アベノミクスの第一の矢、日銀政策のこれまでを振り返る一冊です。
1997年の日銀法改正から、中央銀行と政権の関わりについて丹念に論じられています。
97年の法改正で独立性を担保された日銀が、その後いかにして政治に従属するようになっていったのか。
この一冊でだいたい把握できるのは評価できるポイントです。
ただ良い本なんですけど、筆者はアベノミクスやリフレーション政策に批判的な立場を取っているので、その分は割り引いて読まないといけませんね。
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日本銀行と政治-金融政策決定の軌跡 (中公新書 2287) 新書 – 2014/10/24
上川 龍之進
(著)
- 本の長さ312ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2014/10/24
- ISBN-104121022874
- ISBN-13978-4121022875
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2014/10/24)
- 発売日 : 2014/10/24
- 言語 : 日本語
- 新書 : 312ページ
- ISBN-10 : 4121022874
- ISBN-13 : 978-4121022875
- Amazon 売れ筋ランキング: - 181,991位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 893位中公新書
- - 10,683位投資・金融・会社経営 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年3月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2014年11月23日に日本でレビュー済み
1997年の日銀法改正から、現在の黒田総裁体制(但し、こちらはまだ現在進行形なので論評は少なめ)
までを振り返った一冊。
(本当は「ニクソン・ショック」から論ずる予定だったが、500p越えになってしまうため、日銀法改正からの
記述にしたと)
日銀独立が却って(改正前は良くも悪くも旧大蔵省が前に立っていたが、改正後はそれが無くなったので
自らが政府や国会と対峙しなければいけなくなった)、政治に翻弄される中央銀行になってしまった…と。
・政府の圧力により、望まない方向転換を強いられた速水、白川総裁時代
・政府の先手を打って日銀の地位と評判を高めた福井総裁時代
・(法改正以後、初めて)政府と日銀の関係が相思相愛になった黒田総裁時代
それぞれの金融政策の変遷を、豊富な資料を元にして分かりやすくまとめられています。
「失われた20年」における日銀の責任はあるのかないのか?あるとしたらどこまでか?
そして何よりも、政府に責任は無かったのか?あるとしたらどこまでなのか?を知る良書です。
までを振り返った一冊。
(本当は「ニクソン・ショック」から論ずる予定だったが、500p越えになってしまうため、日銀法改正からの
記述にしたと)
日銀独立が却って(改正前は良くも悪くも旧大蔵省が前に立っていたが、改正後はそれが無くなったので
自らが政府や国会と対峙しなければいけなくなった)、政治に翻弄される中央銀行になってしまった…と。
・政府の圧力により、望まない方向転換を強いられた速水、白川総裁時代
・政府の先手を打って日銀の地位と評判を高めた福井総裁時代
・(法改正以後、初めて)政府と日銀の関係が相思相愛になった黒田総裁時代
それぞれの金融政策の変遷を、豊富な資料を元にして分かりやすくまとめられています。
「失われた20年」における日銀の責任はあるのかないのか?あるとしたらどこまでか?
