プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
¥1,870¥1,870 税込
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
¥1,870¥1,870 税込
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
¥562¥562 税込
無料配送 6月8日-9日にお届け
発送元: 【マケプレお急ぎ便対応店舗】大安商店 販売者: 【マケプレお急ぎ便対応店舗】大安商店
¥562¥562 税込
無料配送 6月8日-9日にお届け
発送元: 【マケプレお急ぎ便対応店舗】大安商店
販売者: 【マケプレお急ぎ便対応店舗】大安商店
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
輿論と世論 (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 2008/9/25
佐藤 卓己
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,870","priceAmount":1870.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,870","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"GAmYnavej8qdJAlu%2Fca9YNUoq3RSqHbQLVvFnPCuE3%2FOMuy0%2FHtMc0uvootdWtYfLObmQVf0mr2xIStMRCZqtWcbWqtewdupaUIO9jZkAR5fR1x%2FM5B4HwkeRajKhPrX","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥562","priceAmount":562.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"562","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"GAmYnavej8qdJAlu%2Fca9YNUoq3RSqHbQyWjfnEhRl%2F%2FsJdkZ2k%2BV5mBBNDl36DbNft53qv7grjNVVJ9MWvOvE5zKpmvKwjbX7W%2FBi%2BnEWW7SGcGtzakl5Wd72pnVdavPBGhdllcQfEBedaWCZx0%2FyAPmN8CrTxX35IrnGKeV9r54y9Bvd%2Fi%2FKA%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
「世論に従って政治をすると間違う場合もある」(小泉純一郎)
......この世論はセロンか、ヨロンか?
《公的意見=輿論》と《世間の空気=世論》、
両者を改めて弁別し、戦後を検証しよう。
終戦記念日、安保闘争、東京オリンピック、全共闘、
角栄と日中関係、天皇制、小泉劇場など
エポックとなる出来事の報道と世論調査を分析し、
為政者とメディアの世論操作、さらに「輿論の世論化」がもたらす
日本の言説と政治のゆがみを喝破する。
気鋭のメディア学者による、スリリングな戦後批評。
......この世論はセロンか、ヨロンか?
《公的意見=輿論》と《世間の空気=世論》、
両者を改めて弁別し、戦後を検証しよう。
終戦記念日、安保闘争、東京オリンピック、全共闘、
角栄と日中関係、天皇制、小泉劇場など
エポックとなる出来事の報道と世論調査を分析し、
為政者とメディアの世論操作、さらに「輿論の世論化」がもたらす
日本の言説と政治のゆがみを喝破する。
気鋭のメディア学者による、スリリングな戦後批評。
- ISBN-104106036177
- ISBN-13978-4106036170
- 出版社新潮社
- 発売日2008/9/25
- 言語日本語
- 寸法12.8 x 2.2 x 19.1 cm
- 本の長さ350ページ
よく一緒に購入されている商品
対象商品: 輿論と世論 (新潮選書)
¥1,870¥1,870
最短で6月7日 金曜日のお届け予定です
残り7点(入荷予定あり)
¥1,078¥1,078
6月 7 - 8 日にお届け
残り1点 ご注文はお早めに
¥902¥902
6月 21 - 23 日にお届け
通常9~10日以内に発送します。
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
出版社からのコメント
「日本人の民意」ととらえられる「世論」が、
いかに恣意的に導かれ、取捨選択されてきたか。
「ヨロンとセロン」の本質を見直す契機としたい。
いまの日本に必要なのは、「空気」より「意見」、
セロンよりヨロンなのだ!
いかに恣意的に導かれ、取捨選択されてきたか。
「ヨロンとセロン」の本質を見直す契機としたい。
いまの日本に必要なのは、「空気」より「意見」、
セロンよりヨロンなのだ!
