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証言 水俣病 (岩波新書 新赤版 658) 新書 – 2000/2/18
栗原 彬
(編集)
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10名の患者が自らの体験や思いを語る
- ISBN-104004306582
- ISBN-13978-4004306580
- 出版社岩波書店
- 発売日2000/2/18
- 言語日本語
- 寸法11.2 x 2.1 x 17.4 cm
- 本の長さ216ページ
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2022年6月26日に日本でレビュー済み
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時系列、地勢的に、小生がこれらのことがらを整理理解するのに、とても役立ちました。
2021年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に分かりやすかった
政府 県 役人 学者が 一体となって隠したり脅したり改ざんしたり 森友 加計問題と同じなんですね
当時の池田勇人は癌により天罰をくらいましたが
そんなことでは亡くなった方 被害に遇われ いまだに苦しんでるかたにとってはなんの慰みにもなりません。
水俣病はよく目にし聞いてはいましたが まさしく浅学非才です もっともっと目を見開き
安部 君 菅君の保守政治をも監視していかなければと思います
政府 県 役人 学者が 一体となって隠したり脅したり改ざんしたり 森友 加計問題と同じなんですね
当時の池田勇人は癌により天罰をくらいましたが
そんなことでは亡くなった方 被害に遇われ いまだに苦しんでるかたにとってはなんの慰みにもなりません。
水俣病はよく目にし聞いてはいましたが まさしく浅学非才です もっともっと目を見開き
安部 君 菅君の保守政治をも監視していかなければと思います
2020年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
水俣病は終わっていない。と改めて感じました。読んでよかったです。
2011年7月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
のびのびと育っていた5歳の女の子が突然食事中に何度もご飯をこぼし、皿を落とす。
翌日は脚がもつれるようになり、さらに、よくしゃべれなくなる。
そして4日目には、目が痛いと泣き出し、それからは、目が見えなくなり、手が震えてきかなくなり・・・・
同じことが、自分の家族に起こったと、想像してみてください。
愛する子が、突然、壊れてゆくんです。
僕は読んでいてなんども泣きました。
もし自分の子に同じことが起こったら・・・・
そしてこれは、自然災害ではありません。
わたしたち人間が引き起こしたことです。
戦争と同じように、忘れてはいけないことです。
忘れずに、「なぜ?」と、考え続けなければなりません。
いまの水俣は平穏ですが、
水俣で起こったことの上に築きあげられた社会にわたしたちはいま住んでいるのだということを知らなければなりません。
多くの人に読まれるべき本だと心から思います。
証言された方々の真実の言葉がたくさんの人の心に届くように祈りたいと思います。
翌日は脚がもつれるようになり、さらに、よくしゃべれなくなる。
そして4日目には、目が痛いと泣き出し、それからは、目が見えなくなり、手が震えてきかなくなり・・・・
同じことが、自分の家族に起こったと、想像してみてください。
愛する子が、突然、壊れてゆくんです。
僕は読んでいてなんども泣きました。
もし自分の子に同じことが起こったら・・・・
そしてこれは、自然災害ではありません。
わたしたち人間が引き起こしたことです。
戦争と同じように、忘れてはいけないことです。
忘れずに、「なぜ?」と、考え続けなければなりません。
いまの水俣は平穏ですが、
水俣で起こったことの上に築きあげられた社会にわたしたちはいま住んでいるのだということを知らなければなりません。
多くの人に読まれるべき本だと心から思います。
