訳文がすごく読みやすいです、他の訳に比して。
作品そのものも面白いです。
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アブサロム、アブサロム!(上) (岩波文庫) 文庫 – 2011/10/15
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九月の午後、藤の咲き乱れる古家で、喪服姿のローザが語り出す半世紀前の一族の悲劇。1833年ミシシッピに忽然と現れたヘンリー・サトペンは、無一物から農場主にのし上がり、ローザの姉と結婚、二人の子を得る。そのサトペン一族はなぜ非業の死に滅びたのか? 南部の男たちの血と南部の女たちの涙が綴る一大叙事詩。(全2冊)
- 本の長さ384ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2011/10/15
- 寸法11 x 1.5 x 15 cm
- ISBN-104003232364
- ISBN-13978-4003232361
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2011/10/15)
- 発売日 : 2011/10/15
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 384ページ
- ISBN-10 : 4003232364
- ISBN-13 : 978-4003232361
- 寸法 : 11 x 1.5 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 221,873位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,609位岩波文庫
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「響きと怒り」と同じくアメリカ南部の町ジェファーソンを舞台に、またアメリカ南北戦争の4年間を中心とした南部の歴史を背景として、ある男の破滅的なまでの“血”へ執着を種に、男によって災いの種を撒き散らされた女たちを床にして、言葉以上の心の痛手と憤怒を熱病に浮かされたような圧倒的な語りの力で絞り出した「血の呪いと業」の結晶。
「響きと怒り」で用いられた“意識の流れ”の手法が本作品で濃厚に復活していて、また、誤解を避けるという意味以上に文章の中に度々()を用いながら語り手の考えを口酸っぱく記述してある箇所が多々ある。なので一文が長い。しかし語り出される言葉は非常に粘着性があって頭に糸を引いて残るので、集中力と熱意が途切れない限り、語り手の思いの重厚さと複雑さを感じ取ることが出来るのではないかと思う。
読んでいて、登場する男たちや女たちが感情を言葉にも態度にも出さないのは、連綿と横たわっていたアメリカ南部の歴史が、そこに生きる人間たちに刻み込んだ諦念のようなもののせいなのだろうかと考えたのだけど、がしかし、第5章でのミス・ローザの、一瞬も力を抜くことなく語られる言葉の激しさ、そして言葉の限りを尽くしても語り切れない苛立ちと無念さは、歪んでいるようで真っすぐな、人間に(特に女に)許された最後の活力なのではないかと感じるようになった。
一方、災いの種を撒いたトマス・サトペンのことは、本人ではなく語り継がれる形で、彼の抱いた感情よりも事実に重点が置かれている。それでも怪物的なサトペンの内面を感じ取るには十分で、社会的な正しさよりも信念を優先する彼の生き方の中に、揺らぐことのない決意と覚悟、または南北戦争における南部の興亡、停滞や後退に、彼の心の軌跡を重ねてみることもできる。
男と女ということに関しては、女にとって悲しみながら生きるよりも憎みながら生きるほうが遥かに辛いのだということを男がいつまでも分かろうとしないのは、彼らの世の中に対する絶対的な不信感のせいであり、その不信感を女が理解しようとしないという、どうにもならない男と女それぞれの孤独を感じた。
