この世において
「地獄」でない戦争は
存在しないのかもしれませんが
「独ソ戦」(1941-1945)は
軍事的な合理性をすら失い
「世界観戦争」(絶滅戦争)にまで
変質して行ったという点において
最高度に「地獄」的な戦争でした。
それが読了していちばんの感想であり
本書の核心と申し上げてよいかと思います。
著者は新史料(あとで述べます)に基づき
軍事的な「経緯」のみならず
独ソ戦の「性格」を正確に論じています。
一般向けの新書として白眉と思います。
上記の著者の結論は
「終章」において詳述されます。
戦争をその性格上
①通常戦争
②収奪戦争
③世界観戦争(絶滅戦争)
の3つに分類し
独ソ戦の時間的な各段階において
①、②、③がどのような
相互関係にあったのかを
「模式図」で示したものが
掲載されています(p.221)。
数学の集合論や論理学で多用される
「ヴェン図」(ベン図)を
イメージしていただけると幸いです。
要するに3つのマル(円)の相互関係です。
ちなみにジョン・ヴェン(1834-1923)は
英国の数学者・哲学者で
いわゆる「ヴェン図」を導入しました。
独ソ戦は
①通常戦争、②収奪戦争、③世界観戦争
(絶滅戦争)の3つが並行して始まり
最終的には①と②が③に完全に包含されて
しまったことが模式図から読み取れます。
そして「通常戦争」が「絶対戦争」に
変質して行っていたことが示されています。
個人的には父祖から耳で聴いた
戦争の地獄と言えばたとえば
・ノモンハン事変(1939)
・ガダルカナル島撤退(1943)
・インパール作戦(1944)
・レイテ戦(1944ー45)
・硫黄島の戦い(1945)
‥などを連想します。このように
旧日本軍の「地獄」は
例えば、敵の圧倒的火力の前に
無力感から精神的失調をきたしたり
あるいは、兵站(補給)の不足・欠損による
飢餓や餓死のイメージが強いのが
特徴と言えるかもしれません。
これらに対して独ソ戦は
ヒトラー(1989-1945)に代表される
「劣等人種」(ウンターメンシュ)を絶滅し
「東方」にドイツ民族(アーリア人)の
「生存圏」(レーベンスラウム)を獲得する
‥というナチス・ドイツ側の世界観と
スターリン(1878-1953)に代表される
「不可侵条約」を一方的に破棄した
「ファシスト」の侵略を
ソ連邦の諸国民が撃退して
「共産主義」イデオロギーの優越を示した
‥というソ連側の世界観の激突でした。
この「世界観の激突」を通奏低音として
本書は書かれていると思います。
独ソ戦の「性格」の話が長くなりましたが
軍事的な経緯やディーテイルについても
本書は「実証的に」詳述されています。
「実証的に」と強調しましたのは
これまで独ソ戦について記述された
一般向けの本の中には
誤った史料に基づいて書かれたものが
少なくなかったからです。
さらに
1989年に東欧諸国が解体し
1991年にソ連が崩壊してから
多くの新史料が見つかりましたが
それらが記述に反映されることなく
標語的に申し上げれば
「1970年代の水準で止まっている」
記述が(特に日本における)
一般向けの本では多かったことは
否定できないようです。
本書によりますと例えば
独ソ戦に直接の関係はありませんが
ヘルマン・ラウシュニングの
『永遠のヒトラー』(天声出版 1968)は
ヒトラー語録・ヒトラーとの対話
というふれこみでしたが現在では
偽書(つまり捏造)であることが
判明しています。
あるいはまた
フランス人を連想させるペンネーム
「パウル・カレル」
で多くの戦記物を書いたドイツ人
パウル・カール・シュミット
(1911-1997)につきましては
2005年
ドイツの歴史家ヴィクベルト・ベンツが
パウル・カレルの伝記を上梓し
体系的な批判を行いました。
カレルの基本的な主張は
「第二次世界大戦の惨禍に対して
ドイツが負うべき責任はなく
国防軍は劣勢にもかかわらず
勇敢かつ巧妙に戦った」(はじめに ⅷ)
でした。つまり現在の視点からみると
明らかにまちがっていたので
「歴史修正主義」(同)
です。その結果
2019年現在、母国ドイツにおいて
パウル・カレルの著作は
「すべて絶版とされている」(はじめに ⅹ)
と著者は指摘しています。
カレルの捏造(実際には存在しなかった
事象を記述すること)について
具体的な記述が「はじめに ⅸ」にあります。
新約聖書「使徒行伝」第9章18節
の表現を借りるならば
「目からうろこのようなものが落ち」る
思いを読了後にしましたのは
上記のラウシュニングやカレルに対する
現在の世界標準の評価だけではありません。
いくつか順不同で挙げてみましょう。
・ドイツ国防軍は
ナチスによる犯罪・戦争犯罪
(SSによるジェノサイドなど)
に関連して決して
無謬(むびゅう)ではなかった。
・そもそも独ソ戦は
ヒトラーの「世界観」によって
のみ起こされたのではなく
ドイツ国防軍も軍事的な観点から
「対ソ戦やむなし」と考えていた。
・ドイツ陸軍総司令部(OKH)が
立案した対ソ作戦は
1)敵を過小評価し
2)我が方の兵站能力を無視した
ずさんな計画だった。
・ドイツを含む中央ヨーロッパの
鉄道が標準軌であるのに対し
ロシアの鉄道は広軌であるから
ドイツ軍にとっては線路の
レールの幅を変える工事をしないと
鉄道による輸送はままならなかった。
(ナポレオンの侵攻を教訓に
二度と侵略されないように
ロシアはわざと鉄道の軌道の幅を
ヨーロッパと違うものにした
とする説を聞いたことがあります)
