きれいに生きることよりも、がむしゃらに夢中に生きることが大事と学ばせていただきました。
そのためには、仲間が必要なんですね。
仲間とならば、セオリーなんて関係なく、自分たちの生きていくあとに道ができる!!
そう信じさせてくれる本でした。
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精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本 単行本 – 2009/10/7
大熊 一夫
(著)
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日本の精神保健制度のあるべき姿を提言
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2009/10/7
- 寸法13.5 x 2.1 x 19.5 cm
- ISBN-104000236857
- ISBN-13978-4000236850
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2009/10/7)
- 発売日 : 2009/10/7
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4000236857
- ISBN-13 : 978-4000236850
- 寸法 : 13.5 x 2.1 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 171,488位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 114位精神医学ノンフィクション
- - 397位福祉の社会保障
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年3月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
地域で暮らしたい、自宅で暮らしたいという気持ちは誰もが同じだと思う。何度か長い入院をしたことがあるので、いち体験者として言える。(ただし、病院に慣れすぎた精神障害の人の退院は安易にはできないときく。安心できる場所がどこにあるか個々に知る必要がある)
イタリアの精神(科)病院をなくした試みには感銘を受けた。日本でも今や早期の退院を促進する取り組みが進んでいて、自宅一人暮らしの人もいる。精神疾患がどういうものか正しく知り、症状が起こりそうな時にどう対処するか個人個人で決めておくなど、障害や症状とうまく付き合う方法が大事なのだろう。
日本の精神医療では特に人権問題が強く出てくるが、地域や会社での生きにくさは周りの人の疾患、障害への理解不足が根源にある。日本の精神障害への差別感情は取り返しがつかないほど根深い。思い切って学校教育の中に道徳とは別に科学に基づいた医療全般の科目を取り入れたらどうか。例えばある種の精神症状について、脳の器質的な障害により、異常に見える言動が現れてしまうメカニズムをちゃんと理屈で理解していく。大人になっても縁の少ない教科は全体量を減らして、人を正しく見つめる眼と共に暮らしていく見識を早くから養う必要がある。
新型コロナウイルスによるイタリアでの混乱はあまりにひどく悲しい惨状であり、財政対策のために病院や医療者を減らす危険性を如実に示している。(精神科病院をなくした経緯は違えど) 感染症は急性疾患だが、精神疾患でも急性期の大変な状態はある。だから少なくとも急性期に対応できる病院は必要になる。疾患が不可逆的なところに突入したら医療の力はなくてはならない。
ただ、感染症対策と精神医療は同列に置けないにしても、イタリアが今の状態に至ってなければ、精神科病院不要の考え方は私の中で妙な説得力を持っていた。精神科病院をまっさらになくすのではなく、精神病院という「差別の象徴」を捨てて、日本独自の精神医療を築くことがバランスのよい将来につながるものと思う。
イタリアの精神(科)病院をなくした試みには感銘を受けた。日本でも今や早期の退院を促進する取り組みが進んでいて、自宅一人暮らしの人もいる。精神疾患がどういうものか正しく知り、症状が起こりそうな時にどう対処するか個人個人で決めておくなど、障害や症状とうまく付き合う方法が大事なのだろう。
