これが歴史書であるという時代をつくった名著。
質的研究のいいヒントです。
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チーズとうじ虫―― 16世紀の一粉挽屋の世界像 (始まりの本) 単行本 – 2012/6/9
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1583年9月、イタリア東北部、当時はヴェネツィア共和国本土属領のフリウリ地方において、ひとりの粉挽屋が教皇庁により告訴された。
名をドメニコ・スカンデッラといい、人びとからはメノッキオと呼ばれていた。
職業柄、白のチョッキ、白のマント、白麻の帽子をいつも身に着け、そして裁判の席にあらわれるのもこの白ずくめの服装だった。
「各人はその職業に従って働く。あるものは身体を動かし骨折って働き、
あるものは馬鍬で耕す、そして私はといえば神を冒瀆するのが仕事だ」
「私が考え信じるところでは、すべてはカオスである、すなわち
土、空気、水、火のすべてが渾然一体となったものである。この全体は次第に塊になっていった。
ちょうど牛乳からチーズができるように。そしてチーズの塊からうじ虫が湧き出るように天使たちが出現したのだ」
かく語り、二度にわたる裁判を経て焚刑に処せられたメノッキオとは何者か。
異端審問記録ほか埋もれた史料を駆使しつつ地方農民のミクロコスモスを復元、民衆文化の深層にスリリングに迫ったギンズブルグ史学の初期傑作。
改版にあたり、解説「ずれを読み解く――ギンズブルグの方法について」(上村忠男)を付す。
*********** 新シリーズ《始まりの本》
始まりとは始原(オリジン)。
そこから生い育つさまざまな知識の原型が、 あらかじめ潜在しているひとつの種子である。
新たな問いを発見するために、 いったん始原へ立ち帰って、
これから何度でも読み直したい現代の古典。
未来への知的冒険は、ふたたびここから始まる!
***********
名をドメニコ・スカンデッラといい、人びとからはメノッキオと呼ばれていた。
職業柄、白のチョッキ、白のマント、白麻の帽子をいつも身に着け、そして裁判の席にあらわれるのもこの白ずくめの服装だった。
「各人はその職業に従って働く。あるものは身体を動かし骨折って働き、
あるものは馬鍬で耕す、そして私はといえば神を冒瀆するのが仕事だ」
「私が考え信じるところでは、すべてはカオスである、すなわち
土、空気、水、火のすべてが渾然一体となったものである。この全体は次第に塊になっていった。
ちょうど牛乳からチーズができるように。そしてチーズの塊からうじ虫が湧き出るように天使たちが出現したのだ」
かく語り、二度にわたる裁判を経て焚刑に処せられたメノッキオとは何者か。
異端審問記録ほか埋もれた史料を駆使しつつ地方農民のミクロコスモスを復元、民衆文化の深層にスリリングに迫ったギンズブルグ史学の初期傑作。
改版にあたり、解説「ずれを読み解く――ギンズブルグの方法について」(上村忠男)を付す。
*********** 新シリーズ《始まりの本》
始まりとは始原(オリジン)。
そこから生い育つさまざまな知識の原型が、 あらかじめ潜在しているひとつの種子である。
新たな問いを発見するために、 いったん始原へ立ち帰って、
これから何度でも読み直したい現代の古典。
未来への知的冒険は、ふたたびここから始まる!