・「電撃戦」(ブリッツクリーク)
というコトバはそもそも
宣伝・啓蒙当局あるいは
ジャーナリズムが使い始めたもので
軍事用語ではなかった。
・「ドクトリン」という
軍事用語があり重要な概念である。
・史上最大の戦車戦と言えば
「クルスク会戦」(1943)
(の中の「プロホロフカ」の戦い)
という定説があったが
ソ連崩壊・冷戦終結後の新史料による
研究が進んだ結果
独ソ戦の初期において既に
大規模な戦車戦が展開されていた
ことが明らかにされた。
参加した戦車数が
クルスク(プロホロフカ)を上回る
戦車戦があったことが判明している。
ひとつの例は「センノの戦い」である。
‥上記のように私にとりまして
「目からうろこのようなもの」を
挙げて行くときりがないくらいです。
振り返ってみれば
・1989年11月 ベルリンの壁崩壊
それと並行あるいは続発する
東欧諸国の解体
・1989年12月 マルタ会談
(冷戦終結を明記)
・1990年10月 ドイツ統一
・1991年12月 ソ連邦崩壊
という歴史的事象を私は
リアルタイムで見聞きしていましたが
その結果
多くの新史料が公開され
独ソ戦を含む第二次世界大戦に関する
研究が飛躍的かつ画期的に進んだ
という事実を今、実感しています。
ヒトラーの伝記(あるいは第三帝国史)
ひとつとっても
ソ連崩壊以前に
アラン・バロック(1914-2004)
ウィリアム・シャイラ―(1904-1993)
ヴェルナー・マーザー(1922-2007)
ヨアフェム・フェスト(1926-2006)
ジョン・トーランド(1912-2004)
‥などの著者たちによる
特色ある書物が出版されていました。
それらに加え
ソ連崩壊後の新史料を踏まえた
イアン・カーショー氏(1943-)の大著
『ヒトラー(上):1889-1936 傲慢』
(白水社 2016)(原著 1998)
『ヒトラー(下):1936 -1945 天罰』
(白水社 2016)(原著 2000)
が出版されいわばヒトラー伝の
「決定版」となった観があります。
上下二段組で本文に限定しても
(上)が 611ページ
(下)が 870ページあります
(重さはどちらも軽く1キロを超えます)。
とりあえず一度目を通しましたが
なにしろ大著ゆえに細部まで
読みこなすのは時間が必要です。
独ソ戦についても的確な記述が
多々あります(特に下巻)。
カーショーの大著に比べると
逆に一冊の「新書」という
限定された舞台で独ソ戦を記述する
という行為は別種の困難さが伴なう
であろうことは容易に分かります。
材料を取捨選択し
文章の論理的構造を組み立て
かつ読者が(研究者ではなく)
(私を含む)一般人を対象とするという
配慮をする必要があります。
従って本書は
一冊の新書で独ソ戦をコンパクトに
しかも本質的に記述した労作
ということができると思います。
付録の「文献解題」は
次に読むべき本の指針となりますし
「略称、および軍事用語について」
「独ソ戦関連年表」は
よくまとまっていて使いやすいです。
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独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書) 新書 – 2019/7/20
大木 毅
(著)
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「これは絶滅戦争なのだ」。ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。日本人の想像を絶する独ソ戦の惨禍。軍事作戦の進行を追うだけでは、この戦いが顕現させた生き地獄を見過ごすことになるだろう。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す。
「新書大賞2020」大賞受賞!
■著者からのメッセージ
第二次世界大戦の帰趨を決したのは独ソ戦であるが、その規模の巨大さと筆紙につくしがたい惨禍ゆえに、日本人にはなかなか実感しにくい。たとえば一九四二年のドイツ軍夏季攻勢は、日本地図にあてはめれば、日本海の沖合から関東平野に至る空間に相当する広大な地域で実行された。また、独ソ戦全体での死者は、民間人も含めて数千万におよぶ。しかも、この数字には、戦死者のみならず、飢餓や虐待、ジェノサイドによって死に至った者のそれも含まれているのだ。そうした惨戦は、必ずしも狂気や不合理によって生じたものではない。人種差別、社会統合のためのフィクションであったはずのイデオロギーの暴走、占領地からの収奪に訴えてでも、より良い生活を維持したいという民衆の欲求……。さまざまな要因が複合し、史上空前の惨憺たる戦争を引き起こした。本書は、軍事的な展開の叙述に主眼を置きつつ、イデオロギー、経済、社会、ホロコーストとの関連からの説明にも多くのページを割いた。これが、独ソ戦という負の歴史を繰り返さぬための教訓を得る一助となれば、著者にとってはまたとない歓びである。
■呉座勇一氏推薦
冷戦期のプロパガンダによって歪められた独ソ戦像がいまだに日本では根強く残っている。本書は明快な軍事史的叙述を軸に、独ソ両国の政治・外交・経済・世界観など多様な面からその虚像を打ち払う。露わになった実像はより凄惨なものだが、人類史上最悪の戦争に正面から向き合うことが21世紀の平和を築く礎となるだろう。
「新書大賞2020」大賞受賞!
