中国人口史通史の新書本。入門書でもある。
概要
〇序章 人口史に何を聴くのか
マルサスの人口論
著者の「合散離集の中国文明サイクル」説。「合」は安定段階。「散」は求心力の低下。「離」新しい文明を担う可能性のある者同士の争い。「集」は一つの可能性が生き残り、全体を統合。
〇第一章人口史の始まりー先史時代から紀元後2世紀まで
東ユーラシアの一角に生まれた中国文明。
紀元2年の漢代に初の人口統計。戸数1225万、口数6000万弱。
〇第二章人口のうねりー2世紀から14世紀前半まで。
晋朝では戸数250万と減少。実際にはもっと多かった。
隋では戸数900万、総人口4600万人。華中の人口が増加。
唐朝の752年調査で、戸数890万戸、人口5200万人。
1210年の宋朝+金朝で、戸数2193万と増加。
〇第三章人口統計の転換ー14世紀後半から18世紀。
1741年清の乾隆帝が保甲制度による厳密な人口調査を指示。この年の民数(人口)1億4300万。
〇第四章人口急増の始まりー18世紀
以下後述。
〇第五章人口爆発はなぜ起きたのかー歴史人口学的な視点から。
〇第六章人口と反乱ー19世紀
〇終章現代中国人口史のための序章
私的感想
〇第一章から第四章までは、一般的な中国史事実に、人口動態の変化を加えたような叙述で進行していく。これが、第五章の「人口爆発はなぜ起きたのかー歴史人口学的な視点から」に入ると、世界が変わり、見たことのない世界に突入したようで、一気に面白くなる。
〇十八世紀の中国人口爆発(爆増)の原因として
☆まず、人頭税の廃止によって、隠された人口が表面に出てきた。→これは一時的な影響にすぎない。
☆ジャガイモ、トウモロコシの栽培の普及→これも一時的な人口増にとどまる。
☆族譜を調査し、推測していくと、1740年以降、生まれた子供の中の女児の比率は上がっている。これは「溺女」が減少したことが原因と考えられる。
☆溺女は女児が生まれてくれば水に浸けて間引いてしまう風習で、貧しい家では広く行われていた。皇帝はこれを禁止し、地方高官も布告を出したが、なかなか減らなかった。しかし、この時代は親戚姻戚からの嬰児援助も行われるようになり、「溺女」が減ってきた。「溺女」の減少は人口増加と関連する。
〇貨幣経済の普及も「溺女」の減少と関連する。すなわち、貨幣経済の普及は貧しい農民を直撃し、貧しい独身男性は職を求めて、地域の外に出ていった。その結果、比較的豊かな男性が残り、女性は余裕のある男性と結婚し、女児でも育てられるようになり、溺女は減少した。
〇「第六章人口と反乱ー19世紀」は地域を出ていった独身男性その後で、引き続き面白い。彼らは木廠や鉄廠で賃金労働の従事し、結婚できないまま、新興宗教に心の支えを求めていき、白蓮教、太平天国等の反乱に参加していく・・。
私的結論
〇後半は、中国史の別世界に連れていかれて、大変面白かった。
〇「合散離集の中国文明サイクル」説はちょっとこじつけのような・・すみません。
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人口の中国史――先史時代から19世紀まで (岩波新書 新赤版 1843) 新書 – 2020/8/21
上田 信
(著)
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一八世紀に突如起こった人口の爆発的増加は、中国を知るための鍵である。それはなぜ、どのように起き、今まで続いてきたのか。文明の始源からの歴史がもたらしたさまざまな条件と、大変化のメカニズムを明らかにし、現在、そして未来までも人口史から読み解く。ヒトの生態を羅針盤にゆく、中国四千年のタイム・トラベル。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2020/8/21
- 寸法10.7 x 1.1 x 17.3 cm
- ISBN-104004318432
- ISBN-13978-4004318439
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商品の説明
著者について
上田 信(うえだ まこと)
1957年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了
現在―立教大学文学部教授
専攻―中国社会史、アジア社会論
著書―『森と緑の中国史――エコロジカル―ヒストリーの試み』(岩波書店)、『ヒストリア5 トラが語る中国史――エコロジカル・ヒストリーの可能性』『世界史リブレット83 東ユーラシアの生態環境史』(以上、山川出版社)、『中国の歴史9 海と帝国明清時代』(講談社)、『ペストと村――731部隊の細菌戦と被害者のトラウマ』(風響社)、『貨幣の条件――タカラガイの文明史』(筑摩書房)、『歴史総合パートナーズ1 歴史を歴史家から取り戻せ!――史的な思考法』(清水書院)、『死体は誰のものか――比較文化史の視点から』(ちくま新書) ほか
