手垢にまみれた古臭いカテゴリーを敢えて使うなら本書は「リベラル」である。現代社会が直面する困難な現実への最も真摯なリベラルからの応答である。リベラルがリベラルであるために、中道に歩み寄るのでなく、文字通りラディカルでなければならない。それが本書のメッセージだ。
いかなる普遍にも還元できない共約不能な価値の共存がリベラルの条件だが、生身の個人がそれを追求する為に要する資源へのアクセスには、マジョリティとマイノリティの間で決定的な非対称がある。この点への感受性を欠く時、多元主義や自由主義とて実質的にはマジョリティが奉じる普遍の強要、もしくはマイノリティの排除を帰結し兼ねない。だから古典的リベラリズムのように多元的な価値の許容にとどまらず、個人にその追求を保証するインフラ整備が必要なのだ。社会権や福祉の本質はそこにある。それは万人の権利であって、弱者へのサポートではない。
そこまではよい。ではそのインフラは誰が整備するのか。勿論みんなである。みんなとは誰なのか。みんなが誰であるかを定義するのが政治の本質だと言ったのはカール・シュミットだが、著者はそれを峻拒する。そこにリベラルの死角がある。アソシエーションであれ共同体であれ、みんなを定義しない政治は政治ではなく道徳とでも言う他ない。無論その定義は流動的であってよい。友/敵の境界は開かれてあるべきだ。だが開くためにもまずは閉じなければ話は始まらない。インフラを支えるには構成員の動機の調達が必要だ。それには最低限の共通価値へのコミットが不可欠であり、どこかで線を引かざるを得ない。
移民政策を考えればよい。みんなの定義を拒絶する著者の立場からは無制限な移民の流入を容認せざるを得ない。だがそのことで最も打撃を受けるのは既存の低賃金労働者であり、それが多くの移民先進国で分断を生んでいる。この事態が加速すれば共約不能な価値追求の為のインフラの担い手の動機を調達するのは益々困難になる。
慧眼な著者がこのジレンマを見ていない筈はない。著者の志向する政治の複数性が人間存在そのものの複数性に根差すものであるという指摘など、本書には多くの貴重な示唆が含まれている。だが政治とは実現可能性に制約された営為である。理念は大切だが、理念を実効あらしむるには、本書の読者のような意識の高い教養ある市民ではなく、平均的な人々の理念への動機をいかに調達するかという視点を欠いては砂上の楼閣と言われても仕方ない。
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政治と複数性――民主的な公共性にむけて (岩波現代文庫 学術 426) 文庫 – 2020/11/14
齋藤 純一
(著)
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「余計者」を無視し、黙殺し、遠ざけようとする脱-実在化の暴力に抗し、それぞれの位置から語られる言葉に敬意を払い、一人ひとりの政治的存在者としての現われを相互に保障しあう。アーレントやハーバーマスの議論を踏まえ、排他的な同質性の政治を批判的に問い直す、内向きに閉じない社会統合の可能性を切り開く書。コロナ・パンデミックに照らして本書の論点と直視すべき課題を整理する「岩波現代文庫版あとがき」を付す。
■目次
はじめに――「見棄てる」という暴力に抗して
I
第一章 デモクラシーと複数性
一 政治的存在者としての処遇
二 ラディカル・デモクラシーの条件
三 人びとの間の複数性と内的複数性
四 自己倫理の政治的含意
五 受苦への応答と意見の政治
第二章 デモクラシーと社会統合
一 社会の脱-統合化への対応
二 ナショナルな統合の再生――リベラル・ナショナリズム
三 ポスト・ナショナルな社会統合の構想――憲法パトリオティズム
四 デモクラシーによる社会統合
II
第三章 表象の政治/現われの政治
一 現われの封鎖
二 現われの空間と表象の停止
三 アゴニズムと反本質主義
四 パーリアと政治的抵抗の公共圏
五 「聴くこと」の政治
第四章 公共性の二つの次元
一 公共性と非共約性
二 生の二元化――ビオスとゾーエー
三 ニーズ解釈の政治
四 セキュリティ・ユニット
五 「見棄てられた境遇」と親密圏
六 現われの公共性
III
第五章 社会の分断とセキュリティの再編
一 自然状態の黙認 br> 二 「社会的なもの」と集合的なセキュリティ
三 集合的セキュリティの後退