■著者からのメッセージ
第二次世界大戦の帰趨を決したのは独ソ戦であるが、その規模の巨大さと筆紙につくしがたい惨禍ゆえに、日本人にはなかなか実感しにくい。たとえば一九四二年のドイツ軍夏季攻勢は、日本地図にあてはめれば、日本海の沖合から関東平野に至る空間に相当する広大な地域で実行された。また、独ソ戦全体での死者は、民間人も含めて数千万におよぶ。しかも、この数字には、戦死者のみならず、飢餓や虐待、ジェノサイドによって死に至った者のそれも含まれているのだ。そうした惨戦は、必ずしも狂気や不合理によって生じたものではない。人種差別、社会統合のためのフィクションであったはずのイデオロギーの暴走、占領地からの収奪に訴えてでも、より良い生活を維持したいという民衆の欲求……。さまざまな要因が複合し、史上空前の惨憺たる戦争を引き起こした。本書は、軍事的な展開の叙述に主眼を置きつつ、イデオロギー、経済、社会、ホロコーストとの関連からの説明にも多くのページを割いた。これが、独ソ戦という負の歴史を繰り返さぬための教訓を得る一助となれば、著者にとってはまたとない歓びである。
■呉座勇一氏推薦
冷戦期のプロパガンダによって歪められた独ソ戦像がいまだに日本では根強く残っている。本書は明快な軍事史的叙述を軸に、独ソ両国の政治・外交・経済・世界観など多様な面からその虚像を打ち払う。露わになった実像はより凄惨なものだが、人類史上最悪の戦争に正面から向き合うことが21世紀の平和を築く礎となるだろう。
- 本の長さ248ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2019/7/20
- 寸法10.7 x 1.1 x 17.3 cm
- ISBN-104004317851
- ISBN-13978-4004317852
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商品の説明
著者について
大木 毅
1961年生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学(専門はドイツ現代史、国際政治史)。千葉大学ほかの非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師などを経て、現在、著述業。
著書─『「砂漠の狐」ロンメル』(角川新書、2019)、『ドイツ軍事史』(作品社、2016)ほか
訳書─エヴァンズ『第三帝国の歴史』(監修。白水社、2018─)、ネーリング『ドイツ装甲部隊史 1916-1945』(作品社、2018)、フリーザー『「電撃戦」という幻』(共訳。中央公論新社、2003)ほか
1961年生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学(専門はドイツ現代史、国際政治史)。千葉大学ほかの非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師などを経て、現在、著述業。
著書─『「砂漠の狐」ロンメル』(角川新書、2019)、『ドイツ軍事史』(作品社、2016)ほか
訳書─エヴァンズ『第三帝国の歴史』(監修。白水社、2018─)、ネーリング『ドイツ装甲部隊史 1916-1945』(作品社、2018)、フリーザー『「電撃戦」という幻』(共訳。中央公論新社、2003)ほか
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2019/7/20)
- 発売日 : 2019/7/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 248ページ
- ISBN-10 : 4004317851
- ISBN-13 : 978-4004317852
- 寸法 : 10.7 x 1.1 x 17.3 cm
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著者について
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イメージ付きのレビュー

5 星
ソ連軍の有機的で連続的な作戦が見事
これまでの独ソ戦の見方が180度変わりました。従来は軍曹あがりで軍事的に素人のヒトラーが無理難題を押しつけたため、優秀なドイツ軍が目的を達することが出来ず、人海戦術のソ連に押されてしまったという認識だったんですが、スターリングラードの独第6軍を逆包囲して殲滅してからは、ソ連軍が見事な連続打撃による有機的な大作戦をみせるですね。終戦時の無傷の日本軍もソ連軍には鎧袖一触で粉砕されるんですが、それはソ連軍の見事なまでの有機的で連続的な作戦にあったんだな、と分かりました。 本書はいきなり出だしから良いんです。スターリングラードを東京として考えると、戦いの発端となったハリコフは金沢から300kmの日本海の海中、黒海に注ぐドン河の河口という交通の要衝のロストフ・ナ・ドヌーは奈良県という広大さ。ヒトラーが、いくらスターリンがトハシェフスキー以下の軍幹部を粛清していたのを知っていたにしても、よくこんな大作戦を勝利に導けると思ったな、と。 