また、上巻で聞き手であったクエンティンが同僚のシュリーヴと共に、この物語の中で最も魅惑的で最も複雑な人物であるチャールズ・ボンの徹底した宿命論に正当性を与えてしまったのは、彼らの高度な思考力と想像力によるものだと思う。が、何よりも悲しいのは、これらの悲劇の再現と再構築という作業が、南部の血の歴史を「聞かされ過ぎた」クエンティンの人生を左右し、容赦なく追い詰める作業でもあったということだ。
フォークナーを読んだせいで、自分も一文が長くなってしまいました。すみません。この作品は一旦中断して間を置くと訳が分からなくなるので一気に読むほうがいいのではないかと思います。
「響きと怒り」で用いられた“意識の流れ”の手法が本作品で濃厚に復活していて、また、誤解を避けるという意味以上に文章の中に度々()を用いながら語り手の考えを口酸っぱく記述してある箇所が多々ある。なので一文が長い。しかし語り出される言葉は非常に粘着性があって頭に糸を引いて残るので、集中力と熱意が途切れない限り、語り手の思いの重厚さと複雑さを感じ取ることが出来るのではないかと思う。
読んでいて、登場する男たちや女たちが感情を言葉にも態度にも出さないのは、連綿と横たわっていたアメリカ南部の歴史が、そこに生きる人間たちに刻み込んだ諦念のようなもののせいなのだろうかと考えたのだけど、がしかし、第5章でのミス・ローザの、一瞬も力を抜くことなく語られる言葉の激しさ、そして言葉の限りを尽くしても語り切れない苛立ちと無念さは、歪んでいるようで真っすぐな、人間に(特に女に)許された最後の活力なのではないかと感じるようになった。
一方、災いの種を撒いたトマス・サトペンのことは、本人ではなく語り継がれる形で、彼の抱いた感情よりも事実に重点が置かれている。それでも怪物的なサトペンの内面を感じ取るには十分で、社会的な正しさよりも信念を優先する彼の生き方の中に、揺らぐことのない決意と覚悟、または南北戦争における南部の興亡、停滞や後退に、彼の心の軌跡を重ねてみることもできる。
男と女ということに関しては、女にとって悲しみながら生きるよりも憎みながら生きるほうが遥かに辛いのだということを男がいつまでも分かろうとしないのは、彼らの世の中に対する絶対的な不信感のせいであり、その不信感を女が理解しようとしないという、どうにもならない男と女それぞれの孤独を感じた。
また、上巻で聞き手であったクエンティンが同僚のシュリーヴと共に、この物語の中で最も魅惑的で最も複雑な人物であるチャールズ・ボンの徹底した宿命論に正当性を与えてしまったのは、彼らの高度な思考力と想像力によるものだと思う。が、何よりも悲しいのは、これらの悲劇の再現と再構築という作業が、南部の血の歴史を「聞かされ過ぎた」クエンティンの人生を左右し、容赦なく追い詰める作業でもあったということだ。
フォークナーを読んだせいで、自分も一文が長くなってしまいました。すみません。この作品は一旦中断して間を置くと訳が分からなくなるので一気に読むほうがいいのではないかと思います。
2015年4月9日に日本でレビュー済み
無一文から成り上がり、己の信念に忠実に生きた男トマス・サトペン。
この信念ゆえに周りの人間は翻弄され、時に破滅していきます。
しかしそうなればなるほど、彼の魅力は増していくと言う不思議なお話です。人間のクズなんですが。
生命力というか、肝っ玉が違うんですよね彼は。
一つ一つのエピソードは下衆な関心を引く様なものであっても、積み重なれば
立派に一族の興亡史です。後から見れば崩壊を運命づけられたような一族ですが、
それに必死に抗おうとしている姿が魅力的に映りました。フォークナーってこういうストーリーが多いようですね。
文体は思ったほど読みづらくはないです。混乱しても前に進むしかありません。
粗筋を調べたりしては台無しです。錯綜したエピソードがだんだんと収斂していくのを
楽しむのもフォークナー作品の醍醐味だと思いますので。
この信念ゆえに周りの人間は翻弄され、時に破滅していきます。
しかしそうなればなるほど、彼の魅力は増していくと言う不思議なお話です。人間のクズなんですが。
生命力というか、肝っ玉が違うんですよね彼は。
一つ一つのエピソードは下衆な関心を引く様なものであっても、積み重なれば
