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科学者が人間であること (岩波新書) 新書 – 絵本, 2013/8/22
中村 桂子
(著)
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「人間は生きものであり、自然の中にある」。大震災以後の社会は、この「当たり前」の原点からしか再生できない。まず誰よりも、科学者が一個の人間であることによって、出来ることがあるのではないか。人間も含んだ生きもの全体の歴史として「生命誌」を提示し続けてきた著者が、私たちの未来への熱い思いをこめて語る。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2013/8/22
- 寸法11.5 x 1 x 17.5 cm
- ISBN-104004314402
- ISBN-13978-4004314400
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2013/8/22)
- 発売日 : 2013/8/22
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 4004314402
- ISBN-13 : 978-4004314400
- 寸法 : 11.5 x 1 x 17.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 29,412位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 162位岩波新書
- - 378位科学 (本)
- - 1,582位科学・テクノロジー (本)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
科学者は専門家であると同時に生活者であり、思想家であるべきとの言葉にハッとしました。新しい科学には新しい哲学が必要なんだと思います。次は大森荘蔵読んでみよ。
2018年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
儲け主義に走る科学、科学者、それを礼賛する経済主導の社会に、それで人は幸せになれるのかと問いかける。科学が細分化されればされるほど、何のためにそれを追求しているのか見えなくなっている科学者が増えている。今一度、リベラルアーツの大切さを見直して、人に優しい科学を立て直すべきではないだろうか。
2020年5月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
遊びの部分、いい加減さを大切に生活者の感覚を大切に、そんな事をできる日本の風土の豊さを改めて感じました。
他、気になったこと ・農業の大切さ ・心と物が交わるって生ずる ・人間とは? ・生きるとは?
他、気になったこと ・農業の大切さ ・心と物が交わるって生ずる ・人間とは? ・生きるとは?
2013年9月21日に日本でレビュー済み
面白く読めたし著者の論点に基本的に異存は無い。当たり前の論点だから。
細部の表現の違いを無視すれば、私たちは自然の一部であるとしてきた東洋的な自然観と、自然を分析的・攻撃的・支配的に扱う欧米の自然観との対比を、本書では「略画化」と「密画化」の対比に置き換えているだけである。
そのような細部の構造を改めて表現し直すことに新鮮味があるとは思えない。著者もそんなことをしようとしているわけではないのだと思う。言い古されてきたことを、著者はどうしても改めて告発したいのだ。多くの人達が耳にタコができるほどそういうことを云ってきたにも関わらず、微動だにしない状況にめげずに、もう一つ石を投じる・・そういう構図だと思う。
そのように投じられた石が、他の多くの石と相まって大きな力となることを期待したい。ドンドン石を投げなくてはならない・・そういう世の中なのだから。
だが、甘いンじゃないの?という云いたいところもある。この状況を打開するためには“まずは研究者から”と著者は云うのだが、研究者は“研究労働者”として体制に絡め取られてしまっている。個々人の研究者は“これは良くない状況だ”と認識していながら、“食べていくためには仕方がない”というスタンスにあることでは、研究者も普通の労働者と同じなのだ。スーダラ節をやっている研究者の方が多いのだ。意識の高い労働者が少ないのと同じように、意識の高い研究者はマイノリティである「悪貨は良貨を駆遂する」から今の弱肉強食社会が出来上がっていることに著者は(気がついているのだとは思われるが)言及しない。良貨だけでは成りたっていない社会だということに言及するまでには、著者はフランクではない(あるいは、眼が曇っている)。
もちろん著者はまるで分かっていないことではないようだ。
研究者は国のプロジェクトに参加した途端に研究者としての質が変わってしまうことも知っているし、「アメリカ型ライフサイエンス」にはちゃんと批判的だ。そういう中で、研究者が変われば良くなるというのは、研究者の役割を過大評価しているのではないか?
