自分は違うから、って言ってほおっておけないから。私は何一つ違わないのだ。確かに私は他の女の人を代弁できない。でも、すべての女の物語は、私の中の何かを物語っている。
でも私は「〜の方法」「〜になるための7つの秘訣」的な本を嫌悪している。女対象の本の「〜」には、大抵「幸せ」や「愛」に関連するキーワードが入る。だからセックスと女に興味があっても、今まで手に取りたいと思った本はなかった。ツイッターで北原さんの存在を知り、読んだこの本の中では、こういうセックスをするのがいい!とか、幸せになるためのセックスをリードしない。ただアンアンというこんなにも存在感の大きい雑誌が提示してきた性とセックスのあり方や、それが象徴する社会の雰囲気を読み解いてくれていて、自分がセックスで感じていた喜びや痛みや、迷いがどういうことだったのかということを何度も何度も考えた。
そして気づいたのは、自分のその感情が、一人のものではないんだ、ってことだ。
社会とも、その時代の女たちともすごく密接につながっているのだ。
女の人にも、そして男の人にも、多くの人に読んでほしい本です。
号泣したのは、北原さんとこの間亡くなった飯島愛さんの関わりについて書かれた部分。
それは単に自殺してしまった飯島愛さんへのセンチメンタルな共感とかじゃなくて、セックスに対する女の悲しい思いを飯島さんが象徴していたように読み取った北原さんの、セックスに纏わる女の悲しさに対する寄り添い方に、ものすごく心打たれたから。
私は筆者の北原みのりさんより10つ年下で、かつてはオリーブとかJAPANとかを購読しているサブカル女子ではあったが、アンアンという雑誌については今までほとんど手に取ったことがなかったし、アンアンはいつもセックスや「どうやったらもてるのか?」についてばかり書いてあるつまらないマニュアル雑誌、というイメージしかもっていなかった。
そんな私はついこの間、生まれて初めてアンアンを購入した。
私の恋人が「”脈あり”かと思ったら全然違った!思わせぶりな男の心理とは」という企画で紙面に載っていたからだ。生まれて初めてかぶりつくように読んだアンアンはとても「興味深く」て思わず、アンアンすごいなあ、とツイッターでも呟いた。おもしろかったのは、自分が知っている人の意見を紙面で読んだってこと以上に、ここまで女に「もてること」や「愛されること」を求める雑誌と、それを読んでいるこの社会の女たちってなんなんだろう?と思ったのだ。
北原さんも後半で指摘しているような、「愛される女になることが大事」イデオロギーや「愛あるセックス至上主義」。
そして愛される女になるためには、いくつものマニュアルが存在する。複雑で(時にはすごく単純なところもある)、プライドが高く、地雷の多い男の子たちが、肉食系・草食系・文化系など様々なカテゴリーに分けられていて、それぞれに対してより効果的なアプローチがあり、彼らの求める女の子像がこれでもかというくらい詳細に提示される。やれこういう仕草にきゅんとくるだの、こういう状況ではこんな言葉をかけてほしいだの。
アンアンから私が感じた事は、読んでる女の子たちが全然主体的になれていないっていうこと。
希求する先が自分を中心とした憧れの世界じゃない。いつも参照枠があって、そこに照らし合わせながら自分の立ち位置を確認したり、男に通用する魅力を評価される世界。
私という女が中心で、女目線で書かれていたセックスから、男に愛され、認めてもらうためのセックスへ。
この本では、アンアンという雑誌の分析を通して、日本で女にとっての性のあり方やセックスがどういう風に変わっていったのかを分析し、提示している。
セックスは愛とつながるけれど、愛とつながらないこともある。
一時期センセーショナルな事件だった東電OL殺人事件の被害者は、殺されたのに「売春していたから」騒がれ、死んだあとも社会的にレイプされた。
愛とつながらないセックスをする女の子はビッチって言われる。男は言われないのに。
愛とつながらないことをすごく恐れている女の子たちがいて、それは身体にリスクがあるから。
怖いのは、妊娠したらどうしよう、ということ。それは男は絶対持つことのない(そして絶対にわからない)怖さだ。
生命を生み出すという奇跡をおこして、場合によってはそれを殺してしまわなければいけないということが自分の内部でおこるのは、はっきりいって半端ない。もし半端なくなんかなくて、堕ろしてもへっちゃら!っていう女の子がいるとしたら、それは自分が傷つかないように麻痺させているからだ。