証言された方々の真実の言葉がたくさんの人の心に届くように祈りたいと思います。
2012年6月7日に日本でレビュー済み
10人の患者・遺族の証言と筆者による序章「死者と実生の者のほとりから」および水俣病関連年表からなる。
証言は一任派・訴訟派・自主交渉派に分かれた被害者を選ばず、生の証言を収録している。劇症型患者、胎児性患者、慢性型患者のそれぞれの病状と暮らしと差別やたたかいを語り継いでいる。公式確認のころから和解に至るまでの流れに沿って証言が編集されていて、読む者は「奇病」の発症から「和解」に至るまでを追体験できるようになっている。被害者・遺族それぞれの考えや思いが統一されているわけではない。それぞれの水俣病がそれぞれの固有名詞の水俣病があることに気が付く。被害者は数ではなくそれぞれの人生を背負った存在であることに胸が迫る。とりわけ最後のおひとり緒方正人さんの証言は水俣病でない我々が享受し、独占資本が底知れない資本蓄積を続けている「近代」というものに答えの出ない根本的な問いを投げかけている。
序章とあとがきは水俣病の惨状と差別とそれへのたたかいの全体を俯瞰したうえで、近代において水俣病は何であったのかその本質を端的にまとめている。塩化ビニールを製造する過程で発生した有機水銀中毒は、その製造過程で有機水銀の利用が終わるまで、公害として認定されず、チッソの廃液垂れ流しも止まらなかった(患者発生から27年、病原がチッソの廃液であると判明してから9年)。国とチッソの対応は多数者による少数者のジェノサイドの政治であり、独占資本本位の近代化の実像そのものであった。2011.3.11以降の読者はこの構図が安全神話の確立と原発爆発に至る構造と同一であることに注意をされたい。
被害者のたたかいは「死んだ子を返せ」「人間として相対してあやまれ」である。人間としての実存をかけたたたかいである。チッソや国の「東大頭」にお任せすることでは解決できず、弁護士と裁判官や政治家に任せることでも解決できず、チッソの株主総会に乗り込み、チッソ本社の中と正門に数年間にわたり座り込み、被害者と遺族が力づくで立ち上がり、世論を変えていって初めて「救済」の道が開かれた(金銭による救済にしか過ぎないのだが)。
国は、被害者と遺族が要求する一斉検診をも行わないまま、2012.7.31を持って特措法による救済申請の道を閉ざそうとしている。原発の再稼働と時を同じくして、ジェノサイドの政治はいまだつづけられようとしている。
石牟礼 道子氏による戦後の最高峰のいのちの文学「苦海浄土」第一部「わが水俣病」・第二部「神々の村」・第三部「天の魚」を本書の水俣病関連年表を片手に合わせて読んでほしい。
証言は一任派・訴訟派・自主交渉派に分かれた被害者を選ばず、生の証言を収録している。劇症型患者、胎児性患者、慢性型患者のそれぞれの病状と暮らしと差別やたたかいを語り継いでいる。公式確認のころから和解に至るまでの流れに沿って証言が編集されていて、読む者は「奇病」の発症から「和解」に至るまでを追体験できるようになっている。被害者・遺族それぞれの考えや思いが統一されているわけではない。それぞれの水俣病がそれぞれの固有名詞の水俣病があることに気が付く。被害者は数ではなくそれぞれの人生を背負った存在であることに胸が迫る。とりわけ最後のおひとり緒方正人さんの証言は水俣病でない我々が享受し、独占資本が底知れない資本蓄積を続けている「近代」というものに答えの出ない根本的な問いを投げかけている。
序章とあとがきは水俣病の惨状と差別とそれへのたたかいの全体を俯瞰したうえで、近代において水俣病は何であったのかその本質を端的にまとめている。塩化ビニールを製造する過程で発生した有機水銀中毒は、その製造過程で有機水銀の利用が終わるまで、公害として認定されず、チッソの廃液垂れ流しも止まらなかった(患者発生から27年、病原がチッソの廃液であると判明してから9年)。国とチッソの対応は多数者による少数者のジェノサイドの政治であり、独占資本本位の近代化の実像そのものであった。2011.3.11以降の読者はこの構図が安全神話の確立と原発爆発に至る構造と同一であることに注意をされたい。
