まず著者である広井良典氏は、これまでの著書で一貫して現代の資本主義的問題、
たとえば経済格差の問題や国民幸福度の問題、それにつながる福祉政策論などに、
独自の注目すべき理論を展開してきた。広井氏の著作の面白いところは、
資本主義の根底に存在する問題を、社会民主主義的思考で解決しようとするだけでなく、
人間の幸福観を認識論的な生命観や哲学による人生観に転換することで、
幸福のあり方を再考すべきであると主張しているところである。
つまり彼の言う資本主義の諸問題は、マルクス主義思想に則って解決されるべきものではなく、
社会民主主義的発想から由来する彼独自の文化論によって解決されるべきものとするのである。
本著においては、「第1部 資本主義の進化」、「第2部 科学・情報・生命」、そして
「第3部 緑の福祉国家/持続可能な福祉社会」に分けて、資本主義経済体制における
大きな問題点を掘り起こして、論理的展開を進めている。
そこで本著の第1部のみ、かいつまんで要約してみたい。
(少々、私見も含んでいることをお許しいただきたい)
ヨーロッパでは、17世紀の「科学革命」を起源として科学的思考を開始し始めた。
その科学的思考は18世紀の産業革命を生み出し、大規模な工業化が行われ、資本主義の時代を生む。
それを可能としたのは技術力および資本力のある列強であった。そして、19世紀にJ.S.ミルによって
予見されたように、工業化の限界や資源的限界を理由に資本主義の終焉を迎えるはずであった。
しかし列強は、軍事力を武器に世界的な植民地化に奔走し、資源的限界を拡大させることに成功し、
19世紀後半から20世紀になると、より大きな資本主義の時代を生むことに成功した。
20世紀前半の世界大恐慌は、資本主義がピークを迎えた時代における「生産過剰」の問題として
発生した資本主義の危機であった。
ケインズはこの問題を「需要」の問題として解決を図り、公共事業の公共財の提供、
社会保障などの所得再分配によって不断の経済成長が可能であるとした。すなわち、
資本主義的問題である市場経済の需要や雇用を、政府が管理し創出するという
「修正資本主義」を生んだのである。
20世紀後半になると「高度大衆消費社会」が現実のものとなり、ものがあふれ、需要が飽和し、
ケインズ的資本主義も限界を迎え、現在の経済成長懐疑主義が提起され始めたのである。
そこで今度は、この「成長の限界」論の問題を、だぶついたマネーをアメリカ主導の金融自由化・
グローバル化を通じて、工業化を空間的に拡大させようという試みによって乗り越えようとし、
投資先をBRICS市場へと流出させることで資本主義の継続的拡大を実現させようとしたのである。
そのようにして、アメリカを主体とする投資に意気込む先進諸国は、自国以外での消費拡大を
再び目論んだのであるが、それも、低所得者を食い物にしたサブプライムローンの失敗により、
リーマンショックという金融危機によって破綻するのである。さらに、BRICS諸国の経済発展も
頓挫し始めてきている。
さて、以上のような経済史的な流れを分析した上で、著者の広井氏の思想的展開となる。
端的に述べると、広井氏は市場経済を認識論的に捉える。つまり、
20世紀の後半に至るまで、経済は無限の成長を持続させてゆくのではないかという錯覚の中にあった。
実際、現代の先進国の経済成長の低迷は、かつて、市場というパイの取り分を奪い合うような、
資本主義全盛時代の終焉を意味し、もはや「経済的定常化の時代」に入ったと判断される。
また、そもそも経済とは究極的には仮想現実であり、実体のないものであり、
人々の「期待」や「観念」によって作り上げられるものだとする(そうでなければ、
アベノミクスなどという非実体経済的政策は無限の成功を生む可能性があることになる)。
そして、これまでのような市場経済の認識方法をデカルト的二元論として把握するのではなく、
自己と経済的対象物の認識方法を、自己とコミュニティ/自然の側へ向かってにシフトさせる
ことを主張する。つまりは、資本主義を招来せしめた近代の科学合理主義の限界性を見抜き、
資本主義の成熟・飽和という限界地点から、自然・生命という新たな科学主義に
根ざした「ポスト資本主義」という地平にソフトランディングすべきであると説くのである。
その結果、人間が「国盗り物語」のような獲得競争の中で生きるのではなく、もっと価値的な
より良い生き方を模索できることを提言し、独自の経済思想を論述してゆくのである。
ここでの論旨は、2部および3部においてさらなる展開を見るのだが、彼の主張は
今後の日本のあり方に不可欠な、共生的な価値論を具体的に提供しているように思われる。
本書は一読に値する良書なので、ぜひ一度目を通されることをお勧めしたい。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥990¥990 税込
ポイント: 60pt
(6%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥990¥990 税込
ポイント: 60pt
(6%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥75
中古品:
¥75

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来 (岩波新書) 新書 – 2015/6/20
広井 良典
