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「国連」という錯覚: 日本人の知らない国際力学 単行本 – 2008/9/1
内海 善雄
(著)
- 本の長さ285ページ
- 言語日本語
- 出版社日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
- 発売日2008/9/1
- ISBN-104532353238
- ISBN-13978-4532353230
登録情報
- 出版社 : 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版; New版 (2008/9/1)
- 発売日 : 2008/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 285ページ
- ISBN-10 : 4532353238
- ISBN-13 : 978-4532353230
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,098,463位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
決断力と実行力、そして、深い洞察力を持つ著者の手腕をもってしても、非情な国連社会においては様々な力によって揺さぶりをかけられてしまう。かつてITU京都全権委員会議を大成功に導いた著者が、国連の世界情報社会サミットという大きな舞台での各国元首との駆け引きや普通では知ることのできない国連活動の実態についてつづっています。また、各国の思惑に気を付けながら、NGOや開発途上国への配慮も怠らない著者の議論の進め方は、国際機関を知るためだけでなく、様々な交渉ごとの参考になります。
2008年9月26日に日本でレビュー済み
著者の「勝つための国際交渉術」を読んで、役にたったのでこの本も読んでみた。著者がなぜ「勝つための国際交渉術」を著したのか、その背景が理解できた。この本を読むと、国連が全ての権威のように思っている一部の政治家の主張が馬鹿らしく見える。日経編集員の清水氏が巻末の解説で書いているように、日本が真に国連を通じた国際協調を外交の柱とするなら、「脱お人よし」から始めなければならない。
ビジネスマンや官僚、政治家に一読をお薦めする。
ビジネスマンや官僚、政治家に一読をお薦めする。
2009年5月29日に日本でレビュー済み
内海さんの8年間のITUにおける苦労をまとめた本であって、これは国連について書かれた本ではないと思う。国連の一部組織における苦労と国際政治の現実を表している本であるため、このレビューのタイトルをこのようにした。
中身については、官僚の目から見る電気通信行政のありかたと、進歩の早いICT分野で世界の取りまとめ役を演じたいITUに対して社会が距離を置きつつある点を理解するには真実を述べている点で評価できる。
沈没しかけているITUを救うことが本当に必要なのかについて、本の前半では官僚の視点で「必要」と判断されているが、8年間の勤務のあとでもそう思っているかの本音を聞きたかった。
一部に人の名前に一般的な片仮名の当てはめ方と違うものをつかったり場面によって使い方がばらついている点が少し気になった。
ITUのことジュネーブでの政治を理解したい人には読む価値があるが、国連一般についての期待をして読むと期待通りにはならない可能性がある。
中身については、官僚の目から見る電気通信行政のありかたと、進歩の早いICT分野で世界の取りまとめ役を演じたいITUに対して社会が距離を置きつつある点を理解するには真実を述べている点で評価できる。
沈没しかけているITUを救うことが本当に必要なのかについて、本の前半では官僚の視点で「必要」と判断されているが、8年間の勤務のあとでもそう思っているかの本音を聞きたかった。
一部に人の名前に一般的な片仮名の当てはめ方と違うものをつかったり場面によって使い方がばらついている点が少し気になった。
ITUのことジュネーブでの政治を理解したい人には読む価値があるが、国連一般についての期待をして読むと期待通りにはならない可能性がある。
2008年11月24日に日本でレビュー済み
ITUという国連専門機関の事務局トップとして8年間(特別総会議長や選挙活動を含めれば15年)を経験した筆者が、実体験を率直に物語るために大変興味ぶかい。
タイトルの「国連という「錯覚」」は、やや挑戦的に感じる人も多いと思うが、おそらく、これが最も筆者がいいたかったことだろう。さて、ここで「錯覚」とはなんだろうか。
平均的な日本人にとって、国連というと、「国際平和」、「国際協力」、「国際協調」といった理想主義的なイメージが強いのではないか。対米の手段として国連中心主義を主張する党首もいる。
しかし、筆者が経験した国連というのは、見渡す限り「敵ばかり」、「足のひっぱりあい」という次元の低いものだった。先進国対途上国、人権市民派の反対活動、標準化の主導権争いなんて政治的なものだけでなく、国連事務局の足のひっぱり、外務省の非協力、そして足下のITU事務局自体の反発(ストライキまで)、金儲け主義のコンサルタントのアプローチなど、利己的なもののオンパレード。
そういう「敵ばかり」の中で、何を達成したかというのが、さらに重要なのだが、その評価は読者によって異なるだろう。
愚痴と自信が連続し、水面下の話ばかりのこの本に途中で嫌気をする人もいるかもしれないが、読み通すとなかなか考えさせらた本である。
おそらく、単行本よりも新書にした方が多くの人の目に触れた気もする。
タイトルの「国連という「錯覚」」は、やや挑戦的に感じる人も多いと思うが、おそらく、これが最も筆者がいいたかったことだろう。さて、ここで「錯覚」とはなんだろうか。
平均的な日本人にとって、国連というと、「国際平和」、「国際協力」、「国際協調」といった理想主義的なイメージが強いのではないか。対米の手段として国連中心主義を主張する党首もいる。
しかし、筆者が経験した国連というのは、見渡す限り「敵ばかり」、「足のひっぱりあい」という次元の低いものだった。先進国対途上国、人権市民派の反対活動、標準化の主導権争いなんて政治的なものだけでなく、国連事務局の足のひっぱり、外務省の非協力、そして足下のITU事務局自体の反発(ストライキまで)、金儲け主義のコンサルタントのアプローチなど、利己的なもののオンパレード。
そういう「敵ばかり」の中で、何を達成したかというのが、さらに重要なのだが、その評価は読者によって異なるだろう。
愚痴と自信が連続し、水面下の話ばかりのこの本に途中で嫌気をする人もいるかもしれないが、読み通すとなかなか考えさせらた本である。
おそらく、単行本よりも新書にした方が多くの人の目に触れた気もする。