愛あるセックス至上主義や「愛されるオンナになることが大事」イデオロギーは、この怖さによって加担され、そしてその怖さが愛=性の関係を正当化することで、女の子たちのセックスを「愛」という名前でとことん縛る。
大事にしてもらうために。愛されるために。セックスしても嫌われたり飽きられたりしないために。
愛っていう看板を掲げているだけ、何倍もタチの悪い、抑圧だ。
本来ならば、と思う。
自分のために体があって、それを男の人が愛してくれたら気持ちがいい。
ほめてくれて、夢中になってくれるような体でいたいと思うのは、そういう体であれば自分自身も自分のことを好きでいられるからだと思う。
でも愛あるセックス至上主義のせいで、自分を愛してくれるはずの男の反応や評価や視点を気にして、女の子たちがもがいているのだとしたら悲しすぎる。
女とセックスや、女の自由についてすごく興味がある(そしておそらく多くの人が気を惹かれる)のは、私という女が当事者であり、変革したくて、そしてなにより自分は違うから、って言ってほおっておけないから。私は何一つ違わないのだ。確かに私は他の女の人を代弁できない。でも、すべての女の物語は、私の中の何かを物語っている。
でも私は「〜の方法」「〜になるための7つの秘訣」的な本を嫌悪している。女対象の本の「〜」には、大抵「幸せ」や「愛」に関連するキーワードが入る。だからセックスと女に興味があっても、今まで手に取りたいと思った本はなかった。ツイッターで北原さんの存在を知り、読んだこの本の中では、こういうセックスをするのがいい!とか、幸せになるためのセックスをリードしない。ただアンアンというこんなにも存在感の大きい雑誌が提示してきた性とセックスのあり方や、それが象徴する社会の雰囲気を読み解いてくれていて、自分がセックスで感じていた喜びや痛みや、迷いがどういうことだったのかということを何度も何度も考えた。
そして気づいたのは、自分のその感情が、一人のものではないんだ、ってことだ。
社会とも、その時代の女たちともすごく密接につながっているのだ。
女の人にも、そして男の人にも、多くの人に読んでほしい本です。
2011年12月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
雑誌「クロワッサン」のおかげで勘違い女どもがキャリアウーマンめざして婚期を逃し、云々……と論じた『クロワッサン症候群』が刊行されて評判となったのが88年。本書の著者が19歳で「an・an」のセックス特集と出会い、「セックスをファッションのように語っていいのだ、セックスを美容のように利己的に楽しんでいいのだ」(p1)という考え方の斬新さに衝撃を受けたのが89年、つまり平成元年。
著者はこの衝撃を起点にアンアンのセックス特集の変遷を辿っていくのだが、アンアンの変遷が「アンアンの変遷」以上の何を表象しているか、アンアンの特集が読者にどのような影響を与えたか、といった社会学っぽい問題にはそれほど踏み込まず、「わたしvsアンアン」という視点が貫かれている。そこが男前な感じで好印象だった。
以下、気になった点をいくつか。
著者は第5章で、アンアンのセックス特集が90年代後半に「愛あるセックス」を唱道するようになったことを批判的に分析しているが、それで私が思い出すのは橋本治の『ぼくらのSEX』(93)で、大きく分類すれば「愛あるセックス」派的な立場の議論だったはずだが、あれはHIV問題が影響していたと思う。96年には薬害エイズ事件に関連して業務上過失致死容疑での逮捕者が出るなど、大きな社会的注目を集めていた。実はアンアンの最初のセックス特集が著者に衝撃を与えた89年春についても、昭和天皇が没した10日後の1月17日にHIV予防法が公布され、翌月同日に施行されて間もなくだし、また特集号直後の5月には薬害エイズ問題について厚生省に対する初の民事訴訟が提訴されている。編集部がそのことを意識していなかったはずはないのだが、著者はこの問題に全く触れていない。