著者について
1960年生まれ。京都大学文学部卒業。京都大学博士(文学)。
東京大学助手、同志社大学助教授、国際日本文化研究センター助教授を経て京都大学大学院准教授。専攻はメディア史、大衆文化論。
著書は『「キング」の時代』(岩波書店、日本出版学会賞・サントリー学芸賞受賞)、『言論統制』(中公新書、吉田茂賞受賞)、
『八月十五日の神話』(ちくま新書)、『メディア社会』(岩波新書)、『テレビ的教養』(NTT出版)ほか。
東京大学助手、同志社大学助教授、国際日本文化研究センター助教授を経て京都大学大学院准教授。専攻はメディア史、大衆文化論。
著書は『「キング」の時代』(岩波書店、日本出版学会賞・サントリー学芸賞受賞)、『言論統制』(中公新書、吉田茂賞受賞)、
『八月十五日の神話』(ちくま新書)、『メディア社会』(岩波新書)、『テレビ的教養』(NTT出版)ほか。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2008/9/25)
- 発売日 : 2008/9/25
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 350ページ
- ISBN-10 : 4106036177
- ISBN-13 : 978-4106036170
- 寸法 : 12.8 x 2.2 x 19.1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 360,287位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 309位日本論
- - 3,688位社会一般関連書籍
- - 4,766位その他の思想・社会の本
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1960年、広島市生まれ。1984年 、京都大学文学部史学科卒業。1986年、同大学院修士課程修了。ミュンヘン大学近代史研究所留学後、1989年京都大学大学院博士課程単位取得退学。東京大学新聞研究所助手、同志社大学文学部助教授、国際日本文化研究センター助教授などを経て、現在は京都大学大学院教育学研究科教授。
『「キング」の時代―国民大衆雑誌の公共性』(岩波書店2002年)で第24回日本出版学会学会賞、第25回サントリー学芸賞を、『言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書2004年)で第34回吉田茂賞を、『ファシスト的公共性―総力戦体制のメディア学』(岩波書店2018年)で第72回毎日出版文化賞を受賞。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現代社会を大衆としてでなく市民として生きていたい方は読むべきです。とはいえリップマンは市民とか公衆という概念を否定しているので読めば市民になるというわけでもありません。しかしこの本を読むなどしてそうした努力をしなければ政治に対して批判的に考えることはできないでしょう。
2014年8月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
メディア史研究の大家である佐藤卓巳氏が輿論と世論について個々の事象を挙げながら詳しく叙述されています。移りかわりやすく、風に流されやすい民意、現代の我々と置き換えながら読むことで「輿論とは何か」「世論とは何か」「民意とは何か」を今一度考える契機になるはずです。
メディアについて研究されている(または研究したい)方には一読をオススメします。
メディアについて研究されている(または研究したい)方には一読をオススメします。
2009年1月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦前、いやごく最近まで「世論」は「せろん」と読み、否定的なニュアンスで用いられていた、という第一章の記述でまず目から鱗が落ちた。
本書は、戦前の戦時輿論指導(が、戦後の広告代理店に結びつく、という解説は非常に興味深い)から筆を起こして、戦後に当用漢字によって「輿論」の文字が消えて「世論」となり、民主主義の手段であるべき世論調査こそが、現在の政治の混乱と停滞をまねくに至ったしまった過程を、各時代の豊富な世論調査のデータを引用して描いている。
著者は繰り返し、公的意見の表明=輿論(よろん)と世間の空気・好悪の感情論=世論(せろん)を峻別せよと主張する。
「世間の空気に対して、たった一人でも公的な意見を叫ぶ勇気こそが大切」(P314)
私は、この著者の主張に真摯に耳を傾け、熟考しまた行動していきたい。一人の主権者として。
我が国の民主主義は、リップマンが『世論』で警鐘を鳴らした時代よりも、はるかに危機的な状況にある。本書は、もっと読まれるべき好著である。
本書は、戦前の戦時輿論指導(が、戦後の広告代理店に結びつく、という解説は非常に興味深い)から筆を起こして、戦後に当用漢字によって「輿論」の文字が消えて「世論」となり、民主主義の手段であるべき世論調査こそが、現在の政治の混乱と停滞をまねくに至ったしまった過程を、各時代の豊富な世論調査のデータを引用して描いている。
著者は繰り返し、公的意見の表明=輿論(よろん)と世間の空気・好悪の感情論=世論(せろん)を峻別せよと主張する。
「世間の空気に対して、たった一人でも公的な意見を叫ぶ勇気こそが大切」(P314)
私は、この著者の主張に真摯に耳を傾け、熟考しまた行動していきたい。一人の主権者として。
