椎名さんのジャンルは多岐に渡りますが,私はラブロマンスが好きです。例えば「さよなら海の女たち」や「パタゴニア」のような。内容やスタイル的にはラブロマンスとは言えないかもしれませんが,私にとっては極上のラブロマンスなのです。本作もラブロマンスであることを期待し,読後もそのようにとらえました。
構成はある種の映画のようで,世界を旅する前と,旅をするようになって以後の話題が交互に組み合わせられています。中年期の様々な旅先での様子の合間に,旅を夢見る若き日の主人公の逸話がフラッシュバックしてくるような印象を受けました。若き日の逸話は時系列通りに,旅先の様子は実際の時系列とは逆に進んでいき,最後に両者が重なるような構成です。
主人公の人生のクライマックスには表と裏があります。表のクライマックスは冒頭の若さにまかせたヤンチャな時代+実現するとは思えない夢であったはずの旅先への訪問で,裏のクライマックスはヤンチャと夢へののめり込みに揺らがなかった妻との深い愛の確信です。終章に描かれるこの裏のクライマックスこそ私にとってはラブロマンスなのです。
青臭い私小説のような,力強い冒険記のような,それでいてどちらでもないスタイルは椎名さん特有の奥ゆかしさだと思います。しかし,若き日の暴力や酒の描き方に対し,仕事へのギラつきや女との情愛については描き方が弱い(描かれてさえいない)と感じることが過去の作品では多かったです。これまた彼特有の奥ゆかしさや,モデルとなった実在する方々やご家族への気遣いだったのだろうとは思います。椎名さんご本人も周囲の方々も歳と年を経て,本作ではそのあたりまでセキララに描くことが許されていることに感慨を覚えました。
古くからの熱心な椎名ファンなら,主人公(椎名さん)と妻(渡辺一枝さん)との出逢いが「哀愁の街に霧が降るのだ」や「倉庫作業員」とオーバーラップしつつも統一されていないことに若干の違和感を覚えるかもしれません。しかし,そこもまた彼の奥ゆかしさだと思うと,なんだか微笑ましいのです。二人のロマンスは現在も継続中なのだと思います。将来の続編に新たな感慨を得られることを期待してしまいます。
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そらをみてますないてます 単行本 – 2011/10/17
椎名 誠
(著)
流血事件を起こし職場を転々とするおれは、後に妻となる女性と出会った。青春の最も甘く苦い部分を初めて描いた渾身の純文学巨篇
- 本の長さ331ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2011/10/17
- ISBN-104163809600
- ISBN-13978-4163809601
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2011/10/17)
- 発売日 : 2011/10/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 331ページ
- ISBN-10 : 4163809600
- ISBN-13 : 978-4163809601
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,340,837位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 335,182位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1944(昭和19)年、東京生れ。東京写真大学中退。流通業界誌編集長を経て、作家、エッセイスト。「本の雑誌」編集長。『さらば国分寺書店のオババ』でデビューし、その後『アド・バード』(日本SF大賞)『武装島田倉庫』などのSF作品、『わしらは怪しい探検隊』シリーズなどの紀行エッセイ、『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)『哀愁の町に霧が降るのだ』『岳物語』『大きな約束』などの自伝的小説、『風のかなたのひみつ島』『全日本食えば食える図鑑』『海を見にいく』など旅と食の写真エッセイと著書多数。映画『白い馬』では、日本映画批評家大賞最優秀監督賞ほかを受賞している。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年4月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
他の皆さんが書かれているように
痛快な青春私小説です。
しかし、各章の時間軸をずらしながら話を進める
という構成には違和感を覚えた。
伏線というわけでもないし、最後に一致するであろう
ことは途中でわかってしまう。
この点を除けば文句ないのだが。
痛快な青春私小説です。
しかし、各章の時間軸をずらしながら話を進める
という構成には違和感を覚えた。
伏線というわけでもないし、最後に一致するであろう
ことは途中でわかってしまう。
この点を除けば文句ないのだが。
2011年11月23日に日本でレビュー済み
椎名誠が少年のころから抱きつづけた、ロプノール湖を見たいという夢を軸に据えた「私小説」。
一九六四年オリンピック前夜の東京を舞台に物語は始まります。
当時日本と中国は国交がなく、湖を訪ねることは叶わぬ夢。
二十歳の青年である主人公は、とくに夢に拘泥するでもなく、それなりに充実した皿洗いのアルバイトの日々を送っています。
そこで場面はがらりと変わります。
一九八八年のタクラマカン砂漠。主人公はロプノール湖を目指す途上にあります。
構成が凝っています。
夢が叶いそうになるまでを時間どおりに追ってゆく大過去と、
夢が叶った時点から時間を遡ってゆく近過去が交互に描かれます。
作品の最後で両方の時間が重なる、という仕掛けです。
もっとも、この構成はそれによって読むカタルシスが高まるということはなく、単に読みにくいだけのような気もしますが ……。
ただ。作者にとっては意味があったようです。
どういう意味があったのか。
それは人生における夢というものの意義の再確認。