それにしても、ドイツ軍は41年7月のスモレンスク包囲戦で辛うじて勝利したものの、補給路が伸びきり、部隊の消耗も激しく、この時点で打撃力が足りなくなり事実上ソ連打倒は不可能になっていた、というんですね。まったく、当時の日本の駐欧州武官は何やってたんだ?と思います。12月の日米開戦まで半年もあるのに、まだ「バスに乗り遅れるな」と思い込んでいたなんて(p.62-)。 ヒトラーはモスクワ侵攻が不可能となるや、今度は戦争継続のために石油を取ると言って、大コーカサス山脈の北麓にあるマイコープを占領したものの、ソ連が退却する前に破壊したため目的は達せられませんでした(p.140)。マイコープ油田は再稼働は戦後の1947年だそうで、これはイラクも湾岸戦争でクウェートの油田でやってるけど、最悪なんすよね。ソ連の映画で対戦車砲がやたらドイツの戦車に当たった場面がクルスク大戦車戦などで描かれているのを見ると「そんなわけないでしょ」と思っていたけど、ソ連軍は突出部となっていたクルスクを泥濘期が終わったら必ずドイツ軍が標的にすると踏んで、入念に測量の準備していたとは知りませんでした。 p.204の地図はフィンランドからルーマニアに至る長大な戦線を見事にコントルールして、10の軍団から構成される《五つの連続打撃を行う》《攻勢が相互に連関》する見事な戦術を説明しています。これまで東部戦線を描いた本、映像作品は「ヒトラーが口出ししなけりゃ」というドイツ惜しかった史観だったことが痛感されるのが、この独ソ戦の終わりの始まりとなる「バグラチオン」作戦です。
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上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年7月25日に日本でレビュー済み
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2023年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ナチスドイツとスターリンのソ連。二大独裁者がイデオロギー上の生存を懸けて起こした独ソ戦。
それは人類史上未曾有の犠牲者を出す凄惨な戦いとなるのだった。
所謂、ナチスドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」は、開始前からスパイなどによりスターリンの下へ警鐘として報告されていたのだが、スターリンはそれを英国の謀略と断じて無視した。その為、防御体制が殆ど整わないまま攻め込まれたソ連軍は敗北を重ねて多くの死傷者・捕虜を出して後退した。
ナチスドイツ側はスターリン体制など脆弱で、攻め込めばたちまち崩壊するだろうなどとヒトラーから配下の将軍に至まで過小評価していた。要は舐め切っていたのである。
緒戦の大勝利でそれは確信的なものに変わるが、前線の将軍たちは「逃げずに徹底抗戦するソ連兵たち」に思わぬ損害を受けており、大勝利の裏で人的・物的な損害は30%以上は出ていて、今後の不安を暗示していた。
その後は首都である「モスクワ攻略」を主張する将軍たちと、南の油田を確保したいヒトラーとの間で意見が分かれて、結局はヒトラーの意見が優先されて軍が分断されてしまう。
しかし、補給戦が当初から安定せず、鉄道から軍が離れ過ぎて物資を受け取れない事態が多発。さらには戦争の開始でドイツの勢力圏内で食料などの物資を維持することが困難になり、ソ連領内の現地人から略奪することで何とか軍を維持する有様だった。
しかも、ナチスの人種的なイデオロギーではユダヤ人種は言うに及ばず、ソ連に住んでいるスラブ系の人種も「下等人種」として奴隷化・殲滅させなければいけないという位置づけだった。だから、占領後には前線で戦っている国防軍の後ろで特殊部隊が住民を追い詰めて殺害するという作戦を実行。これではいかにスターリン体制が良いものではないと住民が感じていても、ナチスドイツへの傾倒など有り得なかった。
ドイツもソ連もお互いをイデオロギー上の対抗関係としており、そこには生き残るかさもなくば滅亡か、という二者択一の考えしかなかった。だから、戦線がどれ程形勢不利になろうともヒトラーにはソ連と講和しようなどという考えは無く、徹底抗戦あるのみという姿勢しか取れなかった。
将軍たちがどんなに戦略的・戦術的な観点から撤退を求めても、ヒトラーは頑なにそれを認めようとしなかった。つまり、ヒトラーと将軍たちとでは「戦争をしている意味合い」が異なっており、その不一致が指揮系統の混乱に繋がり、ドイツ軍の進撃の大きな足枷になったのだ。
ドイツには戦術の天才とも言うべき「マインシュタイン」がおり、彼は形勢不利なドイツ軍を指揮して幾度もソ連軍に打撃を与えたのだが、ヒトラーと意見違いを重ねた末に解任された。
よく喧伝される「冬将軍」の到来による準備不足も確かに影響した面は大きかったが、それ以上に物資の欠乏が当初から顕著であり、そこに作戦目的の相違による指揮系統の混乱が追い討ちをかけたというのが事実のようだ。
ナチスは戦時中であっても国民に耐乏を強いるような政策はギリギリまで取らず、物資は本国の国民に優先して回された。勿論、その物資の出所はナチスの占領国やソ連の戦勝地域からによるものである。
つまり、他民族の犠牲の上にドイツ国民の生活が成り立っており、ドイツ国民も紛れも無い「共犯者」であったとこの本では結論付けている。
