私は昭和22年(1947年)生まれなので、著者より7歳ほど歳下になります。また育った環境も東京の下町の場末で、著者の記述する山奥の村の生活とは根本的に環境が異なります。しかし、この本をゆっくりと読みながら、たとえ年齢が異なり、また都市の片隅と山村との根本的な違いがあるとはいえ、やはり大きく括れば同じ昭和20年代を生きたという点で多くの感慨を共有しました。それは昭和30年代半ばからの所謂「高度経済成長」の始まる前の、まだ戦前からの生活実態と生活感覚が日本中に残っていた時代で、その時代を知っているか否かは、その後の日本を見るときの視線、思いに大きな違いを生みます。
比較しようのないことですが、著者の生まれ育った山奥の村にはある時期までまともな路がなかったとのことです。東京の下町ではまがりなりに路はあれども、大通りを除いて殆ど舗装はされておらず、町は始終砂埃が舞いました。また近郊の千葉あたりから肥汲みにやってくる農家の牛や馬が、荷台に積んだ肥樽の中身のお礼でもするように路に糞をたっぷり落としました。私たち子供は「糞を踏むと背が伸びる」という「風説」を信じて、こわごわとまだ生暖かい牛馬の糞を下駄で踏みつけました。小さい頃は、まだ普段の履き物は下駄であることが多く、鼻緒がすぐ切れるので不便でした。土の路の穴ぼこに朝食の味噌汁の具にしたアサリやシジミの貝殻を撒いて下駄でガリガリ踏み、自家舗装まがいをすることはよく見かける光景でした。度量衡は尺貫法とメートル法が併存している時期でしたから、小学校に通うようになった頃に履くようになった運動靴の大きさの単位は足袋と同じでまだ文(もん)でしたし、体重は貫を使うのが普通でした。こうした戦前からの生活の内実、実態は、都市の相対的に富裕な一部を除いて、日本中どこでも実はそれほど違いはなかったのだろうというのが私の印象です。
それが、戦後の荒廃から約15年ほどの間に日本の復興が進み、次第に町では見る見るうちに、それまでの光景が変貌して行きました。路地も広い路から順に舗装が進み、自治体のバキュームカーが整備されて田舎からの肥汲みはいつしか来なくなり、あの安保騒乱のあった昭和35年、池田勇人内閣の「所得倍増」という政策が呼号されるようになるとともに、実際に日本経済は急速に発展し始め、庶民にも次第に本格的な復興が実感できるようになりました。
この本は、そうした「町の光景」の急速な変貌とはまったく異なった「山村」の緩慢な変化、それも標高の高い山奥の村の生活の現実を、あたかも古代の風土記のように、感情を抑制した緻密精細な筆致で叙述しているものです。記された事柄の一つ一つにそれを生きた人の思いが込められれていることは疑いようもないのですが、著者はこれは自分史、個人史ではないと言っています。経験したのは紛れもなく一人の個人であり、内容も個人的経験とと見聞を基としていますが、それはその家族、集落の人々、同じような条件の日本の他の地域の人々との共通の経験のはずだと意識されていますから、まるで一種の民族(民俗)叙事詩の趣を呈しています。在りし日の日本の僻地である山村の暮らし、明治以来の近代化の諸要素を除けば、おそらくは江戸時代とそれほど違わないのではないかという暮らしを詳細に叙述して余すところがありません。「北越雪譜」で有名な江戸時代の越後の富農鈴木牧之が、信濃の秘境的山村の暮らしを記述した「秋山紀行」を彷彿とさせるものがあり、感慨を催さずにいられませんでした。
本書は、岡山県の、現在は新見市に属する山村、当時は昭和29年の「昭和の大合併」前なので、地名は岡山県阿哲郡熊谷村大字上熊谷指野(さすの)という、海抜600メートルの山村を舞台に、当時の山村農家の暮らしを詳細に記述したものです。
グーグル地図の衛星写真で地形を改めて見ますと、ここは中国自動車道が脇を通っている山の中で、どうやら細い山道が、それも行き止まりの山道が辛うじて一本あるような本当の山中のようです。私はかつて中国自動車道を走って帰京した時に、この辺りは当然通りましたが、この自動車道はなんとトンネルが多いのだろうと嘆息した記憶があります。それほど山また山という土地です。
内容は、その地の地勢、集落の配置、そこに住む十二軒の家の人々とその関係、奥山の生活を支える自然環境から始まり、山奥の専業農家の季節の営み、ほぼ完全な自給自足の生活、都市民には思いもよらないような、土地の恵みに彩られた豊かな食卓、冠婚葬祭や聚落の年中行事、子供の暮らしと遊びなど多彩です。
