旧約聖書とはどのような書物なのか?
そんな壮大なテーマを読み解くこの本の構成は、見開き半分が抄訳された旧約聖書のエピソード、もう半分がドレの版画、次頁の見開きが解説、それが繰り返されるというシンプルなものだ。
版画はエピソードの象徴的な一場面で、絵本を読む感覚も覚える。
解説は平易な文体で、前後のエピソードの架け橋の様な役割りも果たしている。
どんどん読める。
そして、読みながらふと気付けば自分の日常で起きている他愛もない事が現れては消えたり、今日見たニュースを思い出す。
旧約聖書の中で起きている事が、何千年も前の事を記したものとは思えなくなってくる。
神と人間とのやり取り、人と人の関わり、人と人の争い、人と人の助け合い…そういう旧約聖書のエピソードを読みながら、人は脆くて危うくて、汚かったり欲深かったりして情けないなあ、と思うけれど、時には清く正しく懸命に生きたり、真面目に話し合って協力したりして、やれば出来るんだなあ、と思いきや、裏切ったり取り合ったり争って、また始まってしまうのかとため息が出たりする。
しばらくそういう事を続けて、色々なものを無くしてから、猛省して心機一転立ち上がろうと奮闘する。そこから新しい何かを築いていく。
そして、そんな時にはいつも人は神様や賢者に知恵や助けを求め、大きな事をなすべき時は大勢の人を率いるリーダーが生まれる。
リーダーは善人だったり悪人だったりして、民衆は右往左往しながらも、それぞれに正しいと思う方へ進んでいく。
同じだなあ、と思う。
一人の人としても、人が集まった社会としても、一つ一つの国としても、ずっと昔からこうして人は生きてきて、そしてそれは一つの世界での出来事なんだなあ、と思う。
そして自分も、その中の一人なのだと思い当たる。
この本を読んだ事は、教科書で学んだ歴史が、旅行で訪れた思い出の中の外国の地や、画像や映像でしか見た事のない場所が、自分とは遠いと思っていた外国の国々が、一つの大きな流れの中にある一続きのものなのだと感じ、世界の見方と世界への視野が変わった、そんな体験だった。
これから、世界はどうなっていくのだろう。
これから、自分はどう生きていくのだろう、どう生きたいのだろう?
少し遠い所を見ながら未来に想いを馳せたりする、そんな時間だった。
最後の「おわりに」にこんな一文があった。
…本書の目的や願いは、私たちの社会の、過去と現在と未来を考える一つの糸口となることです。
やられた。
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旧約聖書の世界 単行本 – 2016/7/1
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- 本の長さ316ページ
- 言語日本語
- 出版社未知谷
- 発売日2016/7/1
- ISBN-104896425014
- ISBN-13978-4896425017
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登録情報
- 出版社 : 未知谷 (2016/7/1)
- 発売日 : 2016/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 316ページ
- ISBN-10 : 4896425014
- ISBN-13 : 978-4896425017
- Amazon 売れ筋ランキング: - 53,806位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年5月16日に日本でレビュー済み
『旧約聖書の世界』(谷口江里也編著、ギュスターヴ・ドレ挿画、未知谷)は、得難い一冊です。新約聖書に比べて知ることの少ない旧約聖書の世界が、ギュスターヴ・ドレの臨場感溢れる挿画と、谷口江里也の訳・解説との相乗効果によって生き生きと甦ってくるからです。
「旧約聖書は、神(ヤウエイ)によって天地が創造され、その最初の人間であるアダムとエバが楽園を追放され、その10代目の子孫のノアの時代に彼の一族(とごく一部の動物と鳥)を残して全ての命が死に絶えるという創世の物語から始まり、基本的には、そのノアの10代目の子孫であるアブラム(後にアブラハム)の一族と神との関係が書き記された書物です。アブラムの父のテラは、今からおよそ4千年ほど前に、人類最古の都市国家文明が生まれた場所の一つとされている中東の、チグリス河とユーフラテス河にはさまれた肥沃なメソポタミアの豊かな街ウルから、何故かアブラムたちを連れてカナンに向けて旅立ちました。つまり旧約聖書は、そこから、イエス・キリストがうまれる頃までの約2千年間の、アブラムを祖先とする一族と、その栄枯盛衰の物語が書かれているということになります」。
「そんな中東の一地域の流浪の民のものでしかなかった神の特徴や宗教としての基本的な構造は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教に受け継がれて、さらなる普遍性を獲得していきました」。旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの共通の源なのです。
