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村上春樹は、むずかしい (岩波新書) 新書 – 2015/12/19
加藤 典洋
(著)
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はたして村上文学は、大衆的な人気に支えらえられる文学にとどまるものなのか。文学的達成があるとすれば、その真価とはなにか――。「わかりにくい」村上春樹、「むずかしい」村上春樹、誰にも理解されていない村上春樹の文学像について、全作品を詳細に読み解いてきた著者ならではの視座から、その核心を提示する。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2015/12/19
- 寸法10.7 x 1.1 x 17.3 cm
- ISBN-104004315751
- ISBN-13978-4004315759
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2015/12/19)
- 発売日 : 2015/12/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 4004315751
- ISBN-13 : 978-4004315759
- 寸法 : 10.7 x 1.1 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 359,575位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,726位岩波新書
- - 55,508位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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2023年12月4日に日本でレビュー済み
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まだ読んでないですがキレイなので村上春樹さんの本の脇に並んでます。
2022年12月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
イエローページ1、2の次くらいになります。
私は3よりは読んでよかったと思いましたが、1、2に比べると絶対読むべきとまではいかないと思います。
私は3よりは読んでよかったと思いましたが、1、2に比べると絶対読むべきとまではいかないと思います。
2023年7月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自身が表面的な読みしかしていないことを再認識させられた、プロの読み方。
2016年1月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
僕は1984年頃の大学生の頃に村上を読み始めた。従い、コアなファンだと自分では思っている。本書も
その流れで読んだ。非常に読み応えがあった。感想は三点である。
一点目。著者が村上の初期の短編を読みこんでいる点が興味深かった。村上は短編をある種の実験として書いて
いることが多いと思っている。短編をまず書き上げ、その後それを膨らませて長編を書くことがある。「ノルウェイの森」
や、「ねじまき鳥」等がその好例である。但し、著者の分析は更に詳細にわたっている。「中国行きのスロウボート」
を丹念に読みこむことで見えているものが多く、かつ、深い。本書を読んでいて、なるほどと膝を叩く場面がしばしば
有った。
二点目。村上の著作を時代別に骨太に分類している点に納得性があった。その時々の時代を村上がどう
踏まえて本を書いてきたのかが非常に綺麗に整理されている。ある意味「綺麗すぎる」感もある。村上が
本書を読んで納得するかどうかは分からない。但し、少なくとも、ある種の真実性を感じさせるものは
ある。
三点目。同時代の作家を、読んでいくことは楽しい。作家が作風を変えていく一方、読者である僕自身も変わっていく
からだ。本は読み手によって自由に解釈される権利がある。読み手の僕自身の変化を村上という同時代の
作家の著作から読み取るという作業も可能だ。例えば「風の歌を聴け」も20歳代と50歳代の僕では
まるで読み方が変わっている。それを僕自身の成長と言えるとしたら、それが読書の醍醐味である。
その流れで読んだ。非常に読み応えがあった。感想は三点である。
一点目。著者が村上の初期の短編を読みこんでいる点が興味深かった。村上は短編をある種の実験として書いて