四 能動的な自己統治
五 社会的排除とアンダークラス
六 生活空間の隔離
七 自由の社会的条件
第六章 社会的連帯の理由
一 社会の持続可能性と連帯
二 社会的連帯とその現状
三 社会的連帯による生活保障
四 社会的連帯の理由
第七章 親密圏のポリティックス
一 親密圏の再-記述
二 親密圏と場所の剝奪
三 社会的なものと親密圏
四 親密圏の危機
五 親密圏の政治
IV
第八章 政治的責任の二つの位相
一 不正義の感覚
二 集合的責任としての政治的責任
三 政治文化の継承
四 「日本人」としての名指し
五 普遍的責任としての政治的責任
第九章 丸山眞男における多元化のエートス
一 ナショナル・デモクラシーから結社形成的デモクラシーへ
二 「権力の偏重」と価値の多元化
三 正統的思考の問題化
四 精神的雑居性と惑溺の間
五 「土着主義」批判という陥穽
六 経験の単独性とアイデンティティの相剋
あとがき
岩波現代文庫版あとがき
注
■目次
はじめに――「見棄てる」という暴力に抗して
I
第一章 デモクラシーと複数性
一 政治的存在者としての処遇
二 ラディカル・デモクラシーの条件
三 人びとの間の複数性と内的複数性
四 自己倫理の政治的含意
五 受苦への応答と意見の政治
第二章 デモクラシーと社会統合
一 社会の脱-統合化への対応
二 ナショナルな統合の再生――リベラル・ナショナリズム
三 ポスト・ナショナルな社会統合の構想――憲法パトリオティズム
四 デモクラシーによる社会統合
II
第三章 表象の政治/現われの政治
一 現われの封鎖
二 現われの空間と表象の停止
三 アゴニズムと反本質主義
四 パーリアと政治的抵抗の公共圏
五 「聴くこと」の政治
第四章 公共性の二つの次元
一 公共性と非共約性
二 生の二元化――ビオスとゾーエー
三 ニーズ解釈の政治
四 セキュリティ・ユニット
五 「見棄てられた境遇」と親密圏
六 現われの公共性
III
第五章 社会の分断とセキュリティの再編
一 自然状態の黙認 br> 二 「社会的なもの」と集合的なセキュリティ
三 集合的セキュリティの後退
四 能動的な自己統治
五 社会的排除とアンダークラス
六 生活空間の隔離
七 自由の社会的条件
第六章 社会的連帯の理由
一 社会の持続可能性と連帯
二 社会的連帯とその現状
三 社会的連帯による生活保障
四 社会的連帯の理由
第七章 親密圏のポリティックス
一 親密圏の再-記述
二 親密圏と場所の剝奪
三 社会的なものと親密圏
四 親密圏の危機
五 親密圏の政治
IV
第八章 政治的責任の二つの位相
一 不正義の感覚
二 集合的責任としての政治的責任
三 政治文化の継承
四 「日本人」としての名指し
五 普遍的責任としての政治的責任
第九章 丸山眞男における多元化のエートス
一 ナショナル・デモクラシーから結社形成的デモクラシーへ
二 「権力の偏重」と価値の多元化
三 正統的思考の問題化
四 精神的雑居性と惑溺の間
五 「土着主義」批判という陥穽
六 経験の単独性とアイデンティティの相剋
あとがき
岩波現代文庫版あとがき
注
- 本の長さ402ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2020/11/14
- 寸法10.5 x 1.8 x 14.8 cm
- ISBN-104006004265
- ISBN-13978-4006004262
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著者について
齋藤純一(Junichi Saito)
1958年生まれ。早稲田大学政治学研究科博士課程単位取得退学。現在、早稲田大学政治経済学術院教授。政治理論・政治思想史専攻。『岩波講座 政治哲学』の編集委員を務める。著書に『公共性』『自由』(岩波書店)、『不平等を考える――政治理論入門』(ちくま新書)、『ロールズを読む』(共著、ナカニシヤ出版)、訳書(共訳)にJ.ロールズ『ロールズ政治哲学史講義』全2冊(岩波現代文庫)、H.アーレント『アーレント政治思想集成』全2冊(みすず書房)、R.ローティ『偶然性・アイロニー・連帯――リベラル・ユートピアの可能性』(岩波書店)、M.ウォルツァー『政治的に考える――マイケル・ウォルツァー論集』(風行社)ほか