それは人類史上未曾有の犠牲者を出す凄惨な戦いとなるのだった。
所謂、ナチスドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」は、開始前からスパイなどによりスターリンの下へ警鐘として報告されていたのだが、スターリンはそれを英国の謀略と断じて無視した。その為、防御体制が殆ど整わないまま攻め込まれたソ連軍は敗北を重ねて多くの死傷者・捕虜を出して後退した。
ナチスドイツ側はスターリン体制など脆弱で、攻め込めばたちまち崩壊するだろうなどとヒトラーから配下の将軍に至まで過小評価していた。要は舐め切っていたのである。
緒戦の大勝利でそれは確信的なものに変わるが、前線の将軍たちは「逃げずに徹底抗戦するソ連兵たち」に思わぬ損害を受けており、大勝利の裏で人的・物的な損害は30%以上は出ていて、今後の不安を暗示していた。
その後は首都である「モスクワ攻略」を主張する将軍たちと、南の油田を確保したいヒトラーとの間で意見が分かれて、結局はヒトラーの意見が優先されて軍が分断されてしまう。
しかし、補給戦が当初から安定せず、鉄道から軍が離れ過ぎて物資を受け取れない事態が多発。さらには戦争の開始でドイツの勢力圏内で食料などの物資を維持することが困難になり、ソ連領内の現地人から略奪することで何とか軍を維持する有様だった。
しかも、ナチスの人種的なイデオロギーではユダヤ人種は言うに及ばず、ソ連に住んでいるスラブ系の人種も「下等人種」として奴隷化・殲滅させなければいけないという位置づけだった。だから、占領後には前線で戦っている国防軍の後ろで特殊部隊が住民を追い詰めて殺害するという作戦を実行。これではいかにスターリン体制が良いものではないと住民が感じていても、ナチスドイツへの傾倒など有り得なかった。
ドイツもソ連もお互いをイデオロギー上の対抗関係としており、そこには生き残るかさもなくば滅亡か、という二者択一の考えしかなかった。だから、戦線がどれ程形勢不利になろうともヒトラーにはソ連と講和しようなどという考えは無く、徹底抗戦あるのみという姿勢しか取れなかった。
将軍たちがどんなに戦略的・戦術的な観点から撤退を求めても、ヒトラーは頑なにそれを認めようとしなかった。つまり、ヒトラーと将軍たちとでは「戦争をしている意味合い」が異なっており、その不一致が指揮系統の混乱に繋がり、ドイツ軍の進撃の大きな足枷になったのだ。
ドイツには戦術の天才とも言うべき「マインシュタイン」がおり、彼は形勢不利なドイツ軍を指揮して幾度もソ連軍に打撃を与えたのだが、ヒトラーと意見違いを重ねた末に解任された。
よく喧伝される「冬将軍」の到来による準備不足も確かに影響した面は大きかったが、それ以上に物資の欠乏が当初から顕著であり、そこに作戦目的の相違による指揮系統の混乱が追い討ちをかけたというのが事実のようだ。
ナチスは戦時中であっても国民に耐乏を強いるような政策はギリギリまで取らず、物資は本国の国民に優先して回された。勿論、その物資の出所はナチスの占領国やソ連の戦勝地域からによるものである。
つまり、他民族の犠牲の上にドイツ国民の生活が成り立っており、ドイツ国民も紛れも無い「共犯者」であったとこの本では結論付けている。
2024年2月20日に日本でレビュー済み
冒頭に「日本では独ソ戦の分析がひどく遅れている」とある。確かにヨーロッパ戦線では圧倒的に米英連合軍の戦いぶりが宣伝され、ソ連の戦いは、オリバー・ストーン監督がTVで「第二次世界大戦はソ連が勝利をもたらした」と述べるまでは関心が薄かった。このたび本書が、ソ連邦崩壊前後に明らかにされた新資料をもとに書き上げた「独ソ戦」の真実を読むことが出来て嬉しい。
大木毅氏は、この戦争は領土を争う「通常戦争」ではなく「世界観戦争」だったと分析する。世界観戦争とはヒトラードクトリンによる、人種的に優れたゲルマン民族が劣等民族のスラブ人を奴隷にし、彼らが信奉する「ボリシュビズム」を地上から抹殺する「聖戦」を指す。ソ連邦から見れば、売られた喧嘩とはいえ、この戦争に勝つことはボリシュビズムを全世界に拡張する契機であった。それ故戦争では双方ともに「戦時国際法」に違反する残忍な殺戮が各級の段階で行われた。過去にもあった一種の「宗教戦争」であるが、規模と兵器が違う。
世界観戦争の戦略はソ連が一枚上手だった。ドイツは戦術の一つ一つに勝利して行くことで自ずから広範囲な勝利をもたらす、といった第一次世界大戦の戦法を踏襲したのに対して、同じ敗戦国のソ連は戦略と戦術を有機的に連結する「作戦術」という概念を編み出した。「戦術上の成果を作戦次元の成功に結びつけ、さらに特定戦域での「戦略」的勝利に持って行く」とするもので、具体的には「連続縦深打撃理論」を指す。一つの「戦術」で敵の最弱箇所を突き、敵戦力と通信手段を無効化した後、直ちに一つの「作戦」で複数の25kmないし30kmの縦深地域を制圧すると言う理論である。防戦時には機能し難いが、攻戦時には圧倒的な効果を挙げた。
「独ソ戦」とは1941年6月22日にドイツが一方的に「独ソ不可侵条約」を破ってソヴィエト連邦に侵攻してから45年5月7日のドイツ降伏までの長い戦争を指す。本書はその中での主戦線として、モスクワ攻防戦、スモレンスク攻防戦、スターリングラード攻防戦を取り上げている。
