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僕は少年ゲリラ兵だった:陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊 単行本(ソフトカバー) – 2016/7/15
NHKスペシャル取材班
(著)
沖縄戦に埋もれていた衝撃の史実。
幼い少年たちをも最前線に送り出そうとした、
日本〈一億総特攻〉計画の全貌!
「敵を殺せ。10人殺したら死んでもよい」
14歳から17歳までの少年で極秘に編成され、沖縄で壮絶なゲリラ戦を
戦った「護郷隊」。陸軍中野学校は、来たる「本土決戦」に備え、
さらにこれを全国に推し進めようとしていた──。
その先にあったのは、子どもも含めた「国民総ゲリラ兵化」計画だった。
なぜ、本来守るべき子どもたちを、国は戦争に利用していったのか。
そして、戦場で少年たちは何を見たのか。
どのように傷つき、斃れたのか。
生き残った者たちは、なぜ沈黙し続けなければならなかったのか。
子供までも動員しようとした「本土決戦」計画の全貌を、
はじめて口を開いた元少年兵たちの証言と極秘資料から炙り出す!
第一章 護郷隊と陸軍中野学校
沖縄戦の知られざる本質
護郷隊のルーツを追う
日本軍初の遊撃部隊
中野学校が実践した遊撃戦
護郷隊を創設した陸軍士官
護郷隊長の素顔
なぜ少年たちを招集できたのか
「10人殺したら死んでよい」
第二章 心を壊されて~第一護郷隊の記録~
第一護郷隊の戦い
アメリカ軍が恐れた「GOKYOTAI」
家族にも語れなかった戦時中の体験
心を壊された少年
美しき島
真喜屋に育った少年
戦場で間近に見た「死」
ふるさとを焼いた護郷隊
自らが破壊したシマでの戦後
第三章 恩納岳の悲劇~第二護郷隊の記録~
第二護郷隊で戦った少年たち
「心」を変えられた訓練
少年からゲリラ兵へ
「命令だから……」
親友の死でも動かなかった心
「こんな子供を兵隊に呼ぶか」
心と体に傷を負う
招集「行き先は教えられない」
「生まれなかったと思ったらいい」
手榴弾を口にくわえた
激戦下の野戦病院
“妄動"取り残された少年
負傷兵を撃つ銃声を聞いた
封印された戦場、恩納岳
恩納岳で何があったのか?
遺族の戦後
70年後にようやく知らされた“真実"
軍医による射殺、その後――
護郷隊解散
少年兵たちの戦後
第四章 もう一つの特殊工作~久米島での極秘作戦~
沖縄の離島にも送られた中野工作員
離島工作の目的
「上原」の謎を追う
張り巡らされた工作員「上原」の素顔
仲間に語った「玉砕の言葉」
実行されなかった玉砕計画
突然の連行
戦後も隠し続けた工作員の立場
「虚仮の人生」
今も残る戦争の傷跡
第五章 沖縄から本土へ~本土決戦の全貌を説く~
もし、本土決戦が行われていたら
アメリカが考えていた「滅亡作戦」
日本が考えていた「決号作戦」
本土決戦におけるゲリラ戦術構想
ゲリラ戦マスターとしての陸軍中野学校
2800万人が招集の対象「国民義勇戦闘隊」
中野学校が指導した住民部隊
「一億総特攻」への道
中野学校出身者の追跡
「諜報活動から遊撃戦まで担った」
柔道五段の猛者
「情報将校」として受けた教育
中野学校が教えた「戦術」
幼い少年たちをも最前線に送り出そうとした、
日本〈一億総特攻〉計画の全貌!
「敵を殺せ。10人殺したら死んでもよい」
14歳から17歳までの少年で極秘に編成され、沖縄で壮絶なゲリラ戦を
戦った「護郷隊」。陸軍中野学校は、来たる「本土決戦」に備え、
さらにこれを全国に推し進めようとしていた──。
その先にあったのは、子どもも含めた「国民総ゲリラ兵化」計画だった。
なぜ、本来守るべき子どもたちを、国は戦争に利用していったのか。
そして、戦場で少年たちは何を見たのか。
どのように傷つき、斃れたのか。
生き残った者たちは、なぜ沈黙し続けなければならなかったのか。
子供までも動員しようとした「本土決戦」計画の全貌を、
はじめて口を開いた元少年兵たちの証言と極秘資料から炙り出す!