我が国の民主主義は、リップマンが『世論』で警鐘を鳴らした時代よりも、はるかに危機的な状況にある。本書は、もっと読まれるべき好著である。
2008年11月27日に日本でレビュー済み
本書は、タイトルにある「輿論」=public opinion、公的意見と「世論」=popular sentiments、民衆感情が明治時代以降使い分けられていた事実と、GHQによる日本占領期の漢字制限の方針によって「輿論」の表記が当用漢字の枠から外れたことでパブリック・オピニオンとポピュラー・センティメンツという意味・用法の全く異なる二つの概念が「世論」という漢字で表記された経緯と、その出来事が日本人に齎した影響について丹念に解き明かした著作。
この著作は記述形式上とても強い説得力をもっていて、それは、取り上げられる出来事の年月日と、関わった人々の人名、彼らの経歴、彼らが書き残したり、言い残したことばが漏れなく、纏まりよく収録されていることだ。こう書くとそれはごく当たり前のようにも思えるが、意外と本書のように上手く構成されている論述はそんなに多くない。その意味で、論文の記述の好例としても参考になる。
だが、そんな構成がなぜ可能になるのかを考えてみれば、それは全体として論旨が一貫しているからだと思う。本書を読んでいると、ここ数年でぼんやり考えていたことに対してはっきりと補助線が引かれていくのを確認できる。巷間で流布している「世論」ということば、それは中学校の公民で国民主権という憲法上の原則を機能させる力として学ぶ概念でもあり、新聞・テレビで定期的に調査されるものでもあり、読み方として「よろん」「せろん」という二通りの読みが許容される二字熟語でもあり、そのことばに触れるたびに雲をつかむような捉えようのなさを抱かせるものでもある。本書では、福沢諭吉「文明論之概略」が初出となる「世論」が軍人勅諭と同様に「世論に惑わず」といった、ともすれば人々を惑わせるような、一種の気分であり、感情的反応の発露と捉えられ、それはやがて総動員体制下で政府により宣伝・操作される対象になっていったこと、一方の「輿論」は、五箇条の御誓文で「万機公論に決すべし」といったときの「公論」に「公儀輿論」として含まれている言葉で、公の場において自らが担い、主張し、反論を受けてたち、再び主張していく際に責任を負う意見のことを言い、それはその意見を読み、聞く人たちの支持を仰ぐために広く伝えられるべきもので、言論の自由が積極的に適用されるべき対象としてあったことを具体例に即して指し示していく。
その「輿論/世論」関係に決定的な変容が訪れたのがGHQによる占領期で、その部分の記述が本書のハイライトになっていると思う。この時期に戦時総動員体制下の情報宣伝技術が軍事から民生向けにスピンオフされていき、その血脈が全国紙による世論調査に濃厚に継承されている事実に関する記述はスリリングで、目から鱗が落ちるし、この事実に立って現在の世論調査について、更にその世論調査に立って行われる政治の現状について考えてみると、それらの現象の奥にある本質が見えてくる。更にテレビメディアがポピュラー・センティメンツ、感情、気分、雰囲気を喚起するのに圧倒的な効力を発揮すること、アメリカの政治が日本のそれと明らかに異なるのはパブリック・オピニオン、公的意見、「輿論」をやりとりする伝統を保っている国と、パブリック・オピニオンとポピュラー・センティメンツが綯い交ぜになったままでことばと心がやりとりされている国の違いに起因していることなど、この著作から気づくことの出来ることは数多い。
意見を意見として話し、聞き、書き、読むことと、感情を感情として話し、聞き、書き、読むことの区別をつける能力は、今、総理大臣から中学生・小学生まで多くの人にとって必要なことなのだろう、と考えさせられる1冊。
この著作は記述形式上とても強い説得力をもっていて、それは、取り上げられる出来事の年月日と、関わった人々の人名、彼らの経歴、彼らが書き残したり、言い残したことばが漏れなく、纏まりよく収録されていることだ。こう書くとそれはごく当たり前のようにも思えるが、意外と本書のように上手く構成されている論述はそんなに多くない。その意味で、論文の記述の好例としても参考になる。
だが、そんな構成がなぜ可能になるのかを考えてみれば、それは全体として論旨が一貫しているからだと思う。本書を読んでいると、ここ数年でぼんやり考えていたことに対してはっきりと補助線が引かれていくのを確認できる。巷間で流布している「世論」ということば、それは中学校の公民で国民主権という憲法上の原則を機能させる力として学ぶ概念でもあり、新聞・テレビで定期的に調査されるものでもあり、読み方として「よろん」「せろん」という二通りの読みが許容される二字熟語でもあり、そのことばに触れるたびに雲をつかむような捉えようのなさを抱かせるものでもある。本書では、福沢諭吉「文明論之概略」が初出となる「世論」が軍人勅諭と同様に「世論に惑わず」といった、ともすれば人々を惑わせるような、一種の気分であり、感情的反応の発露と捉えられ、それはやがて総動員体制下で政府により宣伝・操作される対象になっていったこと、一方の「輿論」は、五箇条の御誓文で「万機公論に決すべし」といったときの「公論」に「公儀輿論」として含まれている言葉で、公の場において自らが担い、主張し、反論を受けてたち、再び主張していく際に責任を負う意見のことを言い、それはその意見を読み、聞く人たちの支持を仰ぐために広く伝えられるべきもので、言論の自由が積極的に適用されるべき対象としてあったことを具体例に即して指し示していく。
