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シティズンシップの教育思想 単行本 – 2003/11/1
小玉 重夫
(著)
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- ISBN-104768479065
- ISBN-13978-4768479063
- 出版社白澤社
- 発売日2003/11/1
- 言語日本語
- 本の長さ181ページ
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
学校教育の未来は? これからの教師はどうあるべきか? 教育学の最前線で行われている議論をわかりやすく紹介し、混迷する教育改革議論に哲学のメスを入れる。市民による教育の民主化を構想する画期的な教育学入門。
登録情報
- 出版社 : 白澤社 (2003/11/1)
- 発売日 : 2003/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 181ページ
- ISBN-10 : 4768479065
- ISBN-13 : 978-4768479063
- Amazon 売れ筋ランキング: - 412,011位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,471位教育学 (本)
- - 10,884位教育学一般関連書籍
- - 33,215位教育・学参・受験 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年6月16日に日本でレビュー済み
まず、「政治と教育の相互関係」という一貫した視座から、ソクラテスからルソー、マルクスを経てアレントまでの社会思想を一気に描き出す、筆者の明晰と情熱に打たれる。教育思想史研究は、専門のタコツボ化が激しく、共著という形態ではなく、一人の筆者が一望の下に「教育思想史」を概観したことの意味の大きさだけでも、買いである。本書の白眉は、第4章「啓蒙的理性と教師像」において、「真理のエージェントとしての教師」概念を、戦後史の文脈に置きなおし、その時代的意味を考察したことであろう。戦後教育学の再考のためにも、この第4講、および第12講は必読である。久々に「熱い」教育本である。良い読後感を味わうことが出来た。
2012年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あんまり理解できなかった。とりあえず4講、6講、9講をメモを参考にまとめてみた(全体は12講からなる)。
〇 第4講「啓蒙的理性と教師像」
コンドルセでイメージするのは、私などは「フランス革命で獲得した自由と平等の民衆の権利を教育によって現実化しようとした人」であるが、ここではむしろ彼は進歩主義者として強調されている(53頁以下)。歴史は進歩していく。世界はよくなっていく。その担い手となるのが子供である。従って子供は世界の進歩の体現者であるという。よくよく考えてみれば、小玉氏が言うように、ルネッサンス、啓蒙主義をはじめ、マルクスの理想的な共和主義、あるいはダーウィンの進化論に至るまで(キリスト教の神の国の到来も含めてもよいかも)ヨーロッパ思想は、進歩主義に彩られている。しかし20世紀も中期以降になると、もはや世界がよくなるだろうという意識は消えうせてしまうという。教師にとって、真理のエイジェントであるといった理性への確信はなくなり、また教師は子供の教育の権利を保障することによって次世代への進歩を展望する職業であるとも言えなくなってしまった。もはや「真理のエイジェントとしての教師」「子供の学習権を保障する存在としての教師」といった教師像がリアリティをもちえなくなってしまったのだ。
〇 第6講「啓蒙の別の顔」
ここで小玉氏は、もう一つの教師像を同じく啓蒙時代の思想家カントの啓蒙概念から導こうとしている。媒介としているのは、アリエスの『子供の誕生』である。アリエスによれば、中世世界では、子供は大人に対立する形では存在しなかった。ある共同体に生まれた子供は、その共同体に馴染んでいくしかなく、その進むべき道はすでに決定されていた。小さな大人しか存在しなかったのである。それは子供と大人が同質的に連続しているというイメージだったであろう。しかし、啓蒙時代は違う。カントの啓蒙の概念によって分かるように「未成年の状態から脱して」その進むべき道を自ら決めるというイメージである。子供に自律性を託することは、子供が生まれた共同体に馴染むことを期待することではない。むしろ、教師はその共同体の外へと視点を移し、その外に子供の自律性を見ようとしている。つまり子供を他人としてみようとする。この態度が今ひとつの啓蒙時代の教師像(現代に有効な)であると小玉氏は考えている。カントから汲み取った教師像を共同体の内ー外で論じるという視点は、現在のリベラリズムとコミュニタリズムの政治的対立を思い起こしてしまう。