第一章 護郷隊と陸軍中野学校
沖縄戦の知られざる本質
護郷隊のルーツを追う
日本軍初の遊撃部隊
中野学校が実践した遊撃戦
護郷隊を創設した陸軍士官
護郷隊長の素顔
なぜ少年たちを招集できたのか
「10人殺したら死んでよい」
第二章 心を壊されて~第一護郷隊の記録~
第一護郷隊の戦い
アメリカ軍が恐れた「GOKYOTAI」
家族にも語れなかった戦時中の体験
心を壊された少年
美しき島
真喜屋に育った少年
戦場で間近に見た「死」
ふるさとを焼いた護郷隊
自らが破壊したシマでの戦後
第三章 恩納岳の悲劇~第二護郷隊の記録~
第二護郷隊で戦った少年たち
「心」を変えられた訓練
少年からゲリラ兵へ
「命令だから……」
親友の死でも動かなかった心
「こんな子供を兵隊に呼ぶか」
心と体に傷を負う
招集「行き先は教えられない」
「生まれなかったと思ったらいい」
手榴弾を口にくわえた
激戦下の野戦病院
“妄動"取り残された少年
負傷兵を撃つ銃声を聞いた
封印された戦場、恩納岳
恩納岳で何があったのか?
遺族の戦後
70年後にようやく知らされた“真実"
軍医による射殺、その後――
護郷隊解散
少年兵たちの戦後
第四章 もう一つの特殊工作~久米島での極秘作戦~
沖縄の離島にも送られた中野工作員
離島工作の目的
「上原」の謎を追う
張り巡らされた工作員「上原」の素顔
仲間に語った「玉砕の言葉」
実行されなかった玉砕計画
突然の連行
戦後も隠し続けた工作員の立場
「虚仮の人生」
今も残る戦争の傷跡
第五章 沖縄から本土へ~本土決戦の全貌を説く~
もし、本土決戦が行われていたら
アメリカが考えていた「滅亡作戦」
日本が考えていた「決号作戦」
本土決戦におけるゲリラ戦術構想
ゲリラ戦マスターとしての陸軍中野学校
2800万人が招集の対象「国民義勇戦闘隊」
中野学校が指導した住民部隊
「一億総特攻」への道
中野学校出身者の追跡
「諜報活動から遊撃戦まで担った」
柔道五段の猛者
「情報将校」として受けた教育
中野学校が教えた「戦術」
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2016/7/15
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- ISBN-104104056073
- ISBN-13978-4104056071
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2016/7/15)
- 発売日 : 2016/7/15
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 224ページ
- ISBN-10 : 4104056073
- ISBN-13 : 978-4104056071
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 101,206位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年7月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全体的に気に入りました
殆どの人が知らないことを書いてくれることは
重要なことだから
殆どの人が知らないことを書いてくれることは
重要なことだから
2019年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現在、各地の紛争で問題になっている少年・少女兵問題は、遠い外国の話だと思っていた蓑笠亭であるが、その無知を大いに恥じた。なぜなら、近代戦において少年兵を初めて利用したのは、何を隠そう、旧日本陸軍であったからだ。しかもあの陸軍中野学校が関与していたのであるから、さらに驚きである。
現代における少年・少女兵は、覚醒剤など薬物で操られることが多いと聞くが、沖縄戦における少年兵たちには「郷土愛」というキーワードと「暴力」という方法を用いて「軍国主義」が刷り込まれていった。つまり「洗脳」である。