1957年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了
現在―立教大学文学部教授
専攻―中国社会史、アジア社会論
著書―『森と緑の中国史――エコロジカル―ヒストリーの試み』(岩波書店)、『ヒストリア5 トラが語る中国史――エコロジカル・ヒストリーの可能性』『世界史リブレット83 東ユーラシアの生態環境史』(以上、山川出版社)、『中国の歴史9 海と帝国明清時代』(講談社)、『ペストと村――731部隊の細菌戦と被害者のトラウマ』(風響社)、『貨幣の条件――タカラガイの文明史』(筑摩書房)、『歴史総合パートナーズ1 歴史を歴史家から取り戻せ!――史的な思考法』(清水書院)、『死体は誰のものか――比較文化史の視点から』(ちくま新書) ほか
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2020/8/21)
- 発売日 : 2020/8/21
- 言語 : 日本語
- 新書 : 240ページ
- ISBN-10 : 4004318432
- ISBN-13 : 978-4004318439
- 寸法 : 10.7 x 1.1 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 380,487位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 344位中国史
- - 903位その他の地域の世界経済関連書籍
- - 1,756位岩波新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年8月22日に日本でレビュー済み
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2021年4月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中国の歴史も地理も分からない初心者が人口を手がかりに学べるか?と思って読んでみましたがさっぱりでした。もう少し違う方面から勉強する必要が有りそうです。
2020年9月5日に日本でレビュー済み
現代では、人口統計は基本中の基本で、どこの国、あるいはこの日本のどこの市町村だろうと、きわめて正確な人口統計が得られて当然のように思ってしまうが、実は前近代には、正確な人口というのは、ほとんど絶望的に不明であった。前近代で±10%のレベルで比較的信用しうる例として、イギリスにおいては、教会の簿冊の積み上げから、16世紀ごろからかなり正確な数字が出されている。日本では江戸時代の1721年から数年ごとに人口が算出されていて、支配階級を除いた数字としては、まあまあ良好だろうといわれている。±10%のレベルで正確な数字が出るのは、ヨーロッパでも早くて18世紀以降のことである。
これに対し、中国や朝鮮では、昔からかなり数字が出されているが、その正確さは、はなはだ心もとない。一例として、李朝末期の1904年の王朝政府の統計では、590万余りの人口を数えた。これが1906年の日本の警察が調べた人口は900万を超え、1910年の総督府の統計では1200万余りとなっている。実はこれですら脱漏があり、日韓併合時の朝鮮の人口は1600~1700万というのが真の数字だろうといわれている。してみると1904年の王朝の統計は、真の数字の半分以下であったことになる。
事情は中国でも同じである。羅歓鎮「民国人口:研究史の整理と展望」によると、1911年の人口は3億7千万とも4億1千万ともいう。清朝末期から民国時代の中国人口は、当時の日本の歌に「支那にゃ四億の民がいる」とうたわれたが、それはいわばカンのようなもので、共産中国になった1953年のセンサスで5億1千万という数字が報じられた。論文を読んで驚くのは、清朝末期~民国時代の4億いくらというのはかなり加工された数字で、1911年の人口は、原資料の積み上げではわずか2億3千万にしかならないという。1929年の人口調査でも、報告された数字は2億1千万にすぎない。中国年鑑等に載る数字は、これらを鉛筆をなめて修正した数字だというのである。20世紀の中国でこんな具合であるのだから、それ以前の数字がどのくらい信用できるのだろうか。
本書を読んで気づくのは、1749年の人口が1億7600万に対し、1776年のそれは3億400万としていて、この間の人口増加率があり得ないレベルで高いのである。前近代は医療のレベルが低く停滞しているから、疫病や飢饉がない状態でも死亡率は3~4%を推移した。出生率のほうも3~5%といった上限があるから、中国のような広大な領域で10年以上にもわたって、毎年2%の増加を示すのは、ほぼありえないであろう。現代のアフリカが高い人口増加率を示すのは、死亡率が低くなっていることと、平均寿命が延びているせいで、あくまで現代だから達成できることである。むしろ江戸時代前半の日本の、年間0.7%ほどの増加率こそが、前近代の数十年にわたる増加率の上限かと考えられるのである。つまりはおそらく1749年の数字は大幅な脱漏があると思われる。
