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ドイツ・ナショナリズム-「普遍」対「固有」の二千年史 (中公新書 2666) 新書 – 2021/10/18
今野 元
(著)
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アメリカの世界覇権が陰りを見せるなか、欧州で主導権を握り、存在感を増すドイツ。しかし英仏など周辺国からの反撥は根強い。そこには経済をはじめとする国力の強大化への警戒感だけでなく、放漫財政を指弾し、難民引き受けや環境保護を迫るなど、他国にも西欧的=「普遍」的価値観に照らして「正しい」ことを求めるドイツの姿勢がある。二千年にわたる歴史を繙き、ドイツはいかにしてドイツとなったのかをさぐる。
- 本の長さ336ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2021/10/18
- 寸法11 x 1.5 x 17.4 cm
- ISBN-104121026667
- ISBN-13978-4121026668
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商品の説明
著者について
今野元
愛知県立大学外国語学部教授。1973年(昭和48年)生まれ。ベルリン大学第一哲学部歴史学科修了。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。愛知県立大学専任講師、准教授を経て現職。専門は欧州国際政治史、ドイツ政治思想史、日本近現代史。著書に『マックス・ヴェーバー』『教皇ベネティクトゥス一六世』『多民族国家プロイセンの夢』『吉野作造と上杉慎吉』『フランス革命と神聖ローマ帝国の試煉』など。
愛知県立大学外国語学部教授。1973年(昭和48年)生まれ。ベルリン大学第一哲学部歴史学科修了。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。愛知県立大学専任講師、准教授を経て現職。専門は欧州国際政治史、ドイツ政治思想史、日本近現代史。著書に『マックス・ヴェーバー』『教皇ベネティクトゥス一六世』『多民族国家プロイセンの夢』『吉野作造と上杉慎吉』『フランス革命と神聖ローマ帝国の試煉』など。
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2021/10/18)
- 発売日 : 2021/10/18
- 言語 : 日本語
- 新書 : 336ページ
- ISBN-10 : 4121026667
- ISBN-13 : 978-4121026668
- 寸法 : 11 x 1.5 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 29,488位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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イメージ付きのレビュー
5 星
ドイツの歴史は、大ドイツ主義と小ドイツ主義とのせめぎあいである。
東西合邦後のドイツは、欧州中部にあってその経済力と人口から存在感を増し、現在の欧州をリードするの国家となっている。このことに対し警戒する向きも多い。本書のテーマは「ドイツ・ナショナリズム」である。しかしその主体たるドイツ人をどうとらえるかが大きな問題となる。つまり、ドイツ国の国民(Nation)としてのドイツ人とは、1871年にプロイセン王国をもとに統一されたドイツ帝国(Deutsches Reich)から現在のドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland)に至る、”国民国家ドイツ”の国民(Nation, を指している。一方、民族(Volk)としてのドイツ人とは国境を越えてオーストリア(エスタライヒ)、リヒテンシュタイン、スイス(シュヴァイツ)、イタリア領南チロル(ジュート・ティロル)、仏領アルザス・ロレーヌ(エルザス・ロートリンゲン)、ルクセンブルクに住み、また東欧各地にも広く分散しているドイツ系住民を指す。