もちろん研究者も変わらなくてはいけないので、その限りでは反論すべきではないが、同時に叩かなくてはならないものがあるでしょう。今の社会の意思決定にあずかっているセクターがどこにあるのかを明らかにしてそこに矢を向けないと、研究者がいくら善良になってもどうしようもない。
個々の研究者の個人的な心構えのようなものは著者の云うところでよいのだろうと思うが、そういう研究者達の意見やスタンスが反映されるようにするためには、今の社会を告発すべくもっときつい意見の表明が必要だと思う。著者の言葉の端々にそれが表現されているのだが、告発という意味ではインパクトが弱い。奥歯にモノがはさまっている。
著者(出来る方だし)には、遠慮しなしでもっと戦闘的になって欲しいと思いました。
細部の表現の違いを無視すれば、私たちは自然の一部であるとしてきた東洋的な自然観と、自然を分析的・攻撃的・支配的に扱う欧米の自然観との対比を、本書では「略画化」と「密画化」の対比に置き換えているだけである。
そのような細部の構造を改めて表現し直すことに新鮮味があるとは思えない。著者もそんなことをしようとしているわけではないのだと思う。言い古されてきたことを、著者はどうしても改めて告発したいのだ。多くの人達が耳にタコができるほどそういうことを云ってきたにも関わらず、微動だにしない状況にめげずに、もう一つ石を投じる・・そういう構図だと思う。
そのように投じられた石が、他の多くの石と相まって大きな力となることを期待したい。ドンドン石を投げなくてはならない・・そういう世の中なのだから。
だが、甘いンじゃないの?という云いたいところもある。この状況を打開するためには“まずは研究者から”と著者は云うのだが、研究者は“研究労働者”として体制に絡め取られてしまっている。個々人の研究者は“これは良くない状況だ”と認識していながら、“食べていくためには仕方がない”というスタンスにあることでは、研究者も普通の労働者と同じなのだ。スーダラ節をやっている研究者の方が多いのだ。意識の高い労働者が少ないのと同じように、意識の高い研究者はマイノリティである「悪貨は良貨を駆遂する」から今の弱肉強食社会が出来上がっていることに著者は(気がついているのだとは思われるが)言及しない。良貨だけでは成りたっていない社会だということに言及するまでには、著者はフランクではない(あるいは、眼が曇っている)。
もちろん著者はまるで分かっていないことではないようだ。
研究者は国のプロジェクトに参加した途端に研究者としての質が変わってしまうことも知っているし、「アメリカ型ライフサイエンス」にはちゃんと批判的だ。そういう中で、研究者が変われば良くなるというのは、研究者の役割を過大評価しているのではないか?
もちろん研究者も変わらなくてはいけないので、その限りでは反論すべきではないが、同時に叩かなくてはならないものがあるでしょう。今の社会の意思決定にあずかっているセクターがどこにあるのかを明らかにしてそこに矢を向けないと、研究者がいくら善良になってもどうしようもない。
個々の研究者の個人的な心構えのようなものは著者の云うところでよいのだろうと思うが、そういう研究者達の意見やスタンスが反映されるようにするためには、今の社会を告発すべくもっときつい意見の表明が必要だと思う。著者の言葉の端々にそれが表現されているのだが、告発という意味ではインパクトが弱い。奥歯にモノがはさまっている。
著者(出来る方だし)には、遠慮しなしでもっと戦闘的になって欲しいと思いました。
2023年7月15日に日本でレビュー済み
他の著書と同様に著者特有の優しい文章で書かれているので、誰が読んでも分かりやすい内容だが、主に研究者に向けて著者が伝えたいメッセージが中心の内容である。研究者は人間や自然をモノとして捉えて研究対象にしがちだが、日常的な生活者としての感覚を持った上で、自然と向き合う事の大切さを説いている。
人間は「生きもの」であり、自然の中にある。生きものであるから、他の生きものとの繋がりの中にいる。したがって、自然の中にいる、自然の一部であるという意識を持ちつつ、科学技術をどのように文明社会に活かすか?ということを考え続ける事が大切だとする。
人間はまるで社会を自分達で作り上げているような認識で行動しているように見えるが、他の生きものと同様の仕組み(ゲノム)を持つ、地球・自然・生物の延長であり、自然の中で生きているという謙虚な意識を持つことが重要だと、本書を読んで改めて感じた。
上記のような著者の世界観に興味を持っている方は、本書から入るのが良いと思う。生命誌という著者の考え方にもっと深く入りたいのであれば、「生命誌とは何か」をお勧めする。