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥990","priceAmount":990.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"990","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"B8i6mQ2EbK6%2FWCwcxn0Ma8MnxY596n4KmmbKvBFCVh1OaxCnI1kOlytmgB9ipqHtKSR80f7olJfJsT0xtGkSdNahy5VvwwIQBklJfE853gBjC5imiqPJIo260E1d36ONTQNtn6ejl%2B4%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥75","priceAmount":75.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"75","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"B8i6mQ2EbK6%2FWCwcxn0Ma8MnxY596n4KikKG8MbCD4f3Kl4Dj3uyKaDWxoeUd%2B4E%2BWTItEb1ktbs50jmrlKBq3UToK3GFIHgmN0q6clzVPKcOJsgxqgh35%2B6cpU79%2BFRChJ7kaGkUx%2B5XeFHMemeqzm5u4tARM0VSP7tNJPEanfKsKn85BPWvQ%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
富の偏在、環境・資源の限界など、なおいっそう深刻化する課題に、「成長」は解答たりうるか――。近代科学とも通底する人間観・生命観にまで遡りつつ、人類史的なスケールで資本主義の歩みと現在を吟味。定常化時代に求められる新たな価値とともに、資本主義・社会主義・エコロジーが交差する先に現れる社会像を、鮮明に描く。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2015/6/20
- 寸法11.5 x 1.1 x 17.5 cm
- ISBN-104004315506
- ISBN-13978-4004315506
よく一緒に購入されている商品

対象商品: ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来 (岩波新書)
¥990¥990
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り18点(入荷予定あり)
¥1,012¥1,012
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り17点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2015/6/20)
- 発売日 : 2015/6/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 272ページ
- ISBN-10 : 4004315506
- ISBN-13 : 978-4004315506
- 寸法 : 11.5 x 1.1 x 17.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 38,154位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 22位経済史 (本)
- - 176位その他の地域の世界経済関連書籍
- - 207位岩波新書
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2016年10月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2020年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルは『ポスト資本主義』であるが、現人類(ホモ・サピエンス)がアフリカに誕生したのが約20万年前、そして、長い間、狩猟採取段階が続き、次のステップである農耕時代が始まるのが約1万年前。おそらく、狩猟採取も続けての生産・生活であったであろう。当然、わずかな平地と川と森が生活圏での自給自足の時代であったであろう。新しい道具や馬や牛を使っての農耕も始まり、一定程度の分業も進んで行き、他集落との交流も始まり、物々交換から少しづつ「いちば」(市場)経済も進んで行ったであろう。そして、次のステップ、すなわち産業革命、発明の時代はわずか400年前の事である。
それ以来、急激な拡大・成長期に入ってった。多くの資源を使っての拡大成算が始まり、消費も拡大し、人口も増えて行くという拡大循環に入って行き、交通、運搬、生産、消費と市場経済が段々主流となり、利益を求める資本主義に突入していく。利益を極大化していく資本主義は自然、科学技術、人間そして社会を変えていった。さらに金融資本、金で金を儲けるという時代、そして、情報化時代からネット・AIとますます猛スピードの複雑に錯綜する時代になり、自然の有限性を忘れた資源の乱獲と破壊を進め、とどまることを知らない。制御不能な生産過剰での失業や貧富の差の拡大が急速に進み、地球が悲鳴を上げているのにまだ気づかないふりをしている。大問題なのだが多くの人が何を恐れてか、わき目もふらず、成長・拡大に没頭するだけのようである。