モスクワ攻防戦では、スターリンは当初、ドイツ軍の総攻撃が近づいていると言うゾルゲ等の申告をまるで信用しなかった。ドイツとは1939年9月の開戦直前に「秘密協定」を結んでポーランドを分割した「お仲間」である。しかしそれは違った。ドイツ軍は開戦以来破竹の勢いで西ヨーロッパを席巻したが、決め手となる英国を落とすことが出来ず、戦いの方角を東側に移したのである。
ヒトラーは首尾一貫して、「東方植民地帝国」を建設するという政治構想を追求していたという。ソ連を打倒し、東欧のスラブ民族やユダヤ民族をロシアに移住させてゲルマン民族の植民地とする。西欧諸国をそれに参画させるか、中立を保たせると言う、世界を作り変える計画だった。ユダヤ人絶滅計画も最初から計画されていたものでなく、ソ連侵攻が不可能と認識された1942年初頭になって代替案として作成されたものだという。日本では早くから永岑三千輝横浜市立大学教授が主張している見解だが、ハンナ・アーレントは「ホロコーストは大戦前から予定されていた」とする。史実は1942年1月20 日に「ヴァンゼー会議」が開催され、「ユダヤ人問題の最終的解決」実行が決定されており、最近は永岑説が支持を広げていると言われる。本書もこれによっている
330万の兵を動員し3方面に向かうドイツ軍に対して、圧倒的に準備不足のソ連軍は初戦で総崩れとなり、ハルダー・ドイツ陸軍参謀総長は「2週間で終わらせる」と豪語する。1930年代の「大粛清」で将校がひどく不足するソ連軍は有効な戦いを組めずドイツ軍は快進撃する。しかしそれが裏目に出た。補給が間に合わないのである。ロシアの道路は貧弱で効率的な運搬が機能しない。ソ連兵は思ったより勇敢だった。ドイツ兵の略奪行為はロシア農民を憤激させた。完全に粉砕せぬまま突破したソ連軍に背後から脅かされる。その間にソ連は550万人の予備役を招集する。ドイツ軍は途中のスモレンスクとキエフ攻撃でひどく時間を費やし、勝利後も燃料不足で膠着状態となる。10月になると雪が降り道路は泥濘となった。道路が凍結しソ連軍は攻撃に入るが、双方が「ただ負けないだけ」の消耗戦となる。12月5日、ついにドイツ軍は攻撃を中止する。両軍とも「グロッキーのボクサー同士の戦い」と称せられる限界だった。ヒトラーはドイツ軍の後退時に「その場を死守せよ」と連呼し、その命令でドイツ軍の全滅を免れたと自賛し、その後は戦況が行き詰まっても撤退命令発令を拒むようになる。
敗退の原因はドイツ国防軍がソ連軍を甘く見すぎていたこと。必ずしもモスクワ占領にこだわらないとするヒトラーに対して(事実レニングラードは市内に突入せずに「兵糧攻め」で軍事機能を麻痺させた)、国防軍があくまでも首都を陥落させて凱歌を揚げる前世紀型の戦術に固執したことにあった。ドイツ国防軍幹部は戦後、ドイツ軍の嫌戦気分を強調。開戦・敗戦の責はヒトラー伍長の素人指揮にあったとしたが、事実が明らかになり、彼らの杜撰な戦い方もヒトラーに劣らず大きいことが判った。
第二次世界大戦でも屈指の激戦である、スターリングラード攻防戦は軍事的には大した重要度を持たない一都市を両軍が面子のためだけで戦った「愚行」であった。
1942年、ドイツは日本の参戦による米英の戦力分断に助けられ、この年にソ連を打ち負かすことが至上命令となった。日本と同様に石油資源を持たないドイツはコーカサス地方の油田確保が至上課題となる。ドイツは石油かモスクワ再進撃かで迷った末、今回は石油を選ぶ「経済」を優先させたが、コーカサスへの進軍途上にある都市スターリングラードをどうするかという点においては、レニングラードと同じく応戦不能にさえしておくだけで良いとの意見がある中で、ヒトラーあえてスターリングラード完全占領策を選んだ。ソ連の独裁者名を押し戴くこの都市を陥落することで政治上の勝利を目論んだのだ。ヒトラーは全軍の指揮を掌握する。ソ連軍も昨年の攻守戦で、必ずしも根拠地を死守する必要はないとの判断に傾いていたが、ヒトラーのスターリングラード占領作戦を見抜くと、断固この地を守り切ることを選んた。自分の名がついたこの都市を敵に蹂躙されることは耐えがたかった。コーカサスの油田は既にソ連軍が施設を徹底的に破壊して撤退していた。
ドイツ軍は先ず8月22日に大規模な空襲を行い、廃墟と化した市内に突入した。待ち受けるソ連兵もスターリンから「一歩も後退するな」と厳命されて瓦礫の中に閉じこもった。「ネズミの戦争」と称される壮絶な市街戦が始まる。9月末にはドイツ軍は市都の80%を占領したが、ソ連軍は夜間に乗じて予備軍を渡川させる。ここでも補給がままならず、ドイツ軍の打撃力はここまでで朽ち果てる。都市の狭い正面に精鋭部隊を密集させ、両翼をイタリア、ルーマニア、ハンガリーの同盟軍に任せていたが、次々と破られソ連軍の進軍を許す。11月19日、ソ連軍の 26万の兵員と戦車1000 両余、火砲1、700門 が襲いかかる。またしてもの雪の到来もあって、1943年2月2日迄に、ドイツ全軍が投降した。ヒトラーひとつ覚えの「その場を死守」命令も効き目なかった。
この間日本はドイツとソ連の和平交渉の仲立ちを図っている。1942年の2,3月にかけて日本外務省は独ソに停戦の呼びかけを行った。日本としては日独伊ソが同盟を結んで米英と対する、というかねてから論議のあった思索を試す欲望からだったが、双方からすげなく拒絶された。ヒトラーには「世界観戦争」への未練が、スターリンには別の思惑が湧いたからである。