その「輿論/世論」関係に決定的な変容が訪れたのがGHQによる占領期で、その部分の記述が本書のハイライトになっていると思う。この時期に戦時総動員体制下の情報宣伝技術が軍事から民生向けにスピンオフされていき、その血脈が全国紙による世論調査に濃厚に継承されている事実に関する記述はスリリングで、目から鱗が落ちるし、この事実に立って現在の世論調査について、更にその世論調査に立って行われる政治の現状について考えてみると、それらの現象の奥にある本質が見えてくる。更にテレビメディアがポピュラー・センティメンツ、感情、気分、雰囲気を喚起するのに圧倒的な効力を発揮すること、アメリカの政治が日本のそれと明らかに異なるのはパブリック・オピニオン、公的意見、「輿論」をやりとりする伝統を保っている国と、パブリック・オピニオンとポピュラー・センティメンツが綯い交ぜになったままでことばと心がやりとりされている国の違いに起因していることなど、この著作から気づくことの出来ることは数多い。
意見を意見として話し、聞き、書き、読むことと、感情を感情として話し、聞き、書き、読むことの区別をつける能力は、今、総理大臣から中学生・小学生まで多くの人にとって必要なことなのだろう、と考えさせられる1冊。
2012年12月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
近年まで、世論は「世論:せろん」「輿論:よろん」とちゃんと使い分けられていたこ事、近年一本化して「世論:よろん」になって行った世相など、詳しく学べます。
2014年10月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読むのにかなり努力がいる難しい議論である。
著者は輿論”意見”と世論”気分”とを峻別しておられる。
古今東西の賢者もそのとおりであることを思い知らされる。
著者は輿論”意見”と世論”気分”とを峻別しておられる。
古今東西の賢者もそのとおりであることを思い知らされる。
2012年4月23日に日本でレビュー済み
本書を読んで、あらためて、お前の考えていることは、輿論 (public opinion) を構成しうるのか、単なる世論 (popular sentiments) なのかと問われれば答えに窮する自分がいることに思い至り、大変恥ずかしい思いをした。そうした気づきを厖大な資料を一つひとつ検証しながら説き起こしてくれたという意味では良書であった。一方で、開き直ってみると、では今の日本で、どこに輿論を見いだすことができるのだろうかという素朴な疑問が頭に残った。概念としての「輿論」は想像可能なのだが、これこそが輿論の形成過程だと言えるものを正直なところイメージできない。著者は言う。輿論を復権させるために、「感情の言説化」にひたすら努めることが必要、だと。政治家と同様、われわれも、言葉によるコミュニケーションの力を深化させていくことが不可欠ということには変わりはないのだろう。力作だけに、もう一歩具体的に踏み出した提言が欲しかった。別の機会での著者の発信に期待したい。
2009年7月22日に日本でレビュー済み
乱発する世論調査とそれに右往左往する政治家やマスコミが多いが、そうした政治家やマスコミにこそこの本は読んでいただきたい。
自分たちの基づいているものが輿論ではなく世論にすぎないということがわかるだろう。
もともと、輿論というのは「きちんと考えて得られたところの公的判断」であり、世論というのは「なんとなくの空気・気分」であった。
なので、輿論というのは今風にいえば「政治的主張」に近い。
そして、世論は世間に迎合して流されていくものだが、輿論はきちんとした判断であるため少数派になっても揺るがない。
しかし、戦後になって、「輿論」という語が常用漢字外のため使用できなくなり、「世論」にと置き換わったことから、段々と輿論が姿を消していく。
国民からは「きちんとした判断」である輿論は消え、大衆迎合の世論しか残らなくなった。
そのなれの果てが現代の乱発する世論調査であろう。
個人的には、筆者の言うほど漢字が輿論から世論になったことは、実際の日本人の判断には大きく影響は与えていないと思うが、国民の世論の移り変わりなど(東京オリンピック反対論なんて私はまったく知らなかった)は非常に面白かった。
また、世論調査を国民の2/3は「直感で答えている」というのも驚きだった。
マスメディアを考える上では必読とも言えそうな本である。
自分たちの基づいているものが輿論ではなく世論にすぎないということがわかるだろう。
もともと、輿論というのは「きちんと考えて得られたところの公的判断」であり、世論というのは「なんとなくの空気・気分」であった。
なので、輿論というのは今風にいえば「政治的主張」に近い。
そして、世論は世間に迎合して流されていくものだが、輿論はきちんとした判断であるため少数派になっても揺るがない。
しかし、戦後になって、「輿論」という語が常用漢字外のため使用できなくなり、「世論」にと置き換わったことから、段々と輿論が姿を消していく。
国民からは「きちんとした判断」である輿論は消え、大衆迎合の世論しか残らなくなった。
そのなれの果てが現代の乱発する世論調査であろう。
個人的には、筆者の言うほど漢字が輿論から世論になったことは、実際の日本人の判断には大きく影響は与えていないと思うが、国民の世論の移り変わりなど(東京オリンピック反対論なんて私はまったく知らなかった)は非常に面白かった。
また、世論調査を国民の2/3は「直感で答えている」というのも驚きだった。
マスメディアを考える上では必読とも言えそうな本である。