被害者のたたかいは「死んだ子を返せ」「人間として相対してあやまれ」である。人間としての実存をかけたたたかいである。チッソや国の「東大頭」にお任せすることでは解決できず、弁護士と裁判官や政治家に任せることでも解決できず、チッソの株主総会に乗り込み、チッソ本社の中と正門に数年間にわたり座り込み、被害者と遺族が力づくで立ち上がり、世論を変えていって初めて「救済」の道が開かれた(金銭による救済にしか過ぎないのだが)。
国は、被害者と遺族が要求する一斉検診をも行わないまま、2012.7.31を持って特措法による救済申請の道を閉ざそうとしている。原発の再稼働と時を同じくして、ジェノサイドの政治はいまだつづけられようとしている。
石牟礼 道子氏による戦後の最高峰のいのちの文学「苦海浄土」第一部「わが水俣病」・第二部「神々の村」・第三部「天の魚」を本書の水俣病関連年表を片手に合わせて読んでほしい。
2004年10月7日に日本でレビュー済み
患者たちの生きた言葉が、これでもかとばかりに胸に突き刺さる。高度経済成長と呼ばれた時代に置いて、その負の面を背負わされながらも、ありのままで生きていこうとする人々。チッソをうらまず、また単なる犠牲者としてではなく「人間として生きる」ことを追い求めている人たちの姿がこの本にはある。20世紀の日本とは何であったかを振り返るのにも、この本は最適であろう。
また編者の栗原彬氏のもつ「やさしさ」が、この本の下敷きとなっている。彼の水俣患者に対するまなざしが患者達をここまで語らせたといっても過言ではない。
とにかく偏見無しで一読あれ。確実に胸を揺さぶられる。
また編者の栗原彬氏のもつ「やさしさ」が、この本の下敷きとなっている。彼の水俣患者に対するまなざしが患者達をここまで語らせたといっても過言ではない。
とにかく偏見無しで一読あれ。確実に胸を揺さぶられる。
2019年10月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は栗原彬氏(1936-)編集による
『証言 水俣病』(岩波新書 2000)です。
「序章」(pp.1-26)である
「死者と未生の者のほとりから」は
栗原氏の執筆で水俣病の世界を概観します。
本書の核となるのは
10人の患者さんによる「証言」です
(お名前は後で述べます)。
証言というより「魂の叫び」と思います。
「本書の成り立ち」(pp.203-206)が
石黒康氏によって説明され、末尾に
「水俣病関連文献」一覧表
「水俣病関連年表」(1908-1999)
付いていて特に年表は重宝いたします。
日本の医療ドラマの中で
医師が患者さんのことを「クランケ」と
呼ぶシーンがあります。ドイツ語ですが
現代のドイツですらまず使いません。
単に時代錯誤であるのみならず
日本の一部でだけ残ったコトバです。
患者さんのことは
ドイツ語なら「パツィーエント」
英語なら「ペイシェント」と呼びます。
いずれももともとはギリシャ語で
「苦しむ」人
「苦しみに耐える」人
を意味しラテン語を経て
ヨーロッパの各言語に入りましたから
読み方に多少の違いはありますが
同じコトバと考えてよいです
(クランケはギリシャ語やラテン語と
関係ない固有のドイツ語のようです)。
「序章」で栗原氏が述べていますように
Minamata Disease Sufferers
という表現があります。
英語の動詞 "suffer" は「受ける」のほかに
「しのぶ」「我慢する」「辛抱する」
の意味があり、「サッファラー」
"sufferer" はその人を表わす名詞形です
(s がついて複数形になります)。
「苦しむ人」「受難者」「罹災者」
という意味になります。
患者さんはもちろん
「ペイシェント」でありますが
水俣病の発生および拡大の
(国・県・チッソ株式会社による)
犯罪的な経緯を考えますと
「サッファラー」の方が
より正確かもしれません。
さらに栗原氏は「序章」で
「アウシュヴィッツ(に代表される
ナチによる絶滅収容所群)が
陸の上のジェノサイド、
広島と長崎が空からのジェノサイド
であったとするならば、
水俣病は海からのジェノサイドである」
と指摘しています(pp.16-17)。
「ジェノサイド」はよく知られているように
「大量殺害」「大量殺戮」「集団殺戮」を
意味する英語です
(ユダヤ人はヘブライ語で「ショアー」と呼ぶ
ことが多いようです)。
確かに水俣病は
国・県・チッソ株式会社による
「大量殺戮」という側面を持っていました
