2017年の現在に本書をどう読めばよいのかを考えながら読了した。
今、本書を読むとしたら、第一義的にはイスラム教徒の方の生の声を聴くという点にあると
思った。9.11以降、イスラム教を巡って理解、誤解、正見、偏見が渦巻いている。
その中で日本人にとって元々イスラム教は遠い存在である。従い、イスラム教に正しく触れる機会
が無い。イスラム教が良い意味でも悪い意味でも世界に影響を与える度が増えている中で、同教に
うとい日本人は「世界への理解」という面でハンディを抱えてしまうリスクがある。
そんな日本人にとって、日本人でもある著者の師岡カリーマという方の声は貴重なものでは
ないだろうか。
本書で梨木と師岡が語る世界は、ある意味で静謐さに充ちている。語られる内容が静謐という
わけではない。むしろ全く逆だ。語られる内容は、混乱する現代を反映して、ダイナミックな
ものだと言って良い。
それでは何が静謐さを齎しているのか。これは、二人の洞察力であり、ユーモアに満ちた語り口
であり、お互いへのさりげない信頼感にあると僕は思う。波乱万丈の物語も、語り口によっては
実に穏やかに聴こえるものではないだろうか。
そこをもう一歩進めるとどうか。僕らはどのような自分の耳で時代を聴いているのか。同じ音や声も
聴く「耳」によっては、誇張された音として聴いてしまうかもしれない。耳に因っては、怒号や大音声
の中で静寂を聴くことも可能かもしれない。いや、果たして「静寂を聴く」ということ自体
何を意味するのだろうか。そんな事を、ぼんやりと脈絡もなく思いながら、本書を読んだ。
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私たちの星で 単行本 – 2017/9/8
梨木 香歩
(著),
師岡カリーマ・エルサムニー
(著)
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ムスリムのタクシー運転手や厳格な父を持つユダヤ人作家との出会い、カンボジアの遺跡を「守る」異形の樹々、かつて正教会の建物だったトルコのモスク、アラビア語で語りかける富士山、南九州に息づく古語や大陸との交流の名残……。端正な作品で知られる作家と多文化を生きる類い稀なる文筆家との邂逅から生まれた、人間の原点に迫る対話。
- 本の長さ176ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2017/9/8
- ISBN-104000612174
- ISBN-13978-4000612173
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2017/9/8)
- 発売日 : 2017/9/8
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 176ページ
- ISBN-10 : 4000612174
- ISBN-13 : 978-4000612173
- Amazon 売れ筋ランキング: - 104,662位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,570位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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1959年生れ。著書に『西の魔女が死んだ』『裏庭』『丹生都比売(におつひめ)』『エンジェル エンジェル エンジェル』『りかさん』『からくりからくさ』『家守奇譚』『村田エフェンディ滞土録』『沼地のある森を抜けて』『f植物園の巣穴』『春になったら莓を摘みに』『ぐるりのこと』『水辺にて』等がある。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2017年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文字の連なりがすでに物語の背景を彩っている」梨木香歩 (師岡カリ-マ・エルサムニ-の「あとがき」から) と、「高低あらゆる音色とメロディを持っていて世界の空を駆け巡る美しい鳥の言葉」を発する師岡カリ-マ・エルサムニ- (梨木香歩の「あとがき」から)のふたりの往復書簡集(「私たちの星で」岩波書店 )の紹介です。イスラムのことをもっと知りたい、という梨木からの希望で実現した、という。
NHKのテレビやラジオのアラビア語講座を長年担当しているカリーマは、敬虔なムスリムであるエジプト人の父を持ち、もの心がついたころからはエジプトで育ち、カイロ大学の経済学部を卒業したのちロンドン大学で音楽を学んでいるイスニラム教徒である。いまでは、仕事のかたわら自分とイスラムのアイデンティを「再構築する」ために、文字通り世界の隅々までも駆け巡っている。