この著者が書くように「ポスト資本主義」は「資本主義打倒」という「革命」を意味していない。しかし、著者はまず大前提に自然(水、空気、岩土から多様な物質、多様な生物)を置く。これが土台であり、有限のものである。人間は個人では生きてはいない。その土台の上にコミュニティー、社会的関係があり、そして、個人、人間がいるという基本的な事柄をあらためて、読者の前に提示している。
このまま、利益を目的として進んで行く今の姿は、もはや限界にきており、そのことをあらためて意識化し、物理的、実証的に吟味し、これから続く長い将来に向けて思考を及ぼし、「持続可能な資本主義の社会化またはソーシャルな資本主義」を提案する。多くの意識ある人たちが、同じような危機意識を持ち、多くの提案をしてきているが、金や利益に目がくらんでしまっているとしか思えない勢いで、血眼になってそれを追い求めて行く資本主義市場経済至上主義者に対しての異議申し立てをし、現代社会の在り方に大いなる警鐘を鳴らし、新たな未来の在り方を考えようと提案している。
ただ、最後に、著者が神社やスピリチュアル、神的存在を匂わすような記述を突然しているが、せっかく良い内容論述されているのに、少々違和感を感じ、食傷気味にさせられたのは残念である。
それ以来、急激な拡大・成長期に入ってった。多くの資源を使っての拡大成算が始まり、消費も拡大し、人口も増えて行くという拡大循環に入って行き、交通、運搬、生産、消費と市場経済が段々主流となり、利益を求める資本主義に突入していく。利益を極大化していく資本主義は自然、科学技術、人間そして社会を変えていった。さらに金融資本、金で金を儲けるという時代、そして、情報化時代からネット・AIとますます猛スピードの複雑に錯綜する時代になり、自然の有限性を忘れた資源の乱獲と破壊を進め、とどまることを知らない。制御不能な生産過剰での失業や貧富の差の拡大が急速に進み、地球が悲鳴を上げているのにまだ気づかないふりをしている。大問題なのだが多くの人が何を恐れてか、わき目もふらず、成長・拡大に没頭するだけのようである。
この著者が書くように「ポスト資本主義」は「資本主義打倒」という「革命」を意味していない。しかし、著者はまず大前提に自然(水、空気、岩土から多様な物質、多様な生物)を置く。これが土台であり、有限のものである。人間は個人では生きてはいない。その土台の上にコミュニティー、社会的関係があり、そして、個人、人間がいるという基本的な事柄をあらためて、読者の前に提示している。
このまま、利益を目的として進んで行く今の姿は、もはや限界にきており、そのことをあらためて意識化し、物理的、実証的に吟味し、これから続く長い将来に向けて思考を及ぼし、「持続可能な資本主義の社会化またはソーシャルな資本主義」を提案する。多くの意識ある人たちが、同じような危機意識を持ち、多くの提案をしてきているが、金や利益に目がくらんでしまっているとしか思えない勢いで、血眼になってそれを追い求めて行く資本主義市場経済至上主義者に対しての異議申し立てをし、現代社会の在り方に大いなる警鐘を鳴らし、新たな未来の在り方を考えようと提案している。
ただ、最後に、著者が神社やスピリチュアル、神的存在を匂わすような記述を突然しているが、せっかく良い内容論述されているのに、少々違和感を感じ、食傷気味にさせられたのは残念である。
2016年6月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大変面白く読ませてもらえましたが、まだまだ主題に対する具体性が少なく、単なる提起だけで、未来に対する熟考がいまいちでした。
2021年10月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
広井先生の主張は一貫して日本語の厚生経済学の先端をいってると思います。単なるゲーム理論に走らず、政策面への主張は、本来のアダムスミスの時代の倫理、政治、経済というヒエラルキーにも通じています。20世紀型資本主義の限界を知り、21世紀の政治経済を考えるには、非常にいい本だと思います。
2015年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
資本主義の成長の時代は地球温暖化に見られるような環境の壁にぶつかり、大きな限界に達している感がある。それにもかかわらずあえて成長志向に執着することの矛盾は少なくない。条件のないところで企業がいたづらに成長を追求するときさまざまの無理が避けられず、結果、企業のブラック化、不正などがかつて優良とされた老舗企業にも頻発することになる。こうした時での安倍内閣の名目国民所得600兆円などの目標は目を覆いたくなるようなアナクロニズムという他なく、便乗経団連の法人税軽減の圧力に口実を与えることになった。
本書はこうした資本主義の成長の時代の終焉を、人類史の長い歴史の射程の中で捉え、狩猟時代の末期、農耕時代の末期と並ぶべき大転機の局面とし、その上で成長主義のパラダイムからの転換とポスト資本主義の具体的提言を行う。
「定常化社会」「持続可能な福祉国家」がそうしたポスト資本主義のキイワードだが、著者自身その中味となるべきものも、さまざまに展開している。
総じて、現代の閉塞感に適切に答えており、内容には新鮮さがあふれた好著である。
ただ少々気になるのは、著者が宗教に言及している部分であろう。