中国の人口史を紐解くと、しばしば大幅な人口減少にでくわす。それは人口が5分の1とか10分の1になるようなレベルである。岡田英弘・宮脇淳子みたいな中国をあしざまにいうのが大好きな学者は、こんな人口統計を真に受けて、三国時代動乱で昔の中国人は大量死して絶滅したなどと嬉しそうに語り、それ以降の漢民族とはつながらないなどいうが、こんな人口減少は農業社会から未開社会に逆戻りしない限り考えられぬのである。必ず大幅な脱漏があるに違いなく、むしろ当局の人口把握力を表すものと考えるべきである。
これに対し、中国や朝鮮では、昔からかなり数字が出されているが、その正確さは、はなはだ心もとない。一例として、李朝末期の1904年の王朝政府の統計では、590万余りの人口を数えた。これが1906年の日本の警察が調べた人口は900万を超え、1910年の総督府の統計では1200万余りとなっている。実はこれですら脱漏があり、日韓併合時の朝鮮の人口は1600~1700万というのが真の数字だろうといわれている。してみると1904年の王朝の統計は、真の数字の半分以下であったことになる。
事情は中国でも同じである。羅歓鎮「民国人口:研究史の整理と展望」によると、1911年の人口は3億7千万とも4億1千万ともいう。清朝末期から民国時代の中国人口は、当時の日本の歌に「支那にゃ四億の民がいる」とうたわれたが、それはいわばカンのようなもので、共産中国になった1953年のセンサスで5億1千万という数字が報じられた。論文を読んで驚くのは、清朝末期~民国時代の4億いくらというのはかなり加工された数字で、1911年の人口は、原資料の積み上げではわずか2億3千万にしかならないという。1929年の人口調査でも、報告された数字は2億1千万にすぎない。中国年鑑等に載る数字は、これらを鉛筆をなめて修正した数字だというのである。20世紀の中国でこんな具合であるのだから、それ以前の数字がどのくらい信用できるのだろうか。
本書を読んで気づくのは、1749年の人口が1億7600万に対し、1776年のそれは3億400万としていて、この間の人口増加率があり得ないレベルで高いのである。前近代は医療のレベルが低く停滞しているから、疫病や飢饉がない状態でも死亡率は3~4%を推移した。出生率のほうも3~5%といった上限があるから、中国のような広大な領域で10年以上にもわたって、毎年2%の増加を示すのは、ほぼありえないであろう。現代のアフリカが高い人口増加率を示すのは、死亡率が低くなっていることと、平均寿命が延びているせいで、あくまで現代だから達成できることである。むしろ江戸時代前半の日本の、年間0.7%ほどの増加率こそが、前近代の数十年にわたる増加率の上限かと考えられるのである。つまりはおそらく1749年の数字は大幅な脱漏があると思われる。
中国の人口史を紐解くと、しばしば大幅な人口減少にでくわす。それは人口が5分の1とか10分の1になるようなレベルである。岡田英弘・宮脇淳子みたいな中国をあしざまにいうのが大好きな学者は、こんな人口統計を真に受けて、三国時代動乱で昔の中国人は大量死して絶滅したなどと嬉しそうに語り、それ以降の漢民族とはつながらないなどいうが、こんな人口減少は農業社会から未開社会に逆戻りしない限り考えられぬのである。必ず大幅な脱漏があるに違いなく、むしろ当局の人口把握力を表すものと考えるべきである。
2021年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴代の記録を見ると人口数が時期により6分の1にも落ち込む中国の人口動態の実態に迫った著作。
まず、秦代以前は統計的な記録は存在しない。西周以前の都市国家では都市の規模と支配下の都市の数からの推測、春秋時代は史記の断片、戦国時代は各国の動員兵力からの推測でしかない。統治期間の短い秦はそこからの推測しかできない。
前漢になると人頭税が導入されたため、初めて戸数と口数の統計的情報が取られたが、全土の数が測れたのが前漢末期になる。しかも、15~56歳までの人頭税の対象者なのでそれ以外は除かれる。また、豪族の奴婢となった者は人頭税の対象とならず、その口数に含まれない。ただでさえ人口数を計測することが100年がかりの時間と労力を要する上にこのような税金対策が、これからも人口数の実態を捉えることを難しくしている。後漢後期の統計では1000万人ほど人口が減少しているが、それは後漢の統治範囲が前漢より狭くなったことによる。
晋以降は人頭税ではなく、戸に対して課税するため、戸数しか記録がない。記録上中国の人口の激減期に入るが、奴婢に加えて、農民の小作化によって課税対象とならず、そのことによっても記録される戸数は減少している。現代の推計では1戸あたり5人と算出して、戸数と乗算して当時の人口を求めているが、それでは実態と乖離することになる。
宋代においても戸数での把握であったが、保甲制の導入により、小作の戸数も数えるようになったので戸数は実態に近づく。