そして何よりも、政府に責任は無かったのか?あるとしたらどこまでなのか?を知る良書です。
2016年7月3日に日本でレビュー済み
1998年日銀法改正以降の日銀と政治の関係を概観する本です。
報道や書籍から当時の日銀と政治の動きを丹念に追っており、
これ一冊で日銀の政治的な動きはだいたい把握できそうなのが良い点。
小泉元総理が金融政策に対して無定見だったくだりや
内閣に総裁の任命責任が発生し始めたことなどは興味深く読めました。
最後には年表や審議委員のリストなんかも付いています。
ただ、いかんせんリフレ政策は失敗/日銀の考えが正しいという前提で書かれているのがかなり残念です。
指摘されてる問題点はリフレ本をちゃんと読んでれば簡単に反論できそうなものが少なくありません。
いちいち細かく挙げることはしませんが一点だけ。サブプライム問題の原因を金融緩和のみに求めるのは違うでしょう。
金融緩和によって住宅バブルが発生したのは事実かもしれませんが、あの問題がこじれたのは
複雑な金融工学によって過剰なリスクを取ってしまっていたからであって、これは規制の問題です。
どうも著者が法学出身の政治学者だからなのか、経済学的な裏づけは弱そうに感じられます。
参考文献リストを見ても、コアなリフレ派(例えば岩田規久男現日銀副総裁とか)の本が少ない気がするのですが
細かいところまでリフレ派の議論を把握できているのか、疑問を感じました。
個人的にリフレ派の議論は財政軽視について疑問を持っており、
アベノミクスが失敗だとしたら金融緩和の矢しか飛んでないことが原因だと思っていますが
金融緩和については一定の成功を収めたと考えています。
これがダメだと言うならどうすれば良かったんだ?と思ってしまいます。
制度的に中央銀行が独立しているべきというのは判るのですが、金融政策は国の経済を動かす重要政策なわけです。
それこそ三権分立のように互いを監視するような体制にすべきではないかと思うのですが、
一方的に日銀側だけに裁量を与えるかのような書き方はどうなんでしょう。
政治家は選挙で落とせますが、日銀にも何かしらの形で責任を持たせる仕組みが必要なんじゃないですかね。
報道や書籍から当時の日銀と政治の動きを丹念に追っており、
これ一冊で日銀の政治的な動きはだいたい把握できそうなのが良い点。
小泉元総理が金融政策に対して無定見だったくだりや
内閣に総裁の任命責任が発生し始めたことなどは興味深く読めました。
最後には年表や審議委員のリストなんかも付いています。
ただ、いかんせんリフレ政策は失敗/日銀の考えが正しいという前提で書かれているのがかなり残念です。
指摘されてる問題点はリフレ本をちゃんと読んでれば簡単に反論できそうなものが少なくありません。
いちいち細かく挙げることはしませんが一点だけ。サブプライム問題の原因を金融緩和のみに求めるのは違うでしょう。
金融緩和によって住宅バブルが発生したのは事実かもしれませんが、あの問題がこじれたのは
複雑な金融工学によって過剰なリスクを取ってしまっていたからであって、これは規制の問題です。
どうも著者が法学出身の政治学者だからなのか、経済学的な裏づけは弱そうに感じられます。
参考文献リストを見ても、コアなリフレ派(例えば岩田規久男現日銀副総裁とか)の本が少ない気がするのですが
細かいところまでリフレ派の議論を把握できているのか、疑問を感じました。
個人的にリフレ派の議論は財政軽視について疑問を持っており、
アベノミクスが失敗だとしたら金融緩和の矢しか飛んでないことが原因だと思っていますが
金融緩和については一定の成功を収めたと考えています。
これがダメだと言うならどうすれば良かったんだ?と思ってしまいます。
制度的に中央銀行が独立しているべきというのは判るのですが、金融政策は国の経済を動かす重要政策なわけです。
それこそ三権分立のように互いを監視するような体制にすべきではないかと思うのですが、
一方的に日銀側だけに裁量を与えるかのような書き方はどうなんでしょう。
政治家は選挙で落とせますが、日銀にも何かしらの形で責任を持たせる仕組みが必要なんじゃないですかね。
2015年1月16日に日本でレビュー済み
1. 新日銀法施行以来、次々と導入されていったいわゆる非伝統的金融緩和手法について、その具体的内容、日銀が意図した狙いと理論づけ、政治的背景や政策委員会内部での温度差等について、網羅的、精緻かつ公正にまとめてあり、この間の金融政策を振り返る上で貴重な案内書である。