本書における「ナショナリズム」も、ドイツ連邦共和国などのドイツ人国家を対象とするものか、それとも国境を越えて各地に広がるドイツ民族を指すのかはっきりさせなければならない。どの時代にあってもドイツ人国家(Nation, Reich)とドイツ人(Volk)とは一致するものではない。本書におけるドイツ人とはVolkの方に近い捉え方ではないかと思われる。一方でフランス国家・フランス人をとらえる場合は非常に単純で「自由、平等、博愛」の精神のもと、その出自を問わず、フランスの法律を遵守し、公にフランス語を理解するものであれば、そのすべてがフランス人であり、フランスの法律でくくられ領域がフランス国(Nation)である。つまり、民族、国民、国家その3つの概念はほぼ一致し、Nationという一語で片付けることができる。一般に普遍的”近代国民国家”とはフランスの国家システムを仮想モデルとしているのであり、それから見るとドイツという国家はそれからは大きく逸脱している。このことを念頭に入れて本書あたる必要があるだろう(添付図参照)。多くの国民国家はドイツとフランスの中間に位置しているともいえよう。本書は時代区分により以下の4つの章から構成されている。第1章:発展→ローマ世界の辺境としてのゲルマニア、キリスト教守護者たる神聖ローマ帝国、三十年戦争を経たのちのプロテスタント・カトリックの共存、東方への植民活動、ドイツ連邦による緩い連合、といったドイツ国家・ドイツ人の基本的性格の形成と発展。第2章:抵抗→(時代はぐっと下るが)フランス革命の普遍的原則をもって建設された国民国家システムに後れをとったドイツにおいて、プロイセン王国主導での神聖ローマ皇帝ハプスブルク家のオーストリアを排除したドイツ帝国(Deutsches Reich)の建設。第一次大戦敗北後ワイマール共和制への移行。その行き詰まり。ナチズム台頭とポーランド侵攻による第二次大戦突入、オーストリア・チェコ併合とホロコースト。そして敗戦。第3章:萎縮→第二次世界大戦に敗れたあとの東部領土の大幅な喪失。旧東部領土と東欧諸国からのドイツ人の追放。そして冷戦の落とし子である西ドイツ(Bundesrepublik Deutschland)と東ドイツ(Deutsche Demokratische Republik"DDR")のドイツ人国家の並立。西ドイツの奇跡の復興と経済成長。第4章:再生→ポスト冷戦での西ドイツ(ドイツ連邦共和国) の東ドイツの吸収による統一。その後のヨーロッパの覇権国家への道。以上、時代ごとにその領域と統治システムを変えできたドイツ。そのナショナリズムとは”大ドイツ主義と小ドイツ主義とのせめぎあい”ではなかったろうか。旧西ドイツ(ドイツ連邦共和国)は、戦後高度成長を遂げ経済大国となったが、「小さな中央政府(ボン)」と「徹底した地方分権主義」を基本とした”理想的連邦国家”であった。東ドイツを吸収した現ドイツ連邦共和国は、統治システム的は旧西ドイツの連邦制を因襲しているが、東に偏った大都市ベルリンに首都機能の多くを移管し、その経済力とともに東方に拡大したEUにおいてのプレゼンスを高めている。もちろん国境の拡大・変更ははあり得ないが、欧州における経済的・地政学的な覇権を大ドイツ主義の復活とみるべきなのだろうか?フランス人のエマニュエル・トッドがドイツを異様に警戒するのは、ドイツ人とフランス人という民族の根本的違いからくる生理的違和感、過去の歴史での苦い経験、欧州の盟主を自負してきた中央主権国家フランスとは正反対の国家システムのドイツがすべての面でフランスを凌駕してきたことに対する焦燥感、その地政学的位置と経済力から来る東欧地域への強い影響力から「ドイツが再び大ドイツ主義に舵を切るのでは?」との懸念。その結果、ヨーロッパにおけるフランスのプレゼンスが西の辺境に追いやられるのではないかとの脅迫観念のあらわれではないだろうか?フランスにとっては、ドイツがフランスモデルのような中央集権国家として強大になることはことは脅威であり、むしろ現在のように分県国家であり続けることが望ましいのである。著者は、オーストリアやイタリア領南チロル(伊語名アルト・アディジェ)、フランス領アルザス・ロレーヌ、ルクセンブルク(仏語名リュクサンブール)などのドイツ系住民についても留意しており、本書がドイツ連邦共和国といいう現在のドイツ国家の国民についてだけのナショナリズムを述べているのではないことを示している。
