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証言沖縄「集団自決」: 慶良間諸島で何が起きたか (岩波新書 新赤版 1114) 新書 – 2008/2/20
謝花 直美
(著)
ダブルポイント 詳細
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- ISBN-104004311144
- ISBN-13978-4004311140
- 出版社岩波書店
- 発売日2008/2/20
- 言語日本語
- 本の長さ222ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2008/2/20)
- 発売日 : 2008/2/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 222ページ
- ISBN-10 : 4004311144
- ISBN-13 : 978-4004311140
- Amazon 売れ筋ランキング: - 412,301位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年12月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
おじいちゃんからの頼まれ事だったので助かりました。本人も喜んでました。ありがとう御座いました。
2013年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学校の宿題の課題で使用しました
すぐに手に入り、たすかりました
すぐに手に入り、たすかりました
2010年12月7日に日本でレビュー済み
あの集団自決騒動で沖縄県民は致命的なことをやってしまった。
オオカミが来てないのに、「オオカミが来たぞー」と11万人(航空写真で数えると2万人以下だが)集めて騒いでしまった。
ネットでは県民に対する差別語の嵐となり、今後集会で何万人集めようと、本土の人間はオオカミ少年の言うことを信じないだろう。
これは後々基地問題にも影響を及ぼす。
マスコミがどんなに騒いでも、本土の人間は基地問題をもはや自分達の問題として考えることはないだろう。
オオカミが来てないのに、「オオカミが来たぞー」と11万人(航空写真で数えると2万人以下だが)集めて騒いでしまった。
ネットでは県民に対する差別語の嵐となり、今後集会で何万人集めようと、本土の人間はオオカミ少年の言うことを信じないだろう。
これは後々基地問題にも影響を及ぼす。
マスコミがどんなに騒いでも、本土の人間は基地問題をもはや自分達の問題として考えることはないだろう。
2013年9月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一人一人の話は間違いなく真実だと思うし、
戦争という死に直面した環境の中が
究極の状態だったということが痛切に伝わってくる。
自分だったらどうするんだろうと本当に思う。
しかし、様々な角度から集団自決の問題を検証している
本が多数出てくる中で、「集団自決」の真相を知りたいと思って
読むと違和感がある。
これはあくまで様々な理由で生き延びた人への
インタビュー集であり、集団自決の別の側面の
軍部側、実際に自決していった人々の気持ちを推測するには
役に立たない。
戦争という死に直面した環境の中が
究極の状態だったということが痛切に伝わってくる。
自分だったらどうするんだろうと本当に思う。
しかし、様々な角度から集団自決の問題を検証している
本が多数出てくる中で、「集団自決」の真相を知りたいと思って
読むと違和感がある。
これはあくまで様々な理由で生き延びた人への
インタビュー集であり、集団自決の別の側面の
軍部側、実際に自決していった人々の気持ちを推測するには
役に立たない。
2008年5月4日に日本でレビュー済み
沖縄タイムスの本一般に言えるのだが、本書でも若い記者が事実を飾り立て、あるいは
証言内容を自らの考えに誘導する記述が明らかにみられる。これは言論に真面目に
携わりたい者は、立場がどこにあれ、絶対にしてはならない。真実・事実を返って
無きものにしてしてしまう。またそういう筆致に抵抗感があるものに対し嫌悪感を与え
言論伝達を妨げてしまう。違う立場の者に格好の攻撃材料を自ら進んで差し出している。
この点、よくよく考え、以後十分に気をつけられたい。
本書は、沖縄周辺諸島のいくつかでおきた民間人の自決の生き残りの者の証言であるが、
記者の邪魔な誘導等を回避して読んでも、残念ながら、軍命があったことは確実である、
と解釈することはできない。
ロジックがあいまいなことと、命令(があったとして)伝達をした者は死に、かつ
死ぬ前に軍の命令であると述べていないからだ。通常なら自らしなない、米軍が
上陸したら酷いめにあうと再三言われた、手榴弾が配られた、だから軍命で自決した