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- 本の長さ368ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2012/6/9
- ISBN-104622083507
- ISBN-13978-4622083504
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商品の説明
著者について
カルロ・ギンズブルグ
Carlo Ginzburg
歴史家。1939年、イタリアのトリーノに生まれる。ピサ高等師範学校専修課程修了。ボローニャ大学・近世史講座教授、カリフォルニア大学ロスアンジェルス校教授を経てピサ高等師範学校教授。
著書『夜の合戦――16-17世紀の魔術と農耕信仰』(上村忠男訳、みすず書房1986[原著1966])『チーズとうじ虫――16世紀の一粉挽屋の世界像』(本書[1976])『神話・寓意・徴候』(竹山博英訳、せりか書房1988[1986])『闇の歴史――サバトの解読』(竹山博英訳、せりか書房1992[1989])『裁判官と歴史家』(上村忠男・堤康徳訳、平凡社1992[1991])『ピエロ・デッラ・フランチェスカの謎』(森尾総夫訳、みすず書房1998[1994])『ピノッキオの眼――距離についての九つの省察』(竹山博英訳、せりか書房2001[1998])『歴史・レトリック・立証』(上村忠男訳、みすず書房2001[1999])『歴史を逆なでに読む』(上村忠男訳、みすず書房2003)『糸と痕跡』(上村忠男訳、みすず書房2008[2006])ほか。
Carlo Ginzburg
歴史家。1939年、イタリアのトリーノに生まれる。ピサ高等師範学校専修課程修了。ボローニャ大学・近世史講座教授、カリフォルニア大学ロスアンジェルス校教授を経てピサ高等師範学校教授。
著書『夜の合戦――16-17世紀の魔術と農耕信仰』(上村忠男訳、みすず書房1986[原著1966])『チーズとうじ虫――16世紀の一粉挽屋の世界像』(本書[1976])『神話・寓意・徴候』(竹山博英訳、せりか書房1988[1986])『闇の歴史――サバトの解読』(竹山博英訳、せりか書房1992[1989])『裁判官と歴史家』(上村忠男・堤康徳訳、平凡社1992[1991])『ピエロ・デッラ・フランチェスカの謎』(森尾総夫訳、みすず書房1998[1994])『ピノッキオの眼――距離についての九つの省察』(竹山博英訳、せりか書房2001[1998])『歴史・レトリック・立証』(上村忠男訳、みすず書房2001[1999])『歴史を逆なでに読む』(上村忠男訳、みすず書房2003)『糸と痕跡』(上村忠男訳、みすず書房2008[2006])ほか。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2012/6/9)
- 発売日 : 2012/6/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 368ページ
- ISBN-10 : 4622083507
- ISBN-13 : 978-4622083504
- Amazon 売れ筋ランキング: - 831,845位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,954位世界史 (本)
- - 124,363位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2017年12月14日に日本でレビュー済み
16世紀のイタリア北部にいたメノッキオと呼ばれた粉挽き職人は、十数冊の本からキリスト教に対して独自の解釈を作り出し、異端審問にかけられ最終的に教皇の命により焚刑に処せられた。裁判の記録とメノッキオが残したいくつかの文書や書簡からメノッキオがどの本を読んだことが有り、その本のどの部分からどのような解釈を作り出したのか、丹念に詳らかにしている。
様々な記録を読み解き、一人の人物の思考の痕跡をたどっていくのはとても興味深く面白いのだけれど、いかんせん内容が中世キリスト教神学にどっぷり浸かっているのでその辺の知識が薄いとピンとこない部分も多くかなり難しい。そういう知識が薄いのでその辺の理解が今ひとつではあったが、16世紀の庶民と教会牧師、異端審問官がどのような世界で知識を得て其れを理解しようとしていたのかがうっすらと見ることができた。
