①西洋史家による新訳は、厳密で正確な訳業である。いずれ岩波文庫への収録も見越して新訳されたものではあるまいか。
②歴史的知識に関して旧訳の清水訳では、「非人間的で物質的な永久不変のアトムではない」と訳されていたが、新訳では、「自然界における非人格の原子のような不変の物質からなるのではない」と表現されている。
③どちらの訳でも読者は歴史的知識が物質のような不変なものではなく歴史家の現代の問題関心の変化=過去との対話の変化によって、変わり得るものであることを理解する。④一見新訳の方が厳密に訳されているように感じられるが、理解する内容はほぼ同じである。であれば、厳密さには欠けるが、読みやすい旧訳の清水訳も棄てがたい。旧訳では、著者のはしがきは省略され、訳者の紹介文が冒頭に掲載されているが、昔は岩波文庫の翻訳も訳者による紹介文を冒頭に掲載する習慣があった。それを踏襲したのであろう。読者への啓蒙が重視されていたのである。
⑤しかし、この新訳では、著者による第二版への序文が掲載され、著者の執筆への動機や意図を知らせる役目を果たし、読者の理解の一助となるように工夫されている。
⑥どちらの訳も素晴らしく、両方読むのが良い。本書のような名著は何度読んでも得るところのものがある。本書を読んだ後は、ヘーゲルの『歴史哲学講義』(岩波文庫)、コリングウッドの『歴史の観念』等の歴史哲学の名著を読むか、『史学概論』(遅塚忠躬)、『歴史学の作法』(池上俊一)等の史学概論歴史学研究法に進むのが良い。
お勧めの一冊だ。
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歴史とは何か 新版 単行本(ソフトカバー) – 2022/5/17
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「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分理解できるようになるのです」。歴史学への最良の入門書を全面新訳。未完に終わった第二版への序文、自叙伝、丁寧な訳注や解説などを加える。達意の訳文によって、知的刺激と笑いに満ちた名講義が、いま鮮やかによみがえる。
■内容紹介
歴史は現在と過去のあいだの対話である――。この有名なフレーズで知られる本書は、E. H. カーが1961年にケインブリッジ大学でおこなった6回の講義がもとになっている。事実と解釈、歴史と科学、歴史における因果連関、歴史と客観性、進歩としての歴史など、歴史を考えるうえで最も重要なテーマが盛り込まれており、歴史学の最良の入門書、20世紀の古典であるといってよい。
カーは、生前に第2版を準備していたが、序文のみに終わった。本書は、これまで清水幾太郎氏の翻訳で親しまれてきた初版の本文を新たに訳出し、第2版への序文、残されたメモから未完の第2版の内容を復元したR. W. デイヴィスによる論考、晩年のカーによる自叙伝、略年譜などを加えたものである。訳者による懇切な訳註と解説が、理解を手助けしてくれるだろう。
本書には、歴史と歴史学をめぐる印象深いフレーズがふんだんに盛り込まれている。
「歴史家の解釈とは別に、歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、途方もない誤謬です。ですが、根絶するのがじつに難しい誤謬です。」
「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになるのです。」
「本気の歴史家であれば、すべての価値観は歴史的に制約されていると認識していますので、自分の価値観が歴史をこえた客観性を有するなどとは申しません。自身の信念、みずからの判断基準といったものは歴史の一部分であり、人間の行動の他の局面と同様に、歴史的研究の対象となりえます。」
「ちょうど無限の事実の大海原からその目的にかなうものを選択するのと同じように、歴史家は数多の因果の連鎖から歴史的に意義あることを、それだけを抽出します。」
「歴史家にとって進歩の終点はいまだ未完成です。それはまだはるかに遠い極にあり、それを指し示す星は、わたしたちが歩を先に進めてようやく視界に入ってくるのです。だからといってその重要性は減じるわけではなく、方位磁石(コンパス)は価値ある、じつに不可欠の道案内です。」
知的刺激とニュアンスに富み、笑いに満ちあふれた名講義が、達意の訳文と訳註によって、鮮やかによみがえる。
■内容紹介