(その具体的な真実はまさに「証言」を
お読みいただけると幸いです)。
(会社名は3回変わりましたが)
チッソ株式会社・水俣工場は
1932(昭和7)年5月7日
アセトアルデヒド製造廃液を
水俣湾(から有明海)に流し始めます。
その廃液中には猛毒のメチル水銀が
含まれていました。
その廃液が止まったのは
1968(昭和43)年5月18日です。
まるまる36年間、流され続けました。
36年の間において
チッソ株式会社はその製造工程や
触媒の種類などを変更したので
メチル水銀の流出量は年代によって
ある程度の差があります。
しかしメチル水銀のひとつである
「ジメチル水銀」をあやまって
【1滴か2滴】
ゴム手袋の上にこぼした研究者が
狂騒と昏睡を繰り返し
10カ月後に亡くなったことが
報告されています。
かくも致死的に猛毒のメチル水銀は
ヨーロッパでは地中に埋められましたが
チッソ株式会社は海に流しました。
「ジェノサイド」
と呼んでしかるべき行為です。
国も県も止めませんでした。
「石油化学」が確立するまで
チッソ株式会社の「電気化学」による
アセトアルデヒド製造は事実上
「国策」だったからです。
この場合の国は「通産省」(当時)が
メインということになります。
ここで
メチル水銀というコトバについて
補足しておきますと
広義には水銀に最低1コのメチル基が
付いた水銀化合物の総称を言い
狭義には水銀にメチル基が1コだけ
付いた物質を指します。
上記の死亡例の報告で出てきた
「ジメチル水銀」は水銀に
2コのメチル基がついた物質で
広義のメチル水銀の一種ということに
なります。
単に「メチル水銀」と表現されていたら
狭義と広義のどちらかを確認する必要が
ありますが多くの場合は広義を指します。
さらに「有機水銀」と言ったら
メチル基に限定しない有機性の基が
ついた水銀化合物の総称です。
まとめると
有機水銀のひとつにメチル水銀(広義)があり
メチル水銀(広義)の中に
メチル水銀(狭義)や
ジメチル水銀などが含まれます。
もうひとつ補足いたしますと
チッソ株式会社が
アセトアルデヒドを製造していたのが
1932(昭和7)年5月7日から
1968(昭和43)年5月18日までですが
同社は
「塩化ビニール」も製造しており
その製造工程からもメチル水銀が副生され
排水に含まれて海に流されました。
ちなみに「塩化ビニール」製造は
1941(昭和16)年11月3日に開始
1971(昭和46)年3月25日まで
稼働しました。詳しくは末尾の
「水俣病関連年表」でご確認
いただけますと幸いです。
ちなみに
チッソ株式会社は
1908(明治41)年8月20日
「日本窒素肥料」株式会社として設立され
1950(昭和25)年1月
「新日本窒素肥料」株式会社と社名変更
1965年1月
「チッソ」株式会社と社名変更されました。
三井・三菱・住友・安田などの
旧財閥に対し
日本窒素肥料、略して「日窒」は
「日窒」コンツェルンと呼ばれ
いわゆる新興財閥のひとつでした。
太平洋戦争開戦の頃までには
世界でも第二位の化学企業となっていた
ことが知られています。
大量の電気を使って電気炉で
カーバイドを作り
カーバイドからアセチレンをはじめ
有機化合物を製造する有機化学工業でした。
「電気化学」と呼ばれるものは現在
「石油化学」にとってかわられています。
標語的に申しあげるならば
「電気化学」→「石油化学」の転換が
まさに国策でした。
このように水俣病は
チッソ株式会社と国と県による
「海からのジェノサイド」
であったと言うことができます。
その患者さんは
「ペイシェント」であり
「サッファラー」であり
さらに言うならば
「ヴィクチム」でもありました。
「被害者」「犠牲者」などと訳されます。
さて本書で
「証言」なさった10人の患者さんは
次の通りです。
①下田綾子さん
②荒木洋子さん
③荒木俊二さん
④大村トミエさん
⑤川本輝夫さん
⑥佐々木清登さん
⑦杉本栄子さん
⑧仲村妙子さん
⑨木下レイ子さん
⑩緒方正人さん
(このレヴューを書いている時点で
ご存命の方も不幸にして亡くなった方も
すべて敬称「さん」をつけました)。
水俣病犠牲者の慰霊式は毎年
5月1日に水俣で行われていました。
なぜなら1956(昭和31)年5月1日が
水俣病公式確認の日だからです。
しかし本書によりますと