「優れた知性は思想を語る。凡庸な知性は出来事を語る」と、カリ-ナが梨木香歩からの応答に深くため息をつき、梨木との違いを、謙遜をこめて書いている。「香歩さんの手にかかると、私のささやかな体験談も、たちまち深淵な思索と人間賛歌へと昇華されてしまう。香歩さんの加えてくださった解説を読むと、自分の言葉足らずがよくわかります」。そう、梨木香歩は、カリーナの格別な体験とそこから得た教訓を、自らの言葉として表現できるまででとても丁寧に思索をめぐらし、反芻し、最後は比類ない適切な言葉で差し出す。時に叙情的な文体とともに。
カリ-ナの感性もまた一種の流儀をもっている。私たちならば、普通ならば気づかずにすっと通り過ぎてしまう出来事に、一度止まり、感じた少しの違和感を点検し始める。前作「イスラ-ムから考える」で確立したこの文体、体験への内省と批判的表出というべきか、は、おそらく自覚なしに語られるのであろうが、その率直さと細部を見る叙事的な語りの的確さには今回も驚かされた。
カリ-ナはこんなふうに書いている。「平和な日曜日、ここに突然暗雲が立ち込めて、滝のような雨が降ったら・・私もワクワクするでしょう。そして、そんなワクワク感に伴ううしろめたさも。頭上に屋根があるから安心して楽しめる自然のスペクトルも、屋根がない人には災難なのだということを、「忘れるなよ!」と。中学の時に、突如、エジプトで反乱軍が蜂起し、逃げ惑う先生や学生でごったがえす学校の中で妹を探し出し、手を握って家路を急いだときに、「感じた充実感、その瞬間を楽しんでいる自分」、「過ぎてしまえば、私個人にとっては大した非常事態ではなかった。わが身はおおよそ安全だったからこそ感じていられた余裕があった贅沢な興奮、(こう感じる私を)ぞっとするでしょう?」そして、「これこそが政治家や軍人に絶対に自らに許してはならない感情だ」と自戒をこめて書く。「平和を前提に作られた法制度をもっと勇ましいものに変えたいという思考も、自分の上には屋根がある、という安心感があるからではないでしょうか。でも、そんな安心感は幻想でしかない、と知っているのは、中東に育った私だけではないはずです」。批判的な感性は時にシニカルさをまとう。「それでも善を信じ人生を愛している」梨木香歩との交信を通して、それがどんどん氷塊していくことを感じたという。
信仰について何度か書簡を往復している。神と個人の問題が螺旋階段のように二人の書簡の中で深まっていく。読者はつぶやくに違いない。「ああ、よかった無神論者で。神に感謝しなくちゃ」、と。
途中、カンボジアを訪れたカリ-ナが、突然「自然とつながる」大事さに気づく。「第一歩として、「押し花をやってみよう」なんて思っている今日この頃です、あっ、いま、笑ったでしょう。」
NHKのテレビやラジオのアラビア語講座を長年担当しているカリーマは、敬虔なムスリムであるエジプト人の父を持ち、もの心がついたころからはエジプトで育ち、カイロ大学の経済学部を卒業したのちロンドン大学で音楽を学んでいるイスニラム教徒である。いまでは、仕事のかたわら自分とイスラムのアイデンティを「再構築する」ために、文字通り世界の隅々までも駆け巡っている。
「優れた知性は思想を語る。凡庸な知性は出来事を語る」と、カリ-ナが梨木香歩からの応答に深くため息をつき、梨木との違いを、謙遜をこめて書いている。「香歩さんの手にかかると、私のささやかな体験談も、たちまち深淵な思索と人間賛歌へと昇華されてしまう。香歩さんの加えてくださった解説を読むと、自分の言葉足らずがよくわかります」。そう、梨木香歩は、カリーナの格別な体験とそこから得た教訓を、自らの言葉として表現できるまででとても丁寧に思索をめぐらし、反芻し、最後は比類ない適切な言葉で差し出す。時に叙情的な文体とともに。
カリ-ナの感性もまた一種の流儀をもっている。私たちならば、普通ならば気づかずにすっと通り過ぎてしまう出来事に、一度止まり、感じた少しの違和感を点検し始める。前作「イスラ-ムから考える」で確立したこの文体、体験への内省と批判的表出というべきか、は、おそらく自覚なしに語られるのであろうが、その率直さと細部を見る叙事的な語りの的確さには今回も驚かされた。
カリ-ナはこんなふうに書いている。「平和な日曜日、ここに突然暗雲が立ち込めて、滝のような雨が降ったら・・私もワクワクするでしょう。そして、そんなワクワク感に伴ううしろめたさも。頭上に屋根があるから安心して楽しめる自然のスペクトルも、屋根がない人には災難なのだということを、「忘れるなよ!」と。中学の時に、突如、エジプトで反乱軍が蜂起し、逃げ惑う先生や学生でごったがえす学校の中で妹を探し出し、手を握って家路を急いだときに、「感じた充実感、その瞬間を楽しんでいる自分」、「過ぎてしまえば、私個人にとっては大した非常事態ではなかった。わが身はおおよそ安全だったからこそ感じていられた余裕があった贅沢な興奮、(こう感じる私を)ぞっとするでしょう?」そして、「これこそが政治家や軍人に絶対に自らに許してはならない感情だ」と自戒をこめて書く。「平和を前提に作られた法制度をもっと勇ましいものに変えたいという思考も、自分の上には屋根がある、という安心感があるからではないでしょうか。でも、そんな安心感は幻想でしかない、と知っているのは、中東に育った私だけではないはずです」。批判的な感性は時にシニカルさをまとう。「それでも善を信じ人生を愛している」梨木香歩との交信を通して、それがどんどん氷塊していくことを感じたという。