歴史は現在と過去のあいだの対話である――。この有名なフレーズで知られる本書は、E. H. カーが1961年にケインブリッジ大学でおこなった6回の講義がもとになっている。事実と解釈、歴史と科学、歴史における因果連関、歴史と客観性、進歩としての歴史など、歴史を考えるうえで最も重要なテーマが盛り込まれており、歴史学の最良の入門書、20世紀の古典であるといってよい。
カーは、生前に第2版を準備していたが、序文のみに終わった。本書は、これまで清水幾太郎氏の翻訳で親しまれてきた初版の本文を新たに訳出し、第2版への序文、残されたメモから未完の第2版の内容を復元したR. W. デイヴィスによる論考、晩年のカーによる自叙伝、略年譜などを加えたものである。訳者による懇切な訳註と解説が、理解を手助けしてくれるだろう。
本書には、歴史と歴史学をめぐる印象深いフレーズがふんだんに盛り込まれている。
「歴史家の解釈とは別に、歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、途方もない誤謬です。ですが、根絶するのがじつに難しい誤謬です。」
「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになるのです。」
「本気の歴史家であれば、すべての価値観は歴史的に制約されていると認識していますので、自分の価値観が歴史をこえた客観性を有するなどとは申しません。自身の信念、みずからの判断基準といったものは歴史の一部分であり、人間の行動の他の局面と同様に、歴史的研究の対象となりえます。」
「ちょうど無限の事実の大海原からその目的にかなうものを選択するのと同じように、歴史家は数多の因果の連鎖から歴史的に意義あることを、それだけを抽出します。」
「歴史家にとって進歩の終点はいまだ未完成です。それはまだはるかに遠い極にあり、それを指し示す星は、わたしたちが歩を先に進めてようやく視界に入ってくるのです。だからといってその重要性は減じるわけではなく、方位磁石(コンパス)は価値ある、じつに不可欠の道案内です。」
知的刺激とニュアンスに富み、笑いに満ちあふれた名講義が、達意の訳文と訳註によって、鮮やかによみがえる。
- 本の長さ410ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2022/5/17
- 寸法2.8 x 12.9 x 18.8 cm
- ISBN-104000256742
- ISBN-13978-4000256742
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商品の説明
出版社からのコメント
歴史は現在と過去のあいだの対話である――。この有名なフレーズで知られる本書は、E. H. カーが1961年にケインブリッジ大学でおこなった6回の講義がもとになっている。事実と解釈、歴史と科学、歴史における因果連関、歴史と客観性、進歩としての歴史など、歴史を考えるうえで最も重要なテーマが盛り込まれており、歴史学の最良の入門書、20世紀の古典であるといってよい。
カーは、生前に第2版を準備していたが、序文のみに終わった。本書は、これまで清水幾太郎氏の翻訳で親しまれてきた初版の本文を新たに訳出し、第2版への序文、残されたメモから未完の第2版の内容を復元したR. W. デイヴィスによる論考、晩年のカーによる自叙伝、略年譜などを加えたものである。訳者による懇切な訳註と解説が、理解を手助けしてくれるだろう。
本書には、歴史と歴史学をめぐる印象深いフレーズがふんだんに盛り込まれている。
「歴史家の解釈とは別に、歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、途方もない誤謬です。ですが、根絶するのがじつに難しい誤謬です。」
「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになるのです。」
「本気の歴史家であれば、すべての価値観は歴史的に制約されていると認識していますので、自分の価値観が歴史をこえた客観性を有するなどとは申しません。自身の信念、みずからの判断基準といったものは歴史の一部分であり、人間の行動の他の局面と同様に、歴史的研究の対象となりえます。」
「ちょうど無限の事実の大海原からその目的にかなうものを選択するのと同じように、歴史家は数多の因果の連鎖から歴史的に意義あることを、それだけを抽出します。」