日本の精神医療では特に人権問題が強く出てくるが、地域や会社での生きにくさは周りの人の疾患、障害への理解不足が根源にある。日本の精神障害への差別感情は取り返しがつかないほど根深い。思い切って学校教育の中に道徳とは別に科学に基づいた医療全般の科目を取り入れたらどうか。例えばある種の精神症状について、脳の器質的な障害により、異常に見える言動が現れてしまうメカニズムをちゃんと理屈で理解していく。大人になっても縁の少ない教科は全体量を減らして、人を正しく見つめる眼と共に暮らしていく見識を早くから養う必要がある。
新型コロナウイルスによるイタリアでの混乱はあまりにひどく悲しい惨状であり、財政対策のために病院や医療者を減らす危険性を如実に示している。(精神科病院をなくした経緯は違えど) 感染症は急性疾患だが、精神疾患でも急性期の大変な状態はある。だから少なくとも急性期に対応できる病院は必要になる。疾患が不可逆的なところに突入したら医療の力はなくてはならない。
ただ、感染症対策と精神医療は同列に置けないにしても、イタリアが今の状態に至ってなければ、精神科病院不要の考え方は私の中で妙な説得力を持っていた。精神科病院をまっさらになくすのではなく、精神病院という「差別の象徴」を捨てて、日本独自の精神医療を築くことがバランスのよい将来につながるものと思う。
2020年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に優れた論考です。精神病者を閉鎖病棟に監禁する医療方針は無効であり、多くの社会から打ち捨てられた人たちを造ってきました。精神病院に彼らを閉じ込める代わりに、地域において多少のケアを行う方が、はるかに医療ケアとしても優れていることが判明し、それを行いつつある国国が一方ではあります。日本はライシャワー事件を機に、精神病床を増設するようになった。日本の精神病院在院平均日数は約300日、先進諸国の17倍ダリ、認知症の患者の場合は900日を超える。考えさせられよう。
2010年8月8日に日本でレビュー済み
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ルポ精神病棟が書かれたのは大昔。若き大熊記者はアル中を装い精神病院へ潜入した。
最近読んだけれど、そんな時代もあったのかなあと思いつつ読んだ。
精神病院の「治療」のいい加減さと金儲け主義と人権無視を告発する内容。
精神科の治療と診断のいい加減さは今も変わらないが、経営は赤字の病院が多い。しかし手を抜けば抜くほど利益が出るのは今も変わっておらず、その手の病院は今もある。
あれから40年、大熊は今度は精神病院を無くしたというイタリアを取材した。
精神病院を無くしたことにより、患者も解放されて医療費も減ったのだと言う。
脱施設化は世界的な流れであるけれども、大熊の著作には家族の苦悩が語られることはない。精神病院の人権無視に視点が偏っている。
批判されることが多い日本における精神病院の入院期間の長さと病床数の多さに関しては、統計の取り方が異なっており、他先進国と比べて極端に長い、多いというわけではない。
民間施設も含めれば病床数は大差なく、精神病院を捨てるのなら先ずは受け皿作りからであろう。
多剤併用療法に関しては、非定型抗精神病薬の薬価は定型抗精神病薬とは桁違いであり、日本中で非定型単剤で治療すれば日本の財政を破綻させてしまうのではなかろうか。
最近は改築されて快適な病棟も多い。正直、生活保護で三食付いて医療費も出してもらえる単なる社会不適応の半永久下宿人に対しては怒りすら感じることもある。
だが正直、精神病院に放り込んで時たま面会に行けば、家族の心の平穏、生活は守られるのだ。
脱施設化は趨勢かもしれないが、医療費その他社会的負担を含めて大きく負担が減るということはまずない。窃盗などの軽微な犯罪は増えるだろう。
この本だけを読んで鵜呑みにするのはいかがかと思われます。
最近読んだけれど、そんな時代もあったのかなあと思いつつ読んだ。
精神病院の「治療」のいい加減さと金儲け主義と人権無視を告発する内容。
精神科の治療と診断のいい加減さは今も変わらないが、経営は赤字の病院が多い。しかし手を抜けば抜くほど利益が出るのは今も変わっておらず、その手の病院は今もある。