いることが多いと思っている。短編をまず書き上げ、その後それを膨らませて長編を書くことがある。「ノルウェイの森」
や、「ねじまき鳥」等がその好例である。但し、著者の分析は更に詳細にわたっている。「中国行きのスロウボート」
を丹念に読みこむことで見えているものが多く、かつ、深い。本書を読んでいて、なるほどと膝を叩く場面がしばしば
有った。
二点目。村上の著作を時代別に骨太に分類している点に納得性があった。その時々の時代を村上がどう
踏まえて本を書いてきたのかが非常に綺麗に整理されている。ある意味「綺麗すぎる」感もある。村上が
本書を読んで納得するかどうかは分からない。但し、少なくとも、ある種の真実性を感じさせるものは
ある。
三点目。同時代の作家を、読んでいくことは楽しい。作家が作風を変えていく一方、読者である僕自身も変わっていく
からだ。本は読み手によって自由に解釈される権利がある。読み手の僕自身の変化を村上という同時代の
作家の著作から読み取るという作業も可能だ。例えば「風の歌を聴け」も20歳代と50歳代の僕では
まるで読み方が変わっている。それを僕自身の成長と言えるとしたら、それが読書の醍醐味である。
2016年6月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書では、まず「否定性の否定」をキーワードにして村上作品が読み解かれています。著者によれば、近代文学は権威、権力、体制といったものとの対立を前提にしています。その一方、反権威、反権力、反体制という「否定性」は、反抗すべき対象がなければ存在しえないという意味で、その対象に依存しています。
そのため、社会全体が豊かになり反抗する意志が衰える時代において、必然的に「否定性」の価値は下がらざるをえない。そうした時勢にあって、「否定性」に依拠せず、どのような新しい価値を創出すべきか。村上の答えが「否定性の否定」であり、それとの絶えざる格闘が村上の前期作品の基調をなす、と著者は述べます。
「否定性の否定」の論理は「肯定性の肯定」に転化したとき、高度資本主義社会における欲望を全肯定するかのように見える。しかし著者いわく、同時代の「肯定性の肯定」の作家と村上が異なるのは、つねに「否定性」や「肯定性」を相対化する眼差しをもっていたことです。
高度資本主義社会においては反抗することそれ自体、すなわち「否定性」すら、たやすく消費あるいは生産という肯定的な行為して社会の内部に組み込まれてしまう。村上はそれに自覚的であり続け、「否定性」の論理の枠組みを抜けだそうと試みる。社会とのあいだにクールな距離を置く「デタッチメント」は、肯定か否定かという単純な二者択一によって社会に組み込まれないための彼なりの姿勢である、というのです。
そして村上は徐々に、自分の殻にこもる自閉性という「デタッチメント」さえも相対化していくことで、中期、後期の「コミットメント」の時代に入っていく、とその後も本書では考察が続いていきます。
「否定性の否定」という観点からの村上作品の読解にはなるほど納得でした。権威、権力、体制に対する反抗、つまり「否定性」というのは、それこそ文学におけるもっとも大きなテーマのひとつでしょう。
「否定性」それ自体をテーマにした近代日本文学として、真っ先に思い浮かぶのは夏目漱石の『こころ』です。『こころ』では、「所有」への欲望を憎悪していたはずの「先生」が、ひとりの女性をめぐる鞘あてにより、自分自身が忌み嫌っていた欲望にのまれてしまったことに気づき、自己嫌悪から世捨て人のような(「デタッチメント」的な)暮らしを送ったすえ、自死を選ぶまでが描かれます。「所有」とはもちろん近代社会の所産であり、近代的なものの象徴です。人間は自分自身を内包する社会に反抗することは可能なのか。問題の帰結は「先生」による「否定性」の挫折であり、それが「私」という相対的な視点から語られていました。漱石は100年前の時点ですでに、単純な「否定性」の論理が破綻せざるをえないことを見抜いていました。
したがって「否定性」という点から、村上春樹と日本の近代文学を接続して論じるのは、ある意味あたり前なのですが、自分では少しも意識していませんでした。
著者のイデオロギーに合わせたような解釈も見られますが、それでも過去の作品から最近のものまで作家の道筋がわかりやすく整理されていたと思います。評者は中期くらいまでの村上ファンであり、今ではエッセイ以外の彼の作品はほとんど読んでいませんが、もう一度村上作品を読みたくなりました。
ちなみに本書で論考される村上作品は以下のものです(登場順に並べており、短編、中篇、長編の区別はしていません)。