金、元になると、農耕民とは元々社会基盤が異なる狩猟採集民族、遊牧民であるため、戸数だけでなく、口数が統計記録に載るようになる。明代も賦役が課されるようになったので同様に口数が記録された。
清代に丁銀による人頭税となり、人口数が把握されるようになる。雍正帝の時代にそれが土地税に変わったが、次代乾隆帝は人口把握に熱心になり、そこで把握された人口は3億7千万に達した。丁銀だった時代は2千3百万人。それまででもっとも人口が多く把握された明代で6千万人なので、中国の実態人口はもっと多かったことになる。それでも明末の動乱による地域人口減少は実態として起きている。張献忠による四川虐殺で600万人いた四川の人口は50万人に減少していた。なので隠れていた人口はもっと多かったことになる。
清代における中国人口の爆発的増加は日本と異なり、土地の長子相続が行わず、分割されたためと説明されてきたが、ミクロで見た時に日本と同様に「溺女」という女子の間引きが行われている。また、長子以外は都市や、四川、西域、満州等の辺境移民が行われており、その説は否定される。むしろ、そこで行われた土地破壊的な開発で開墾しても4年で土地が使えなくなり、そのような住民が反乱の原因となったことを示している。
太平天国の乱で華南の人口が激減したことは今までも言われてきた。もちろん殺戮による減少もあるが、その間に辺境や隣接する地の人口が増えており、減少した人口が全て殺戮によるものではないことを示している。むしろ、反乱が永続的な土地住民のシステムを破壊したことが人口激減の原因であることを立証している。
このように中国の人口動態を知る上での記録の数字は、王朝の版図、人口統計の時間と労力、当時の徴税方法、それに対する住民社会の対応と社会構造の変化に依存しており、そのまま数字を使用してしまうととんでもない誤解を生んでしまうことになることがわかる。
まず、秦代以前は統計的な記録は存在しない。西周以前の都市国家では都市の規模と支配下の都市の数からの推測、春秋時代は史記の断片、戦国時代は各国の動員兵力からの推測でしかない。統治期間の短い秦はそこからの推測しかできない。
前漢になると人頭税が導入されたため、初めて戸数と口数の統計的情報が取られたが、全土の数が測れたのが前漢末期になる。しかも、15~56歳までの人頭税の対象者なのでそれ以外は除かれる。また、豪族の奴婢となった者は人頭税の対象とならず、その口数に含まれない。ただでさえ人口数を計測することが100年がかりの時間と労力を要する上にこのような税金対策が、これからも人口数の実態を捉えることを難しくしている。後漢後期の統計では1000万人ほど人口が減少しているが、それは後漢の統治範囲が前漢より狭くなったことによる。
晋以降は人頭税ではなく、戸に対して課税するため、戸数しか記録がない。記録上中国の人口の激減期に入るが、奴婢に加えて、農民の小作化によって課税対象とならず、そのことによっても記録される戸数は減少している。現代の推計では1戸あたり5人と算出して、戸数と乗算して当時の人口を求めているが、それでは実態と乖離することになる。
宋代においても戸数での把握であったが、保甲制の導入により、小作の戸数も数えるようになったので戸数は実態に近づく。
金、元になると、農耕民とは元々社会基盤が異なる狩猟採集民族、遊牧民であるため、戸数だけでなく、口数が統計記録に載るようになる。明代も賦役が課されるようになったので同様に口数が記録された。
清代に丁銀による人頭税となり、人口数が把握されるようになる。雍正帝の時代にそれが土地税に変わったが、次代乾隆帝は人口把握に熱心になり、そこで把握された人口は3億7千万に達した。丁銀だった時代は2千3百万人。それまででもっとも人口が多く把握された明代で6千万人なので、中国の実態人口はもっと多かったことになる。それでも明末の動乱による地域人口減少は実態として起きている。張献忠による四川虐殺で600万人いた四川の人口は50万人に減少していた。なので隠れていた人口はもっと多かったことになる。
清代における中国人口の爆発的増加は日本と異なり、土地の長子相続が行わず、分割されたためと説明されてきたが、ミクロで見た時に日本と同様に「溺女」という女子の間引きが行われている。また、長子以外は都市や、四川、西域、満州等の辺境移民が行われており、その説は否定される。むしろ、そこで行われた土地破壊的な開発で開墾しても4年で土地が使えなくなり、そのような住民が反乱の原因となったことを示している。
太平天国の乱で華南の人口が激減したことは今までも言われてきた。もちろん殺戮による減少もあるが、その間に辺境や隣接する地の人口が増えており、減少した人口が全て殺戮によるものではないことを示している。むしろ、反乱が永続的な土地住民のシステムを破壊したことが人口激減の原因であることを立証している。
このように中国の人口動態を知る上での記録の数字は、王朝の版図、人口統計の時間と労力、当時の徴税方法、それに対する住民社会の対応と社会構造の変化に依存しており、そのまま数字を使用してしまうととんでもない誤解を生んでしまうことになることがわかる。