〇 第9講「近代的個人の形成と再編」
福祉国家的シティズンシップをみなおそうとしているようだが・・・。従来、この福祉国家的シティズンシップは政治的な権利と生存に関わる権利を包括してきたという。小玉氏は、どうもこの生存に関わる権利を教育の使命から追い出そうとしているようである。このことは教育が(職業的な役割を含めて)生存に関わること(職業的自立=生物学的生)から手を引き、政治的判断の涵養=政治的生)に集中すべき(政治的自立をめざす)であるといっているように思えるが、私にはこういった政治的偏重な教育観はよく理解できない。
個々人が職業を獲得して生活していけるようにするのが教育目的の重要な一つでなかったの? 犯罪者に対して復権するべく指導するのが(あるいは犯罪を抑止することが)教育目的の一つじゃなかったの?等々
〇 第4講「啓蒙的理性と教師像」
コンドルセでイメージするのは、私などは「フランス革命で獲得した自由と平等の民衆の権利を教育によって現実化しようとした人」であるが、ここではむしろ彼は進歩主義者として強調されている(53頁以下)。歴史は進歩していく。世界はよくなっていく。その担い手となるのが子供である。従って子供は世界の進歩の体現者であるという。よくよく考えてみれば、小玉氏が言うように、ルネッサンス、啓蒙主義をはじめ、マルクスの理想的な共和主義、あるいはダーウィンの進化論に至るまで(キリスト教の神の国の到来も含めてもよいかも)ヨーロッパ思想は、進歩主義に彩られている。しかし20世紀も中期以降になると、もはや世界がよくなるだろうという意識は消えうせてしまうという。教師にとって、真理のエイジェントであるといった理性への確信はなくなり、また教師は子供の教育の権利を保障することによって次世代への進歩を展望する職業であるとも言えなくなってしまった。もはや「真理のエイジェントとしての教師」「子供の学習権を保障する存在としての教師」といった教師像がリアリティをもちえなくなってしまったのだ。
〇 第6講「啓蒙の別の顔」
ここで小玉氏は、もう一つの教師像を同じく啓蒙時代の思想家カントの啓蒙概念から導こうとしている。媒介としているのは、アリエスの『子供の誕生』である。アリエスによれば、中世世界では、子供は大人に対立する形では存在しなかった。ある共同体に生まれた子供は、その共同体に馴染んでいくしかなく、その進むべき道はすでに決定されていた。小さな大人しか存在しなかったのである。それは子供と大人が同質的に連続しているというイメージだったであろう。しかし、啓蒙時代は違う。カントの啓蒙の概念によって分かるように「未成年の状態から脱して」その進むべき道を自ら決めるというイメージである。子供に自律性を託することは、子供が生まれた共同体に馴染むことを期待することではない。むしろ、教師はその共同体の外へと視点を移し、その外に子供の自律性を見ようとしている。つまり子供を他人としてみようとする。この態度が今ひとつの啓蒙時代の教師像(現代に有効な)であると小玉氏は考えている。カントから汲み取った教師像を共同体の内ー外で論じるという視点は、現在のリベラリズムとコミュニタリズムの政治的対立を思い起こしてしまう。
〇 第9講「近代的個人の形成と再編」
福祉国家的シティズンシップをみなおそうとしているようだが・・・。従来、この福祉国家的シティズンシップは政治的な権利と生存に関わる権利を包括してきたという。小玉氏は、どうもこの生存に関わる権利を教育の使命から追い出そうとしているようである。このことは教育が(職業的な役割を含めて)生存に関わること(職業的自立=生物学的生)から手を引き、政治的判断の涵養=政治的生)に集中すべき(政治的自立をめざす)であるといっているように思えるが、私にはこういった政治的偏重な教育観はよく理解できない。
個々人が職業を獲得して生活していけるようにするのが教育目的の重要な一つでなかったの? 犯罪者に対して復権するべく指導するのが(あるいは犯罪を抑止することが)教育目的の一つじゃなかったの?等々
2004年1月25日に日本でレビュー済み