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2023年2月28日に日本でレビュー済み
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レーニンの母がドイツ人亡命プロテスタントだったから、僕はまだしもレーニンを信用している。あのヨーロッパ出自の人々は宗教と政治にぶんまわされて世界に拡散した。そのごちゃごちゃが今のヨーロッパだ。ところがいまや華僑ばかりか露僑だとか印僑だとか、日僑だとか、越僑だとか、歴史を書くのも大変だ。JJ・ルソーはかつて「記憶がなければ我々は自身を延長することができない(エミール)」と言った。ぼくの父は新義州生まれで、日中戦争末期に中国大陸で経理将校をやっていた。そして自分は国際人だと称し、この国に地震保険を導入した。アダム・スミスを熟読した甲斐があったらしい。それが戦争を起こした世代に対する彼の復讐だった。
2022年3月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、ドイツがまだドイツではなかった時代から、非常に丁寧に、かつ、非常に細かく現代のドイツへと繋がる歴史を描いた、優れた書物ではあると思います。
ただ、著者の現地語表記、原意語表記に対するこだわりは、事情をよく知っている学者の悪い側面がでており、「原理主義」とさえ呼べるようなものです。
「オーストリア」をドイツ語読みの「エステルライヒ」、「チェコ」をチェコ語読みの「チェキア」と呼ぶなど、現地語読みによる表記にこだわっています。
ただ、今さら、「エステルライヒ」とか、「チェキア」と言ったところで、大半の人は何のことだか分からず、混乱がもたらされるだけでしょう。
このようなことを言い出したら、「イギリス」などという国はなく、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と呼ばなければならず、「スペイン」は「エスパニョール王国」と呼ばなければならないでしょう。
さらに、当の「ドイツ」ですら、「ドイチェラント連邦共和国」になってしまいます。
また、著者は、'United Nations' は、第二次世界大戦の戦勝国である「連合国」であり、その憲章にも、まだ敵国条項が残っているので、「国際連合」ではなく、「連合国」と呼ぶべきと述べています。
確かに、「連合国」51カ国が「国際連合」の原加盟国であることは間違いないのですが、その後、かつての枢軸国や中立国、さらには戦後独立した新興国までも加盟している状況で、「連合国」と呼ぶのは明らかに変です。
敵国条項のことは、それを削除する方向に進めるべきであって、敵国条項があるから「連合国」だと言うのも、明らかに変です(敵国条項の削除については、採決はされているものの、批准されていないので、まだ残っています)。
このように、著者の現地語表記、原意語表記に関する主張は分からないわけではありませんが、すでに一般に通用しているものまで変えようとするのは、原理・原則を守ろうとするあまりの、「原理主義」と言えなくもありません。
ただ、著者の現地語表記、原意語表記に対するこだわりは、事情をよく知っている学者の悪い側面がでており、「原理主義」とさえ呼べるようなものです。
「オーストリア」をドイツ語読みの「エステルライヒ」、「チェコ」をチェコ語読みの「チェキア」と呼ぶなど、現地語読みによる表記にこだわっています。
ただ、今さら、「エステルライヒ」とか、「チェキア」と言ったところで、大半の人は何のことだか分からず、混乱がもたらされるだけでしょう。
このようなことを言い出したら、「イギリス」などという国はなく、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と呼ばなければならず、「スペイン」は「エスパニョール王国」と呼ばなければならないでしょう。
さらに、当の「ドイツ」ですら、「ドイチェラント連邦共和国」になってしまいます。