「歴史家にとって進歩の終点はいまだ未完成です。それはまだはるかに遠い極にあり、それを指し示す星は、わたしたちが歩を先に進めてようやく視界に入ってくるのです。だからといってその重要性は減じるわけではなく、方位磁石(コンパス)は価値ある、じつに不可欠の道案内です。」
知的刺激とニュアンスに富み、笑いに満ちあふれた名講義が、達意の訳文と訳註によって、鮮やかによみがえる。
カーは、生前に第2版を準備していたが、序文のみに終わった。本書は、これまで清水幾太郎氏の翻訳で親しまれてきた初版の本文を新たに訳出し、第2版への序文、残されたメモから未完の第2版の内容を復元したR. W. デイヴィスによる論考、晩年のカーによる自叙伝、略年譜などを加えたものである。訳者による懇切な訳註と解説が、理解を手助けしてくれるだろう。
本書には、歴史と歴史学をめぐる印象深いフレーズがふんだんに盛り込まれている。
「歴史家の解釈とは別に、歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、途方もない誤謬です。ですが、根絶するのがじつに難しい誤謬です。」
「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになるのです。」
「本気の歴史家であれば、すべての価値観は歴史的に制約されていると認識していますので、自分の価値観が歴史をこえた客観性を有するなどとは申しません。自身の信念、みずからの判断基準といったものは歴史の一部分であり、人間の行動の他の局面と同様に、歴史的研究の対象となりえます。」
「ちょうど無限の事実の大海原からその目的にかなうものを選択するのと同じように、歴史家は数多の因果の連鎖から歴史的に意義あることを、それだけを抽出します。」
「歴史家にとって進歩の終点はいまだ未完成です。それはまだはるかに遠い極にあり、それを指し示す星は、わたしたちが歩を先に進めてようやく視界に入ってくるのです。だからといってその重要性は減じるわけではなく、方位磁石(コンパス)は価値ある、じつに不可欠の道案内です。」
知的刺激とニュアンスに富み、笑いに満ちあふれた名講義が、達意の訳文と訳註によって、鮮やかによみがえる。
著者について
E. H. カー(E. H. Carr)
1892年生まれ。イギリスの歴史家・国際政治学者。ケインブリッジ大学卒業後、20年間の外務省勤務を経て、ウェールズ大学教授。第二次世界大戦中には、ザ・タイムズ紙の社説を執筆。1955年よりケインブリッジ大学トリニティ学寮上級フェロー(終身)としてライフワークの『ソヴィエト=ロシアの歴史』(全10巻)に取り組む。『危機の二十年――理想と現実』(岩波文庫)、『ロシア革命』(岩波現代文庫)をはじめ著書多数。
近藤和彦(こんどう かずひこ)
1947年生まれ。東京大学文学部西洋史学専修課程卒業。名古屋大学助教授、東京大学大学院教授、立正大学教授を経て、現在、東京大学名誉教授、王立歴史学会フェロー。専攻は、イギリス近世・近代史。著書に『民のモラル』(山川出版社、ちくま学芸文庫)、『文明の表象 英国』(山川出版社)、『イギリス史10講』(岩波新書)、『近世ヨーロッパ』(山川出版社・世界史リブレット)ほか多数。訳書に、トムスン/デイヴィス/ギンズブルグ他『歴史家たち』(編訳、名古屋大学出版会)ほか。
1892年生まれ。イギリスの歴史家・国際政治学者。ケインブリッジ大学卒業後、20年間の外務省勤務を経て、ウェールズ大学教授。第二次世界大戦中には、ザ・タイムズ紙の社説を執筆。1955年よりケインブリッジ大学トリニティ学寮上級フェロー(終身)としてライフワークの『ソヴィエト=ロシアの歴史』(全10巻)に取り組む。『危機の二十年――理想と現実』(岩波文庫)、『ロシア革命』(岩波現代文庫)をはじめ著書多数。
近藤和彦(こんどう かずひこ)
1947年生まれ。東京大学文学部西洋史学専修課程卒業。名古屋大学助教授、東京大学大学院教授、立正大学教授を経て、現在、東京大学名誉教授、王立歴史学会フェロー。専攻は、イギリス近世・近代史。著書に『民のモラル』(山川出版社、ちくま学芸文庫)、『文明の表象 英国』(山川出版社)、『イギリス史10講』(岩波新書)、『近世ヨーロッパ』(山川出版社・世界史リブレット)ほか多数。訳書に、トムスン/デイヴィス/ギンズブルグ他『歴史家たち』(編訳、名古屋大学出版会)ほか。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2022/5/17)
