宗教を知らなければ、混迷する世界情勢は読み解けません。
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『プロテスタンティズム/宗教改革から現代政治まで』
は、一気に読めます。
新書の中には、何度も冒頭に戻らなければ読み続けられない
難解なものもありますが、この本に関しては、
そんなことは一切ありません。
サクサク、インストールできちゃいます。
読み終えても、
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一家に一冊、「常備」ですね。
「自分のデフォルトに、宗教が欠けているかも」という方には、
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プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで (中公新書 2423) 新書 – 2017/3/21
深井 智朗
(著)
2017年でルターの宗教改革から500周年を迎えた。カトリックとの長きにわたる戦争などを経たプロテスタンティズムは、新大陸アメリカへと広まっていった。そして、その過程でさまざまな思想を内包し、現代の政治などにも強い影響を及ぼしている。本書は、ナショナリズム、保守主義、リベラリズムなど多面的な顔を持つプロテスタンティズムの実像を歴史的背景とともに解説し、その内実を明らかにするものである。
- 本の長さ221ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2017/3/21
- ISBN-104121024230
- ISBN-13978-4121024237
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2017/3/21)
- 発売日 : 2017/3/21
- 言語 : 日本語
- 新書 : 221ページ
- ISBN-10 : 4121024230
- ISBN-13 : 978-4121024237
- Amazon 売れ筋ランキング: - 35,587位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年7月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
常々、なぜユダヤの土地で生まれたキリスト教がユダヤ教と別れ当時の欧州各国の人々に受け入れられたのかが、よく理解出来ました。
読み応えのある内容です。
読み応えのある内容です。
2017年10月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
わかりやすく論理的かつコンパクト。得るものが多く、かつ現代の状況にダイレクトに影響しているので、本書で得たことをどう活かすかが肝心と感じた。
著者は古プロテスタンティズム(ルター派等)に「保守主義」の源流をみる。また、新プロテスタンティズム(バプテスト派等)を「リベラリズム」の源流とする。
そして、それらは宗教という特定セクターのみではなく、現代でも社会の基層となって政治や生活のあらゆる場面で息づいているのであり、前者の典型を現代ドイツ社会に、後者の典型をアメリカ社会にみる。
ちょっと冷静に考えれば、これが目から鱗かつ驚天動地のことだと思い当るだろう。
人々は己の理性や論理的思考に基づいて、保守主義やリベラリズムといった態度を選択しているのではなく、(宗教を基層とした)文化的アイデンティティに則って、言い替えれば生まれ育った環境から「自然と」選択するのだと言っているのである。
保守主義は思想というよりはある種の傾向・態度のことだから、文化的アイデンティティと直結するのはある程度わかるとしても、
リベラリズムは、カントやヘーゲルらによって打ち立てられた近代哲学、人間理性の概念に基づいた人間中心主義をプリンシプル(第一の原理)として尊重する態度であって、言い換えれば、それがどんなに当たり前となり一般化しても、あくまでも哲学的思考の帰結として選択するべき態度であると、少なくとも外形的には思える。
しかし、著者によれば、新プロテスタンティズムは一つの政治的支配領域(領主の領土)に1つの宗教しか許されなかった、統治権力と一体化したカトリックやルター派から独立し自由な信教を得ることを求めて声を上げた人々の運動から起こったもので、宗教的情熱から始まって文化的同一性や政治的態度へと浸透していったものだというのである。
これは恐るべきことを言っているように思える。
人間は、結局論理的・理性的な言説を理解することによって正義を選び取るのではなく、宗教的(無宗教が支配的な日本では文化的)同一性によって、自らの態度を決めるのだということであり、ある意味、人間理性・論理的思考の敗北を言っているのである。
