ひとえの観察、特に幼い子供えのそれ及び幼女のかなえられなっかった
約束に涙涙。他の二作も多くの人に読んでもらいたい。
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或る少女の死まで 他二篇 (岩波文庫 緑 66-1) 文庫 – 2003/11/14
室生 犀星
(著)
繊細な感覚で日常の美を謳った大正詩壇の鬼才,室生犀星の初めての小説を含む自伝的三部作.古都金沢で数奇な星の下に寺の子として育った主人公は,詩への思いやみがたく上京する.詩人志望の青年の鬱屈した日々を彩る少女との交流をみずみずしく描いた表題作他,『幼年時代』『性に眼覚める頃』を収録.(解説=富岡多惠子)(改版)
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2003/11/14
- 寸法10.5 x 1.2 x 14.8 cm
- ISBN-10400310661X
- ISBN-13978-4003106617
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商品の説明
商品説明
壮絶な少年時代である。元武士と女中との間に生まれた「私」は生後間もなく近所の家に養子として預けられる。実の両親への思い断ちがたく、日に何度も実家を訪れては養家の親に叱られる毎日。やがて実父が死ぬと、女中であった母は追放されて消息不明になる。「何処かで生きていて欲しい」母への強い愛慕から「私」は河原で拾った地蔵を庭に飾り、それが縁で寺に養子として迎えられる…。
本書に収められた「幼年時代」は、詩人としてはすでに名を馳せていた室生犀星の処女小説である。作者自身が「他愛のない自叙伝」と評する物語には、とてつもなく孤独な少年の姿が、詩人の稀有な言語感覚で描かれている。例えば作者が「父」と書くとき、それは血を受けた実父のことであったり、もらわれていった寺の老和尚であったりする。それを犀星は等しく「父」と呼ぶのである。唐突で時には無邪気とさえ感じられる言葉遣い。だが読み進めるうちにその言葉の一つ一つが、宝石のように幾層もの輝きを放って迫ってくる。この独特の言語感覚が、新鮮な涼風として当時の文壇に迎えられたに違いない。
他に、やはり自伝的な「性に眼覚める頃」「或る少女の死まで」を収録。若く貧しい詩人の孤独な青春時代を題材に、人がどれほど純粋な存在であるか、そしてどのように汚れていくのかをつづった、犀星文学のテーマの原点を成す作品集である。(三木秀則)
本書に収められた「幼年時代」は、詩人としてはすでに名を馳せていた室生犀星の処女小説である。作者自身が「他愛のない自叙伝」と評する物語には、とてつもなく孤独な少年の姿が、詩人の稀有な言語感覚で描かれている。例えば作者が「父」と書くとき、それは血を受けた実父のことであったり、もらわれていった寺の老和尚であったりする。それを犀星は等しく「父」と呼ぶのである。唐突で時には無邪気とさえ感じられる言葉遣い。だが読み進めるうちにその言葉の一つ一つが、宝石のように幾層もの輝きを放って迫ってくる。この独特の言語感覚が、新鮮な涼風として当時の文壇に迎えられたに違いない。
他に、やはり自伝的な「性に眼覚める頃」「或る少女の死まで」を収録。若く貧しい詩人の孤独な青春時代を題材に、人がどれほど純粋な存在であるか、そしてどのように汚れていくのかをつづった、犀星文学のテーマの原点を成す作品集である。(三木秀則)
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2003/11/14)
- 発売日 : 2003/11/14
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 288ページ
- ISBN-10 : 400310661X
- ISBN-13 : 978-4003106617
- 寸法 : 10.5 x 1.2 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 449,045位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
随分むかしに買いましたが未だ読破出来て居ません。
他に読んでも理解出来ない本が10冊以上たまっているので、移動中や待ち時間に楽しく読んでいます。
他に読んでも理解出来ない本が10冊以上たまっているので、移動中や待ち時間に楽しく読んでいます。
2008年2月7日に日本でレビュー済み
この本には、室生犀星の自伝的小説三編が収録されているが、
その三つに共通しているのが女性への憧憬である。
「幼年時代」では実の母と義姉への愛慕、「性に目覚める頃」では自身の女性への肉欲との葛藤、
「或る少女の死まで」では、主人公と二人の異なる少女の触れ合いと別れが描かれている。
どれも女性美を称え、また愛する女性との別れを嘆くものであるが、その形式はかなり異なる。
第一作では主に肉親としての女性への愛、第二作では思春期の主人公の女性に対する性的興味と恋愛感情、
第三作では少女に対する、可愛らしいものを愛するときの純粋な気持ちが描かれている。
一応三編とも別作品であるが、主人公の女性観の発展と成熟の過程とみることもできよう。
それを意識して読むと、なおよいと思う。
その三つに共通しているのが女性への憧憬である。
「幼年時代」では実の母と義姉への愛慕、「性に目覚める頃」では自身の女性への肉欲との葛藤、
「或る少女の死まで」では、主人公と二人の異なる少女の触れ合いと別れが描かれている。
どれも女性美を称え、また愛する女性との別れを嘆くものであるが、その形式はかなり異なる。
第一作では主に肉親としての女性への愛、第二作では思春期の主人公の女性に対する性的興味と恋愛感情、