ひとつは未来のコミュニテイの中心に神社を持ってくるあたりである。たしかに「神社」はある時代まではコミュニテイの中心であったろうが、今更こういうものをコミュニテイの中心にもってくるのはそれこそアナクロニズムだし、神道の迫害を受けた少数派宗教の存在も無視している。新しい時代のコミュニテイの中心はやはり新しいももの―野外音楽堂や集会所など―でなけらばならないだろう。
また旧約(なぜかユダヤ教とキリスト教を乱暴に単一化している)、イスラム,仏教、儒教などの根底をアニミズムとするなども、著者だけでなく日本人に多い一種の「宗教音痴」性を感じる。
こういう問題に不用意に立ち入って観念的な「定常化社会」の全体図―議論の出発点としては一応認めてよいが―を描くよりも、「持続可能な福祉社会」にとって不可欠なものを一歩一歩積み上げ、そういう過程で人びとのパラダイムの転換を図っていくのがより現実的ではないかと評者は考えるものである。
本書はこうした資本主義の成長の時代の終焉を、人類史の長い歴史の射程の中で捉え、狩猟時代の末期、農耕時代の末期と並ぶべき大転機の局面とし、その上で成長主義のパラダイムからの転換とポスト資本主義の具体的提言を行う。
「定常化社会」「持続可能な福祉国家」がそうしたポスト資本主義のキイワードだが、著者自身その中味となるべきものも、さまざまに展開している。
総じて、現代の閉塞感に適切に答えており、内容には新鮮さがあふれた好著である。
ただ少々気になるのは、著者が宗教に言及している部分であろう。
ひとつは未来のコミュニテイの中心に神社を持ってくるあたりである。たしかに「神社」はある時代まではコミュニテイの中心であったろうが、今更こういうものをコミュニテイの中心にもってくるのはそれこそアナクロニズムだし、神道の迫害を受けた少数派宗教の存在も無視している。新しい時代のコミュニテイの中心はやはり新しいももの―野外音楽堂や集会所など―でなけらばならないだろう。
また旧約(なぜかユダヤ教とキリスト教を乱暴に単一化している)、イスラム,仏教、儒教などの根底をアニミズムとするなども、著者だけでなく日本人に多い一種の「宗教音痴」性を感じる。
こういう問題に不用意に立ち入って観念的な「定常化社会」の全体図―議論の出発点としては一応認めてよいが―を描くよりも、「持続可能な福祉社会」にとって不可欠なものを一歩一歩積み上げ、そういう過程で人びとのパラダイムの転換を図っていくのがより現実的ではないかと評者は考えるものである。
2018年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は現代の成熟資本主義を人類史における第三の定常化と読み取り、「格差是正」と「地方の振興」などを柱とする、新しい経済システムと処方箋を提案している。今なお成長を追い求め格差拡大が続くアメリカ型「新自由主義」的経済システムと、ドイツや北欧で実施されている、福祉国家型システムと対比させながら、後者の方向に舵を切るべきだとしている。時代遅れの「新自由主義」とその価値観である小さな政府、自己責任論にしがみつく経済学者らに比して、資本主義をより長い時間軸で考察する著者の提案の優位性は明らかだ。
しかし、現実の世界を見ると、ポスト資本主義は必ずしも定常型社会とはならないような気もする。エネルギーが絶えずフローする散逸構造においては、自己組織的過程は定常への接近によって実現されるわけではなく、絶えず分岐を繰り返すカオス的遍歴によって形成される。こうした観点からすると本質的に複雑系である人類の経済システムが次のシステムに徐々に軟着陸できる可能性はきわめて低いと思われる。自然や経済外要因による摂動が経済システムのカオス的分岐の引き金になる可能性が高いのではないか。それが、気候変動か原発事故などの人災か、核戦争の勃発かは不明であるが、こうした”偶然”の出来事にドライブされた分岐に際しては、現実的な軟着陸処方箋よりは、原理的(ラディカルな)未来の経済システムの基本骨格(アトラクターの特性)の提起と議論こそ問われているのではないだろうか。
しかし、現実の世界を見ると、ポスト資本主義は必ずしも定常型社会とはならないような気もする。エネルギーが絶えずフローする散逸構造においては、自己組織的過程は定常への接近によって実現されるわけではなく、絶えず分岐を繰り返すカオス的遍歴によって形成される。こうした観点からすると本質的に複雑系である人類の経済システムが次のシステムに徐々に軟着陸できる可能性はきわめて低いと思われる。自然や経済外要因による摂動が経済システムのカオス的分岐の引き金になる可能性が高いのではないか。それが、気候変動か原発事故などの人災か、核戦争の勃発かは不明であるが、こうした”偶然”の出来事にドライブされた分岐に際しては、現実的な軟着陸処方箋よりは、原理的(ラディカルな)未来の経済システムの基本骨格(アトラクターの特性)の提起と議論こそ問われているのではないだろうか。
2016年2月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人間の持つ強欲性を考えれば、考えにくい話し。行き着くとこまで行くのみ。
2019年3月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
少子高齢化の未来を考える上で、資本主義という切り口で、分析し、将来への提案を提示しており、今後を考える上での貴重な切り口を展開しており、ためになりました。