また、著者は、'United Nations' は、第二次世界大戦の戦勝国である「連合国」であり、その憲章にも、まだ敵国条項が残っているので、「国際連合」ではなく、「連合国」と呼ぶべきと述べています。
確かに、「連合国」51カ国が「国際連合」の原加盟国であることは間違いないのですが、その後、かつての枢軸国や中立国、さらには戦後独立した新興国までも加盟している状況で、「連合国」と呼ぶのは明らかに変です。
敵国条項のことは、それを削除する方向に進めるべきであって、敵国条項があるから「連合国」だと言うのも、明らかに変です(敵国条項の削除については、採決はされているものの、批准されていないので、まだ残っています)。
このように、著者の現地語表記、原意語表記に関する主張は分からないわけではありませんが、すでに一般に通用しているものまで変えようとするのは、原理・原則を守ろうとするあまりの、「原理主義」と言えなくもありません。
2021年10月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
過去半世紀の日本におけるドイツ史研究は、ナチズムという絶対悪の歴史とその後の国家再建の歴史という短い期間におけるドイツ国内史を主な対象としたダイナミックな歴史観を欠いた極めて狭い視点に立脚していた。本書において2000年に渉るドイツ史が他国の歴史との相対化とグローバルな連関性の観点からレビューされている。ドイツ全史が4つの時代に区分され、各時代区分のレビューを通して西欧の「普遍」的価値とドイツ特有の「固有」的価値が析出され、如何様にドイツが固有の殻を脱ぎ捨て普遍的価値を身に付けたかが明らかにされることでEUを牽引するとともに米国、中国、ロシアと対等に渡り合う国力を持つに至ったドイツの歴史の根幹が浮き彫りにされている。本書はドイツ史全体を忌憚なく相対化する比較政治史且つ政治思想史の力作である。そして、ドイツの歴史が大胆に解剖されているため読者は最後まで緊張感を持って読み進めることができる作品である。
ドイツの重要な歴史は、神聖ローマ帝国時代のドイツの存在、フランス革命後のナポレオン改革の挫折、ヴァイマール共和国の崩壊、第二次世界大戦後のドイツの戦争責任の取り方、そしてドイツ固有の殻を脱皮し西欧の普遍的価値観を纏ってEUの旗手に上り詰めた歴史だと思う。
神聖ローマ帝国時代(962年~1806年)のドイツは、皇帝輩出国として西欧キリスト教世界における普遍性的価値のシンボル的存在に過ぎなかった。1871年のドイツ統一までドイツは多数の領邦からなるドイツ固有の領邦連邦制国家であり続けた。フランス革命の果実(自由・平等・人権等)のドイツへの移植(ナポレオン改革)はメッテルニヒ主導のウイーン会議で無に帰し、また第一次世界大戦の反省も踏まえて成立したヴァイマール共和国の理念(基本的人権・社会権・議会制民主主義等)はNSDAP(国家社会主義ドイツ労働党)により反故にされる等普遍的価値の貴重な受容機会を喪失したまま第二次世界大戦へ突入した。第二次大戦敗北後「自由」を掲げる普遍的権威たる米国の影響下に入り、東西ドイツ冷戦とユダヤ人虐殺の責任問題への対処というドイツ固有の難題に直面するものの、懸命に順応した結果今日の普遍的価値の優等生に成長した。優等生への成長の裏には、遅れてきたドイツを普遍的価値の劣等生として非情なまでに蔑みながら普遍的価値への同質化を一寸の妥協の余地なく執拗に迫った米国、英国、フランスの存在があったことを筆者は指摘している。更に、ドイツ国民の結集により得られた普遍的価値観が米国等先輩格国家のレベルを凌駕したという事実は、普遍的価値観と固有的価値観の激しい「相克」が後者の価値観の高度化として結実した結果であると筆者は分析されている。
現在のドイツの普遍的価値観が如何に盤石なものであるかを占う意味からも、同国が推進している環境保護、原発ゼロ、難民受入れ、同性婚の合法化、財政規律の厳格化等々左派的要素も含むドイツの新たな価値観が今後EUや米国等の西欧型自由民主主義諸国で普遍的価値観として如何に浸透していくかそして揺り戻しはあるのかどうか注目していきたい。