信仰について何度か書簡を往復している。神と個人の問題が螺旋階段のように二人の書簡の中で深まっていく。読者はつぶやくに違いない。「ああ、よかった無神論者で。神に感謝しなくちゃ」、と。
途中、カンボジアを訪れたカリ-ナが、突然「自然とつながる」大事さに気づく。「第一歩として、「押し花をやってみよう」なんて思っている今日この頃です、あっ、いま、笑ったでしょう。」
2019年12月21日に日本でレビュー済み
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微妙な感情表現や事柄を巧みに日本語で表現する。日本語の美しさと共に正しい日本語を守っていく事の大切さを再認識した。内容も教養に溢れていて引き込まれる。とても面白い。
2017年11月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
愛おしい言葉が紡がれた美しい書簡集です。
手紙のやり取りを誰かとても大切な方と行いたいと思いました。
とても心に優しく、けれど心地いい刺激を受ける作品です。
手紙のやり取りを誰かとても大切な方と行いたいと思いました。
とても心に優しく、けれど心地いい刺激を受ける作品です。
2017年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これは、お二人の20通の書簡からなる本だが、一切気負うことなく、しかしながら沈沈(しんしん)と息づく知性とユーモア、そしてお互いを想うあたたかさが感じられ、決してうわべだけでは語ることのできないデリケートな事柄も、素直に、真摯に向き合って書かれている。そして、本から3Dのように湧き上がる空気感に浸るという文学の楽しさも思い出した。
私は心から、この本に出逢えたことに感謝している。「今」という時代を肌で感じながら、長い間、心の中にもやもやと「不安」とも「期待」とも言い切れない感情を抱いていた。彼女たちの告白とも言える誠意ある姿勢に「じんと」(梨木さんの文章の中にキーワードのように登場する)することばかりだった。
二人の聡明な女性による書簡のやりとりは決して気難しいものではなく、そこには常に、実家のお風呂に入ってほっとするような、そんな親密なあたたかさが漂っている。だからこそ、文化、宗教、そして人間本来の普遍性にも、そっと大事な人に手を添えるように、誠実に触れられるのだろう。
私は心から、この本に出逢えたことに感謝している。「今」という時代を肌で感じながら、長い間、心の中にもやもやと「不安」とも「期待」とも言い切れない感情を抱いていた。彼女たちの告白とも言える誠意ある姿勢に「じんと」(梨木さんの文章の中にキーワードのように登場する)することばかりだった。
二人の聡明な女性による書簡のやりとりは決して気難しいものではなく、そこには常に、実家のお風呂に入ってほっとするような、そんな親密なあたたかさが漂っている。だからこそ、文化、宗教、そして人間本来の普遍性にも、そっと大事な人に手を添えるように、誠実に触れられるのだろう。
2017年10月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
二人が書簡を往復し合う中で、どんどん内容と表現が研ぎ澄まされていくのがわかります。緊張感はあるでしょうが、絶妙な相互交流です。お互いに思いやり、理解しあい、博識ぶりが嫌味でなく本当に謙虚ににじみ出ています。事象や自然、環境を描くその豊かさと美しさ、繊細さが溢れています。宗教観が双方から表出し、人並みでない社会観、世界観、人間観、歴史観が自然ににじみ出ています。読者を高みに連れて行ってくれます。お二人の包容力とフェアネスにも感動しました。そしてこんな対話、往復書簡が可能なのだと驚きます。二人の知性、教養、優れた感性、客観的に自分を含めて多角的に理解する眼力、優しい人間性溢れ出た素晴らしい一冊です。魅了されました。この二人だからこそ、と。
2017年9月16日に日本でレビュー済み
今月初め、ソウルに滞在する機会がありました。韓国の親しい友人たちは、このところの異常な状況には意外に楽観的でした。そういう私、そのほかの日本人も、不思議なほど平静であるように思います。世界史的にはキューバ危機以来の状況にあるのに。おそらく私たちは、途方も無い状況に対峙続けていて危機感が麻痺してしまったのかな、とも思います。