「愛あるセックス」でもう一つ思い出すのは援助交際問題で、96年には流行語大賞に選ばれるほど注目されていた。94年に『制服少女たちの選択』、95年にはオウム事件後のメッセージとして『終わりなき日常を生きろ』を発表した宮台真司が、援交少女たちの生き方に寄り添う形で当時の思想状況を批判し、代表的論客の一人となった。本書の著者も高1の頃の伝言ダイヤル遊びの思い出を書き留めており(p54)、宮台の描いた「高偏差値の制服少女たち」の一人だったと言えるかもしれない。しかしその宮台も後には、当の援交少女たちがメンヘル化していく様子を目の当たりにし、なし崩しに「愛あるセックス」派へと転向した。
本書でほとんど言及されていないにもかかわらず、ここで考慮すべきだろうと私が考えるもう一つの要素は、やはり不況の問題だ。著者がアンアンのセックス特集の転換期として描く90年代、特にその後半からは、深刻な経済状況と雇用の悪化によって特徴づけられる。本書第6章で触れられる雑誌「小悪魔ageha」の読者層が、そうした不況に直撃された人々であることは、ほぼ疑いない。そしてそこで紹介される女性像が、手元に何らかのデータがあるワケではないものの、私にはメンヘル化した元援交少女たちと重なって見える。
そのように考えてくると本書の著者の言葉の痛快さ、負い目のなさというのが、ある種の時代的特権に支えられた贅沢のようにも思えて、賞賛にも躊躇いが混じりこむ。
著者はこの衝撃を起点にアンアンのセックス特集の変遷を辿っていくのだが、アンアンの変遷が「アンアンの変遷」以上の何を表象しているか、アンアンの特集が読者にどのような影響を与えたか、といった社会学っぽい問題にはそれほど踏み込まず、「わたしvsアンアン」という視点が貫かれている。そこが男前な感じで好印象だった。
以下、気になった点をいくつか。
著者は第5章で、アンアンのセックス特集が90年代後半に「愛あるセックス」を唱道するようになったことを批判的に分析しているが、それで私が思い出すのは橋本治の『ぼくらのSEX』(93)で、大きく分類すれば「愛あるセックス」派的な立場の議論だったはずだが、あれはHIV問題が影響していたと思う。96年には薬害エイズ事件に関連して業務上過失致死容疑での逮捕者が出るなど、大きな社会的注目を集めていた。実はアンアンの最初のセックス特集が著者に衝撃を与えた89年春についても、昭和天皇が没した10日後の1月17日にHIV予防法が公布され、翌月同日に施行されて間もなくだし、また特集号直後の5月には薬害エイズ問題について厚生省に対する初の民事訴訟が提訴されている。編集部がそのことを意識していなかったはずはないのだが、著者はこの問題に全く触れていない。
「愛あるセックス」でもう一つ思い出すのは援助交際問題で、96年には流行語大賞に選ばれるほど注目されていた。94年に『制服少女たちの選択』、95年にはオウム事件後のメッセージとして『終わりなき日常を生きろ』を発表した宮台真司が、援交少女たちの生き方に寄り添う形で当時の思想状況を批判し、代表的論客の一人となった。本書の著者も高1の頃の伝言ダイヤル遊びの思い出を書き留めており(p54)、宮台の描いた「高偏差値の制服少女たち」の一人だったと言えるかもしれない。しかしその宮台も後には、当の援交少女たちがメンヘル化していく様子を目の当たりにし、なし崩しに「愛あるセックス」派へと転向した。
本書でほとんど言及されていないにもかかわらず、ここで考慮すべきだろうと私が考えるもう一つの要素は、やはり不況の問題だ。著者がアンアンのセックス特集の転換期として描く90年代、特にその後半からは、深刻な経済状況と雇用の悪化によって特徴づけられる。本書第6章で触れられる雑誌「小悪魔ageha」の読者層が、そうした不況に直撃された人々であることは、ほぼ疑いない。そしてそこで紹介される女性像が、手元に何らかのデータがあるワケではないものの、私にはメンヘル化した元援交少女たちと重なって見える。
そのように考えてくると本書の著者の言葉の痛快さ、負い目のなさというのが、ある種の時代的特権に支えられた贅沢のようにも思えて、賞賛にも躊躇いが混じりこむ。
2018年2月11日に日本でレビュー済み
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深く気づかせてもらえました。 夫婦で読めたのが良かったでした。 著者に感謝です。 ありがとうございました。