この結論をどう受け止めるのかは、その人それぞれであろうが、インパクトが大きいことは事実であろう。
かつてのマルクス主義のように論理とユートピア性をもったドクトリンでないと、二度と再び、社会を根底から変えるようなパラダイムシフトは起き得ないのかもしれない。
それをどう捉えるべきか。短時間で読めるのに大いに考えさせられる本。
著者は古プロテスタンティズム(ルター派等)に「保守主義」の源流をみる。また、新プロテスタンティズム(バプテスト派等)を「リベラリズム」の源流とする。
そして、それらは宗教という特定セクターのみではなく、現代でも社会の基層となって政治や生活のあらゆる場面で息づいているのであり、前者の典型を現代ドイツ社会に、後者の典型をアメリカ社会にみる。
ちょっと冷静に考えれば、これが目から鱗かつ驚天動地のことだと思い当るだろう。
人々は己の理性や論理的思考に基づいて、保守主義やリベラリズムといった態度を選択しているのではなく、(宗教を基層とした)文化的アイデンティティに則って、言い替えれば生まれ育った環境から「自然と」選択するのだと言っているのである。
保守主義は思想というよりはある種の傾向・態度のことだから、文化的アイデンティティと直結するのはある程度わかるとしても、
リベラリズムは、カントやヘーゲルらによって打ち立てられた近代哲学、人間理性の概念に基づいた人間中心主義をプリンシプル(第一の原理)として尊重する態度であって、言い換えれば、それがどんなに当たり前となり一般化しても、あくまでも哲学的思考の帰結として選択するべき態度であると、少なくとも外形的には思える。
しかし、著者によれば、新プロテスタンティズムは一つの政治的支配領域(領主の領土)に1つの宗教しか許されなかった、統治権力と一体化したカトリックやルター派から独立し自由な信教を得ることを求めて声を上げた人々の運動から起こったもので、宗教的情熱から始まって文化的同一性や政治的態度へと浸透していったものだというのである。
これは恐るべきことを言っているように思える。
人間は、結局論理的・理性的な言説を理解することによって正義を選び取るのではなく、宗教的(無宗教が支配的な日本では文化的)同一性によって、自らの態度を決めるのだということであり、ある意味、人間理性・論理的思考の敗北を言っているのである。
この結論をどう受け止めるのかは、その人それぞれであろうが、インパクトが大きいことは事実であろう。
かつてのマルクス主義のように論理とユートピア性をもったドクトリンでないと、二度と再び、社会を根底から変えるようなパラダイムシフトは起き得ないのかもしれない。
それをどう捉えるべきか。短時間で読めるのに大いに考えさせられる本。
2019年2月19日に日本でレビュー済み
まず、文章がいい。文体があり、ストーリーテラーとしての著者の面目躍如たるものがあり、堅い内容ながら、あっという間に読み切ってしまう。この手の著作としては出色のできである。
ルターの宗教改革が決してカトリックの教会体制を破壊することが目的でなかったことは、今や教科書でも語られていて、特段の目新しさはないが、この宗教改革が、焚刑に伏せられたフスの時代と異なって、神聖ローマ帝国という、ローマとドイツが反目する時代にあったこと、カトリック教会の贖宥状に対するルターの告発が発明されたばかりの印刷術によって瞬く間にドイツ全土に行き渡ったこと、教会の権威がひとりローマ大司教にあり、ラテン語で司られる教会のまつりごとが、市民に全く理解できなかったところへルターがドイツ語訳の聖書を出版し、キリストの教えに庶民が接することができるようになったことが、タイミング上の相乗効果をなして宗教改革が成功したことがごく自然に理解できる。しかし、一方でこの改革でルターが主張した「全信徒の祭司性(万人祭司)」の主張は、ルターの意図を逸脱し、庶民は聖書を自由に解釈するようになった。教会はその権威を失墜すると共に、キリスト教徒であった庶民はカトリックの拘束を逃れて新たな教会を建設するようになる。