もっとも印象的なことの一つは、場末の町の片隅で育った私などにはうまく想像できない「金銭と縁のない暮らし」です。すなわち日常において「買い物をする」という行為が希薄な暮らしです。基本的に生活は豊かな自給自足が可能な農耕によって支えられていますから、日常生活において金銭の出番はないのです。私のように、5円玉や10円玉を握って駄菓子屋に行く、家業が多忙な時は誰かが商店街の店に行って、天麩羅や豚カツやおでんなどの惣菜を買ってきて食事をするというようなふやけた生活ではなく、日夜苦労して育てた米、野菜を中心に、山の植物の多彩な恵み、食用昆虫、飼育する鶏、牛なども含めて、食生活が金銭を殆ど媒介せずに成り立っていることです。著者はこうした生活を特段に誇示しているわけではなく、それが当たり前、生活とはそうしたもの、来る年も来る年も同じサイクルで同じことを繰り返して暮らしていたと、淡々と述べています。そこには何かを羨んだり、嘆いたりということは希薄で、著者はこうした心的態度を「達観」と呼んでいます。
しかし、やはり金銭が無ければ成り立たないこともあり、その時、山中での自営農業が市場を前提に行われていないことのある種の苦労を実感せざるを得ず、著者はその現金の不足を「貧しさ」と呼んでいますが、豊かな自給自足の生活と社会と交流する時にどうしても必要な金銭の不足とは対照的であり、その点が暮らしに一抹の影を落とすことは避けられないことでしょう。
今ひとつ印象的なことは、著者の一家の文化性の高さです。家に本など殆ど無かった、また情報は村の店から買っていた新聞から得ていた、本人は学校への山道の行き帰りに読むのはその新聞だったと述べていますが、そのような環境の中でも、心構えがあれば人間は内面に文化性を保持することができることを、著者の両親、兄弟姉妹が実証しています。
著者の父は教育に熱心だったと述べていますから、農業を継ぐ長男以外の子供たちには教育を受けさせ、いずれは町へ出すことを心がけていたのでしょう。実際、兄の一人は教員となり、もう一人の兄は短歌に秀で、結社を主催するまでになり、著者自身も大学教授として職を全うしています。また姉の一人は大学付属の看護学校に入学して立派な看護婦として婦長まで務め社会に貢献したようですし、別の姉は文章の才があり、エッセイを書くことによって内面を表現することに優れていたようです。
著者はこうした一種の風土記を執筆するに当たって極力情緒的、感傷的に陥ることを避けたようで、それが叙情性よりは叙事性に徹した文章に表れています。しかしそれは意志によって抑制した結果であって、著者の内面にそうした叙情性が無かったとは思えません。それは兄の短歌をこの本の各所に配置したり、とりわけ巻末に、母への敬愛を美しく表現した姉のエッセイを掲載したりすることで表されているように私には思われます。
なお、物質文化、テクノロジーの発達に対する著者と私の見解には多少の相違があるようです。しかしだからといって、この書に対する敬意の念に変わりはありません。こうした現代的課題に対する著者の思いにはある種の揺らぎと躊躇いがあるようです。私はその揺らぎを当然のことだと思いますし、私自身にもその心の動きはありますが、最終的には人間は後戻りはできない宿命に置かれているという立場に自分は立つと述べて駄文の締めくくりとします。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ある限界集落の記録ー昭和二十年代の奥山に生きて 単行本(ソフトカバー) – 2023/8/4
小谷裕幸
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥2,200","priceAmount":2200.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"2,200","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"WIzvOd796YSpjiFRI4E0laAHElp2U4WseGRCjuOehcsK%2BR93JeCj6BSik9S5%2BiPBGNjutM6kqTQlXBQc%2BeVD7w2fQaWyncXViuljGJV4irMzpaWla%2FpbWLZ6cl1%2B2u63Zaeg%2F8IDgpI%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