- 発売日 : 2022/5/17
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 410ページ
- ISBN-10 : 4000256742
- ISBN-13 : 978-4000256742
- 寸法 : 2.8 x 12.9 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 20,963位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 68位歴史学 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年11月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
清水先生の新書版、PENGUIN BOOK 本書と読み比べて 楽しんで???おります。
2022年6月11日に日本でレビュー済み
カーの講演の息遣い、何より緊張感あふれる対話性が、新訳で初めてよく理解できました。古今東西の様々な歴史家の歴史論を批判的に吟味する姿勢は、ユーモアあふれるアイロニーを基調としながら、その歴史家の主張の最も大切なところを見つめながら乗り越えようとする(まさに目の前の山脈は最も高いところで越える)知的姿勢を堅持しています。
また、自分の立論をさまざまな観点からたえず練り直し、鍛えていく自己内対話が、本書の全編に一貫しています。よって、今まで読んだときには、ゆるやかな配列に思われた六つの講義が、きわめて緊密な構成になっていることにも気づかされました。
清水幾太郎の旧訳を読んだときに、おそらく私を含む多くの人は、「何となくいいことを言っていると思うが、実は何を言いたいのかがわからない」という茫漠たる感触を抱くしかなかったものが、新訳でクリアな読後感をもつことができました。確かに清水は、「まえがき」でも述べているようにカーの平易な言葉遣いを平易な日本語に置き換えるように努めています。しかしそれは柔らかそうな表現ではあるけれども、理解可能な日本語ではありません。ピッチャーの投げたボールを、キャッチャーとして受け止めきれていないのです。
それに対してたとえば、旧訳が「魚が魚屋の店先で手に入るように、歴史家にとっては、事実は文書や碑文などのうちで手に入れることが出来る」としたものを、新訳では「事実は、歴史家が文書や碑文などから見つけてくる。魚屋の台に並んだ魚みたいなものですね。」と訳しています。もちろんカーは、事実とはそのようなものではないと続けます。イメージの喚起力の差は決定的に違います。
あるいは、清水が繰り返し(環境に対する)「支配力」と訳していたmasterについて、新訳では「制御力」という日本語をあてることで、カーの思考が今も切実なものとして私たちの眼前によみがえってきました。『歴史とは何か』の立論を利用するならば、カーの立ち位置とカーをとりまく歴史的・社会的環境を深く理解してきた訳者だからこそ、なしうることのできた翻訳であると思いました。
繰り返し引用されてきた、歴史とは「現在と過去のあいだの対話」という立論にしても、新訳を読むと力点が、歴史家と事実のあいだの「相互作用の絶えまないプロセス」と、現在と過去の「終わりのない」対話という、歴史を探究していくときの苦労の多いプロセス自体に置かれていることがよくわかります。歴史家の仕事が進んでいくときの「繊細で無意識かもしれない変化」を大切にするまなざしと言えます。
そしてカーは、歴史とは「過去の事象とようやく姿を現しつつある未来の目的のあいだの対話」であると結論づけています。その意味で歴史における客観性は、未来において検証されていくものということになります。
カーが本書で説いた、自分たちが歴史に向き合う時の終わることのない対話(現在と過去との対話)と、そのときの未来展望との交錯と絶えざる検証(未来と過去との対話)の重要性は不変だと思います。この「対話」(プロセスの重視)のいとなみは、歴史家だけでなく、歴史教育とか、社会のなかでも大切にされるべきものであると受け止めました。
また、自分の立論をさまざまな観点からたえず練り直し、鍛えていく自己内対話が、本書の全編に一貫しています。よって、今まで読んだときには、ゆるやかな配列に思われた六つの講義が、きわめて緊密な構成になっていることにも気づかされました。