2. これらの手法の実際の効果は未だに定かではないが、要は海外投資家を中心とする市場参加者が、(著者はそこまで言っていないが評者がその心中を推量すると、「浅薄かつワンパターンな」)尺度で評価し、その結果、政策の内容についての十分な吟味の無いまま為替や株価が動き、短期的には経済を動かしているという分析は、「よくぞ言ってくれた」と感ずる。
3. この結果、世界中でバブルを起こすような金融緩和とその帰結としてのバブル、必然的結果としてのバブル崩壊と不況、また金融緩和という悪循環が繰り返されるようになった、という指摘も全く同感である。これが市場経済原則の必然だとするなら、何か考えなければなるまい。
4. アベノミクスの現状については未だ進行中なので筆が抑えられているが、終章の末尾にある米内光政の「ジリ貧を避けんとしてドカ貧にならぬよう」との言の引用に著者の本心が込められていると思う。
5. 貴重な名著である。
2. これらの手法の実際の効果は未だに定かではないが、要は海外投資家を中心とする市場参加者が、(著者はそこまで言っていないが評者がその心中を推量すると、「浅薄かつワンパターンな」)尺度で評価し、その結果、政策の内容についての十分な吟味の無いまま為替や株価が動き、短期的には経済を動かしているという分析は、「よくぞ言ってくれた」と感ずる。
3. この結果、世界中でバブルを起こすような金融緩和とその帰結としてのバブル、必然的結果としてのバブル崩壊と不況、また金融緩和という悪循環が繰り返されるようになった、という指摘も全く同感である。これが市場経済原則の必然だとするなら、何か考えなければなるまい。
4. アベノミクスの現状については未だ進行中なので筆が抑えられているが、終章の末尾にある米内光政の「ジリ貧を避けんとしてドカ貧にならぬよう」との言の引用に著者の本心が込められていると思う。
5. 貴重な名著である。
2018年4月14日に日本でレビュー済み
新法制定前後からの政治面での動きが良くまとまっている。強いて言えば、記述はおそらくメディア報道の積み重ねなので、独自取材とかでは無いように思った(とはいえ、ここまでしっかりと(外部から報道で分かる範囲であっても)積み上げた書籍は少ないと思うので、高く評価したい)。
より最近でた評判の良い類書もあるので、比較してみたいところ。
より最近でた評判の良い類書もあるので、比較してみたいところ。
2016年10月11日に日本でレビュー済み
アベノミクスや日銀の大規模緩和が始まって以降、
日銀の金融政策や決定会合、政権の関与の内容が第三者的な目で公正に述べられる。
アベノミクスが始まる前、「日銀の緩和が諸外国に比べてすくない」と高橋洋一らが示したグラフが、捏造まがいだと明らかにした功績は大きい。
じり貧どころじゃない日本のいまの状態を安部総理と黒田総裁、
リフレ派の取り巻きたちはどう責任をとるつもりだろうか。
日銀の金融政策や決定会合、政権の関与の内容が第三者的な目で公正に述べられる。
アベノミクスが始まる前、「日銀の緩和が諸外国に比べてすくない」と高橋洋一らが示したグラフが、捏造まがいだと明らかにした功績は大きい。
じり貧どころじゃない日本のいまの状態を安部総理と黒田総裁、
リフレ派の取り巻きたちはどう責任をとるつもりだろうか。
2015年1月18日に日本でレビュー済み
1997年からの金融政策がストーリーのある流れとして把握できます。
ゼロ金利、量的緩和、インフレターゲット等の新しい政策が、どのような背景で、どのように検討・決定されたのか、丁寧に書かれています。
良質のドキュメントを読んでいるようです。
年表や写真等も理解を助けます。
驚いたのは、リーマンショック後、日銀の金融政策が不十分であるという論拠に使われていた各国中央銀行のバランスシート拡大の規模の推移のグラフが、基準年の取り方を変えるだけで、全く違ったものに見えてくる、という点でした。
表題から受ける印象とは違い、ビジネスマンとして新聞等の金融関係の論点が良く理解できるようになりました。
(282)
ゼロ金利、量的緩和、インフレターゲット等の新しい政策が、どのような背景で、どのように検討・決定されたのか、丁寧に書かれています。
良質のドキュメントを読んでいるようです。