ユダヤ人虐殺の責任問題に関しては、本書でドイツ人識者たちの様々な見解が披露されている。ヤスパースの場合:罪責はドイツ人全員が受け入れるべきだ。リッターの場合:フランス革命で唱導された人民主権論や革命独裁が指導者民主主義を標榜したナチス政権の起源だ。マイネッケの場合:貴族的色彩を帯びたドイツ帝国の全ドイツ主義運動はヒトラーのNSDAPの前段階だった等々。尚、2020年第12代大統領シュタインマイヤーはそれまでの大統領の在責発言を覆し、「ユダヤ6百万人の大量殺人という人間の歴史で最悪の犯罪は『我が国の人々』によってなされた」とした。ドイツ国内論争は、ホロコーストの責任はドイツ国民負担との国家的認識に落ち着いたものと理解している。
ドイツの重要な歴史は、神聖ローマ帝国時代のドイツの存在、フランス革命後のナポレオン改革の挫折、ヴァイマール共和国の崩壊、第二次世界大戦後のドイツの戦争責任の取り方、そしてドイツ固有の殻を脱皮し西欧の普遍的価値観を纏ってEUの旗手に上り詰めた歴史だと思う。
神聖ローマ帝国時代(962年~1806年)のドイツは、皇帝輩出国として西欧キリスト教世界における普遍性的価値のシンボル的存在に過ぎなかった。1871年のドイツ統一までドイツは多数の領邦からなるドイツ固有の領邦連邦制国家であり続けた。フランス革命の果実(自由・平等・人権等)のドイツへの移植(ナポレオン改革)はメッテルニヒ主導のウイーン会議で無に帰し、また第一次世界大戦の反省も踏まえて成立したヴァイマール共和国の理念(基本的人権・社会権・議会制民主主義等)はNSDAP(国家社会主義ドイツ労働党)により反故にされる等普遍的価値の貴重な受容機会を喪失したまま第二次世界大戦へ突入した。第二次大戦敗北後「自由」を掲げる普遍的権威たる米国の影響下に入り、東西ドイツ冷戦とユダヤ人虐殺の責任問題への対処というドイツ固有の難題に直面するものの、懸命に順応した結果今日の普遍的価値の優等生に成長した。優等生への成長の裏には、遅れてきたドイツを普遍的価値の劣等生として非情なまでに蔑みながら普遍的価値への同質化を一寸の妥協の余地なく執拗に迫った米国、英国、フランスの存在があったことを筆者は指摘している。更に、ドイツ国民の結集により得られた普遍的価値観が米国等先輩格国家のレベルを凌駕したという事実は、普遍的価値観と固有的価値観の激しい「相克」が後者の価値観の高度化として結実した結果であると筆者は分析されている。
現在のドイツの普遍的価値観が如何に盤石なものであるかを占う意味からも、同国が推進している環境保護、原発ゼロ、難民受入れ、同性婚の合法化、財政規律の厳格化等々左派的要素も含むドイツの新たな価値観が今後EUや米国等の西欧型自由民主主義諸国で普遍的価値観として如何に浸透していくかそして揺り戻しはあるのかどうか注目していきたい。
ユダヤ人虐殺の責任問題に関しては、本書でドイツ人識者たちの様々な見解が披露されている。ヤスパースの場合:罪責はドイツ人全員が受け入れるべきだ。リッターの場合:フランス革命で唱導された人民主権論や革命独裁が指導者民主主義を標榜したナチス政権の起源だ。マイネッケの場合:貴族的色彩を帯びたドイツ帝国の全ドイツ主義運動はヒトラーのNSDAPの前段階だった等々。尚、2020年第12代大統領シュタインマイヤーはそれまでの大統領の在責発言を覆し、「ユダヤ6百万人の大量殺人という人間の歴史で最悪の犯罪は『我が国の人々』によってなされた」とした。ドイツ国内論争は、ホロコーストの責任はドイツ国民負担との国家的認識に落ち着いたものと理解している。
2021年11月3日に日本でレビュー済み
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2000年にわたるドイツの歴史を、「普遍」と「固有」をキーワードにして四つの時期に分けて論じる。
第一章は「発展」と題され、対象となるのが9~1789年。同章の副題にあるとおり、「ローマ=ゲルマン世界の「普遍」支配」の時期である。
第二章は「抵抗」と題し、1789年~1945年が対象。西欧「普遍」の攻勢を受けて、ドイツの「固有」が自己主張された時期である。
第三章は「萎縮」と題し、1945年~1990年が対象。壊滅的な敗戦を受けて、ドイツの「固有」を自ら否定する時期である。
第四章は「再生」と題し、1990年~2021年現在が対象。再統一を経た後、西欧「普遍」を牽引する立場を引き受けつつ、足元ではドイツの「固有」への回帰も見せる時期である。