「ユダヤ教は旧約聖書を聖典とし、神に選ばれた民であるアブラハムやヤコブの子孫と神との契約としての律法に従った行いを重視します。キリスト教は、旧約聖書を踏まえつつも、イエスの弟子たちによる福音書を重視し、戒律ではなく、人間的な観点や愛の心などを重視して、より普遍性を備えた宗教となります。それに対しアッラーを唯一絶対の存在であるとするイスラム教は、キリスト教がイエスを神の子としていることを認めず、単に預言者の一人であるとし、アッラーの使徒であり預言者であるムハンマドの言葉を記したクルアーンもなかで、アダムやノアやアブラハムやモーセなどのことも、細かな人間描写を捨象した明解な善悪とともに語られます」。
本書を通読すれば旧約聖書の全体像が頭に入りますが、興味深いエピソード――神による天地創造(創世記)、アダムとエバの楽園追放(創世記)、大きな箱舟によるノアの洪水乗り切り(創世記)、バベルの塔の建設中止(創世記)、アブラムのカナンへの旅立ち(創世記)、不徳の街ソドムとゴモラの殲滅(創世記)、モーセの出エジプトと神から与えられた十戒(出エジプト記)、ヨシュアのカナン攻略(ヨシュア記)、ダビデのゴリアト退治とイスラエル統一王国樹立(サムエル記)、賢王ソロモンの国家運営(烈王記)、シェバの女王のソロモン訪問(烈王記)、その後のイスラエル滅亡など――に焦点を絞るという読み方も可能です。武力で、神から約束された地カナンを奪い取って王国にまでなったイスラエルですが、やがて分裂し、滅び、他国に占領され、あるいは捕われて、ユダヤ人は離散してしまいます。そして、この離散は、第二次世界大戦後、遠い記憶を呼び覚ますかのように突如イスラエルが建国されるまで続いたのです。
「イスラエルの民にとっては神から約束された土地であっても、カナン人たちから見れば、もともとそこに住み街を築いて平和に暮らしていたのに、大軍にいきなり攻め込まれたわけですから、考えてみれば、まったく理不尽極まる話です」。これはヨシュアのカナン攻略に対する著者のコメントですが、第二次世界大戦後のイスラエル建国に対しても同じことが言えるでしょう。
「旧約聖書は、神(ヤウエイ)によって天地が創造され、その最初の人間であるアダムとエバが楽園を追放され、その10代目の子孫のノアの時代に彼の一族(とごく一部の動物と鳥)を残して全ての命が死に絶えるという創世の物語から始まり、基本的には、そのノアの10代目の子孫であるアブラム(後にアブラハム)の一族と神との関係が書き記された書物です。アブラムの父のテラは、今からおよそ4千年ほど前に、人類最古の都市国家文明が生まれた場所の一つとされている中東の、チグリス河とユーフラテス河にはさまれた肥沃なメソポタミアの豊かな街ウルから、何故かアブラムたちを連れてカナンに向けて旅立ちました。つまり旧約聖書は、そこから、イエス・キリストがうまれる頃までの約2千年間の、アブラムを祖先とする一族と、その栄枯盛衰の物語が書かれているということになります」。
「そんな中東の一地域の流浪の民のものでしかなかった神の特徴や宗教としての基本的な構造は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教に受け継がれて、さらなる普遍性を獲得していきました」。旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの共通の源なのです。
「ユダヤ教は旧約聖書を聖典とし、神に選ばれた民であるアブラハムやヤコブの子孫と神との契約としての律法に従った行いを重視します。キリスト教は、旧約聖書を踏まえつつも、イエスの弟子たちによる福音書を重視し、戒律ではなく、人間的な観点や愛の心などを重視して、より普遍性を備えた宗教となります。それに対しアッラーを唯一絶対の存在であるとするイスラム教は、キリスト教がイエスを神の子としていることを認めず、単に預言者の一人であるとし、アッラーの使徒であり預言者であるムハンマドの言葉を記したクルアーンもなかで、アダムやノアやアブラハムやモーセなどのことも、細かな人間描写を捨象した明解な善悪とともに語られます」。
本書を通読すれば旧約聖書の全体像が頭に入りますが、興味深いエピソード――神による天地創造(創世記)、アダムとエバの楽園追放(創世記)、大きな箱舟によるノアの洪水乗り切り(創世記)、バベルの塔の建設中止(創世記)、アブラムのカナンへの旅立ち(創世記)、不徳の街ソドムとゴモラの殲滅(創世記)、モーセの出エジプトと神から与えられた十戒(出エジプト記)、ヨシュアのカナン攻略(ヨシュア記)、ダビデのゴリアト退治とイスラエル統一王国樹立(サムエル記)、賢王ソロモンの国家運営(烈王記)、シェバの女王のソロモン訪問(烈王記)、その後のイスラエル滅亡など――に焦点を絞るという読み方も可能です。武力で、神から約束された地カナンを奪い取って王国にまでなったイスラエルですが、やがて分裂し、滅び、他国に占領され、あるいは捕われて、ユダヤ人は離散してしまいます。そして、この離散は、第二次世界大戦後、遠い記憶を呼び覚ますかのように突如イスラエルが建国されるまで続いたのです。
「イスラエルの民にとっては神から約束された土地であっても、カナン人たちから見れば、もともとそこに住み街を築いて平和に暮らしていたのに、大軍にいきなり攻め込まれたわけですから、考えてみれば、まったく理不尽極まる話です」。これはヨシュアのカナン攻略に対する著者のコメントですが、第二次世界大戦後のイスラエル建国に対しても同じことが言えるでしょう。