様々な記録を読み解き、一人の人物の思考の痕跡をたどっていくのはとても興味深く面白いのだけれど、いかんせん内容が中世キリスト教神学にどっぷり浸かっているのでその辺の知識が薄いとピンとこない部分も多くかなり難しい。そういう知識が薄いのでその辺の理解が今ひとつではあったが、16世紀の庶民と教会牧師、異端審問官がどのような世界で知識を得て其れを理解しようとしていたのかがうっすらと見ることができた。
2020年11月11日に日本でレビュー済み
"全体はカオスである。この全体は次第に塊になっていった。ちょうど牛乳のなかからチーズの塊ができ、そこからうじ虫があらわれてくるように、このうじ虫のように出現してくるものが天使たちなのだ。そして非常に聖なるお方が、それらが神であり天使たちであるように望まれた。"1976年発表の本書は16世紀の粉挽屋の異端審判から抑圧された民衆文化を浮き彫りにした名著。
個人的には『歴史』や『文化』とはやはり勝者や上流階級だけのものだろうか?と疑問に思った事もあり、本書を手にとりました。
さて、そんな本書は16世紀イタリア、ルターのいわゆる宗教改革、ローマ・カトリック教会からのプロテスタント分離が起きた時代を背景にして、フリウリ地方に住む粉挽屋メノッキオの異端審判の様子を丹念に描いていくことで、文化とは本来『多層的』であり、過去の勝者や上流階級だけが文化をつくってきたかのような【理解や感覚は情報量不足による誤認でしかない】ことを明らかにしてくれているのですが。
まず最初に感じたのは『どこへも行かず、限られた本と交流』を通じて知識を得た粉挽屋メノッキオに専ら独学家である自分自身を重ねて『もし自分が異端審判に出ていたら?』そんな追体験的な読み方をしたのですが。【知識の功罪】というべきか。牢獄から出される度に『知って、自分なりに考えたこと』を堂々と発言するも、サンドバッグの様に何人ものプロの宗教家に矛盾を指摘されていく姿には、なんとも同情を禁じ得なかった。(多少は自業自得な面はあるにしろ)
また、そんなメノッキオの異端審判での告白を通じて、本書は一般的にはあまり語られてこなかった『従属階級の文化』『民衆の文化』が上流階級から押し付けられた【劣化コピーではなく、独立して存在していた】事も明らかにもしてくれているわけですが。言葉や記録に残っていないだけで、我が国も含めて【本当はどんな大衆文化が存在していたのだろうか?】思いを馳せるキッカケを与えてくれました。
歴史書、文化論の名著として、また自分たちの学んだ歴史や文化に疑問を持っている人にもオススメ。
個人的には『歴史』や『文化』とはやはり勝者や上流階級だけのものだろうか?と疑問に思った事もあり、本書を手にとりました。
さて、そんな本書は16世紀イタリア、ルターのいわゆる宗教改革、ローマ・カトリック教会からのプロテスタント分離が起きた時代を背景にして、フリウリ地方に住む粉挽屋メノッキオの異端審判の様子を丹念に描いていくことで、文化とは本来『多層的』であり、過去の勝者や上流階級だけが文化をつくってきたかのような【理解や感覚は情報量不足による誤認でしかない】ことを明らかにしてくれているのですが。
まず最初に感じたのは『どこへも行かず、限られた本と交流』を通じて知識を得た粉挽屋メノッキオに専ら独学家である自分自身を重ねて『もし自分が異端審判に出ていたら?』そんな追体験的な読み方をしたのですが。【知識の功罪】というべきか。牢獄から出される度に『知って、自分なりに考えたこと』を堂々と発言するも、サンドバッグの様に何人ものプロの宗教家に矛盾を指摘されていく姿には、なんとも同情を禁じ得なかった。(多少は自業自得な面はあるにしろ)
また、そんなメノッキオの異端審判での告白を通じて、本書は一般的にはあまり語られてこなかった『従属階級の文化』『民衆の文化』が上流階級から押し付けられた【劣化コピーではなく、独立して存在していた】事も明らかにもしてくれているわけですが。言葉や記録に残っていないだけで、我が国も含めて【本当はどんな大衆文化が存在していたのだろうか?】思いを馳せるキッカケを与えてくれました。
歴史書、文化論の名著として、また自分たちの学んだ歴史や文化に疑問を持っている人にもオススメ。
2019年2月28日に日本でレビュー済み
異端審問という特異性はあっても、貴族でもない平民農民らの思想や動きがここまで見えてくるのかと当時感動した。
歴史学を専攻していない人間にも歴史学の面白さが体験出来ます。
チーズからウジ虫が云々、発想が抜きん出ていたメノッキオという人間は面白い。
歴史学を専攻していない人間にも歴史学の面白さが体験出来ます。