清水幾太郎の旧訳を読んだときに、おそらく私を含む多くの人は、「何となくいいことを言っていると思うが、実は何を言いたいのかがわからない」という茫漠たる感触を抱くしかなかったものが、新訳でクリアな読後感をもつことができました。確かに清水は、「まえがき」でも述べているようにカーの平易な言葉遣いを平易な日本語に置き換えるように努めています。しかしそれは柔らかそうな表現ではあるけれども、理解可能な日本語ではありません。ピッチャーの投げたボールを、キャッチャーとして受け止めきれていないのです。
それに対してたとえば、旧訳が「魚が魚屋の店先で手に入るように、歴史家にとっては、事実は文書や碑文などのうちで手に入れることが出来る」としたものを、新訳では「事実は、歴史家が文書や碑文などから見つけてくる。魚屋の台に並んだ魚みたいなものですね。」と訳しています。もちろんカーは、事実とはそのようなものではないと続けます。イメージの喚起力の差は決定的に違います。
あるいは、清水が繰り返し(環境に対する)「支配力」と訳していたmasterについて、新訳では「制御力」という日本語をあてることで、カーの思考が今も切実なものとして私たちの眼前によみがえってきました。『歴史とは何か』の立論を利用するならば、カーの立ち位置とカーをとりまく歴史的・社会的環境を深く理解してきた訳者だからこそ、なしうることのできた翻訳であると思いました。
繰り返し引用されてきた、歴史とは「現在と過去のあいだの対話」という立論にしても、新訳を読むと力点が、歴史家と事実のあいだの「相互作用の絶えまないプロセス」と、現在と過去の「終わりのない」対話という、歴史を探究していくときの苦労の多いプロセス自体に置かれていることがよくわかります。歴史家の仕事が進んでいくときの「繊細で無意識かもしれない変化」を大切にするまなざしと言えます。
そしてカーは、歴史とは「過去の事象とようやく姿を現しつつある未来の目的のあいだの対話」であると結論づけています。その意味で歴史における客観性は、未来において検証されていくものということになります。
カーが本書で説いた、自分たちが歴史に向き合う時の終わることのない対話(現在と過去との対話)と、そのときの未来展望との交錯と絶えざる検証(未来と過去との対話)の重要性は不変だと思います。この「対話」(プロセスの重視)のいとなみは、歴史家だけでなく、歴史教育とか、社会のなかでも大切にされるべきものであると受け止めました。
2022年5月27日に日本でレビュー済み
旧版の清水幾太郎訳を最初に読んだのは、20歳の時だ。もちろんそれは、あの有名な「歴史とは現在と過去のあいだの対話である」に惹かれたからだが、それよりも当時、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの清水氏による達意の文章を読まねばという、教養への憧れの方がつよかったように思う。だから第1講「歴史家とその事実」のほかはほとんど忘れてしまった。
新版 近藤訳は、冷戦下のなかで生き、とくにイギリスの時代精神に抗する歴史家カー個人の気持ちを良くあらわす訳出になっているようだ。だから、第1講も重要ではあるが、「第3講 歴史・科学・倫理」、そして「第5講 進歩としての歴史」と「第6講 地平の広がり」の方に興味をもった。
とくに最後の2つの講の主題は、歴史家とて科学者である前に、時代を生きる「普通のヒト」であるから、しがらみに制約されながら、歴史をどうあつかったらよいか、そのための方法を明らかにしたものだ。それには「未来に投影した自分のヴィジョン」を明確にして「過去への洞察を深く耐久性のあるものにする能力」の大切さを指摘している。そのためにも、一国の歴史を巻きこんだ世界とその動態こそ、歴史家はもつべきとしている。
こんな読み方をしたのは、カーが存命であったら、今起きている2つの事象-コロナとウクライナ侵攻-が未来のヴィジョンにどのような影響をあたえると見たか、という問いにあった。また、今、日本の歴史教育の改革にかかわったわが国の歴史家は、この新訳をどのように読むだろうか。それを主題としたドキュメンタリー映画「愛国と教育」がいままさに上映されている時に。「今さらカーの歴史論なんて」と断じて言わせないだけの「現代性」が、「歴史とは何か」にはたしかにある。
新版 近藤訳は、冷戦下のなかで生き、とくにイギリスの時代精神に抗する歴史家カー個人の気持ちを良くあらわす訳出になっているようだ。だから、第1講も重要ではあるが、「第3講 歴史・科学・倫理」、そして「第5講 進歩としての歴史」と「第6講 地平の広がり」の方に興味をもった。