あれから40年、大熊は今度は精神病院を無くしたというイタリアを取材した。
精神病院を無くしたことにより、患者も解放されて医療費も減ったのだと言う。
脱施設化は世界的な流れであるけれども、大熊の著作には家族の苦悩が語られることはない。精神病院の人権無視に視点が偏っている。
批判されることが多い日本における精神病院の入院期間の長さと病床数の多さに関しては、統計の取り方が異なっており、他先進国と比べて極端に長い、多いというわけではない。
民間施設も含めれば病床数は大差なく、精神病院を捨てるのなら先ずは受け皿作りからであろう。
多剤併用療法に関しては、非定型抗精神病薬の薬価は定型抗精神病薬とは桁違いであり、日本中で非定型単剤で治療すれば日本の財政を破綻させてしまうのではなかろうか。
最近は改築されて快適な病棟も多い。正直、生活保護で三食付いて医療費も出してもらえる単なる社会不適応の半永久下宿人に対しては怒りすら感じることもある。
だが正直、精神病院に放り込んで時たま面会に行けば、家族の心の平穏、生活は守られるのだ。
脱施設化は趨勢かもしれないが、医療費その他社会的負担を含めて大きく負担が減るということはまずない。窃盗などの軽微な犯罪は増えるだろう。
この本だけを読んで鵜呑みにするのはいかがかと思われます。
2018年1月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
イタリアの精神保健改革が、バザーリア1人によるものではないこと。彼と協働する仲間たちによって、実現されたものであること。地域精神保健センターを始めとする、手厚いコミュニティ・ケア・システムが、改革を支えたこと。生協によって、就労の場が獲得されたことが大きかったこと等、見て取れた。
他方、第5部に見られるように、日本にも全く希望が見えない訳ではないが、そこの取り組みは、既に、様々な所で紹介されてきた活動がほとんどであり、後に続く活動の登場を支援する、財政的手当てを整備することが、急務である。
他方、第5部に見られるように、日本にも全く希望が見えない訳ではないが、そこの取り組みは、既に、様々な所で紹介されてきた活動がほとんどであり、後に続く活動の登場を支援する、財政的手当てを整備することが、急務である。
2010年8月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に読み応えがある本でした。
今まで自分が知らなかったこと、文字と言う世界で知ることができるのは、一つの幸運であると思います。
書かれていることが、どこまで問題の本質に踏み込んだものであるか、また読んだ人にとって、上滑りな知識としてではなく、自分の内部に刻み込まれるかと言うことを含めて、元新聞記者と言う著者が、また相当な時間と費用もかけ、入念に調査をしたことが解る本です。
また、自らが精神病院の入院患者となって、レポートする潜入取材など、いずれもが「体当たり取材」と言う感じで、戦場ルポライターさながらと言う感じです。
ただ、
読後感がイマイチ良くない・・・
まず本書は、イタリアと日本の精神病院の現状の比較をしていて、それ自体はすごいことだと思うんです。
それに、先に述べたとおりの、潜入取材で、著者はこの本以前に「ルポ・精神病院」「新ルポ・精神病院」「精神病院の話−この国に生まれた不幸」などを含め、精神病院を題材とした数多くの本を出版しているようで、もちろんそれはすごいことだと思うし、誰もが出来ることではないし、また本書以外を読んでいないので、その潜入取材以外のことがどの程度書かれているのかは解らないんですけれど、潜入取材と言ってもたったの10日。
もちろん、「じゃ、あなた10日でいいからやってみて。」
といわれても自分は出来ないと思うんですが、
「自分は正常」
つまり、自分は患者ではなく、あくまで取材として来ている。
そして何日か後にはそこから確実に出られることが前提になって、それで描くのは何かが違う気がするんです。
「高みの見物」と言うと言い過ぎかもしれないけれど、個人的な感情としてちょっと受け入れがたい気がしました。まったこれは本の一部で、本書が訴えたかったのは、もっと別のことですし、そうでもしないと実情はわからないので、それはおいておくとして、