『風の歌を聴け』『中国行きのスロウ・ボート』『貧乏な叔母さんの話』『ニューヨーク炭鉱の悲劇』『パン屋襲撃』『パン屋再襲撃』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『めくらやなぎと眠る女』『アンダーグラウンド』『約束された場所で』『スプートニクの恋人』『神の子どもたちはみな踊る』『海辺のカフカ』『アフターダーク』『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『ドライブ・マイ・カー』
そのため、社会全体が豊かになり反抗する意志が衰える時代において、必然的に「否定性」の価値は下がらざるをえない。そうした時勢にあって、「否定性」に依拠せず、どのような新しい価値を創出すべきか。村上の答えが「否定性の否定」であり、それとの絶えざる格闘が村上の前期作品の基調をなす、と著者は述べます。
「否定性の否定」の論理は「肯定性の肯定」に転化したとき、高度資本主義社会における欲望を全肯定するかのように見える。しかし著者いわく、同時代の「肯定性の肯定」の作家と村上が異なるのは、つねに「否定性」や「肯定性」を相対化する眼差しをもっていたことです。
高度資本主義社会においては反抗することそれ自体、すなわち「否定性」すら、たやすく消費あるいは生産という肯定的な行為して社会の内部に組み込まれてしまう。村上はそれに自覚的であり続け、「否定性」の論理の枠組みを抜けだそうと試みる。社会とのあいだにクールな距離を置く「デタッチメント」は、肯定か否定かという単純な二者択一によって社会に組み込まれないための彼なりの姿勢である、というのです。
そして村上は徐々に、自分の殻にこもる自閉性という「デタッチメント」さえも相対化していくことで、中期、後期の「コミットメント」の時代に入っていく、とその後も本書では考察が続いていきます。
「否定性の否定」という観点からの村上作品の読解にはなるほど納得でした。権威、権力、体制に対する反抗、つまり「否定性」というのは、それこそ文学におけるもっとも大きなテーマのひとつでしょう。
「否定性」それ自体をテーマにした近代日本文学として、真っ先に思い浮かぶのは夏目漱石の『こころ』です。『こころ』では、「所有」への欲望を憎悪していたはずの「先生」が、ひとりの女性をめぐる鞘あてにより、自分自身が忌み嫌っていた欲望にのまれてしまったことに気づき、自己嫌悪から世捨て人のような(「デタッチメント」的な)暮らしを送ったすえ、自死を選ぶまでが描かれます。「所有」とはもちろん近代社会の所産であり、近代的なものの象徴です。人間は自分自身を内包する社会に反抗することは可能なのか。問題の帰結は「先生」による「否定性」の挫折であり、それが「私」という相対的な視点から語られていました。漱石は100年前の時点ですでに、単純な「否定性」の論理が破綻せざるをえないことを見抜いていました。
したがって「否定性」という点から、村上春樹と日本の近代文学を接続して論じるのは、ある意味あたり前なのですが、自分では少しも意識していませんでした。
著者のイデオロギーに合わせたような解釈も見られますが、それでも過去の作品から最近のものまで作家の道筋がわかりやすく整理されていたと思います。評者は中期くらいまでの村上ファンであり、今ではエッセイ以外の彼の作品はほとんど読んでいませんが、もう一度村上作品を読みたくなりました。
ちなみに本書で論考される村上作品は以下のものです(登場順に並べており、短編、中篇、長編の区別はしていません)。
『風の歌を聴け』『中国行きのスロウ・ボート』『貧乏な叔母さんの話』『ニューヨーク炭鉱の悲劇』『パン屋襲撃』『パン屋再襲撃』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『めくらやなぎと眠る女』『アンダーグラウンド』『約束された場所で』『スプートニクの恋人』『神の子どもたちはみな踊る』『海辺のカフカ』『アフターダーク』『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『ドライブ・マイ・カー』
2016年12月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の方はビックリするぐらい村上春樹を読めていない。手に取ってみて非常に残念な思いがした。これは読み解いているんじゃなくてただの誤読。
2020年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まるで村上春樹が語っているような、真実味、説得力のある知的な評論。ただし、『村上春樹を少し読んだけれど、ちょっとわかんないから、解説本でも読んでみよう』的な軽いノリで買うと痛い目みます。あくまでも岩波新書です。