とくに最後の2つの講の主題は、歴史家とて科学者である前に、時代を生きる「普通のヒト」であるから、しがらみに制約されながら、歴史をどうあつかったらよいか、そのための方法を明らかにしたものだ。それには「未来に投影した自分のヴィジョン」を明確にして「過去への洞察を深く耐久性のあるものにする能力」の大切さを指摘している。そのためにも、一国の歴史を巻きこんだ世界とその動態こそ、歴史家はもつべきとしている。
こんな読み方をしたのは、カーが存命であったら、今起きている2つの事象-コロナとウクライナ侵攻-が未来のヴィジョンにどのような影響をあたえると見たか、という問いにあった。また、今、日本の歴史教育の改革にかかわったわが国の歴史家は、この新訳をどのように読むだろうか。それを主題としたドキュメンタリー映画「愛国と教育」がいままさに上映されている時に。「今さらカーの歴史論なんて」と断じて言わせないだけの「現代性」が、「歴史とは何か」にはたしかにある。
2023年8月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みやすさを重視してか、平易な用語の使用、原典にはない改行の多用、かなりの程度の意訳が行われているが、それらが成功しているとは思われない。
例えば、平易な語になるほど多様な意味を含むため、かえって、全体として文意のつかみにくい「締まらない」訳になってしまっている。
また、講義内では、比喩、誇張、反語、対比など、さまざまなレトリックが用いられているが、不用意な改行や意訳のせいで、カーの真意が不明瞭になってしまっている箇所が随所にみられる。
さらにいえば、[笑]の挿入に至っては、訳者のまったくの独断であり、正確な読解の妨げでしかない。
強いて評価する点を挙げるとすれば、清水訳と比べて文字が大きくなり、「読みやすくなった」ことか[笑]。
例えば、平易な語になるほど多様な意味を含むため、かえって、全体として文意のつかみにくい「締まらない」訳になってしまっている。
また、講義内では、比喩、誇張、反語、対比など、さまざまなレトリックが用いられているが、不用意な改行や意訳のせいで、カーの真意が不明瞭になってしまっている箇所が随所にみられる。
さらにいえば、[笑]の挿入に至っては、訳者のまったくの独断であり、正確な読解の妨げでしかない。
強いて評価する点を挙げるとすれば、清水訳と比べて文字が大きくなり、「読みやすくなった」ことか[笑]。
2022年8月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
すでに25,000部も売れたそうで、この分野の本は、せいぜい5,000部どまりで、驚異的な数字だそうです。日本の教養人もなかなかのものです、しかし私のように世界史の知識がないと、正直かなりつらい中身です。頑張って読んでいます。教訓や格言は盛り沢山で、パフォーマンスはよい本です。
2022年7月15日に日本でレビュー済み
清水幾太郎訳の旧版は昔読んだが、歴史学者の加藤陽子さんが新聞書評でこの新訳を高く評価していた(「無人島に持っていきたい本」とまで)ので早速読んでみようと思ったところ、なんと紙版のみで電子書籍版がない。
本書に限らず岩波の本は電子化が他社に比べて遅れている。このような古典的名著は広く普及する意味で紙版も電子版も同時に出すべきだと思うが、おそらく岩波の出版業界を擁護するポリシーなのであろう。
しかし、業界擁護は読者軽視でもある。かつて岩波茂雄が岩波文庫を創刊したときの精神は、読者のニーズに寄り添ったものだったはずだ。
やむをえず、本書は電子版が出るまで待つことにして、すでに電子版が出ている同じ著者の『危機の二十年』を先に読んでレビューもした。
本書の本格的レビューは、電子版が出た後に追加する予定である。
本書に限らず岩波の本は電子化が他社に比べて遅れている。このような古典的名著は広く普及する意味で紙版も電子版も同時に出すべきだと思うが、おそらく岩波の出版業界を擁護するポリシーなのであろう。
しかし、業界擁護は読者軽視でもある。かつて岩波茂雄が岩波文庫を創刊したときの精神は、読者のニーズに寄り添ったものだったはずだ。
やむをえず、本書は電子版が出るまで待つことにして、すでに電子版が出ている同じ著者の『危機の二十年』を先に読んでレビューもした。
本書の本格的レビューは、電子版が出た後に追加する予定である。