年表や写真等も理解を助けます。
驚いたのは、リーマンショック後、日銀の金融政策が不十分であるという論拠に使われていた各国中央銀行のバランスシート拡大の規模の推移のグラフが、基準年の取り方を変えるだけで、全く違ったものに見えてくる、という点でした。
表題から受ける印象とは違い、ビジネスマンとして新聞等の金融関係の論点が良く理解できるようになりました。
(282)
2015年5月30日に日本でレビュー済み
本書は90年代後半以降の日銀を巡る報道・書籍の内容を時系列順に整然とまとめ、そこに多少の著者なりの分析を交えたものです。ただし、本書に政治学者ならではの考察を期待して読むと、少し退屈かもしれません。というのも、本書は日銀の行動原理・主体性を専ら政策論の当否といった次元において語るからです。曰くバブルが怖いから仕方ない、不良債権問題があるから意味がない、他にやるべき大事な改革があるだろう、等々です。
しかし、たとえば元日銀マンの白川浩道が書いた『孤独な日銀』は、p37で短資会社が日銀OBから歴代社長を多数迎え入れる有力天下り先だと指摘しています。そして短資会社が金利から鞘を取り営業していることを踏まえると、日銀がデフレ下のゼロ金利解除・利上げを急ぐ事情や、本書p168の”社会主義的市場”という表現の逆説性(短資会社は”超低金利”下で整理統合が進み7社あったものが3社になりました)も見えてくるはずです。本書p138ではCPI改訂に伴い、デフレ下で量的緩和解除・ゼロ金利解除が判明したことへの日銀幹部の「意外な数字」というコメントを紹介していますが、日銀職員がCPIのラスパイレスバイアス(計測開始から時間が経過するほど統計上の物価が実際の物価よりも高めに出る問題)を知らないはずがなく、むしろ翌月に迫ったCPI改訂を見据えて利上げを急いだとの見方も浮上します。
また、本書の参考文献である中原伸之元審議委員の回想録『日銀は誰のものか』のp133には政策決定会合の途中経過が報道機関にリークされた疑惑が記され、その刊行後もNHKが数度に渡り公表前の決定内容を速報で事前リークする重大問題が発覚していますが、本書にはそれらの記述が全く見当たりません。本書がそれを”地均し”という単なる政策手法として一纏めに表現しているとすれば、政治的鈍感の誹りは免れないでしょう。
というのも、新日銀法が誕生し、さらに新法下の最初の総裁が”プリンス”福井俊彦でなく日銀内部からも手厳しい評を受ける速水優になったのは、本書第1章冒頭にもあるように大蔵省・日銀の機密リーク目当ての接待スキャンダルのせいだからです。新日銀法施行後も旧法下の体質が温存されているのでは、何のための改革だったのかということになるでしょう。
加藤出『日銀、出口なし!』p112では「公定歩合関連の対外発言は嘘でも構わない」と公言して憚らなかったかつての日銀官僚の存在と、FRBの透明性を高める改革が対照的に記されています。仮にそうした日銀官僚の体質が新法下でも続いていたとすれば、政策委員会が執行部・日銀官僚の誘導により独立の意志決定権を事実上喪失し形骸化しているとの見方(各委員が会合で所説を述べ議論する時間はわずかなことが『孤独な日銀』で指摘されています)や、インフレ目標のような透明性の高い政策運営を嫌う日銀の体質、つまり不透明な裁量行政により関係機関・業者にインサイダー情報を内々に高く売りつけ、味方にする戦略を採用していたとの考察も可能なはずです。
事実、当のNHKや副総裁を輩出した時事通信、毎日新聞など大手マスコミにはデフレ親和的で日銀寄りの報道が目立ちました。個人的に記憶にあるのは、OECDの対日経済審査報告がインフレ目標を提言した時にそれを一斉に黙殺し、提言内でその後に続く消費増税のみを報道したことでしょうか。インフレ目標は透明性の文脈で語られることも多い政策ですが、本書はそこに関わる重要概念の時間的非整合性を序章(p14)で取り上げながらも、インフレ目標がそこから生じたアイデアだという説明もなく、大手マスコミに似た白川体制までの日銀に寄り添う姿勢が垣間見えてしまいます。インフレ目標は政治介入によるインフレバイアスだけでなく、円高志向の速水日銀や本書p137で筆者が推測する福井日銀の面従腹背(これはネット公開されている中澤正彦・吉川浩史『デフレ下の金融政策:量的緩和政策の検証』で明快に検証されています)がもたらすデフレバイアスを除去することにも有効なのです。