これで主要な戦いは終わる。ドイツ軍は 1941年には全戦線にわたって、 ソ連邦崩壊を狙った攻勢を実行することができた。1942年にもソ連軍主力を撃滅し、資源地帯の奪取を企図する作戦を実施出来た。1943年のドイツ軍には、もはや戦略的攻勢は不可能で、 より次元の低い作戦的攻勢が出来るのみだった。スターリングラード降伏の後、戦線は同市の東北部に位置するハリコフ、クルスクに移るが、ここでも負けた。
連敗の中でドイツ国民は「戦うという」選択肢しか持ち得なかった。なぜならば、ドイツ軍が併合・占領した国々からの収奪が、 ドイツ国民の特権維持を可能にしてきたからである。「ドイツ国民はナチ政権の「共犯者」だった」
独ソ戦は今やスターリンのための戦争に変質していた。ソ連はさらに領土を増やすことが至上目的になった。戦後情勢を見据えてソ連邦を警戒し始めた欧米との間に東欧諸国を衛星国とする緩衝地帯を作らねばならない。1991年のソ連崩壊まで続く「冷戦」の始まりである。
1945年1月12 日、ソ連軍のドイツ国内進攻が開始、スターリンは当初慎重に作戦指揮を執っていた、連合軍がベルリンを目指しているとの報が入ると、4月20日ベルリン総攻撃を命じた。ベルリン一番乗りの実績は戦後交渉を左右する。ドイツはスターリンの主張通り東西に分割された
大木論文はページに制限のある小冊の中で、実に歯切れ良く読み進むことが出来、それどころか両軍の表裏まで探り出して小気味良かった(本書評の方が冗漫になってしまった)。挿入されている図表もわかりやすい。戦後80年を経てようやく描き出せた独ソ戦の「真実」と言って良く、大いに堪能した。これ以上の余計な尾鰭は他書に任せれば良い。
大木毅氏は、この戦争は領土を争う「通常戦争」ではなく「世界観戦争」だったと分析する。世界観戦争とはヒトラードクトリンによる、人種的に優れたゲルマン民族が劣等民族のスラブ人を奴隷にし、彼らが信奉する「ボリシュビズム」を地上から抹殺する「聖戦」を指す。ソ連邦から見れば、売られた喧嘩とはいえ、この戦争に勝つことはボリシュビズムを全世界に拡張する契機であった。それ故戦争では双方ともに「戦時国際法」に違反する残忍な殺戮が各級の段階で行われた。過去にもあった一種の「宗教戦争」であるが、規模と兵器が違う。
世界観戦争の戦略はソ連が一枚上手だった。ドイツは戦術の一つ一つに勝利して行くことで自ずから広範囲な勝利をもたらす、といった第一次世界大戦の戦法を踏襲したのに対して、同じ敗戦国のソ連は戦略と戦術を有機的に連結する「作戦術」という概念を編み出した。「戦術上の成果を作戦次元の成功に結びつけ、さらに特定戦域での「戦略」的勝利に持って行く」とするもので、具体的には「連続縦深打撃理論」を指す。一つの「戦術」で敵の最弱箇所を突き、敵戦力と通信手段を無効化した後、直ちに一つの「作戦」で複数の25kmないし30kmの縦深地域を制圧すると言う理論である。防戦時には機能し難いが、攻戦時には圧倒的な効果を挙げた。
「独ソ戦」とは1941年6月22日にドイツが一方的に「独ソ不可侵条約」を破ってソヴィエト連邦に侵攻してから45年5月7日のドイツ降伏までの長い戦争を指す。本書はその中での主戦線として、モスクワ攻防戦、スモレンスク攻防戦、スターリングラード攻防戦を取り上げている。
モスクワ攻防戦では、スターリンは当初、ドイツ軍の総攻撃が近づいていると言うゾルゲ等の申告をまるで信用しなかった。ドイツとは1939年9月の開戦直前に「秘密協定」を結んでポーランドを分割した「お仲間」である。しかしそれは違った。ドイツ軍は開戦以来破竹の勢いで西ヨーロッパを席巻したが、決め手となる英国を落とすことが出来ず、戦いの方角を東側に移したのである。
ヒトラーは首尾一貫して、「東方植民地帝国」を建設するという政治構想を追求していたという。ソ連を打倒し、東欧のスラブ民族やユダヤ民族をロシアに移住させてゲルマン民族の植民地とする。西欧諸国をそれに参画させるか、中立を保たせると言う、世界を作り変える計画だった。ユダヤ人絶滅計画も最初から計画されていたものでなく、ソ連侵攻が不可能と認識された1942年初頭になって代替案として作成されたものだという。日本では早くから永岑三千輝横浜市立大学教授が主張している見解だが、ハンナ・アーレントは「ホロコーストは大戦前から予定されていた」とする。史実は1942年1月20 日に「ヴァンゼー会議」が開催され、「ユダヤ人問題の最終的解決」実行が決定されており、最近は永岑説が支持を広げていると言われる。本書もこれによっている
330万の兵を動員し3方面に向かうドイツ軍に対して、圧倒的に準備不足のソ連軍は初戦で総崩れとなり、ハルダー・ドイツ陸軍参謀総長は「2週間で終わらせる」と豪語する。1930年代の「大粛清」で将校がひどく不足するソ連軍は有効な戦いを組めずドイツ軍は快進撃する。しかしそれが裏目に出た。補給が間に合わないのである。ロシアの道路は貧弱で効率的な運搬が機能しない。ソ連兵は思ったより勇敢だった。ドイツ兵の略奪行為はロシア農民を憤激させた。完全に粉砕せぬまま突破したソ連軍に背後から脅かされる。その間にソ連は550万人の予備役を招集する。ドイツ軍は途中のスモレンスクとキエフ攻撃でひどく時間を費やし、勝利後も燃料不足で膠着状態となる。10月になると雪が降り道路は泥濘となった。道路が凍結しソ連軍は攻撃に入るが、双方が「ただ負けないだけ」の消耗戦となる。12月5日、ついにドイツ軍は攻撃を中止する。両軍とも「グロッキーのボクサー同士の戦い」と称せられる限界だった。ヒトラーはドイツ軍の後退時に「その場を死守せよ」と連呼し、その命令でドイツ軍の全滅を免れたと自賛し、その後は戦況が行き詰まっても撤退命令発令を拒むようになる。