、というロジックは軍の命令で自決した、とするには感情論はともかく、論理の飛躍
がある。しかし軍の命令の証明に不成功であっても、証言から、ここで死んだ人たちは
好き好んで死んだのではなく、日本軍の上陸と流したデマ等によりヒステリー状態を
起こして死に追い込まれていったのは明らかであり、軍に責任があるのは明白である
と断言できる。その意味で意義があるが、筆致に欠陥があり、星はひとつマイナス。
証言内容を自らの考えに誘導する記述が明らかにみられる。これは言論に真面目に
携わりたい者は、立場がどこにあれ、絶対にしてはならない。真実・事実を返って
無きものにしてしてしまう。またそういう筆致に抵抗感があるものに対し嫌悪感を与え
言論伝達を妨げてしまう。違う立場の者に格好の攻撃材料を自ら進んで差し出している。
この点、よくよく考え、以後十分に気をつけられたい。
本書は、沖縄周辺諸島のいくつかでおきた民間人の自決の生き残りの者の証言であるが、
記者の邪魔な誘導等を回避して読んでも、残念ながら、軍命があったことは確実である、
と解釈することはできない。
ロジックがあいまいなことと、命令(があったとして)伝達をした者は死に、かつ
死ぬ前に軍の命令であると述べていないからだ。通常なら自らしなない、米軍が
上陸したら酷いめにあうと再三言われた、手榴弾が配られた、だから軍命で自決した
、というロジックは軍の命令で自決した、とするには感情論はともかく、論理の飛躍
がある。しかし軍の命令の証明に不成功であっても、証言から、ここで死んだ人たちは
好き好んで死んだのではなく、日本軍の上陸と流したデマ等によりヒステリー状態を
起こして死に追い込まれていったのは明らかであり、軍に責任があるのは明白である
と断言できる。その意味で意義があるが、筆致に欠陥があり、星はひとつマイナス。
2012年6月10日に日本でレビュー済み
アメリカ軍による沖縄本島への上陸に先立ち、3月27日、慶良間諸島へ上陸。そこから終戦まで日本軍と住民が混然一体となった地獄が始まりました。主に上陸後のわずかな日数の中で起こった「集団自決」という痛ましい出来事を住民の聞き取りを通して詳細に記録した、貴重な一冊です。
「集団自決」はもとより信じていた日本軍の兵隊による住民虐殺などの証言もあり、読み進めるたびに、まさにヤマトのものとして心が痛みます。
この慶良間諸島における「集団自決」をめぐっては、友軍であるはずの日本軍、その将校(戦隊長)が住民に対して自決せよと命令を発したのか否かという大きな議論があります、この本も多くの住民に聞き取りをした結果として、命令があったからこその悲劇だったのだという見解に至っています。また曾野綾子さんのまとめた本ではむしろ逆の立場から、この悲劇の責任を戦隊長の軍の命令というひとくくりのもので結論付けてしまうことのへの疑問を投げかけています。
私は、謝花直美さんのこの本を読んで、自分の中ではその議論はしないでおこうと思いました。
むしろ大切なのは、この本を読む私たちに必要なのは「集団自決」が起こった背景をしっかりと頭の中で整理し、確認することだと思います。
明治の琉球処分、日清戦争以後の日本政府による徹底的な皇民化教育、又それを受け入れ日本人になろうとした沖縄の「同化政策」が根底にあったこと。
その上で、軍人兵隊に課せられた捕虜となるなという命令がそのまま、軍官民一体となった戦時下の体制の中で、一般住民にひろく強制されたこと。
そして米軍に捕まると人間として扱われない殺され方をされる、という恐怖観念を植え付けていたがゆえの「集団自決」なのだろうと思います。
その意味において今から60余年前というほとんど現代社会においてこう言った悲劇が起こってしまった、決して戦国時代の争いの局面での殺戮話なのではない、と言うことを私たちは認識しなければならない。
軍命があったかなかったかではなく、どうして悲劇が起こってしまったのかを、証人たちが生きている今、忠実に記録に書きとどめることの意味。本土沖縄問わず皆で勉強して、悲惨な戦争を繰り返さないために、未来に残さなければならない「負の遺産」なんだと思いました。私たちは過去から未来へと同じ一本の線の上に乗って生きているという意味で、過去の悲惨な出来事も遺産として、未来へ持っていかなくてはなりません。
その意味において数少ない証言集として大事にしたいと思いました。
「集団自決」はもとより信じていた日本軍の兵隊による住民虐殺などの証言もあり、読み進めるたびに、まさにヤマトのものとして心が痛みます。
この慶良間諸島における「集団自決」をめぐっては、友軍であるはずの日本軍、その将校(戦隊長)が住民に対して自決せよと命令を発したのか否かという大きな議論があります、この本も多くの住民に聞き取りをした結果として、命令があったからこその悲劇だったのだという見解に至っています。また曾野綾子さんのまとめた本ではむしろ逆の立場から、この悲劇の責任を戦隊長の軍の命令というひとくくりのもので結論付けてしまうことのへの疑問を投げかけています。