たいていの教育の本は、お手軽なハウツーものばかりで退屈なものが多いが、本書は小粒でもギラリと光っている。著者の提唱するシティズンシップ教育に賛否は分かれるだろうが、避けて通れない問題提起だと思う。成果誇示型の(嘘くさい)教育書よりよほど斬新で面白い。その理由は三つある。
第1に、国家や企業を相対化する視点を示していること。著者はフーコー、アガンベンらの思想を引きながら、政治的な自立を経済的な自立から分離し、政治的な自立を支援する教育をしようと呼びかけている。これは画期的なことだ。自分の稼ぎでメシを食っていても、政治に無関心な人が多い日本では、これから必要となる教育の方向を指し示したと言える。
第2に、教師と生徒の関係に「他者」という概念を持ち込んだこと。これは朝日新聞の書評でも苅谷剛彦氏が評価していたが、著者はアレントやデリダの思想を援用して、「大人の言うことを聞け」式の知識詰め込み教育と「子どもは無限の可能性」式の甘い幻想の両方を批判して、大人と子どもがお互いに他者として向かい合うことを勧める。
第3に、日本の戦後教育の限界を批評していること。
本書は表面上は西洋の教育思想を現代思想の立場から批評するスタイルで書かれているが、よく読むと、国家か個人か、資本か労働か、保守か進歩かの二項対立の間で身動きできなくなっていた日本の教育の硬直性を手厳しく批判している。それも自由主義史観のように中立を装った保守の側からではなく、リベラリズムをさらに先へ進めるかたちでの批判だから説得力がある。
第1に、国家や企業を相対化する視点を示していること。著者はフーコー、アガンベンらの思想を引きながら、政治的な自立を経済的な自立から分離し、政治的な自立を支援する教育をしようと呼びかけている。これは画期的なことだ。自分の稼ぎでメシを食っていても、政治に無関心な人が多い日本では、これから必要となる教育の方向を指し示したと言える。
第2に、教師と生徒の関係に「他者」という概念を持ち込んだこと。これは朝日新聞の書評でも苅谷剛彦氏が評価していたが、著者はアレントやデリダの思想を援用して、「大人の言うことを聞け」式の知識詰め込み教育と「子どもは無限の可能性」式の甘い幻想の両方を批判して、大人と子どもがお互いに他者として向かい合うことを勧める。
第3に、日本の戦後教育の限界を批評していること。
本書は表面上は西洋の教育思想を現代思想の立場から批評するスタイルで書かれているが、よく読むと、国家か個人か、資本か労働か、保守か進歩かの二項対立の間で身動きできなくなっていた日本の教育の硬直性を手厳しく批判している。それも自由主義史観のように中立を装った保守の側からではなく、リベラリズムをさらに先へ進めるかたちでの批判だから説得力がある。
2014年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
さっと読めるけれど、私にはやや難解な部分もあったので、ネットで調べて参考にしました。
2021年9月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
たくさん売れているのになぜ改訂しないのか謎
プラトンの解釈がアーレントのプラトン解釈に寄り過ぎていて、草
プラトンの解釈がアーレントのプラトン解釈に寄り過ぎていて、草
2004年1月18日に日本でレビュー済み
うーん。この本は役に立つのだろうか。基本的には、教育に関する思想家の歴史が、ソクラテス・プラトンからマルクスまでコンパクトにまとめられている。この点はよい。
もう少し、『意思決定を自らの責任において行うことができる「市民」を育てる』という「シティズンシップの教育」に焦点が当たっていることを期待したのだが。残念ながら、「教育思想」に焦点が当たっていた。
でも、教育思想というものが決して固定化したものではなく、見直され、必ずしも一方向に進むのではなく、ある程度循環しながら、変化していることを感じることができた。
分量は少なく、各章は短く、雑誌の連載をそのまままとめたかんじなので、通勤などの短い時間で読み進めるには好都合。
まずまず。
もう少し、『意思決定を自らの責任において行うことができる「市民」を育てる』という「シティズンシップの教育」に焦点が当たっていることを期待したのだが。残念ながら、「教育思想」に焦点が当たっていた。
でも、教育思想というものが決して固定化したものではなく、見直され、必ずしも一方向に進むのではなく、ある程度循環しながら、変化していることを感じることができた。
分量は少なく、各章は短く、雑誌の連載をそのまままとめたかんじなので、通勤などの短い時間で読み進めるには好都合。
まずまず。