「領主に縛られず、幼児洗礼を否定する」ことによって、生まれながらのキリスト教徒という考え方は崩壊する。これを著者は「洗礼主義」と呼び、「新プロテスタンティズム」として、これこそが本質的な宗教改革であり、信教の自由の芽生えがあり、近代思想の夜明けであると位置付ける……と、ここまでは実に説得力があり、論理も明快である。しかし、著者はなぜかこの信教の自由と自由経済を区別することなく、郵政や鉄道の民営化を是認する根拠にする。もとよりインフラの民営化というのは、為政者の施政義務の放棄であり、サボタージュである。それが信教の自由にすり替えられる。そして、米国のグランウンドデザインを「成功した者こそが神の祝福を受けた者」であるというユダヤの教えをそのまま引用する。「ベラーはこのアメリカの神の大祭司が大統領なのだという。それゆえにアメリカの大統領にはそのような宗教性が常に求められている。」という引用の中に見る「神の大祭司が大統領」とは、すなわち大祭司を神の代理人=王としたユダヤ教そのものであり、これは宗教ではなく、単なる掟=法に過ぎない。早い話が、ルターが生命を賭して闘った宗教上の闘いが、宗教改革を経て、その改革の改革すなわち新プロテスタンティズムに結集し、更に年月を経たのちに到達した結果が、何と!キリスト教以前のヤダヤ教にブーメランのように戻ってきたという。
おそらく著者自身予測していない結論に至っていることに、驚かされるのである。
ルターの宗教改革が決してカトリックの教会体制を破壊することが目的でなかったことは、今や教科書でも語られていて、特段の目新しさはないが、この宗教改革が、焚刑に伏せられたフスの時代と異なって、神聖ローマ帝国という、ローマとドイツが反目する時代にあったこと、カトリック教会の贖宥状に対するルターの告発が発明されたばかりの印刷術によって瞬く間にドイツ全土に行き渡ったこと、教会の権威がひとりローマ大司教にあり、ラテン語で司られる教会のまつりごとが、市民に全く理解できなかったところへルターがドイツ語訳の聖書を出版し、キリストの教えに庶民が接することができるようになったことが、タイミング上の相乗効果をなして宗教改革が成功したことがごく自然に理解できる。しかし、一方でこの改革でルターが主張した「全信徒の祭司性(万人祭司)」の主張は、ルターの意図を逸脱し、庶民は聖書を自由に解釈するようになった。教会はその権威を失墜すると共に、キリスト教徒であった庶民はカトリックの拘束を逃れて新たな教会を建設するようになる。
「領主に縛られず、幼児洗礼を否定する」ことによって、生まれながらのキリスト教徒という考え方は崩壊する。これを著者は「洗礼主義」と呼び、「新プロテスタンティズム」として、これこそが本質的な宗教改革であり、信教の自由の芽生えがあり、近代思想の夜明けであると位置付ける……と、ここまでは実に説得力があり、論理も明快である。しかし、著者はなぜかこの信教の自由と自由経済を区別することなく、郵政や鉄道の民営化を是認する根拠にする。もとよりインフラの民営化というのは、為政者の施政義務の放棄であり、サボタージュである。それが信教の自由にすり替えられる。そして、米国のグランウンドデザインを「成功した者こそが神の祝福を受けた者」であるというユダヤの教えをそのまま引用する。「ベラーはこのアメリカの神の大祭司が大統領なのだという。それゆえにアメリカの大統領にはそのような宗教性が常に求められている。」という引用の中に見る「神の大祭司が大統領」とは、すなわち大祭司を神の代理人=王としたユダヤ教そのものであり、これは宗教ではなく、単なる掟=法に過ぎない。早い話が、ルターが生命を賭して闘った宗教上の闘いが、宗教改革を経て、その改革の改革すなわち新プロテスタンティズムに結集し、更に年月を経たのちに到達した結果が、何と!キリスト教以前のヤダヤ教にブーメランのように戻ってきたという。
おそらく著者自身予測していない結論に至っていることに、驚かされるのである。
2018年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本ではキリスト教にあまり馴染みがないので, 宗教改革によってカトリックからプロテスタントがわかれて, この2つが存在するというイメージだろう. 実際にはプロテスタントのくくりの中には様々な諸派が含まれており, 考え方が異なる点が多い.
本書ではプロテスタンティズムの歴史と, 主に古プロテスタンティズム・新プロテスタンティズムがドイツ・アメリカの社会構造にどのように影響を与えているか, ということを簡潔に説明している.
日本では宗教としてのプロテスタントとの関わりはそれほどないことが多いと思われる. しかし社会構造においてはプロテスタンティズムの影響を大きく受けていることから, プロテスタンティズムについて知ることは社会構造を考える上では重要であると思われ, そういった時の最良の入門書のうちの1冊であろう.
本書ではプロテスタンティズムの歴史と, 主に古プロテスタンティズム・新プロテスタンティズムがドイツ・アメリカの社会構造にどのように影響を与えているか, ということを簡潔に説明している.
日本では宗教としてのプロテスタントとの関わりはそれほどないことが多いと思われる. しかし社会構造においてはプロテスタンティズムの影響を大きく受けていることから, プロテスタンティズムについて知ることは社会構造を考える上では重要であると思われ, そういった時の最良の入門書のうちの1冊であろう.