政治が世論等から様々な影響・圧力を受ける以上、日銀も対抗上政官財学金融マスコミ等各界へ主体的に働きかけそこから利益を得るはずです。本書にも一応それらを示唆する引用が少々ありますが具体性に乏しく、作中の日銀は専ら政治や経済情勢に翻弄されやり過ごすばかりの存在に見えます。いくら何でもそれは空想的でしょうし、記者クラブを通じた情報統制・便宜供与が、我が国の不透明な行政体質として一般に指摘されることを見ても現実と一致しません。
本書の問題はそうした政治経済学的考察の弱さ以外にも多数ありますが(他のレビューにもあるp181の対名目GDP比のグラフは、マネタリーベースを現金と準備預金に分けたり、80年代までタイムスパンを広げると、かえって日本の長期デフレや無策を痛感するグラフになります)、そうした日銀を中心に過去展開された円高等への金融政策無効説、金融政策以外の○○悪玉説、長期金利上昇というインフレ目標の”副作用”説等が日時組織名個人名を付した上でまとまっていることもあり、逆に言うと現在までの金融指標の変化という一種の”社会実験”を経た上で検証するのに便利だとも言えます。
現在2014年後半から15年前半までの円相場は、過去30年為替レートの壁とされてきた1973年基準の企業物価ベースの購買力平価を大きく突破する安値です。これはもちろんリーマンショック前より安い水準ですから欧米の危機収束をその原因とすることはできませんし、経常黒字の減少で説明しようにも2011年以降の黒字減少局面で円安が進んだことも特になく、最近は原油安の進行で貿易黒字が復活したのに円高に転ずることもありません。黒田緩和による円安進行と白川体制以前の無為無策は明らかで、政界が圧力を掛けたのも結果的に当然であり、本書の問題意識も「日銀がなぜ追い詰められ”なかった”のか」とする方が自然かもしれません。
また著者は不良債権問題を重視する立場のようですが、岩田現副総裁が2002年2月27日に国会公聴会で予想した通り、所謂いざなみ景気による設備投資増は銀行貸出減少と(不良債権処理による特殊要因を考慮してさえ)並行して進み、ついに景気拡大前より貸出額を上回ることがなかったことがわかっており、また元日銀マンが設立した日本振興銀行や東京都の肝煎りで設立された新銀行東京の失敗を見ても、”金融の目詰り”を理由とした金融緩和無効論は、金融緩和を通じたインフレ期待の醸成、実質金利低下や円安効果を無視した偏頗な見解だったと言えそうです。
バブルの原因がFRBの見通しの甘さだという指摘もありますが、FRB流の"FEDビュー"と対照的なバブル警戒的"BISビュー"で運営されるECBもまた、深刻なバブル崩壊を生じさせたことを無視しているように思えます(ユーロ圏はアメリカと違い最適通貨圏ではないとの指摘も一理ありますが、アメリカの住宅バブル崩壊も人口増加の多い特定の州に集中しています)。むしろ政策金利の操作という物価・景気・雇用など資産価格以外の多様な経済指標に影響を与える政策手段に対し、過度の役割を負わせることで構造的な欠陥が生じたと言えそうです。ミクロな資源配分が政府の仕事だとすれば、かつての総量規制や地価税などピンポイントな資産価格対策を任せつつ、日銀はよりマクロな物価や景気を重視した運営に務めるという協業が望ましいはずです。そもそも人口減少が続き、危機前の欧米のような不動産価格上昇も久しく経験していない日本で、バブル警戒を理由に金融緩和をサボタージュする合理性がどの程度あったのかという疑念もあります。
以上長々と続いてしまいましたが、本書には他にもP162の原油高でインフレになったのに景気回復しなかった等の首を傾げる記述(実際は食品やエネルギーを除く物価指標を政策目標にせよとの議論が一般的)が多く、枚挙に暇がありませんが最後に要望を2点だけ。
まず新書というメディアは広く一般の読者を想定しており、その理解の補助線として機能するように適宜前後1-2年の経済指標を図表にまとめ掲載すべきでしょう。部分的非不胎化介入(ちなみに部分的であったことは2006年刊の野口旭の著作で指摘済み)のような妙にマニアックな論点で図表を活用するだけでは読者の見通しは悪いままでしょう。せめて失業率やコールレートの推移はグラフ化して、重要な局面ごとに掲載すべきではないでしょうか。あと一つの要望はもちろん長々と述べた通り、日銀に対する踏み込みの甘さをせめてあと少し克服してほしいということです。