太平洋戦争開戦直前の
1941(昭和16)年11月には
水俣病と疑われる患者さんがいた
という証言が記載されています。
公式確認よりも15年前になります。
また報道によりますと
今年の慰霊式はきょう10月19日に
行われました。
5月1日に今上天皇が即位されたため
延期されたとの由です。
疫学的に考えると
有明海沿岸でメチル水銀の暴露を
受けた方々は20万人とも30万人とも
想定することが可能です。
数ある「レクイエム」(鎮魂歌)
(直訳したら「平安」「永遠の平安」
「永遠の平安を彼らに与えたまえ」)
の中から小品ですが
アレクサンドル・P・ボロディン
(1833-1887)による
「レクイエム」(ピアノ編曲)をかけて
すべての方々のために私は祈ります。
『証言 水俣病』(岩波新書 2000)です。
「序章」(pp.1-26)である
「死者と未生の者のほとりから」は
栗原氏の執筆で水俣病の世界を概観します。
本書の核となるのは
10人の患者さんによる「証言」です
(お名前は後で述べます)。
証言というより「魂の叫び」と思います。
「本書の成り立ち」(pp.203-206)が
石黒康氏によって説明され、末尾に
「水俣病関連文献」一覧表
「水俣病関連年表」(1908-1999)
付いていて特に年表は重宝いたします。
日本の医療ドラマの中で
医師が患者さんのことを「クランケ」と
呼ぶシーンがあります。ドイツ語ですが
現代のドイツですらまず使いません。
単に時代錯誤であるのみならず
日本の一部でだけ残ったコトバです。
患者さんのことは
ドイツ語なら「パツィーエント」
英語なら「ペイシェント」と呼びます。
いずれももともとはギリシャ語で
「苦しむ」人
「苦しみに耐える」人
を意味しラテン語を経て
ヨーロッパの各言語に入りましたから
読み方に多少の違いはありますが
同じコトバと考えてよいです
(クランケはギリシャ語やラテン語と
関係ない固有のドイツ語のようです)。
「序章」で栗原氏が述べていますように
Minamata Disease Sufferers
という表現があります。
英語の動詞 "suffer" は「受ける」のほかに
「しのぶ」「我慢する」「辛抱する」
の意味があり、「サッファラー」
"sufferer" はその人を表わす名詞形です
(s がついて複数形になります)。
「苦しむ人」「受難者」「罹災者」
という意味になります。
患者さんはもちろん
「ペイシェント」でありますが
水俣病の発生および拡大の
(国・県・チッソ株式会社による)
犯罪的な経緯を考えますと
「サッファラー」の方が
より正確かもしれません。
さらに栗原氏は「序章」で
「アウシュヴィッツ(に代表される
ナチによる絶滅収容所群)が
陸の上のジェノサイド、
広島と長崎が空からのジェノサイド
であったとするならば、
水俣病は海からのジェノサイドである」
と指摘しています(pp.16-17)。
「ジェノサイド」はよく知られているように
「大量殺害」「大量殺戮」「集団殺戮」を
意味する英語です
(ユダヤ人はヘブライ語で「ショアー」と呼ぶ
ことが多いようです)。
確かに水俣病は
国・県・チッソ株式会社による
「大量殺戮」という側面を持っていました
(その具体的な真実はまさに「証言」を
お読みいただけると幸いです)。
(会社名は3回変わりましたが)
チッソ株式会社・水俣工場は
1932(昭和7)年5月7日
アセトアルデヒド製造廃液を
水俣湾(から有明海)に流し始めます。
その廃液中には猛毒のメチル水銀が
含まれていました。
その廃液が止まったのは
1968(昭和43)年5月18日です。
まるまる36年間、流され続けました。
36年の間において
チッソ株式会社はその製造工程や
触媒の種類などを変更したので
メチル水銀の流出量は年代によって
ある程度の差があります。
しかしメチル水銀のひとつである
「ジメチル水銀」をあやまって
【1滴か2滴】
ゴム手袋の上にこぼした研究者が
狂騒と昏睡を繰り返し
10カ月後に亡くなったことが
報告されています。
かくも致死的に猛毒のメチル水銀は
ヨーロッパでは地中に埋められましたが
チッソ株式会社は海に流しました。
「ジェノサイド」
と呼んでしかるべき行為です。
国も県も止めませんでした。
「石油化学」が確立するまで