立派に一族の興亡史です。後から見れば崩壊を運命づけられたような一族ですが、
それに必死に抗おうとしている姿が魅力的に映りました。フォークナーってこういうストーリーが多いようですね。
文体は思ったほど読みづらくはないです。混乱しても前に進むしかありません。
粗筋を調べたりしては台無しです。錯綜したエピソードがだんだんと収斂していくのを
楽しむのもフォークナー作品の醍醐味だと思いますので。
2016年11月19日に日本でレビュー済み
平易な言葉が連なっていますが意味を理解するのは難しい。けど、読み進めると土俗的な空気がまとわりついてきます。親子、親戚、兄弟やら近所の人々のうわさの的にになるサトペン。南北戦争を基軸として口承された大河物語。美しいくもあり、醜い話を訴えかける凄い本です。
2021年6月8日に日本でレビュー済み
主要登場人物がうじうじと、全員ハムレットのようだ。この小説には、オフィーリアも、ポローニアスも、レアティーズも、フォーティーンブラスも、墓掘り人夫も出てこない。辛うじてコンプトン将軍がホレイショウか。語り手たちは、外面においては人種・性別・年齢・出生地など様々だが、内面が酷似している。自己憐憫&怨嗟たっぷりな一方、特別な感情を抱いている相手を除けば、他者を虫けら程度にしか思っていない(そういう虫けらとしてローゼンクランツやギルデンスターン的人物はあれこれ登場する)。
今様にいえば、キャラの重なりが激しい。このため、先行作『響きと怒り』とは、視点人物の入れ替えによる効果が異なる。『響き…』の方は、多角的に光を当てて作品内の対象・事実を立体的に浮かび上がらせる仕掛けであったが、『アブサロム…』では、一部画家のデッサンのように、同じ方向に斜線を重ねてゆくことで作品内の対象・事実に様々な陰翳を施している感じだ。Duchampの『階段を下りる裸婦』のよう。『響き…』に登場した(そして死んだ)人物たちを叩き起こして語らせているが、やはり無理がある。聡明な大学生たちに「物語」を解釈させ、あるいは創作させ、作品内「事実」を相対化する意図は、確かに一定の効果を上げている。しかし、例えばクエンティンの場合、ジュディスが出てくる場面でキャディを連想し、ヘンリーに自己投影などして煩悶しそうなものだが、そういう感じはない。『響き…』に見られた、時間や影に対するやや病的こだわりもかなり忘れられているようだ。風景描写も、『響き…』にあったような、はっとさせられる美しさは少ない印象だった。
ギリシア悲劇や旧約聖書のような叙事詩性を目指したのかも知れないが、それにしては、言った、言わないとか、処女性とか、主要人物たちのこだわりがあまりに卑小だ。そもそも西洋のEpic(s)の優位性を無邪気に支持するつもりもない。
形式formと内容contentという視点で言うと、形式は実によく作り込まれていると感じる一方、内容が評者の好みに合わなかったということもある。ただ、入り組んだパズル(form)を解体して「桃太郎」のような直線的なnarrative(あるいは『カラマーゾフの兄弟』、『巨匠とマルガリータ』、『言語の7番目の機能』or whatever)に組み換えた場合、これは本当にそれほど凄い小説(content)なのだろうか。確かにこの形式あってこその意味というのもあるのだろうが、最終的には一人一人の読者が頭の中で組み換えた上で「理解」するのであり、読んでいて「面倒臭い」と感じることになる。蛇足ながら、この小説を読むと、「マルケスは所詮フォークナーの二番煎じ」と言う人がいるのも頷ける。読んだ限りではあるが、評者はマルケスもさほど評価しない。
原語でさえ相当読みにくいに違いないこの作品を、統語がひどく異なる日本語に置き換え、わかりやすく私たちに紹介してくれた翻訳者には敬意を表し、賛辞を送りたい。長文失礼。