最初に書いたように本書は時系列的推移を整然とまとめている点では★3.5個ぐらいの評価が与えられそうですが、政治経済学的考察と政策論の両面の甘さからそれぞれ★1個減点、他方で妙に辛いレビューがあるので★0.5個おまけして★2個というのが個人的な評価となります。本書読了後は参考文献の中原伸之氏、藤井良弘氏らの著作も是非どうぞ。
しかし、たとえば元日銀マンの白川浩道が書いた『孤独な日銀』は、p37で短資会社が日銀OBから歴代社長を多数迎え入れる有力天下り先だと指摘しています。そして短資会社が金利から鞘を取り営業していることを踏まえると、日銀がデフレ下のゼロ金利解除・利上げを急ぐ事情や、本書p168の”社会主義的市場”という表現の逆説性(短資会社は”超低金利”下で整理統合が進み7社あったものが3社になりました)も見えてくるはずです。本書p138ではCPI改訂に伴い、デフレ下で量的緩和解除・ゼロ金利解除が判明したことへの日銀幹部の「意外な数字」というコメントを紹介していますが、日銀職員がCPIのラスパイレスバイアス(計測開始から時間が経過するほど統計上の物価が実際の物価よりも高めに出る問題)を知らないはずがなく、むしろ翌月に迫ったCPI改訂を見据えて利上げを急いだとの見方も浮上します。
また、本書の参考文献である中原伸之元審議委員の回想録『日銀は誰のものか』のp133には政策決定会合の途中経過が報道機関にリークされた疑惑が記され、その刊行後もNHKが数度に渡り公表前の決定内容を速報で事前リークする重大問題が発覚していますが、本書にはそれらの記述が全く見当たりません。本書がそれを”地均し”という単なる政策手法として一纏めに表現しているとすれば、政治的鈍感の誹りは免れないでしょう。
というのも、新日銀法が誕生し、さらに新法下の最初の総裁が”プリンス”福井俊彦でなく日銀内部からも手厳しい評を受ける速水優になったのは、本書第1章冒頭にもあるように大蔵省・日銀の機密リーク目当ての接待スキャンダルのせいだからです。新日銀法施行後も旧法下の体質が温存されているのでは、何のための改革だったのかということになるでしょう。
加藤出『日銀、出口なし!』p112では「公定歩合関連の対外発言は嘘でも構わない」と公言して憚らなかったかつての日銀官僚の存在と、FRBの透明性を高める改革が対照的に記されています。仮にそうした日銀官僚の体質が新法下でも続いていたとすれば、政策委員会が執行部・日銀官僚の誘導により独立の意志決定権を事実上喪失し形骸化しているとの見方(各委員が会合で所説を述べ議論する時間はわずかなことが『孤独な日銀』で指摘されています)や、インフレ目標のような透明性の高い政策運営を嫌う日銀の体質、つまり不透明な裁量行政により関係機関・業者にインサイダー情報を内々に高く売りつけ、味方にする戦略を採用していたとの考察も可能なはずです。
事実、当のNHKや副総裁を輩出した時事通信、毎日新聞など大手マスコミにはデフレ親和的で日銀寄りの報道が目立ちました。個人的に記憶にあるのは、OECDの対日経済審査報告がインフレ目標を提言した時にそれを一斉に黙殺し、提言内でその後に続く消費増税のみを報道したことでしょうか。インフレ目標は透明性の文脈で語られることも多い政策ですが、本書はそこに関わる重要概念の時間的非整合性を序章(p14)で取り上げながらも、インフレ目標がそこから生じたアイデアだという説明もなく、大手マスコミに似た白川体制までの日銀に寄り添う姿勢が垣間見えてしまいます。インフレ目標は政治介入によるインフレバイアスだけでなく、円高志向の速水日銀や本書p137で筆者が推測する福井日銀の面従腹背(これはネット公開されている中澤正彦・吉川浩史『デフレ下の金融政策:量的緩和政策の検証』で明快に検証されています)がもたらすデフレバイアスを除去することにも有効なのです。
政治が世論等から様々な影響・圧力を受ける以上、日銀も対抗上政官財学金融マスコミ等各界へ主体的に働きかけそこから利益を得るはずです。本書にも一応それらを示唆する引用が少々ありますが具体性に乏しく、作中の日銀は専ら政治や経済情勢に翻弄されやり過ごすばかりの存在に見えます。いくら何でもそれは空想的でしょうし、記者クラブを通じた情報統制・便宜供与が、我が国の不透明な行政体質として一般に指摘されることを見ても現実と一致しません。