2012年9月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アンアン自体を呼んだ事が無く、センセーショナルな題を見て買いました。でも、凄い!今までズーッとアンアンと共に生きて来られた事が凄い!と思いました。そして『女性』が、SEXについて研究するとか、それを突き詰めて行くと言うのが、さすが「東京」だ!と思いました。
2011年11月12日に日本でレビュー済み
アンアンについては言うまでもない。創刊からカウンターカルチャーだった。かの”文化服装学園”でもコラムが推薦されていたくらいである。
アンアンの創刊から著者は「開放」への戦いを続けてきたのだとおもう。それは男からの呪縛(セックス)に始まって、マクロ的に言うなら「民意(世論)」にである。
結果、キレイになれなかった著者はこれからも怒りの火ダネを絶やすことはないだろう。
アンアンの創刊から著者は「開放」への戦いを続けてきたのだとおもう。それは男からの呪縛(セックス)に始まって、マクロ的に言うなら「民意(世論)」にである。
結果、キレイになれなかった著者はこれからも怒りの火ダネを絶やすことはないだろう。
2011年9月2日に日本でレビュー済み
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上野千鶴子さんのrecommendを見て、読みました。私もすでにいい大人と言われる年齢ですが、自分が子供だった頃のananと自分が大人になって年下の女性に感じる違和感が、著者の感覚と合致し、著者の語りたい現象とその反応について説得力を感じました。特に00年代の保守化傾向についての言及は、私は言語化できなかった違和感を的確に説明してくださったように思います。特にあとがきに記された「勝つのではく、負けない」ことについての記述は、とても示唆的でした。
2011年9月28日に日本でレビュー済み
編集長や担当編集の変遷や広告がらみ、部数維持や増刷のために、雑誌っていろいろな試行錯誤があるのだけれど、読者(というかフェミ研究家・セックスグッズ販売店経営者)の立場からその変わりようを時代とともにちゃんと追ったのは初めてなのかもしれませんね。
著者とパーティーでお会いした夫が、著者とその友人に「ぜひ奥様に読んでもらって!」と強固に薦められたそうで、読みました。性教育が何十年もとまったままな日本で、孤軍奮闘していらっしゃるようす、手に取るようにわかり、その情熱に打たれます。また性に向き合おうとする純粋で真摯な態度に感動しました。
わたしはこの本の姉妹バージョンで、制作者の視点で「アンアンのセックスできれいになれた? 折々の打ち明け話」をマガハ編集者が書いてくれないかな〜とも思いました。あの年はあの編集長であの担当だからこうなった、あの人が社長だったから鶴の一声でこうだった、週一販売になったから月2チーム制になってから主張に辻褄が合わなくなった、広告部が特集のテーマ出しをするようになってからこういうふうになった、販売部数を増やすには「もっとエロく『微笑』みたいに」って販売部の○○さんが煽ったなどなど、きっと探せばネタがいっぱいころがってると思うんですよね〜! そんな社内の因縁が世の中の女の子の人生にさまざまに影響を与えたことを、つくづく反省してもいいんじゃないでしょうか・・・・・。
著者とパーティーでお会いした夫が、著者とその友人に「ぜひ奥様に読んでもらって!」と強固に薦められたそうで、読みました。性教育が何十年もとまったままな日本で、孤軍奮闘していらっしゃるようす、手に取るようにわかり、その情熱に打たれます。また性に向き合おうとする純粋で真摯な態度に感動しました。
わたしはこの本の姉妹バージョンで、制作者の視点で「アンアンのセックスできれいになれた? 折々の打ち明け話」をマガハ編集者が書いてくれないかな〜とも思いました。あの年はあの編集長であの担当だからこうなった、あの人が社長だったから鶴の一声でこうだった、週一販売になったから月2チーム制になってから主張に辻褄が合わなくなった、広告部が特集のテーマ出しをするようになってからこういうふうになった、販売部数を増やすには「もっとエロく『微笑』みたいに」って販売部の○○さんが煽ったなどなど、きっと探せばネタがいっぱいころがってると思うんですよね〜! そんな社内の因縁が世の中の女の子の人生にさまざまに影響を与えたことを、つくづく反省してもいいんじゃないでしょうか・・・・・。