第三作では少女に対する、可愛らしいものを愛するときの純粋な気持ちが描かれている。
一応三編とも別作品であるが、主人公の女性観の発展と成熟の過程とみることもできよう。
それを意識して読むと、なおよいと思う。
2007年8月24日に日本でレビュー済み
・とめどない母親や姉への愛おしさが、全編を貫いている。「惜しみない愛に包まれたい」、心の深奥からの叫びが、其処彼処から溢れてくる。読むほどに切なく、生を与えた親への素朴な思いが、一語一句から湧き出てくる。その乾いた孤独を先生からわかってもらえず、反抗を貫く。一途なまでの少年の思いが、いじらしい。犀星の生い立ちのこういった重さが、満たされなさが、リリシズムに溢れた、読み手の琴線に響く作風を生んだのでなかろうか?嫁いだ姉の家を訪れる心、残された教室で罰を受けながら屋根瓦を数える寂寥感。私たちの根幹に潜在する孤独な魂を、犀星は鮮やかに描き出した。その寂しさを慰撫しあいながら、人間は生きていかざるを得ない。人間存在の根本テーマを、自らの足跡の中にどっしりと書き綴った。幼い頃から静かな孤独を引き受けざるを得なかった犀星の、心の雫が伝わってくる佳品です。
2012年7月27日に日本でレビュー済み
詩人だった室生犀星(1889-1962)がものした自伝的小説三部作、いずれも1919年の作。
「幼年時代」
他家に遣られた子どもの、生母や姉への愛しさや寂しさや哀しさが、その子どもの透明ささながらに、淡々と静謐な文体で描かれている。主人公に子どもの無邪気さで仲良しになったお孝さんという女の子と知り合っても、
"私はお孝さんと姉とは別々に考えていた。お孝さんには姉さんと異なったものがあった。つまり「可愛さ」があって姉さんにはかえって「可愛がられたさ」があった。"
胎違いであるということとは全く無関係のところにある、姉への思慕の深さ。その憧憬が、孤独なこの子の全てを支えているかのようだ。姉と一緒で、一つの全体でいられる。姉の純朴な優しさも静かに美しい。
"私はときどき隣の母の家へ行くと、きっと姉の室へ這入って見なければ気が済まなかった。いつも黙って、静かにお針をしている傍に寝そべっていた私自身の姿をも、そこでは姉の姿と一しょに思い浮かべることが出来るのであった。その室には、いつも姉のそばへよると一種の匂いがしたように、何かしら懐かしい温かな姉のからだから沁みでるような匂いが、姉のいなくなったこの頃でも、室の中にふわりと花の香のように漂うていた。"
"姉なしには私の少年としての生活は続けられなかったかもしれない。"
なお、思慮深く感受性のある子どもが「男の子」になってしまうときに覚える苦味も、そっと挿し込まれている。それを包んでくれるのも、姉だった。姉が嫁き、主人公の少年時代は終わる。
三篇中の白眉と云える詩人の処女小説。小説というのはこうでなくては、と思わせる。
「或る少女の死まで」
都会の・大人の・生活の醜悪かつ卑小で散文的な現実の泥濘に塗れた詩人の魂を浄化したのは、屈託も邪気も無い瑞々しい九歳の少女だった。そしてこの"小さな救い主"は題名の通り死んでしまう。もはや「救い主」は、決して永遠が約束されない、仮初の「救い主」でしか在り得ない、という現代的な暗示が感じられた。主人公たる犀星は、この作品を発表後、四十年以上も生きることになる。
「幼年時代」
他家に遣られた子どもの、生母や姉への愛しさや寂しさや哀しさが、その子どもの透明ささながらに、淡々と静謐な文体で描かれている。主人公に子どもの無邪気さで仲良しになったお孝さんという女の子と知り合っても、
"私はお孝さんと姉とは別々に考えていた。お孝さんには姉さんと異なったものがあった。つまり「可愛さ」があって姉さんにはかえって「可愛がられたさ」があった。"
胎違いであるということとは全く無関係のところにある、姉への思慕の深さ。その憧憬が、孤独なこの子の全てを支えているかのようだ。姉と一緒で、一つの全体でいられる。姉の純朴な優しさも静かに美しい。
"私はときどき隣の母の家へ行くと、きっと姉の室へ這入って見なければ気が済まなかった。いつも黙って、静かにお針をしている傍に寝そべっていた私自身の姿をも、そこでは姉の姿と一しょに思い浮かべることが出来るのであった。その室には、いつも姉のそばへよると一種の匂いがしたように、何かしら懐かしい温かな姉のからだから沁みでるような匂いが、姉のいなくなったこの頃でも、室の中にふわりと花の香のように漂うていた。"
"姉なしには私の少年としての生活は続けられなかったかもしれない。"
なお、思慮深く感受性のある子どもが「男の子」になってしまうときに覚える苦味も、そっと挿し込まれている。それを包んでくれるのも、姉だった。姉が嫁き、主人公の少年時代は終わる。
三篇中の白眉と云える詩人の処女小説。小説というのはこうでなくては、と思わせる。
「或る少女の死まで」
都会の・大人の・生活の醜悪かつ卑小で散文的な現実の泥濘に塗れた詩人の魂を浄化したのは、屈託も邪気も無い瑞々しい九歳の少女だった。そしてこの"小さな救い主"は題名の通り死んでしまう。もはや「救い主」は、決して永遠が約束されない、仮初の「救い主」でしか在り得ない、という現代的な暗示が感じられた。主人公たる犀星は、この作品を発表後、四十年以上も生きることになる。
2003年10月10日に日本でレビュー済み
非常に繊細な表現で少年の成長とともにその周囲の人間との関わりを描く。タイトルの「或る少女の死まで」では、作家修行中の主人公が泊まる宿の隣に住む家族の少女が死ぬという所で物語が終了するが、最後に彼女に宛てた悼詩が紹介されるがそれがとても切ない。その他、「性に目覚めるころ」では、主人公が恋心を寄せる少女の赤い着物が寺の境内に映える姿が印象的であったり、「幼年時代」での腹違いの姉へ向けられら淡い愛情が切ない。