「自分達の故郷を自分たちの手で守る」という美辞麗句のもと、苛烈な暴力を用いる「中野学校式軍事教練」で「一人十殺」を目標とする「少年ゲリラ」が育成されたのである。
しかし忘れていけないことは、この「故郷を護る」とはすべて方便、つまり「嘘」であったことである。本音は「沖縄は初めから捨て石」であったのだ。本土決戦のための時間を少しでも稼ぐための作戦でしかなかったのだ。
少年ゲリラたちが強制された行為は、故郷を護るどころか、破壊行為でしかなかった。家を焼き、橋を爆破する。これらはすべてアメリカ軍の上陸を阻むためのものであったが、実際は沖縄住民の住処をうばい、避難を困難にすることに他ならなかった。何という矛盾であろうか。しかしこれが、戦争の実態なのだ。
また戦争の、そして中野学校の犠牲者は、現地の子供たちだけではなかった。沖縄に工作員として送り込まれた大人もまた、その犠牲者だったのだ。教員に化け、ゲリラ育成およびゲリラ戦の指揮を担った男の姿は、哀れだった。彼は「偽の人生」を歩まされたのだ。晩年、慙愧の念に駆られ行ったであろう、講話の内容は、蓑笠亭の胸に強く響いた。
戦争は絶対に繰り返してはならない。そのことを改めて理解させてくれた名著だった。
現代における少年・少女兵は、覚醒剤など薬物で操られることが多いと聞くが、沖縄戦における少年兵たちには「郷土愛」というキーワードと「暴力」という方法を用いて「軍国主義」が刷り込まれていった。つまり「洗脳」である。
「自分達の故郷を自分たちの手で守る」という美辞麗句のもと、苛烈な暴力を用いる「中野学校式軍事教練」で「一人十殺」を目標とする「少年ゲリラ」が育成されたのである。
しかし忘れていけないことは、この「故郷を護る」とはすべて方便、つまり「嘘」であったことである。本音は「沖縄は初めから捨て石」であったのだ。本土決戦のための時間を少しでも稼ぐための作戦でしかなかったのだ。
少年ゲリラたちが強制された行為は、故郷を護るどころか、破壊行為でしかなかった。家を焼き、橋を爆破する。これらはすべてアメリカ軍の上陸を阻むためのものであったが、実際は沖縄住民の住処をうばい、避難を困難にすることに他ならなかった。何という矛盾であろうか。しかしこれが、戦争の実態なのだ。
また戦争の、そして中野学校の犠牲者は、現地の子供たちだけではなかった。沖縄に工作員として送り込まれた大人もまた、その犠牲者だったのだ。教員に化け、ゲリラ育成およびゲリラ戦の指揮を担った男の姿は、哀れだった。彼は「偽の人生」を歩まされたのだ。晩年、慙愧の念に駆られ行ったであろう、講話の内容は、蓑笠亭の胸に強く響いた。
戦争は絶対に繰り返してはならない。そのことを改めて理解させてくれた名著だった。
2019年8月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
少年兵というと、我々日本人は、イスラム国やアフリカ諸国のような、何か自分達の世界とは遠く離れた世界の出来事だと考えがちだ。しかし、かつての日本の戦争で、まだ10代の少年を動員したゲリラ戦計画が実行に移されていた事を知る人は少ない。その衝撃的な事実が、NHKの取材で明らかになった。証言者は若くても既に80代後半、90代であり、元少年ゲリラ兵のほとんどは鬼籍に入っていた。貴重な歴史が語られる事なくほとんど消えていったのだなと感じさせるものがあった。
基本的に舞台は沖縄である。あの陸軍中野学校が少年ゲリラ兵たちを育成・訓練し、遊撃隊(通称「護郷隊」)に仕立て上げた。正確には中野学校でゲリラ戦の訓練を受けた者が沖縄に派遣されて、現地の少年を指導したと言う形になる。
実際には沖縄戦よりも前、ニューギニアなどの南方戦線で既にゲリラ戦が行われており、日本軍はその有効性を確認していた。これが沖縄でのゲリラ戦へとつながる訳である。
少年ゲリラ兵の命は極めて軽かった。上官からは「敵を10人殺したら死んでも良い」と言われ、戦闘で負傷した少年兵は射殺された。少年兵は沖縄戦で日本軍の敗北が決定的になった6月になっても戦い続けていたが、結局大した戦果を挙げる事はなかった。民間人がが戦闘に巻き込まれる機会を増やしただけではないのか?