本書の問題はそうした政治経済学的考察の弱さ以外にも多数ありますが(他のレビューにもあるp181の対名目GDP比のグラフは、マネタリーベースを現金と準備預金に分けたり、80年代までタイムスパンを広げると、かえって日本の長期デフレや無策を痛感するグラフになります)、そうした日銀を中心に過去展開された円高等への金融政策無効説、金融政策以外の○○悪玉説、長期金利上昇というインフレ目標の”副作用”説等が日時組織名個人名を付した上でまとまっていることもあり、逆に言うと現在までの金融指標の変化という一種の”社会実験”を経た上で検証するのに便利だとも言えます。
現在2014年後半から15年前半までの円相場は、過去30年為替レートの壁とされてきた1973年基準の企業物価ベースの購買力平価を大きく突破する安値です。これはもちろんリーマンショック前より安い水準ですから欧米の危機収束をその原因とすることはできませんし、経常黒字の減少で説明しようにも2011年以降の黒字減少局面で円安が進んだことも特になく、最近は原油安の進行で貿易黒字が復活したのに円高に転ずることもありません。黒田緩和による円安進行と白川体制以前の無為無策は明らかで、政界が圧力を掛けたのも結果的に当然であり、本書の問題意識も「日銀がなぜ追い詰められ”なかった”のか」とする方が自然かもしれません。
また著者は不良債権問題を重視する立場のようですが、岩田現副総裁が2002年2月27日に国会公聴会で予想した通り、所謂いざなみ景気による設備投資増は銀行貸出減少と(不良債権処理による特殊要因を考慮してさえ)並行して進み、ついに景気拡大前より貸出額を上回ることがなかったことがわかっており、また元日銀マンが設立した日本振興銀行や東京都の肝煎りで設立された新銀行東京の失敗を見ても、”金融の目詰り”を理由とした金融緩和無効論は、金融緩和を通じたインフレ期待の醸成、実質金利低下や円安効果を無視した偏頗な見解だったと言えそうです。
バブルの原因がFRBの見通しの甘さだという指摘もありますが、FRB流の"FEDビュー"と対照的なバブル警戒的"BISビュー"で運営されるECBもまた、深刻なバブル崩壊を生じさせたことを無視しているように思えます(ユーロ圏はアメリカと違い最適通貨圏ではないとの指摘も一理ありますが、アメリカの住宅バブル崩壊も人口増加の多い特定の州に集中しています)。むしろ政策金利の操作という物価・景気・雇用など資産価格以外の多様な経済指標に影響を与える政策手段に対し、過度の役割を負わせることで構造的な欠陥が生じたと言えそうです。ミクロな資源配分が政府の仕事だとすれば、かつての総量規制や地価税などピンポイントな資産価格対策を任せつつ、日銀はよりマクロな物価や景気を重視した運営に務めるという協業が望ましいはずです。そもそも人口減少が続き、危機前の欧米のような不動産価格上昇も久しく経験していない日本で、バブル警戒を理由に金融緩和をサボタージュする合理性がどの程度あったのかという疑念もあります。
以上長々と続いてしまいましたが、本書には他にもP162の原油高でインフレになったのに景気回復しなかった等の首を傾げる記述(実際は食品やエネルギーを除く物価指標を政策目標にせよとの議論が一般的)が多く、枚挙に暇がありませんが最後に要望を2点だけ。
まず新書というメディアは広く一般の読者を想定しており、その理解の補助線として機能するように適宜前後1-2年の経済指標を図表にまとめ掲載すべきでしょう。部分的非不胎化介入(ちなみに部分的であったことは2006年刊の野口旭の著作で指摘済み)のような妙にマニアックな論点で図表を活用するだけでは読者の見通しは悪いままでしょう。せめて失業率やコールレートの推移はグラフ化して、重要な局面ごとに掲載すべきではないでしょうか。あと一つの要望はもちろん長々と述べた通り、日銀に対する踏み込みの甘さをせめてあと少し克服してほしいということです。
最初に書いたように本書は時系列的推移を整然とまとめている点では★3.5個ぐらいの評価が与えられそうですが、政治経済学的考察と政策論の両面の甘さからそれぞれ★1個減点、他方で妙に辛いレビューがあるので★0.5個おまけして★2個というのが個人的な評価となります。本書読了後は参考文献の中原伸之氏、藤井良弘氏らの著作も是非どうぞ。