今様にいえば、キャラの重なりが激しい。このため、先行作『響きと怒り』とは、視点人物の入れ替えによる効果が異なる。『響き…』の方は、多角的に光を当てて作品内の対象・事実を立体的に浮かび上がらせる仕掛けであったが、『アブサロム…』では、一部画家のデッサンのように、同じ方向に斜線を重ねてゆくことで作品内の対象・事実に様々な陰翳を施している感じだ。Duchampの『階段を下りる裸婦』のよう。『響き…』に登場した(そして死んだ)人物たちを叩き起こして語らせているが、やはり無理がある。聡明な大学生たちに「物語」を解釈させ、あるいは創作させ、作品内「事実」を相対化する意図は、確かに一定の効果を上げている。しかし、例えばクエンティンの場合、ジュディスが出てくる場面でキャディを連想し、ヘンリーに自己投影などして煩悶しそうなものだが、そういう感じはない。『響き…』に見られた、時間や影に対するやや病的こだわりもかなり忘れられているようだ。風景描写も、『響き…』にあったような、はっとさせられる美しさは少ない印象だった。
ギリシア悲劇や旧約聖書のような叙事詩性を目指したのかも知れないが、それにしては、言った、言わないとか、処女性とか、主要人物たちのこだわりがあまりに卑小だ。そもそも西洋のEpic(s)の優位性を無邪気に支持するつもりもない。
形式formと内容contentという視点で言うと、形式は実によく作り込まれていると感じる一方、内容が評者の好みに合わなかったということもある。ただ、入り組んだパズル(form)を解体して「桃太郎」のような直線的なnarrative(あるいは『カラマーゾフの兄弟』、『巨匠とマルガリータ』、『言語の7番目の機能』or whatever)に組み換えた場合、これは本当にそれほど凄い小説(content)なのだろうか。確かにこの形式あってこその意味というのもあるのだろうが、最終的には一人一人の読者が頭の中で組み換えた上で「理解」するのであり、読んでいて「面倒臭い」と感じることになる。蛇足ながら、この小説を読むと、「マルケスは所詮フォークナーの二番煎じ」と言う人がいるのも頷ける。読んだ限りではあるが、評者はマルケスもさほど評価しない。
原語でさえ相当読みにくいに違いないこの作品を、統語がひどく異なる日本語に置き換え、わかりやすく私たちに紹介してくれた翻訳者には敬意を表し、賛辞を送りたい。長文失礼。
2017年5月5日に日本でレビュー済み
破綻のない整然とした訳文で、高く評価したいのだが、本文以外の付録があまりにもネタバレの嵐。巻末解説はもちろん、巻頭の人物紹介ですでに、下巻まで含めた各人の行動や上巻ではまだ隠されている出自の秘密、生没年までバラしてしまっている。系図や地図にも重大なネタバレあり。解説はネタバレを警戒して後回しにしても、巻頭の人物紹介などはうっかり読んでしまうことが多いと思うので、この作品を初めて読む方はくれぐれもご注意を。全部バラされて興をそがれること請け合いだ。
2012年4月12日に日本でレビュー済み
『カラマーゾフの兄弟』『百年の孤独』と同じ系列に並ぶ、フォークナーのみならず、世界文学の最高傑作のひとつである。
特筆すべきは、光文社古典新訳文庫かと思うぐらい(褒め言葉)、とにかく読みやすい翻訳。まさに自分もクエンティン君になったかのように、父やミス・ローザやシュリーヴの語りを「聞く」ように、つっかえることなく「読む」ことができる。はじめから日本語で書かれているかのように違和感がない、見事な翻訳だ。
一文が延々と続く独特の文体には病みつきになる麻薬的魅力があり、小説とはなにか(映画や漫画では描けないものとはなにか)ということ、文章を読むとはどういうことかを思い出させてくれる。
ただし古い小説や映画にありがちなように、状況の説明不足は否めないので、不安なら、巻頭に付いている各章のまとめを先に読めば、誰が誰にどういう状況で語っているのかわからず迷子になって投げ出す心配はない。ただし、家系図はけっこうネタバレが含まれているので、気になる人は目に入らないように飛ばしたほうがいい。
特筆すべきは、光文社古典新訳文庫かと思うぐらい(褒め言葉)、とにかく読みやすい翻訳。まさに自分もクエンティン君になったかのように、父やミス・ローザやシュリーヴの語りを「聞く」ように、つっかえることなく「読む」ことができる。はじめから日本語で書かれているかのように違和感がない、見事な翻訳だ。
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