チッソ株式会社の「電気化学」による
アセトアルデヒド製造は事実上
「国策」だったからです。
この場合の国は「通産省」(当時)が
メインということになります。
ここで
メチル水銀というコトバについて
補足しておきますと
広義には水銀に最低1コのメチル基が
付いた水銀化合物の総称を言い
狭義には水銀にメチル基が1コだけ
付いた物質を指します。
上記の死亡例の報告で出てきた
「ジメチル水銀」は水銀に
2コのメチル基がついた物質で
広義のメチル水銀の一種ということに
なります。
単に「メチル水銀」と表現されていたら
狭義と広義のどちらかを確認する必要が
ありますが多くの場合は広義を指します。
さらに「有機水銀」と言ったら
メチル基に限定しない有機性の基が
ついた水銀化合物の総称です。
まとめると
有機水銀のひとつにメチル水銀(広義)があり
メチル水銀(広義)の中に
メチル水銀(狭義)や
ジメチル水銀などが含まれます。
もうひとつ補足いたしますと
チッソ株式会社が
アセトアルデヒドを製造していたのが
1932(昭和7)年5月7日から
1968(昭和43)年5月18日までですが
同社は
「塩化ビニール」も製造しており
その製造工程からもメチル水銀が副生され
排水に含まれて海に流されました。
ちなみに「塩化ビニール」製造は
1941(昭和16)年11月3日に開始
1971(昭和46)年3月25日まで
稼働しました。詳しくは末尾の
「水俣病関連年表」でご確認
いただけますと幸いです。
ちなみに
チッソ株式会社は
1908(明治41)年8月20日
「日本窒素肥料」株式会社として設立され
1950(昭和25)年1月
「新日本窒素肥料」株式会社と社名変更
1965年1月
「チッソ」株式会社と社名変更されました。
三井・三菱・住友・安田などの
旧財閥に対し
日本窒素肥料、略して「日窒」は
「日窒」コンツェルンと呼ばれ
いわゆる新興財閥のひとつでした。
太平洋戦争開戦の頃までには
世界でも第二位の化学企業となっていた
ことが知られています。
大量の電気を使って電気炉で
カーバイドを作り
カーバイドからアセチレンをはじめ
有機化合物を製造する有機化学工業でした。
「電気化学」と呼ばれるものは現在
「石油化学」にとってかわられています。
標語的に申しあげるならば
「電気化学」→「石油化学」の転換が
まさに国策でした。
このように水俣病は
チッソ株式会社と国と県による
「海からのジェノサイド」
であったと言うことができます。
その患者さんは
「ペイシェント」であり
「サッファラー」であり
さらに言うならば
「ヴィクチム」でもありました。
「被害者」「犠牲者」などと訳されます。
さて本書で
「証言」なさった10人の患者さんは
次の通りです。
①下田綾子さん
②荒木洋子さん
③荒木俊二さん
④大村トミエさん
⑤川本輝夫さん
⑥佐々木清登さん
⑦杉本栄子さん
⑧仲村妙子さん
⑨木下レイ子さん
⑩緒方正人さん
(このレヴューを書いている時点で
ご存命の方も不幸にして亡くなった方も
すべて敬称「さん」をつけました)。
水俣病犠牲者の慰霊式は毎年
5月1日に水俣で行われていました。
なぜなら1956(昭和31)年5月1日が
水俣病公式確認の日だからです。
しかし本書によりますと
太平洋戦争開戦直前の
1941(昭和16)年11月には
水俣病と疑われる患者さんがいた
という証言が記載されています。
公式確認よりも15年前になります。
また報道によりますと
今年の慰霊式はきょう10月19日に
行われました。
5月1日に今上天皇が即位されたため
延期されたとの由です。
疫学的に考えると
有明海沿岸でメチル水銀の暴露を
受けた方々は20万人とも30万人とも
想定することが可能です。
数ある「レクイエム」(鎮魂歌)
(直訳したら「平安」「永遠の平安」
「永遠の平安を彼らに与えたまえ」)
の中から小品ですが
アレクサンドル・P・ボロディン
(1833-1887)による
「レクイエム」(ピアノ編曲)をかけて
すべての方々のために私は祈ります。
2019年9月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現在にこの様な事を行えば、早速世論やマスコミに叩かれまくられる。そして間違えなく世界的にも大問題になる。この様な犯罪企業は倒産確実である。