私は、謝花直美さんのこの本を読んで、自分の中ではその議論はしないでおこうと思いました。
むしろ大切なのは、この本を読む私たちに必要なのは「集団自決」が起こった背景をしっかりと頭の中で整理し、確認することだと思います。
明治の琉球処分、日清戦争以後の日本政府による徹底的な皇民化教育、又それを受け入れ日本人になろうとした沖縄の「同化政策」が根底にあったこと。
その上で、軍人兵隊に課せられた捕虜となるなという命令がそのまま、軍官民一体となった戦時下の体制の中で、一般住民にひろく強制されたこと。
そして米軍に捕まると人間として扱われない殺され方をされる、という恐怖観念を植え付けていたがゆえの「集団自決」なのだろうと思います。
その意味において今から60余年前というほとんど現代社会においてこう言った悲劇が起こってしまった、決して戦国時代の争いの局面での殺戮話なのではない、と言うことを私たちは認識しなければならない。
軍命があったかなかったかではなく、どうして悲劇が起こってしまったのかを、証人たちが生きている今、忠実に記録に書きとどめることの意味。本土沖縄問わず皆で勉強して、悲惨な戦争を繰り返さないために、未来に残さなければならない「負の遺産」なんだと思いました。私たちは過去から未来へと同じ一本の線の上に乗って生きているという意味で、過去の悲惨な出来事も遺産として、未来へ持っていかなくてはなりません。
その意味において数少ない証言集として大事にしたいと思いました。
2009年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1人1人の証言を細切れにしているので、遺族と著者には申し訳ないのですが
後半部分は眠くなり最後まで読みきることができませんでした。
証言の内容は興味深く考えさせられる内容です。
後半部分は眠くなり最後まで読みきることができませんでした。
証言の内容は興味深く考えさせられる内容です。
2009年3月8日に日本でレビュー済み
沖縄での日本軍による集団自決の強制に関する記述が教科書検定により削除されたことに
端を発して、取材により当時の実相を克明に記した本である。
本書に書かれている全てのエピソードが「軍の強制」といえるのかわからない部分もあるが、
少なくともいくつかのエピソードは日本軍が関与しているものがある。
その結果、手榴弾による爆死や場合によっては家族を手にかけるという惨劇が起こった。
これは変えようのない事実である。
では、
なぜ日本軍は集団自決に関与したのか?
なぜ島民たちは集団自決を決行し、その前に「天皇陛下万歳」と唱和したのか?
ということを考えるとやはり思想があり、そのベースに教育があるといえるだろう。
戦前の偏りのある教育が沖縄県民にも日本軍に徴兵されたものにも浸透していたことに
ある。
国民の思想を支配する教育が大きな役割を担っていたと感じざるを得ない。
そのように考えると本書は、教科書という教育のツールに関する記載の問題から生まれた
本である。
教科書の記述の上で「軍の強制」という言葉が多少骨抜きにされることは、ともすると小さな
変化にしか感じられないかもしれないが、実はこういった一つ一つの積み重ねが、教育として
日本国民に浸透し、それが当たり前の歴史になるのであり、最終的に偏った思想を生み出しかね
ない。
同じ誤りを繰り返さないためにも、これまでの歴史にしっかりと目を向けるべきだし、
正しい教育がなされるようにするように我々も眼を光らせなければならないと感じさせられる
内容だった。
端を発して、取材により当時の実相を克明に記した本である。
本書に書かれている全てのエピソードが「軍の強制」といえるのかわからない部分もあるが、
少なくともいくつかのエピソードは日本軍が関与しているものがある。
その結果、手榴弾による爆死や場合によっては家族を手にかけるという惨劇が起こった。
これは変えようのない事実である。
では、
なぜ日本軍は集団自決に関与したのか?
なぜ島民たちは集団自決を決行し、その前に「天皇陛下万歳」と唱和したのか?
ということを考えるとやはり思想があり、そのベースに教育があるといえるだろう。
戦前の偏りのある教育が沖縄県民にも日本軍に徴兵されたものにも浸透していたことに
ある。
国民の思想を支配する教育が大きな役割を担っていたと感じざるを得ない。
そのように考えると本書は、教科書という教育のツールに関する記載の問題から生まれた
本である。
教科書の記述の上で「軍の強制」という言葉が多少骨抜きにされることは、ともすると小さな
変化にしか感じられないかもしれないが、実はこういった一つ一つの積み重ねが、教育として
日本国民に浸透し、それが当たり前の歴史になるのであり、最終的に偏った思想を生み出しかね
ない。
同じ誤りを繰り返さないためにも、これまでの歴史にしっかりと目を向けるべきだし、
正しい教育がなされるようにするように我々も眼を光らせなければならないと感じさせられる
内容だった。