人間は「生きもの」であり、自然の中にある。生きものであるから、他の生きものとの繋がりの中にいる。したがって、自然の中にいる、自然の一部であるという意識を持ちつつ、科学技術をどのように文明社会に活かすか?ということを考え続ける事が大切だとする。
人間はまるで社会を自分達で作り上げているような認識で行動しているように見えるが、他の生きものと同様の仕組み(ゲノム)を持つ、地球・自然・生物の延長であり、自然の中で生きているという謙虚な意識を持つことが重要だと、本書を読んで改めて感じた。
上記のような著者の世界観に興味を持っている方は、本書から入るのが良いと思う。生命誌という著者の考え方にもっと深く入りたいのであれば、「生命誌とは何か」をお勧めする。
2013年8月27日に日本でレビュー済み
著者が本書を書くに至った大きな動機が、福島第一原発事故であった。それまでは多くの人々はあたかも科学万能の世の中だと錯覚していた。だが、あの予期せぬ大事故の後、一般の人々の科学技術に対する見方が大きく変わった。特に変わったのは、科学技術者と呼ばれる専門家に対する見方である。
事故が起きて二年以上経過したした現在、福島第一原発からは多数のタンクに貯めた放射能の汚染水が漏れだし海へと流れ出している。溶融した炉心内部の現状さえ把握できず、廃炉に向けた工程も定かではない。
本書を読んでいて気になるのが、専門家である科学者がこの大事故をどう考えているかである。本書の言葉を借りれば、「密画的科学者」と「略画的科学者」とでもいうべき二つの立場がある。「密画的科学者」とは自然を死物化し数値化・機械化して扱う立場であり、「略画的科学者」とは自然を生命体として認識し人間の心や感覚や知識を総動員して扱う立場である。科学者には密画的要素は当然必要だが、決して略画的要素を失わないことだと、著者は訴える。「重ね描き」とはこうした態度のことである。
原発事故後、多くの専門家は沈黙したままで前面に出てこない。今なお科学神話・技術神話の呪縛から脱し得ず、茫然としているかのようだ。これは密画的要素の多い科学者で、今なお科学万能に拘り事態を矮小化し技術的解決に目を奪われ勝ちである。そのような立場からは原発事故の被害者の苦しみは想像できず、さらに再稼働へと加担することで同じ過ちを繰り返す。自然を数値化し機械化することに目を奪われ、科学技術が経済の論理に組み込まれてしまうからだ。
しかし少数ではあるが、専門家の中には略画的要素を多分に身に付けた科学者もいて、科学神話に警告を発している。五感を通して科学技術の危うさを感じ取れる科学者といってもいいだろう。著者はまさにこうした科学者の一人であり、生命科学者の立場から自然を死物化し数値化・機械化し過ぎた現代科学に警鐘を鳴らし、「科学者が人間であること」の必要性を、原発事故後の行方を追いながら問うているのではないだろうか?
事故が起きて二年以上経過したした現在、福島第一原発からは多数のタンクに貯めた放射能の汚染水が漏れだし海へと流れ出している。溶融した炉心内部の現状さえ把握できず、廃炉に向けた工程も定かではない。
本書を読んでいて気になるのが、専門家である科学者がこの大事故をどう考えているかである。本書の言葉を借りれば、「密画的科学者」と「略画的科学者」とでもいうべき二つの立場がある。「密画的科学者」とは自然を死物化し数値化・機械化して扱う立場であり、「略画的科学者」とは自然を生命体として認識し人間の心や感覚や知識を総動員して扱う立場である。科学者には密画的要素は当然必要だが、決して略画的要素を失わないことだと、著者は訴える。「重ね描き」とはこうした態度のことである。
原発事故後、多くの専門家は沈黙したままで前面に出てこない。今なお科学神話・技術神話の呪縛から脱し得ず、茫然としているかのようだ。これは密画的要素の多い科学者で、今なお科学万能に拘り事態を矮小化し技術的解決に目を奪われ勝ちである。そのような立場からは原発事故の被害者の苦しみは想像できず、さらに再稼働へと加担することで同じ過ちを繰り返す。自然を数値化し機械化することに目を奪われ、科学技術が経済の論理に組み込まれてしまうからだ。
しかし少数ではあるが、専門家の中には略画的要素を多分に身に付けた科学者もいて、科学神話に警告を発している。五感を通して科学技術の危うさを感じ取れる科学者といってもいいだろう。著者はまさにこうした科学者の一人であり、生命科学者の立場から自然を死物化し数値化・機械化し過ぎた現代科学に警鐘を鳴らし、「科学者が人間であること」の必要性を、原発事故後の行方を追いながら問うているのではないだろうか?