さらに、実はこのゲリラ戦、本土決戦時にも行われることが計画されていたのだ。本書では九州の事例が紹介されているが、ほぼ全ての日本人がゲリラ戦に参加させられる政策だったようで、「決号作戦」と銘打たれていた。米軍の「ダウンフォール作戦」と相俟って、もし実行に移されていたならば、日本軍はおろか全ての日本人は絶滅していただろう。本書を読んだだけでも分かる馬鹿馬鹿しい計画だった。
日本軍は勝ちたいが余り独善的になり、平気で国民を戦争に巻き込んだ。元少年兵の多くは、「戦争は絶対にしてはいけない」と口を揃えて語ったが、それは単に戦争が悲惨である、というだけではなく、少年であった自分達を戦争に巻き込んだ無謀で独善的な日本軍に対する憤りも含まれているのではないだろうか。
いずれにせよ、考えさせられる内容だった。
基本的に舞台は沖縄である。あの陸軍中野学校が少年ゲリラ兵たちを育成・訓練し、遊撃隊(通称「護郷隊」)に仕立て上げた。正確には中野学校でゲリラ戦の訓練を受けた者が沖縄に派遣されて、現地の少年を指導したと言う形になる。
実際には沖縄戦よりも前、ニューギニアなどの南方戦線で既にゲリラ戦が行われており、日本軍はその有効性を確認していた。これが沖縄でのゲリラ戦へとつながる訳である。
少年ゲリラ兵の命は極めて軽かった。上官からは「敵を10人殺したら死んでも良い」と言われ、戦闘で負傷した少年兵は射殺された。少年兵は沖縄戦で日本軍の敗北が決定的になった6月になっても戦い続けていたが、結局大した戦果を挙げる事はなかった。民間人がが戦闘に巻き込まれる機会を増やしただけではないのか?
さらに、実はこのゲリラ戦、本土決戦時にも行われることが計画されていたのだ。本書では九州の事例が紹介されているが、ほぼ全ての日本人がゲリラ戦に参加させられる政策だったようで、「決号作戦」と銘打たれていた。米軍の「ダウンフォール作戦」と相俟って、もし実行に移されていたならば、日本軍はおろか全ての日本人は絶滅していただろう。本書を読んだだけでも分かる馬鹿馬鹿しい計画だった。
日本軍は勝ちたいが余り独善的になり、平気で国民を戦争に巻き込んだ。元少年兵の多くは、「戦争は絶対にしてはいけない」と口を揃えて語ったが、それは単に戦争が悲惨である、というだけではなく、少年であった自分達を戦争に巻き込んだ無謀で独善的な日本軍に対する憤りも含まれているのではないだろうか。
いずれにせよ、考えさせられる内容だった。
2021年11月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
発案者はいる、実行をさせる者もいる、しかし、責任を取る者がいない。特攻も、責任者は、戦後に天寿を全うした。つい最近まで、生存されていた。3百万の戦死者のうち60%以上が、餓死、病死者です。他の国では記録を残し、後での検証が出来るようにしてます。日本は、すべてを焼却命令で、燃やしました。検証できないようにしたのです。以降、誰も責任を取る者がいません。
2016年9月12日に日本でレビュー済み
本書は、2015年8月7日に放送されたNHKスペシャル アニメドキュメント「あの日、僕らは戦場で-少年兵の告白」の取材記録である(番組はYouTubeで視聴可能)。戦後70年を経て、沖縄戦の知られざる悲劇がまたもや明らかになった。
本書に登場する沖縄戦の「護郷隊」とは、1944年9月26日発出の大本営勅令によって、14歳から17歳の少年らで編成された少年兵部隊である。陸軍中野学校出身の大尉を隊長として、ゲリラ戦を任務とする秘密部隊として組織された。鉄血勤皇隊(1780人、戦死率50%)と同じく、沖縄など「前縁地帯」と呼ばれる一部地域のみで適用された「防衛召集規則」などを法的根拠としており「志願」を要件としたが、その手続きは鉄血勤皇隊よりもさらに(違法に)省略され、「事実上の強制」であったとの証言が多い。沖縄戦の最終局面で北部地域において擲弾筒や小銃でゲリラ作戦を展開した。約1000人の少年が防衛召集され、そのうちの162人が戦死したとされる(以上、Wikipediaを参考にした)。