2017年4月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
トランプ、安倍政権。そして、宗教団体。どこを見ても、自分たちの排他的正統性を訴える権力集団ばかり。ところが、著者はこう述べています。
「どのようにすれば、異なった宗派や分裂してしまった宗教が争うことなく共存できるのかという問題と取り組んできたこと、これこそがプロテスタンティズムの歴史であり、現代社会における貢献ではないだろうか」(p.206)。ただし、プロテスタント教会自身が、まず、そこに立ち戻らなくてはならないでしょう。
日本のプロテスタントのある教団のなかにも大きな分裂と争いがあります。いや、排除と弾圧があります。著者はそれを意識しているのでしょうか。ぼくには、それへの、建設的かつやや婉曲的批判に読めました。
ところで、本書では、ナチスに対するルター派の姿勢や、移民が増えた現代ドイツにおける教会回帰にまで言及するなど、ルターと政治支配者たち、ドイツ・ナショナリズムへのルターの利用などをも、かなり深く展開しています。これへの評価はぼくにはできませんが、ルター学者などの感想を待ちたいところです。
ただし、ルター派もそこに含まれる「古プロテスタンティズムは政治的支配領域の住人すべてを天国へと連れていく団体なのに対して、新プロテスタンティズムは選ばれた宗教的エリートだけの団体なのである」(p.119)とありますが、「住人すべてを天国へと連れていく」というところは、ラディカルな文脈で捉え直すことができるように思いました。
ここで言う「古プロテスタンティズム」とはルター派のように「一つの政治の支配単位には一つの宗教という政治的支配者主導の改革の伝統を受け継ぎ、国営の教会あるいは国家と一体となったプロテスタンティズム」(p.111)であり、「新プロテスタンティズム」とは「そのような宗教改革の伝統から追われ、国家との関係を回避し、自由な教会を自発的結社として作り上げたプロテスタンティズム」(p.112)を指しています。
国家から自由な教会であるはずの新プロテスタンティズムは「自発的結社」なのですが、「結社」ゆえに排他的エリート主義にも陥りがちでしょう。そして、また、エリートという回路を通して、支配者層と結びつきやすいでしょう。
そのようなエリートだけが救われるとする神学と、かつての政治的支配領域とは離れて、「住人皆が天国に行く」つまりそれを深化させて「すべての人が救われる」とする神学と、どちらが非排他的つまり包括的なのかは、一考の価値があると思います。
「どのようにすれば、異なった宗派や分裂してしまった宗教が争うことなく共存できるのかという問題と取り組んできたこと、これこそがプロテスタンティズムの歴史であり、現代社会における貢献ではないだろうか」(p.206)。ただし、プロテスタント教会自身が、まず、そこに立ち戻らなくてはならないでしょう。
日本のプロテスタントのある教団のなかにも大きな分裂と争いがあります。いや、排除と弾圧があります。著者はそれを意識しているのでしょうか。ぼくには、それへの、建設的かつやや婉曲的批判に読めました。
ところで、本書では、ナチスに対するルター派の姿勢や、移民が増えた現代ドイツにおける教会回帰にまで言及するなど、ルターと政治支配者たち、ドイツ・ナショナリズムへのルターの利用などをも、かなり深く展開しています。これへの評価はぼくにはできませんが、ルター学者などの感想を待ちたいところです。
ただし、ルター派もそこに含まれる「古プロテスタンティズムは政治的支配領域の住人すべてを天国へと連れていく団体なのに対して、新プロテスタンティズムは選ばれた宗教的エリートだけの団体なのである」(p.119)とありますが、「住人すべてを天国へと連れていく」というところは、ラディカルな文脈で捉え直すことができるように思いました。
ここで言う「古プロテスタンティズム」とはルター派のように「一つの政治の支配単位には一つの宗教という政治的支配者主導の改革の伝統を受け継ぎ、国営の教会あるいは国家と一体となったプロテスタンティズム」(p.111)であり、「新プロテスタンティズム」とは「そのような宗教改革の伝統から追われ、国家との関係を回避し、自由な教会を自発的結社として作り上げたプロテスタンティズム」(p.112)を指しています。
国家から自由な教会であるはずの新プロテスタンティズムは「自発的結社」なのですが、「結社」ゆえに排他的エリート主義にも陥りがちでしょう。そして、また、エリートという回路を通して、支配者層と結びつきやすいでしょう。
そのようなエリートだけが救われるとする神学と、かつての政治的支配領域とは離れて、「住人皆が天国に行く」つまりそれを深化させて「すべての人が救われる」とする神学と、どちらが非排他的つまり包括的なのかは、一考の価値があると思います。
2017年12月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
カトリックとプロテスタントという単語は知っていましたが、両者の違いなどについてはよく知りませんでした。この本を読んでその点についてとってもよくわかりました。
2018年11月15日に日本でレビュー済み
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分かりやすかった、背景がわかった、歴史は生きている。
クリスチャンではあるが、こう言う視点で勉強する機会がなかった。
キリスト教は固定化された古い宗教ではなく、今の時代にも人間のために神がイエスを遣わされた生きた教えである。
頑なな人間集団がその時代ごとに歪めて歴史を作っていたことがよくわかる。
クリスチャンではあるが、こう言う視点で勉強する機会がなかった。
キリスト教は固定化された古い宗教ではなく、今の時代にも人間のために神がイエスを遣わされた生きた教えである。
頑なな人間集団がその時代ごとに歪めて歴史を作っていたことがよくわかる。