2013年8月31日に日本でレビュー済み
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東日本大震災の際に著者が覚えた無力感を受け、生命誌、生命科学という著者自身の仕事を通して考えた事を纏め、改めて今必要な新しい知のあり方を求めてみたいとの意図で書かれた書。この時、基本となるのは「人間は生きものであり、自然の中にある」という"当り前"の事、との著者自身の断り書きがある。真摯な書であり、著者の心情も良く伝わって来るのだが、著者の著作の中でこれ程のガッカリ感を覚えたのは初めてである。
本書の論旨を纏めると(纏めるまでもないのだが)、科学者は科学による密画描写と自然の略画描写を共に生かす(「重ね描き」をする)事が必要であるという事であり、これが約240頁に渡って繰り返されるだけ。しかも、結論が生命誌(研究館)はこれを既に体現していると説くのだから唖然とさせられる。この我田引水の極みの様な展開は著者らしさから乖離しており、著者の本意ではあるまい。元々、本書の内容は科学者の仲間内だけで議論すべきものではないのか ? それよりも、マスコミや評論家を主とした世間に向かって強硬に主張すべき事があったのではないのか ? 「安全神話」という言葉を編み出したのは多分マスコミか評論家であろうし、科学者が現在の様な研究環境下に置かれているのは経済的要請に依るものだろう。科学者だけが考え方を変えても現在の社会システムがそれを許すまい。そうした主張も行間からは汲み取れるのだが如何せん弱過ぎる。本書中で南方熊楠が著者の考え方の模範例として引用されるが、残念ながら現代社会において南方の流儀が通用するとは思えない(生前の南方は学界はおろか故郷でさえも冷遇された)。
著者の慎み深い性格のためか、自省的な記述になっているが、もっと声高に社会に暮らす人々全員に対して訴える体裁にした方が著者の意図が鮮明に打ち出せたと思う。著者の言葉を借りれば、もっと「社会にコミットメント」すべきだったのではないか。「人間であること」は科学者に限らないのだから。
本書の論旨を纏めると(纏めるまでもないのだが)、科学者は科学による密画描写と自然の略画描写を共に生かす(「重ね描き」をする)事が必要であるという事であり、これが約240頁に渡って繰り返されるだけ。しかも、結論が生命誌(研究館)はこれを既に体現していると説くのだから唖然とさせられる。この我田引水の極みの様な展開は著者らしさから乖離しており、著者の本意ではあるまい。元々、本書の内容は科学者の仲間内だけで議論すべきものではないのか ? それよりも、マスコミや評論家を主とした世間に向かって強硬に主張すべき事があったのではないのか ? 「安全神話」という言葉を編み出したのは多分マスコミか評論家であろうし、科学者が現在の様な研究環境下に置かれているのは経済的要請に依るものだろう。科学者だけが考え方を変えても現在の社会システムがそれを許すまい。そうした主張も行間からは汲み取れるのだが如何せん弱過ぎる。本書中で南方熊楠が著者の考え方の模範例として引用されるが、残念ながら現代社会において南方の流儀が通用するとは思えない(生前の南方は学界はおろか故郷でさえも冷遇された)。
著者の慎み深い性格のためか、自省的な記述になっているが、もっと声高に社会に暮らす人々全員に対して訴える体裁にした方が著者の意図が鮮明に打ち出せたと思う。著者の言葉を借りれば、もっと「社会にコミットメント」すべきだったのではないか。「人間であること」は科学者に限らないのだから。