夢を信じつづける大切さが真理のように説かれたり、夢がやぶれた寂しさが妙な自己満足とともに語られたり、なんてことは世間ではありがちです。
が、実際の人生というのは「夢がすべて」であるはずがなく、その他いろいろ日々の暮らしからこそ圧倒的に出来上がっているわけで、作者も例外ではありません(そうした「人生の現場」の描写こそがこの小説の一番の魅力となっています。東京オリンピック前夜の活気、肉体労働の荒っぽい切なさ、砂漠やシベリアなど僻地の過酷さなど、その空気感の描写は見事です。これは、ほとんど漫画の主人公のように人一倍激しく「人生の現場」を生きてきた作者の独壇場でしょう)。
だけど。
そんな現場の日々にも、夢は底流のように流れています。
信じていれば叶うんだという能天気さがあるわけでもなく、諦めたわけでもなく、自分のなかでしぶとく生き延びてしまうものこそが夢。
そして結果的に人生がその夢によって紡がれているのだな、という感慨。
それが作者のたどりついたひとつの境地のようです。
一九六四年オリンピック前夜の東京を舞台に物語は始まります。
当時日本と中国は国交がなく、湖を訪ねることは叶わぬ夢。
二十歳の青年である主人公は、とくに夢に拘泥するでもなく、それなりに充実した皿洗いのアルバイトの日々を送っています。
そこで場面はがらりと変わります。
一九八八年のタクラマカン砂漠。主人公はロプノール湖を目指す途上にあります。
構成が凝っています。
夢が叶いそうになるまでを時間どおりに追ってゆく大過去と、
夢が叶った時点から時間を遡ってゆく近過去が交互に描かれます。
作品の最後で両方の時間が重なる、という仕掛けです。
もっとも、この構成はそれによって読むカタルシスが高まるということはなく、単に読みにくいだけのような気もしますが ……。
ただ。作者にとっては意味があったようです。
どういう意味があったのか。
それは人生における夢というものの意義の再確認。
夢を信じつづける大切さが真理のように説かれたり、夢がやぶれた寂しさが妙な自己満足とともに語られたり、なんてことは世間ではありがちです。
が、実際の人生というのは「夢がすべて」であるはずがなく、その他いろいろ日々の暮らしからこそ圧倒的に出来上がっているわけで、作者も例外ではありません(そうした「人生の現場」の描写こそがこの小説の一番の魅力となっています。東京オリンピック前夜の活気、肉体労働の荒っぽい切なさ、砂漠やシベリアなど僻地の過酷さなど、その空気感の描写は見事です。これは、ほとんど漫画の主人公のように人一倍激しく「人生の現場」を生きてきた作者の独壇場でしょう)。
だけど。
そんな現場の日々にも、夢は底流のように流れています。
信じていれば叶うんだという能天気さがあるわけでもなく、諦めたわけでもなく、自分のなかでしぶとく生き延びてしまうものこそが夢。
そして結果的に人生がその夢によって紡がれているのだな、という感慨。
それが作者のたどりついたひとつの境地のようです。
2014年7月27日に日本でレビュー済み
この作者の本は久々に目にした気がします.
タイトルに惹かれて購入しました.
帯には私小説と書かれています.
その辺りを選定基準にする程,作者に思い入れがある訳ではありませんでした.
構成としては,過去,現在の二つの視点から描かれている.
この辺りは,読み進めるうちにわかる事ですが過去ありきの現在である事を考えれば,
比較的安心して読めると言えます.
また,その辺りをマイナス要因とすることなく書かれている.
描かれている人々は,懐の深い人間が多いと感じる.
これを絵空事と考えるか,時代と考えるかは読み手に委ねられるのだろう.
私は,時代或は,視点の問題だと感じた.
私小説という謳いこれも含めて作者の力量ということなのだろう.
この本を手に出来て良かったと思う.
タイトルに惹かれて購入しました.
帯には私小説と書かれています.
その辺りを選定基準にする程,作者に思い入れがある訳ではありませんでした.
構成としては,過去,現在の二つの視点から描かれている.
この辺りは,読み進めるうちにわかる事ですが過去ありきの現在である事を考えれば,
比較的安心して読めると言えます.
また,その辺りをマイナス要因とすることなく書かれている.
描かれている人々は,懐の深い人間が多いと感じる.
これを絵空事と考えるか,時代と考えるかは読み手に委ねられるのだろう.
私は,時代或は,視点の問題だと感じた.
私小説という謳いこれも含めて作者の力量ということなのだろう.
この本を手に出来て良かったと思う.
2011年11月25日に日本でレビュー済み
本作は、雑誌「文學界」に不定期連載されたシーナ氏の私小説。1998年に上梓された「黄金時代」の続編に当たる。
これまでの人生の中でクライマックスと呼べるような「一瞬」あるいは「時」があるとしたら、何時のことだったか? という問いに答えるシーナ氏の人生のクライマックスとは…
深夜の皿洗いのアルバイト、官能の女性イスズミとの出会い、「須藤組」での日雇い労働の日々、「紅屋金属」でのアルバイト、後に妻となる女性との出会いと続く、シーナ氏19〜22歳の体験。
そして、マゼラン海峡を南下しドレイク海峡まで行く「風の国」パタゴニアへの旅、過去最低気温マイナス 71度という、北東シベリア、ウスチネイラへの極寒の旅、江戸時代に遭難した千石船が漂着した、烈風の無人島アムチトカへの旅、楼蘭を目指すタクラマカン英雄遠征隊、といった旅の話を絡み合わせて、シーナ氏の人生のクライマックスを語る。
これまでの人生の中でクライマックスと呼べるような「一瞬」あるいは「時」があるとしたら、何時のことだったか? という問いに答えるシーナ氏の人生のクライマックスとは…
深夜の皿洗いのアルバイト、官能の女性イスズミとの出会い、「須藤組」での日雇い労働の日々、「紅屋金属」でのアルバイト、後に妻となる女性との出会いと続く、シーナ氏19〜22歳の体験。
そして、マゼラン海峡を南下しドレイク海峡まで行く「風の国」パタゴニアへの旅、過去最低気温マイナス 71度という、北東シベリア、ウスチネイラへの極寒の旅、江戸時代に遭難した千石船が漂着した、烈風の無人島アムチトカへの旅、楼蘭を目指すタクラマカン英雄遠征隊、といった旅の話を絡み合わせて、シーナ氏の人生のクライマックスを語る。