著者の生まれ故郷、岡山県新見市上熊谷の集落は、中国山脈の奥深くに位置しており、電気がついたのは昭和22(1947)年、道路が通じたのは昭和35(1960)年だった。昭和20年代に12軒、百人を超える住民であった集落は、今や、3軒、十人に満たない人々を残すのみとなってしまった。著者は青年期に故郷を離れ、ドイツ文学の研究者となったが、いま改めて、故郷の忘れられゆくかつての暮らしを残しておこうと記録したのが本書である。昭和20年代の集落の様子と生活がつぶさに描かれ、高度経済成長期以前の奥山の暮らしと、そこに生活する人々の喜怒哀楽が甦る。筆者の母や兄弟の人生も語られ、戦後日本の山村出身者一家のひとつの歴史を見ることが出来る。それは、地縁や血縁の共同体のかつての姿と、それらが消滅していく過程でもあった。
- 本の長さ230ページ
- 出版社富山房企畫
- 発売日2023/8/4
- 寸法21 x 14.8 x 1.9 cm
- ISBN-10486600116X
- ISBN-13978-4866001166
よく一緒に購入されている商品
対象商品: ある限界集落の記録ー昭和二十年代の奥山に生きて
¥2,200¥2,200
最短で6月5日 水曜日のお届け予定です
在庫あり。
¥1,265¥1,265
6月5日 水曜日にお届け
残り12点(入荷予定あり)
¥2,640¥2,640
最短で6月5日 水曜日のお届け予定です
残り8点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
小谷裕幸(こだにひろゆき)1940年、岡山県生まれ。大阪大学文学部卒業、同大学大学院修士課程修了(ドイツ文学)。鹿児島大学名誉教授。ゲーテの文学、マックス・フリッシュの文学、スイス社会の研究を経て、現在は説話の研究に従事している。訳書にサラ・バル作『ふしぎなどうぶつえん』『びっくりどうぶつえん』(冨山房)、パウル・ツァウネルト編『ドナウ民話集』(冨山房インターナショナル)がある。共訳書にグスタフ・クライトナー著『東洋紀行1~3』(平凡社東洋文庫)。
登録情報
- 出版社 : 富山房企畫 (2023/8/4)
- 発売日 : 2023/8/4
- 単行本(ソフトカバー) : 230ページ
- ISBN-10 : 486600116X
- ISBN-13 : 978-4866001166
- 寸法 : 21 x 14.8 x 1.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 100,641位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,297位社会一般関連書籍
- - 1,955位その他の思想・社会の本
- - 23,359位人文・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4.4つ
5つのうち4.4つ
8グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年9月26日に日本でレビュー済み
ひょんなことで本書と出会い、貧困が深刻化する日本を生き抜く為のヒントが
昭和二十年代の奥山の生活に隠されているのではないかと読み進めました。
著者のふるさとでの家計は、『「貧」の一字に尽きる』と記されている。
しかし本書の随所に登場する著者や「はらから」が故郷を詠んだ短歌などは、
「貧」とは真逆の、内から滲み出る「豊」を感じさせてくれた。
もちろん金銭面だけでなく、インフラ確保に費やす労力や学業継続のための並々ならぬ努力、
人力農作業の辛苦など日々絶えないのではあるが
著者が『家族間の助け合い、常に旬な新鮮な食材を食べることなど、
人生を振り返ってみて、欠損感よりも充実感の方が多い気がする』と語っている通り、
それこそが著者ら家族の内なる「豊」の原点であり、
ここに日本人が回帰しなければいけない本質が隠されているように思った。
著者は自らのふるさとを「集落の伝記」として本書を綴っておられるが
その中には私たちが今を生き抜く為の知恵や工夫が散りばめられている。
そして自給自足は現代の地産地消へと繋げ、
家族ひいては集落の絆は未来の地域創生へと発展すべきと痛感した。
本当の豊かさとは何か?