本書の大部分は、イタリア精神保健改革の指導的立場にあった、精神科医のフランコ・バザーリア氏が提唱した精神病院の全廃に向けた活動について、関わりのあった人に数多くインタビューを試み、またその時代背景を解き明かしながら、精神病院の廃止の必要性を語っています。
しかしながら、その協力者の項では、
「△△氏は(肩書き)××で活動していて、
氏の協力がなければ、この活動は成功し
なかったであろう。」
とか、
「〇〇氏(長い長い肩書き)は、
××精神病院を視察を終えたあと、
大規模な、デモ活動を行った」
と言った、協力者についての、人物像と活動内容が羅列が延々と続き、恐らく元新聞記者と言う立場が、正確な人物の記述をすることを優先させた結果だと思われますが、読み手にとって、かなり苦痛でした。
本書が強く訴えているのは、
一般社会から排除を目的とした、病人の隔離治療ではなく、必要なのは、人としての人格を認め、「患者」としてではなく、一人の人間として、「生きること、普通に生活することに苦悩する人」と考え、社会的に不利な立場の人たちの人生を支えること。
ということで、これは私も賛同します。
劣悪な環境の精神病院を是正することは大切だし、時折告発される、病院内で職員によって行われている患者虐待など、あってはならないことだと思います。
「臭いものに蓋」ではありませんが、問題を見なかったことにして、どこかに押し込めるのでなく、その問題がどうして起こったのか、それを解決するにはどうしたらよいのか、本書が訴えることはそこだと思います。
ただ、とにかく
「イタリアの成功例」
を崇めすぎているように思いました。
最近日本でも「地域医療」と言う言葉が盛んに使われ、様々な医療改革が謳われています。それらを実施するうえで、良くなる面もあれば、費用が高くなるなど悪い面もあると思います。
本書にはそれがないんです。
数多く出現する、ボランティアの協力、若者達の熱意と言った言葉で、財源の捻出を曖昧にしてしまっているし、コミュニティのあり方が人の善意で成り立っていると言うのは、イタリア人と実際仕事をしたり、イタリアの暗部も目にすることが多い私にとっては、どうも納得できませんでした。
また、「司法精神病院」の項目では、これは、一般の精神病院とは違い、いわゆる刑務所に収監されている間に、精神的疾患が顕著になって治療目的で移送されれてきた人、精神的疾患を抱えた状態で刑法に触れる行為をして「心神耗弱状態ゆえに罪に問えない」と裁判官から治療処分を下された人が送り込まれる施設のことで、そこでも、患者と心を通わせることそして、罪を自らが自覚できるようにすることが重要とは述べられています。
もちろんそれは方策の一つになるのかもしれませんが、一部の職員の熱意によって解決された、ある一つの病院の成功例だけあげているのも釈然としませんし、実際に「精神的な病気」をもった人に家族を殺害されてしまった場合、その被害者感情を考えると、患者側にばかり視線が向けれられているように思います。
本書の最後にACT(包括型地域生活支援プログラム)について触れられていて、一種の訪問介護のような活動など、日本の新たな試みと将来への希望についての項目に、著者の気持ちが代弁されているのだと思いました。
今まで自分が知らなかったこと、文字と言う世界で知ることができるのは、一つの幸運であると思います。
書かれていることが、どこまで問題の本質に踏み込んだものであるか、また読んだ人にとって、上滑りな知識としてではなく、自分の内部に刻み込まれるかと言うことを含めて、元新聞記者と言う著者が、また相当な時間と費用もかけ、入念に調査をしたことが解る本です。
また、自らが精神病院の入院患者となって、レポートする潜入取材など、いずれもが「体当たり取材」と言う感じで、戦場ルポライターさながらと言う感じです。
ただ、
読後感がイマイチ良くない・・・
まず本書は、イタリアと日本の精神病院の現状の比較をしていて、それ自体はすごいことだと思うんです。
それに、先に述べたとおりの、潜入取材で、著者はこの本以前に「ルポ・精神病院」「新ルポ・精神病院」「精神病院の話−この国に生まれた不幸」などを含め、精神病院を題材とした数多くの本を出版しているようで、もちろんそれはすごいことだと思うし、誰もが出来ることではないし、また本書以外を読んでいないので、その潜入取材以外のことがどの程度書かれているのかは解らないんですけれど、潜入取材と言ってもたったの10日。