本文は300ページを超え、各文章の情報量も極めて多い。そのため、決して最初から最後まで読みやすいというわけでもなく、また「普遍」と「固有」が混在するような場面もあるために、途中で議論を見失いそうになることもある。平板ではない歴史を、出来る限り整合的に描こうとした労作であり、読者も苦労を共有しながら読む必要があるということだろう。
第一章は「発展」と題され、対象となるのが9~1789年。同章の副題にあるとおり、「ローマ=ゲルマン世界の「普遍」支配」の時期である。
第二章は「抵抗」と題し、1789年~1945年が対象。西欧「普遍」の攻勢を受けて、ドイツの「固有」が自己主張された時期である。
第三章は「萎縮」と題し、1945年~1990年が対象。壊滅的な敗戦を受けて、ドイツの「固有」を自ら否定する時期である。
第四章は「再生」と題し、1990年~2021年現在が対象。再統一を経た後、西欧「普遍」を牽引する立場を引き受けつつ、足元ではドイツの「固有」への回帰も見せる時期である。
本文は300ページを超え、各文章の情報量も極めて多い。そのため、決して最初から最後まで読みやすいというわけでもなく、また「普遍」と「固有」が混在するような場面もあるために、途中で議論を見失いそうになることもある。平板ではない歴史を、出来る限り整合的に描こうとした労作であり、読者も苦労を共有しながら読む必要があるということだろう。
2024年3月15日に日本でレビュー済み
世界史を学んでこなかったので学びかえしで色々読んでます。最近ようやく第一次世界大戦あたりまで様々、拾い読みしました。
クセジュ文庫の第一次世界大戦は戦線の全体像が記述されてましたが、戦争開始理由は参戦各国で様々だった、という印象でした。関連本として、本書をとりまし。前書きの国名と政党名表記は、ん?、と思いましたがドイツの学会呼称に合わせるとあるのでなるほどと思いました。本自体はビスマルクあたりから読み始めましたが第二次世界大戦のはじまりまで読んで呼称問題に強い違和感を感じてます。著者はヒトラー率いるナチスの所業のマイナスイメージを緩和したいのか?と。この人は第二次世界大戦での日本の評価をどのように考えているのだろうと疑問が湧いてきました。
このような事を思ったのは、直前に、クラウス・コルドンのベルリン三部作を読んだからかもしれません。ナチスの呼称についてドイツ学会ではなく、現代のフツーのドイツ人は普通はどのように呼んでいるのでしょうか?それとも学問的に語る時という限定でしょうか?
なお、マックス・ウェーバーの政治的な立ち位置は、妻も含め分かりやすく述べられており、成程と思いました。ただ、このあたりでもドイツ民衆の戦争やナチスへの受け止め方が述べられていましたが、具体的な事例がないのはなぜか?と思います。
ドイツについては同じ中公新書の物語ドイツの歴史(阿部謹也)を並行して読んでいるので今後、併せてレビューできたらと考えます。
クセジュ文庫の第一次世界大戦は戦線の全体像が記述されてましたが、戦争開始理由は参戦各国で様々だった、という印象でした。関連本として、本書をとりまし。前書きの国名と政党名表記は、ん?、と思いましたがドイツの学会呼称に合わせるとあるのでなるほどと思いました。本自体はビスマルクあたりから読み始めましたが第二次世界大戦のはじまりまで読んで呼称問題に強い違和感を感じてます。著者はヒトラー率いるナチスの所業のマイナスイメージを緩和したいのか?と。この人は第二次世界大戦での日本の評価をどのように考えているのだろうと疑問が湧いてきました。
このような事を思ったのは、直前に、クラウス・コルドンのベルリン三部作を読んだからかもしれません。ナチスの呼称についてドイツ学会ではなく、現代のフツーのドイツ人は普通はどのように呼んでいるのでしょうか?それとも学問的に語る時という限定でしょうか?
なお、マックス・ウェーバーの政治的な立ち位置は、妻も含め分かりやすく述べられており、成程と思いました。ただ、このあたりでもドイツ民衆の戦争やナチスへの受け止め方が述べられていましたが、具体的な事例がないのはなぜか?と思います。
ドイツについては同じ中公新書の物語ドイツの歴史(阿部謹也)を並行して読んでいるので今後、併せてレビューできたらと考えます。