上記のように、「志願」とは名ばかりで実質的には徴兵された、14歳を含む少年達は苛酷な訓練の後、ゲリラ戦に投入された。「アメリカ兵を10人殺せば死んでもよい」と教えられ、「護郷」どころか、むしろ出身村の家や橋を破壊させられた。戦傷した少年は逃げる際に足手まといになるという理由で軍医に射殺された。生き残った少年たちは捕虜にされ、戦闘の記憶に苦しみながら厳しい戦後を生きてきたという。当時の少年達はいまや最年少でも85歳である。約30人の元少年兵の方々からの証言を元に、番組では戦闘状況や少年達の苦しみの部分をアニメとして分かり易く描いている。これらの方々が異口同音に語っているのは、「敵を殺せ」と教えられ拒否できない狂気のような状況とすべての人間性を剥奪する戦闘の凄まじさであり、戦争の愚かさである。ちなみに、大本営では本土決戦に備えて全国で護郷隊を組織する計画をしており、九州では一部訓練に入っていたという。違法に徴兵した多くの少年達を死なせた大本営の責任は、東京裁判でも問われることはなく、誰も責任を取っていない。また、沖縄が国の捨て石にされる状況は戦後の今も続く。
沖縄戦において住民の方々が戦闘に巻き込まれ大勢が亡くなったこと、ひめゆり部隊として女学生たちが後方支援に駆り出されたことはよく知られている。しかし鉄血勤皇隊はもちろん、本書の護郷隊についてはほとんど知られていない。本書やテレビ番組で、今一度沖縄戦で犠牲になった多くの少年兵達のことを想起し、戦争とは国民全体を狂気に陥らせることであることを銘記したい。
本書に登場する沖縄戦の「護郷隊」とは、1944年9月26日発出の大本営勅令によって、14歳から17歳の少年らで編成された少年兵部隊である。陸軍中野学校出身の大尉を隊長として、ゲリラ戦を任務とする秘密部隊として組織された。鉄血勤皇隊(1780人、戦死率50%)と同じく、沖縄など「前縁地帯」と呼ばれる一部地域のみで適用された「防衛召集規則」などを法的根拠としており「志願」を要件としたが、その手続きは鉄血勤皇隊よりもさらに(違法に)省略され、「事実上の強制」であったとの証言が多い。沖縄戦の最終局面で北部地域において擲弾筒や小銃でゲリラ作戦を展開した。約1000人の少年が防衛召集され、そのうちの162人が戦死したとされる(以上、Wikipediaを参考にした)。
上記のように、「志願」とは名ばかりで実質的には徴兵された、14歳を含む少年達は苛酷な訓練の後、ゲリラ戦に投入された。「アメリカ兵を10人殺せば死んでもよい」と教えられ、「護郷」どころか、むしろ出身村の家や橋を破壊させられた。戦傷した少年は逃げる際に足手まといになるという理由で軍医に射殺された。生き残った少年たちは捕虜にされ、戦闘の記憶に苦しみながら厳しい戦後を生きてきたという。当時の少年達はいまや最年少でも85歳である。約30人の元少年兵の方々からの証言を元に、番組では戦闘状況や少年達の苦しみの部分をアニメとして分かり易く描いている。これらの方々が異口同音に語っているのは、「敵を殺せ」と教えられ拒否できない狂気のような状況とすべての人間性を剥奪する戦闘の凄まじさであり、戦争の愚かさである。ちなみに、大本営では本土決戦に備えて全国で護郷隊を組織する計画をしており、九州では一部訓練に入っていたという。違法に徴兵した多くの少年達を死なせた大本営の責任は、東京裁判でも問われることはなく、誰も責任を取っていない。また、沖縄が国の捨て石にされる状況は戦後の今も続く。
沖縄戦において住民の方々が戦闘に巻き込まれ大勢が亡くなったこと、ひめゆり部隊として女学生たちが後方支援に駆り出されたことはよく知られている。しかし鉄血勤皇隊はもちろん、本書の護郷隊についてはほとんど知られていない。本書やテレビ番組で、今一度沖縄戦で犠牲になった多くの少年兵達のことを想起し、戦争とは国民全体を狂気に陥らせることであることを銘記したい。