本書は消えゆく限界集落の奥山から、これからの日本が進むべき道標を示しているように私には思えた。
昭和二十年代の奥山の生活に隠されているのではないかと読み進めました。
著者のふるさとでの家計は、『「貧」の一字に尽きる』と記されている。
しかし本書の随所に登場する著者や「はらから」が故郷を詠んだ短歌などは、
「貧」とは真逆の、内から滲み出る「豊」を感じさせてくれた。
もちろん金銭面だけでなく、インフラ確保に費やす労力や学業継続のための並々ならぬ努力、
人力農作業の辛苦など日々絶えないのではあるが
著者が『家族間の助け合い、常に旬な新鮮な食材を食べることなど、
人生を振り返ってみて、欠損感よりも充実感の方が多い気がする』と語っている通り、
それこそが著者ら家族の内なる「豊」の原点であり、
ここに日本人が回帰しなければいけない本質が隠されているように思った。
著者は自らのふるさとを「集落の伝記」として本書を綴っておられるが
その中には私たちが今を生き抜く為の知恵や工夫が散りばめられている。
そして自給自足は現代の地産地消へと繋げ、
家族ひいては集落の絆は未来の地域創生へと発展すべきと痛感した。
本当の豊かさとは何か?
本書は消えゆく限界集落の奥山から、これからの日本が進むべき道標を示しているように私には思えた。
2023年10月1日に日本でレビュー済み
分類では、ノンフィクションとかドキュメンタリーになるのでしょうが「昔はこんな風だったんだよ」と孫に聞かせる昔語りという印象です。それだけではなく「世界の宗教にみる死と再生の観念」などにも話が広がって読み応えがあります。
農業を基盤とする生活は、当時の若者たちが農家を離れていったのも無理はないと思わされる困窮ぶり。読むだけで腰が痛くなるような重労働。しかし、文字通り自然の恵みによる食事は(量は不足しがちでも)現在からは望めないビタミン・ミネラルに満ちたものだったのでしょう。
農薬や化学肥料と無縁の農作物やわらびなどの自然のめぐみ、炭焼きまで自前というのには憧れを感じます。あくまで「憧れ」であり、この時代に戻ることは出来ませんし、甘い生活ではないことは繰り返し描写されている通りです。元に戻せというのではなく「現状で十分なことはそのままで」というだけでもいいのではないでしょうか。せめて残していけるもの、取り入れられることを、考えていきたいものです。
農業を基盤とする生活は、当時の若者たちが農家を離れていったのも無理はないと思わされる困窮ぶり。読むだけで腰が痛くなるような重労働。しかし、文字通り自然の恵みによる食事は(量は不足しがちでも)現在からは望めないビタミン・ミネラルに満ちたものだったのでしょう。
農薬や化学肥料と無縁の農作物やわらびなどの自然のめぐみ、炭焼きまで自前というのには憧れを感じます。あくまで「憧れ」であり、この時代に戻ることは出来ませんし、甘い生活ではないことは繰り返し描写されている通りです。元に戻せというのではなく「現状で十分なことはそのままで」というだけでもいいのではないでしょうか。せめて残していけるもの、取り入れられることを、考えていきたいものです。