チーズからウジ虫が云々、発想が抜きん出ていたメノッキオという人間は面白い。
2004年12月7日に日本でレビュー済み
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「カオスから世界が生まれ、チーズにつく蛆虫のように天使たちが生まれた」と主張した男の言葉が本のタイトルだ。
この男は十六世紀イタリアの粉挽屋で、文字を書きギターをひき村落では顔役だったが、村の司祭とソリが合わなかったために、異端者として告発されてしまい、そこで上記の発言をやってのけたのだ。当時は裁判までが知識層の言葉であるラテン語で行われていたが、この男は「誰にもわかる言葉でされなければおかしい」と主張していた。著者は男の発言を抽出して、当時の世界において、それが何を意味するかを丹念に説き明かして行く。「チーズとうじ虫」というどこかファンタジックなイメージに眩惑されるうち、自分の頭を使って考えたることが罪だった時代の壁に対峙させられる。
この男は十六世紀イタリアの粉挽屋で、文字を書きギターをひき村落では顔役だったが、村の司祭とソリが合わなかったために、異端者として告発されてしまい、そこで上記の発言をやってのけたのだ。当時は裁判までが知識層の言葉であるラテン語で行われていたが、この男は「誰にもわかる言葉でされなければおかしい」と主張していた。著者は男の発言を抽出して、当時の世界において、それが何を意味するかを丹念に説き明かして行く。「チーズとうじ虫」というどこかファンタジックなイメージに眩惑されるうち、自分の頭を使って考えたることが罪だった時代の壁に対峙させられる。
2018年5月9日に日本でレビュー済み
歴史は有力者自身とその周辺しか語られていないが、これは名もなき民の歴史が異端審問の記録によって詳らかにされ、興味深いとのことだったので購入してみた。
「粉挽き屋のメノッキオ」の生涯が裁判記録によって明かされているが、メノッキオ自身は、マリアは処女じゃないとか、キリストは人間だ、などと言って周辺を感化しようとしたか誰彼かまわず議論をふっかけていたところ、捕まった、みたいなカンジの書物。
だけど、私のように異端審問とか魔女裁判とかカソリックとルターの関係とかイタリアの歴史、経済や哲学的思考がわかってないので著者の説明的描写は1/3も理解できたかどうか。なので☆3つです。
メノッキオの証言はかなり興味深いし、同情もし、心が震えるけれど。
十指に余るくらい少ない本を読むことしかできなかったメノッキオだがそれらを諳んじられるくらい読み込んで、周辺へ吹聴する。もう、言わずにはいてもたってもいられなくらい本(情報)へ熱狂、好奇心がおさえられず、科学的に真実を追求したい。誰かとその思想を分かち合いたい。その欲求は「薔薇の名前」で修道僧たちの書物に熱狂する姿に重なる。
異端として拷問にかけられても自身が信ずることを言わずにはいられず、家族に疎まれ見捨てられても沈黙を守ることができなかった。命がかかっていてもだ。メノッキオの衝動や真実は何か。著者はメノッキオは逃亡もできたのに、誰かをかばって逃亡もせず沈黙を守ったと推測しているが、果たして?
当時のイタリアのカソリック世界が民衆から吸い上げるために機能しているようで、なんだかわかるし、複雑な気分。
メノッキオが言うようにキリストは人間。宗教も人が始めたものと感じる。
「粉挽き屋のメノッキオ」の生涯が裁判記録によって明かされているが、メノッキオ自身は、マリアは処女じゃないとか、キリストは人間だ、などと言って周辺を感化しようとしたか誰彼かまわず議論をふっかけていたところ、捕まった、みたいなカンジの書物。
だけど、私のように異端審問とか魔女裁判とかカソリックとルターの関係とかイタリアの歴史、経済や哲学的思考がわかってないので著者の説明的描写は1/3も理解できたかどうか。なので☆3つです。
メノッキオの証言はかなり興味深いし、同情もし、心が震えるけれど。
十指に余るくらい少ない本を読むことしかできなかったメノッキオだがそれらを諳んじられるくらい読み込んで、周辺へ吹聴する。もう、言わずにはいてもたってもいられなくらい本(情報)へ熱狂、好奇心がおさえられず、科学的に真実を追求したい。誰かとその思想を分かち合いたい。その欲求は「薔薇の名前」で修道僧たちの書物に熱狂する姿に重なる。
異端として拷問にかけられても自身が信ずることを言わずにはいられず、家族に疎まれ見捨てられても沈黙を守ることができなかった。命がかかっていてもだ。メノッキオの衝動や真実は何か。著者はメノッキオは逃亡もできたのに、誰かをかばって逃亡もせず沈黙を守ったと推測しているが、果たして?