2019年8月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
18歳未満の少年をゲリラ戦専門の兵力とした沖縄の「護郷隊」の生存者の告白。
拠点を捨てて撤退するときに歩けない負傷兵を銃殺して回った軍医。米軍の侵攻を遅らせるため住む村に火を点けた少年兵。戦場では目の前の敵を殺すという精神だけでいっぱいになる。仕方ない、でもおかしいと相反する思いに少年兵は70年以上苦しんできました。
来る本土決戦に備えて、情報機関「陸軍中野学校」の卒業生が住民をゲリラ兵に仕立てるべく名前を偽って離島に教師として送り込まれていたこと、終戦直前まで緻密なマニュアルともとにゲリラ兵の育成が進んでいたことも本書で触れられています。
「戦争に近づくような道を、戦争からかけ離れた選択肢であっても、選択しないようにしないと。小さいのを重ねていくとひどい目に遭う」。生存者の言葉に今こそ耳を傾けてみたいと思います。
拠点を捨てて撤退するときに歩けない負傷兵を銃殺して回った軍医。米軍の侵攻を遅らせるため住む村に火を点けた少年兵。戦場では目の前の敵を殺すという精神だけでいっぱいになる。仕方ない、でもおかしいと相反する思いに少年兵は70年以上苦しんできました。
来る本土決戦に備えて、情報機関「陸軍中野学校」の卒業生が住民をゲリラ兵に仕立てるべく名前を偽って離島に教師として送り込まれていたこと、終戦直前まで緻密なマニュアルともとにゲリラ兵の育成が進んでいたことも本書で触れられています。
「戦争に近づくような道を、戦争からかけ離れた選択肢であっても、選択しないようにしないと。小さいのを重ねていくとひどい目に遭う」。生存者の言葉に今こそ耳を傾けてみたいと思います。
2016年9月7日に日本でレビュー済み
太平洋戦争で、軍隊は国民の命を守るのが建前だった。サイパン島などの島に飛行場を作られたら爆撃で国土が焼け払われると言って全滅するまで戦った。
沖縄に敵軍が上陸してくるときには、一人10殺、一人の日本人が10名の敵を殺せば戦争に勝てると強調された。もう中学生、高校生くらいの年齢の少年も兵士として動員されてしまったのであった。その戦闘の有様は言うに言えないひどいもので、証言せずに亡くなる人が多かった。久米島での極秘作戦も心に残った。教師として島にやってきた先生は優しく信望があったが、中野学校出身のゲリラ戦指導者だった。悩み抜いた末ゲリラ戦は断念したが、その経歴は戦争後島にとどまれるものではなく。経歴を隠し生きるよりなかったのである。スタッフがその先生をついにつきとめたら、なんと師範学校出身の中野学校出身者だった。教え子を戦場に送ったと言って多くの教師が反省したが、ゲリラ戦の指導者だったとは言えるはずが無かったのでした。残された朝礼のテープの肉声には平和が最も大切だと言う文句もあり、この方も犠牲者の一人だったと思わされた。
沖縄に敵軍が上陸してくるときには、一人10殺、一人の日本人が10名の敵を殺せば戦争に勝てると強調された。もう中学生、高校生くらいの年齢の少年も兵士として動員されてしまったのであった。その戦闘の有様は言うに言えないひどいもので、証言せずに亡くなる人が多かった。久米島での極秘作戦も心に残った。教師として島にやってきた先生は優しく信望があったが、中野学校出身のゲリラ戦指導者だった。悩み抜いた末ゲリラ戦は断念したが、その経歴は戦争後島にとどまれるものではなく。経歴を隠し生きるよりなかったのである。スタッフがその先生をついにつきとめたら、なんと師範学校出身の中野学校出身者だった。教え子を戦場に送ったと言って多くの教師が反省したが、ゲリラ戦の指導者だったとは言えるはずが無かったのでした。残された朝礼のテープの肉声には平和が最も大切だと言う文句もあり、この方も犠牲者の一人だったと思わされた。