1958年生まれ。早稲田大学政治学研究科博士課程単位取得退学。現在、早稲田大学政治経済学術院教授。政治理論・政治思想史専攻。『岩波講座 政治哲学』の編集委員を務める。著書に『公共性』『自由』(岩波書店)、『不平等を考える――政治理論入門』(ちくま新書)、『ロールズを読む』(共著、ナカニシヤ出版)、訳書(共訳)にJ.ロールズ『ロールズ政治哲学史講義』全2冊(岩波現代文庫)、H.アーレント『アーレント政治思想集成』全2冊(みすず書房)、R.ローティ『偶然性・アイロニー・連帯――リベラル・ユートピアの可能性』(岩波書店)、M.ウォルツァー『政治的に考える――マイケル・ウォルツァー論集』(風行社)ほか
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2020/11/14)
- 発売日 : 2020/11/14
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 402ページ
- ISBN-10 : 4006004265
- ISBN-13 : 978-4006004262
- 寸法 : 10.5 x 1.8 x 14.8 cm
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年4月5日に日本でレビュー済み
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著者は政治思想史と政治理論を専門とされている。最近の政治理論系の書籍にありがちな思想史を疎かにした記述が少なく、思想史を重視されている。そのため、現代の政治理論における諸々の議論が何故起こったのかということを理解しやすい。
本書は共同体が分断を避けて包括性を持ったまま複数性を持つにはどうすればよいか? という問題に真摯に向き合っている。
本書は共同体が分断を避けて包括性を持ったまま複数性を持つにはどうすればよいか? という問題に真摯に向き合っている。
2021年1月4日に日本でレビュー済み
味読に値する、論拠の脇を固めたアンソロジー。
だからこそ、ひとつの章を読了するのに恐ろしく時間がかかった。
お手軽な、実用書的な人文書から離れたい時、手に取りたい一冊。
反面、電車の中で立ち読み、というわけには絶対いかない一冊。
そして政治思想や政治学に関して一定の素養をもっていないと、なおさら読み進めるのに時間がかかる。
とくにアーレントに関する知識は必須だと思う。
この点について、著者はこの本で、読者を置いてけぼりにしがちだ。
アーレントに寄り添ってきた政治思想研究者の著者の立場は明確で、リベラルかつラディカル。
(そうしたレッテルを拒否するであろうが、適当な言葉が見つからない)
現実や現代の政治思想状況を徹底して批判的にながめる。
その上で、規範あるいは理念型としてのビジョンを示す。
各章とも、おおむねこうしたパターンをふむ。
評者にはついていけないくらいストイックな章も多かった。
それでも、頭がお花畑の平和主義的な書き手とは対極にある、脇を固めたストイックな著者には好感が持てる。
これは座右に置いておきたい一冊だ。
(博引旁証な一冊なのだから、索引がないのは痛恨!)
ただし。時間と精神的余裕がある時の味読を絶対にすすめます!
だからこそ、ひとつの章を読了するのに恐ろしく時間がかかった。
お手軽な、実用書的な人文書から離れたい時、手に取りたい一冊。
反面、電車の中で立ち読み、というわけには絶対いかない一冊。
そして政治思想や政治学に関して一定の素養をもっていないと、なおさら読み進めるのに時間がかかる。
とくにアーレントに関する知識は必須だと思う。
この点について、著者はこの本で、読者を置いてけぼりにしがちだ。
アーレントに寄り添ってきた政治思想研究者の著者の立場は明確で、リベラルかつラディカル。
(そうしたレッテルを拒否するであろうが、適当な言葉が見つからない)
現実や現代の政治思想状況を徹底して批判的にながめる。
その上で、規範あるいは理念型としてのビジョンを示す。
各章とも、おおむねこうしたパターンをふむ。
評者にはついていけないくらいストイックな章も多かった。
それでも、頭がお花畑の平和主義的な書き手とは対極にある、脇を固めたストイックな著者には好感が持てる。
これは座右に置いておきたい一冊だ。
(博引旁証な一冊なのだから、索引がないのは痛恨!)