そんな今、イスラムの教えを文字通り父として育った人と、詩的な文章で生きることの意味を描く作家との静かな対話は、常軌を逸した国家の対立、そのはざまで生きる私たちに、いま、たちどまり、世界のなりたちについて、考える機会を与えてくれる気がします。
いくつもある 心に残った部分から、二つ示します。
生きて在ることは本来異常事態で、それ自体に本質的な不安があらかじめ内蔵されているのだとしたら、私たちは、安定して生きていくために、何かに「繋がっている」ことを必要とする生きものなのかもしれません。
信仰は、神でなく人ためにあると思うのです。神は人を必要としませんから。
思わずたちどまり、あらためて自らの足もとをながめ、おこないを省みることに導く、すばらしい言葉に満ちた貴重な対談です。こういう深くて静かな語らいが世界にひろがり、さまざまな愚行や理不尽な暴力が消えていくことを望みます。
そんな今、イスラムの教えを文字通り父として育った人と、詩的な文章で生きることの意味を描く作家との静かな対話は、常軌を逸した国家の対立、そのはざまで生きる私たちに、いま、たちどまり、世界のなりたちについて、考える機会を与えてくれる気がします。
いくつもある 心に残った部分から、二つ示します。
生きて在ることは本来異常事態で、それ自体に本質的な不安があらかじめ内蔵されているのだとしたら、私たちは、安定して生きていくために、何かに「繋がっている」ことを必要とする生きものなのかもしれません。
信仰は、神でなく人ためにあると思うのです。神は人を必要としませんから。
思わずたちどまり、あらためて自らの足もとをながめ、おこないを省みることに導く、すばらしい言葉に満ちた貴重な対談です。こういう深くて静かな語らいが世界にひろがり、さまざまな愚行や理不尽な暴力が消えていくことを望みます。
2017年9月16日に日本でレビュー済み
『西の魔女が死んだ』などで知られる梨木香歩氏とNHKのアラビア語関連の講座の講師などで知られる師岡カリーマ・エルサムニー氏 の往復書簡。岩波書店のPR誌『図書』に2016年1月号から2017年8月号まで連載されたものに若干の加筆・修正が行われているとのこと。
梨木氏については『西の魔女が死んだ』『渡りの足跡』などを読んでことがあるが、師岡カリーマ氏の文章に触れるのは初めてです。
それぞれが日常生活で、旅の先々で感じる違和感やアイデンティティの問題などが、ゆったりとした文章で綴られています。その中で、エジプト人の父と日本人の母の間に生まれ、ムスリムとして生きる師岡カリーマ氏の微妙な感覚の違いが浮かび上がってきます。両親が日本人で、何の疑問もなく日本人として生きてきた私にとって、自身の出自ゆえ、“アイデンティティ”を強く意識しながら生きていかざるを得ない師岡カリーマ氏の感覚は、特に新鮮です。
しかし、本書中でも幾度となく二人が共感しあっているように、私も人間としての同質性を師岡カリーマ氏に感じる部分が多々ありました。特に43ページ末尾から44ページにかけての「文化はそれ自体が重層的に癒合した異文化の結晶であり、個人はその多彩さを映す鏡であると同時に、それぞれ尖ったり曲がったり濁ったりして、どこかに新しい色をもたらす要素となればいい、たとえはみ出しても、地球からも人類からも零れ落ちることはできないのだから……」が、書名に強く繋がっていて、印象に残りました。
民族や国家、宗教や思想の違いはあれど、同じ地球に住む人間として、対話を続けることで、人間の原点に迫り得ることが可能だということを強く感じます。
梨木氏については『西の魔女が死んだ』『渡りの足跡』などを読んでことがあるが、師岡カリーマ氏の文章に触れるのは初めてです。
それぞれが日常生活で、旅の先々で感じる違和感やアイデンティティの問題などが、ゆったりとした文章で綴られています。その中で、エジプト人の父と日本人の母の間に生まれ、ムスリムとして生きる師岡カリーマ氏の微妙な感覚の違いが浮かび上がってきます。両親が日本人で、何の疑問もなく日本人として生きてきた私にとって、自身の出自ゆえ、“アイデンティティ”を強く意識しながら生きていかざるを得ない師岡カリーマ氏の感覚は、特に新鮮です。
しかし、本書中でも幾度となく二人が共感しあっているように、私も人間としての同質性を師岡カリーマ氏に感じる部分が多々ありました。特に43ページ末尾から44ページにかけての「文化はそれ自体が重層的に癒合した異文化の結晶であり、個人はその多彩さを映す鏡であると同時に、それぞれ尖ったり曲がったり濁ったりして、どこかに新しい色をもたらす要素となればいい、たとえはみ出しても、地球からも人類からも零れ落ちることはできないのだから……」が、書名に強く繋がっていて、印象に残りました。
民族や国家、宗教や思想の違いはあれど、同じ地球に住む人間として、対話を続けることで、人間の原点に迫り得ることが可能だということを強く感じます。