当時のイタリアのカソリック世界が民衆から吸い上げるために機能しているようで、なんだかわかるし、複雑な気分。
メノッキオが言うようにキリストは人間。宗教も人が始めたものと感じる。
2014年3月23日に日本でレビュー済み
“〔異端審問官と対峙した〕二人の粉挽屋の最後はちがっている。しかし両者のあいだにある類似には驚くばかりである。それゆえ、きわめて稀な偶然の一致ということ以上に、なにごとかが存在しているにちがいないのである。”(240ページ)
宗教改革と対抗改革のなかにある16世紀末、異端審問官に対峙した粉挽屋メノッキオ。彼が裁判のなかで明かした自身の宗教観のなかに、改革側の諸教派の教義のみならず、彼が目にしていた書物に示されたユートピア論や、彼が常日頃接していたはずの農民社会のなかにその残響が受け継がれていと想定される古代社会の死生観を読み解く書。
その解読作業の終幕では同時代にやはり異端審問により有罪とされた粉挽屋の例が示され、彼らの主張の産み出される契機と、その主張内容の多くの点における一致が、粉挽屋(や旅籠屋)という特殊な地位であるとか、当時の農村と都市とを渡り歩いた改革派伝道者の存在であるとか、あるいはまた彼らが著しまた翻訳した書物の流通であるとかの時代背景により説明されている。
A.コルバンの『記録を残さなかった男の歴史』が諸種の史料と既存の地域史研究の成果とから無名の人間の一生を描き出したのと若干異なり、『チーズとうじ虫』はある粉挽屋の宗教裁判記録から、彼が生きた16世紀ヴェネチア公国の農村社会内外に展開されていたらしい思想のネットワークと堆積構造を再構築してみせている。
宗教改革と対抗改革のなかにある16世紀末、異端審問官に対峙した粉挽屋メノッキオ。彼が裁判のなかで明かした自身の宗教観のなかに、改革側の諸教派の教義のみならず、彼が目にしていた書物に示されたユートピア論や、彼が常日頃接していたはずの農民社会のなかにその残響が受け継がれていと想定される古代社会の死生観を読み解く書。
その解読作業の終幕では同時代にやはり異端審問により有罪とされた粉挽屋の例が示され、彼らの主張の産み出される契機と、その主張内容の多くの点における一致が、粉挽屋(や旅籠屋)という特殊な地位であるとか、当時の農村と都市とを渡り歩いた改革派伝道者の存在であるとか、あるいはまた彼らが著しまた翻訳した書物の流通であるとかの時代背景により説明されている。
A.コルバンの『記録を残さなかった男の歴史』が諸種の史料と既存の地域史研究の成果とから無名の人間の一生を描き出したのと若干異なり、『チーズとうじ虫』はある粉挽屋の宗教裁判記録から、彼が生きた16世紀ヴェネチア公国の農村社会内外に展開されていたらしい思想のネットワークと堆積構造を再構築してみせている。
2012年8月20日に日本でレビュー済み
本書は被抑圧者の研究、ミクロストリア(微視の歴史学)の実験で知られる、1939年イタリアのトリノで生まれたユダヤ系の近世史研究者が、1976年に刊行しフランスのアナール派の歴史家による絶賛を受けた本の邦訳であり、新たに思想史研究者上村忠男の解説が付されている。本書は教皇庁による二度の裁判(1584年、1599年)の結果、異端と見做され火刑に処せられた、フリウリ地方の議論好きの粉挽屋(樵夫、大工、壁屋も兼業し、村長・小教区財政職も歴任した)ドメニコ・スカンデッラ、通称メノッキオ(1532〜1600年頃)の個人史である。本書の特徴を列挙すれば、第一に本書が用いる主な史料は異端審問記録であり、これによりメノッキオという一庶民(ただし典型的とは言えない)の世界観が明らかになる。それは神による無からの創造という教皇庁の教義に反する、生命の自然発生という世界観(宇宙生成論)であり、これが書名の由来となっている。第二に、本書はこうしたメノッキオの世界観と彼が読んだと思われる本の記述とを対比させ、そのずれを確認することにより、彼による主体的な本の「読み方」(解読格子)を検証している。第三に、このような徴候解読型テクスト読解を通じて、本書は異端審問官側の先入見と被告側の包み隠しの間に埋もれた真実を見出そうとする。そこから見出されるのは、支配的文化(書字文化)と従属的文化(口承文化)の間の実り豊かな循環性であり、メノッキオが読書をする際の解読格子となった口承文化の存在である(ただし口承文化自体に関する検証は、本書ではなされていないという批判がある)。このように、本書は新たなテクスト読解方法の開発により、史料の残りにくい一庶民の思想と人生を伝記=物語風に、しかし実証的に再構成し、社会の基層としての民衆文化に迫ろうとした研究である。