ただし。時間と精神的余裕がある時の味読を絶対にすすめます!
2010年2月22日に日本でレビュー済み
本書はとても「優れた論文集」である。ただし、一冊の本としては「優れた著作」であるとまでは云いにくい。
本書に収録された論文のテーマは、それぞれ「政治的なもの」「公共圏」「自由と権力」に関する、いわば「古くて新しい」問題を論ずるものであり、強力に「民主主義」を擁護している。
もちろん、ここでの「民主主義」は、単なる価値多元主義や、ましてや「投票の自由」といったことではなく、積極的に守られるべきものとしての民主主義のことであり、
言い換えれば、私たちはルソー的な「鎖」から解き放たれるだけでは「自由」ではなく、自由は積極的に構築していく必要がある、というラディカル・デモクラシーによる「民主主義」である。
それでは、どのような「自由」を、どのように構築・討議していくべきなのか、という点を、主にアレントとハーバーマスの批判的読解によって組み立て、スピヴァクなど、多数の論者の見解を踏まえた上で、政治と自由に関する議論の星座的な布置関係を展開していく、という流れになっている。
こうみると初学者お断りの、高踏な書のようにみえるが、それぞれの論者には丁寧な解説が記されており、例えば、多少本を読む大学生であれば難なく論旨を追うことができるだろう。全体的に専門書というよりは、政治/自由に興味ある多くの人々に向けて書かれた本であり、またレビュアーも大学生や、専門外の人にこそ読まれるべき、良書であると思う。
惜しむらくは、これは既に発表された近接的テーマを扱う論考を集めた、「単独の論文集」であり、そのため一冊の書にあるべき、全体を貫く問題設定の一貫性や、相対する議論同士の緊張感が薄れてしまっているように思える点である。
しかしこれは、言い換えれば読者が興味のある、どの章から読み始めても良いということでもあり、そしてどの章も、秀作であるということは間違いない。
本書に収録された論文のテーマは、それぞれ「政治的なもの」「公共圏」「自由と権力」に関する、いわば「古くて新しい」問題を論ずるものであり、強力に「民主主義」を擁護している。
もちろん、ここでの「民主主義」は、単なる価値多元主義や、ましてや「投票の自由」といったことではなく、積極的に守られるべきものとしての民主主義のことであり、
言い換えれば、私たちはルソー的な「鎖」から解き放たれるだけでは「自由」ではなく、自由は積極的に構築していく必要がある、というラディカル・デモクラシーによる「民主主義」である。
それでは、どのような「自由」を、どのように構築・討議していくべきなのか、という点を、主にアレントとハーバーマスの批判的読解によって組み立て、スピヴァクなど、多数の論者の見解を踏まえた上で、政治と自由に関する議論の星座的な布置関係を展開していく、という流れになっている。
こうみると初学者お断りの、高踏な書のようにみえるが、それぞれの論者には丁寧な解説が記されており、例えば、多少本を読む大学生であれば難なく論旨を追うことができるだろう。全体的に専門書というよりは、政治/自由に興味ある多くの人々に向けて書かれた本であり、またレビュアーも大学生や、専門外の人にこそ読まれるべき、良書であると思う。
惜しむらくは、これは既に発表された近接的テーマを扱う論考を集めた、「単独の論文集」であり、そのため一冊の書にあるべき、全体を貫く問題設定の一貫性や、相対する議論同士の緊張感が薄れてしまっているように思える点である。
しかしこれは、言い換えれば読者が興味のある、どの章から読み始めても良いということでもあり、そしてどの章も、秀作であるということは間違いない。