敗退の原因はドイツ国防軍がソ連軍を甘く見すぎていたこと。必ずしもモスクワ占領にこだわらないとするヒトラーに対して(事実レニングラードは市内に突入せずに「兵糧攻め」で軍事機能を麻痺させた)、国防軍があくまでも首都を陥落させて凱歌を揚げる前世紀型の戦術に固執したことにあった。ドイツ国防軍幹部は戦後、ドイツ軍の嫌戦気分を強調。開戦・敗戦の責はヒトラー伍長の素人指揮にあったとしたが、事実が明らかになり、彼らの杜撰な戦い方もヒトラーに劣らず大きいことが判った。
第二次世界大戦でも屈指の激戦である、スターリングラード攻防戦は軍事的には大した重要度を持たない一都市を両軍が面子のためだけで戦った「愚行」であった。
1942年、ドイツは日本の参戦による米英の戦力分断に助けられ、この年にソ連を打ち負かすことが至上命令となった。日本と同様に石油資源を持たないドイツはコーカサス地方の油田確保が至上課題となる。ドイツは石油かモスクワ再進撃かで迷った末、今回は石油を選ぶ「経済」を優先させたが、コーカサスへの進軍途上にある都市スターリングラードをどうするかという点においては、レニングラードと同じく応戦不能にさえしておくだけで良いとの意見がある中で、ヒトラーあえてスターリングラード完全占領策を選んだ。ソ連の独裁者名を押し戴くこの都市を陥落することで政治上の勝利を目論んだのだ。ヒトラーは全軍の指揮を掌握する。ソ連軍も昨年の攻守戦で、必ずしも根拠地を死守する必要はないとの判断に傾いていたが、ヒトラーのスターリングラード占領作戦を見抜くと、断固この地を守り切ることを選んた。自分の名がついたこの都市を敵に蹂躙されることは耐えがたかった。コーカサスの油田は既にソ連軍が施設を徹底的に破壊して撤退していた。
ドイツ軍は先ず8月22日に大規模な空襲を行い、廃墟と化した市内に突入した。待ち受けるソ連兵もスターリンから「一歩も後退するな」と厳命されて瓦礫の中に閉じこもった。「ネズミの戦争」と称される壮絶な市街戦が始まる。9月末にはドイツ軍は市都の80%を占領したが、ソ連軍は夜間に乗じて予備軍を渡川させる。ここでも補給がままならず、ドイツ軍の打撃力はここまでで朽ち果てる。都市の狭い正面に精鋭部隊を密集させ、両翼をイタリア、ルーマニア、ハンガリーの同盟軍に任せていたが、次々と破られソ連軍の進軍を許す。11月19日、ソ連軍の 26万の兵員と戦車1000 両余、火砲1、700門 が襲いかかる。またしてもの雪の到来もあって、1943年2月2日迄に、ドイツ全軍が投降した。ヒトラーひとつ覚えの「その場を死守」命令も効き目なかった。
この間日本はドイツとソ連の和平交渉の仲立ちを図っている。1942年の2,3月にかけて日本外務省は独ソに停戦の呼びかけを行った。日本としては日独伊ソが同盟を結んで米英と対する、というかねてから論議のあった思索を試す欲望からだったが、双方からすげなく拒絶された。ヒトラーには「世界観戦争」への未練が、スターリンには別の思惑が湧いたからである。
これで主要な戦いは終わる。ドイツ軍は 1941年には全戦線にわたって、 ソ連邦崩壊を狙った攻勢を実行することができた。1942年にもソ連軍主力を撃滅し、資源地帯の奪取を企図する作戦を実施出来た。1943年のドイツ軍には、もはや戦略的攻勢は不可能で、 より次元の低い作戦的攻勢が出来るのみだった。スターリングラード降伏の後、戦線は同市の東北部に位置するハリコフ、クルスクに移るが、ここでも負けた。
連敗の中でドイツ国民は「戦うという」選択肢しか持ち得なかった。なぜならば、ドイツ軍が併合・占領した国々からの収奪が、 ドイツ国民の特権維持を可能にしてきたからである。「ドイツ国民はナチ政権の「共犯者」だった」
独ソ戦は今やスターリンのための戦争に変質していた。ソ連はさらに領土を増やすことが至上目的になった。戦後情勢を見据えてソ連邦を警戒し始めた欧米との間に東欧諸国を衛星国とする緩衝地帯を作らねばならない。1991年のソ連崩壊まで続く「冷戦」の始まりである。
1945年1月12 日、ソ連軍のドイツ国内進攻が開始、スターリンは当初慎重に作戦指揮を執っていた、連合軍がベルリンを目指しているとの報が入ると、4月20日ベルリン総攻撃を命じた。ベルリン一番乗りの実績は戦後交渉を左右する。ドイツはスターリンの主張通り東西に分割された
大木論文はページに制限のある小冊の中で、実に歯切れ良く読み進むことが出来、それどころか両軍の表裏まで探り出して小気味良かった(本書評の方が冗漫になってしまった)。挿入されている図表もわかりやすい。戦後80年を経てようやく描き出せた独ソ戦の「真実」と言って良く、大いに堪能した。これ以上の余計な尾鰭は他書に任せれば良い。
2023年9月30日に日本でレビュー済み
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