もちろん、「じゃ、あなた10日でいいからやってみて。」
といわれても自分は出来ないと思うんですが、
「自分は正常」
つまり、自分は患者ではなく、あくまで取材として来ている。
そして何日か後にはそこから確実に出られることが前提になって、それで描くのは何かが違う気がするんです。
「高みの見物」と言うと言い過ぎかもしれないけれど、個人的な感情としてちょっと受け入れがたい気がしました。まったこれは本の一部で、本書が訴えたかったのは、もっと別のことですし、そうでもしないと実情はわからないので、それはおいておくとして、
本書の大部分は、イタリア精神保健改革の指導的立場にあった、精神科医のフランコ・バザーリア氏が提唱した精神病院の全廃に向けた活動について、関わりのあった人に数多くインタビューを試み、またその時代背景を解き明かしながら、精神病院の廃止の必要性を語っています。
しかしながら、その協力者の項では、
「△△氏は(肩書き)××で活動していて、
氏の協力がなければ、この活動は成功し
なかったであろう。」
とか、
「〇〇氏(長い長い肩書き)は、
××精神病院を視察を終えたあと、
大規模な、デモ活動を行った」
と言った、協力者についての、人物像と活動内容が羅列が延々と続き、恐らく元新聞記者と言う立場が、正確な人物の記述をすることを優先させた結果だと思われますが、読み手にとって、かなり苦痛でした。
本書が強く訴えているのは、
一般社会から排除を目的とした、病人の隔離治療ではなく、必要なのは、人としての人格を認め、「患者」としてではなく、一人の人間として、「生きること、普通に生活することに苦悩する人」と考え、社会的に不利な立場の人たちの人生を支えること。
ということで、これは私も賛同します。
劣悪な環境の精神病院を是正することは大切だし、時折告発される、病院内で職員によって行われている患者虐待など、あってはならないことだと思います。
「臭いものに蓋」ではありませんが、問題を見なかったことにして、どこかに押し込めるのでなく、その問題がどうして起こったのか、それを解決するにはどうしたらよいのか、本書が訴えることはそこだと思います。
ただ、とにかく
「イタリアの成功例」
を崇めすぎているように思いました。
最近日本でも「地域医療」と言う言葉が盛んに使われ、様々な医療改革が謳われています。それらを実施するうえで、良くなる面もあれば、費用が高くなるなど悪い面もあると思います。
本書にはそれがないんです。
数多く出現する、ボランティアの協力、若者達の熱意と言った言葉で、財源の捻出を曖昧にしてしまっているし、コミュニティのあり方が人の善意で成り立っていると言うのは、イタリア人と実際仕事をしたり、イタリアの暗部も目にすることが多い私にとっては、どうも納得できませんでした。
また、「司法精神病院」の項目では、これは、一般の精神病院とは違い、いわゆる刑務所に収監されている間に、精神的疾患が顕著になって治療目的で移送されれてきた人、精神的疾患を抱えた状態で刑法に触れる行為をして「心神耗弱状態ゆえに罪に問えない」と裁判官から治療処分を下された人が送り込まれる施設のことで、そこでも、患者と心を通わせることそして、罪を自らが自覚できるようにすることが重要とは述べられています。
もちろんそれは方策の一つになるのかもしれませんが、一部の職員の熱意によって解決された、ある一つの病院の成功例だけあげているのも釈然としませんし、実際に「精神的な病気」をもった人に家族を殺害されてしまった場合、その被害者感情を考えると、患者側にばかり視線が向けれられているように思います。
本書の最後にACT(包括型地域生活支援プログラム)について触れられていて、一種の訪問介護のような活動など、日本の新たな試みと将来への希望についての項目に、著者の気持ちが代弁されているのだと思いました。
2016年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本精神医療はは薬漬け、長期入院が多い中、患者の希望も通らず、大勢が入院という拘束をされている。精神病患者をサポートできるシステムがあればいいのだが、日本はそう簡単にはいかないほど入院患者が多い。ということは精神病患者が多いということだ。イタリアは日常生活の中に患者を置き、素晴らしいシステムを作った。日本にはできるかなぁ?