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ハイデガー『存在と時間』入門 (講談社現代新書) 新書 – 2017/7/19
轟 孝夫
(著)
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本書は、、可能な限り日常の日本語で『存在と時間』を理解することを目指します。章立てに従って、原文を忠実に読解した上で平易な日本語で解説して行きますので、翻訳書で『存在と時間』を読むよりもはるかに容易にその内容を理解することができます。また、なぜハイデガーはこの書を完成させることができず、未完のままに終わったのか、その「限界」についても、本書を読み進めていけば、おのずと理解できるでしょう。
二〇世紀最高の哲学者といわれるマルティン・ハイデガー。その出世作にして代表作、『存在と時間』は、哲学史上、最も難解な書として知られています。
プラトン、アリストテレスによって完成されたギリシア哲学に始まり、以後、2500年の歴史を持つ西洋哲学の通念をすべてひっくり返すという、前代未聞の企ての大胆さ、ハイデガー自身の言い回しの必要以上の難解さ、加えて日本語で読む場合には、ドイツ語を日本語という全く文法システムの異なる言語へと翻訳しなければならないという、もう1つ余分なハードルまでもが加わって、専門家以外には、なかなかその真意が伝わらないのが現状です。
そこで本書では、巷でよく見られるハイデガー的な「業界用語」を排し、可能な限り日常の日本語で『存在と時間』を理解することを目指しています。そのために著者はこの本の執筆に10年の歳月をかけました。
『存在と時間』の章立てに従って、それぞれの章ではハイデガーが何を問題にし、何を言いたかったのかが、原文を忠実に読み解いた上で平易な日本語で読み解かれて行きますので、この1冊で、翻訳書で『存在と時間』を読むよりははるかに容易にその内容を理解することができます。また、なぜハイデガーはこの書を完成させることができず、未完のままに終わったのか。その「限界」についても、本書を読み進めていけば、おのずと理解できるでしょう。
その難解さゆえに謎めいた魅力を放つ『存在と時間』という書を理解するのに最適です。
二〇世紀最高の哲学者といわれるマルティン・ハイデガー。その出世作にして代表作、『存在と時間』は、哲学史上、最も難解な書として知られています。
プラトン、アリストテレスによって完成されたギリシア哲学に始まり、以後、2500年の歴史を持つ西洋哲学の通念をすべてひっくり返すという、前代未聞の企ての大胆さ、ハイデガー自身の言い回しの必要以上の難解さ、加えて日本語で読む場合には、ドイツ語を日本語という全く文法システムの異なる言語へと翻訳しなければならないという、もう1つ余分なハードルまでもが加わって、専門家以外には、なかなかその真意が伝わらないのが現状です。
そこで本書では、巷でよく見られるハイデガー的な「業界用語」を排し、可能な限り日常の日本語で『存在と時間』を理解することを目指しています。そのために著者はこの本の執筆に10年の歳月をかけました。
『存在と時間』の章立てに従って、それぞれの章ではハイデガーが何を問題にし、何を言いたかったのかが、原文を忠実に読み解いた上で平易な日本語で読み解かれて行きますので、この1冊で、翻訳書で『存在と時間』を読むよりははるかに容易にその内容を理解することができます。また、なぜハイデガーはこの書を完成させることができず、未完のままに終わったのか。その「限界」についても、本書を読み進めていけば、おのずと理解できるでしょう。
その難解さゆえに謎めいた魅力を放つ『存在と時間』という書を理解するのに最適です。
- 本の長さ448ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2017/7/19
- 寸法10.6 x 1.9 x 17.3 cm
- ISBN-104062884372
- ISBN-13978-4062884372
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対象商品: ハイデガー『存在と時間』入門 (講談社現代新書)
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2017/7/19)
- 発売日 : 2017/7/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 448ページ
- ISBN-10 : 4062884372
- ISBN-13 : 978-4062884372
- 寸法 : 10.6 x 1.9 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 96,037位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この夏友人と、この本でハイデガー読書会をやりました。難解なハイデガー。細かなニュアンス、ドイツ語の意味、コンテキストの中での概念整理。やっとわかりました。サルトルとに違いも、友人と話し合いながら理解しました。ただ轟先生、少しロマンティックな解釈もあるのではないでしょうか。それを考慮して解釈できました。ありがとうごじます。ハイデガー解説書ではナンバーワンでしょう。
2020年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『存在と時間』のどの箇所を解説し、どの部分を割愛したか(紹介程度に留めたか)が明記されており良い(他の入門書・解説書ではなかなか見られない)。
また、ハイデガーの"書き換え"を詳細に扱うことで、ハイデガーの思索全体へと本書の射程を広げることに成功している。"書き換え"については1章で細かく(長々と笑)論じられており、最終章において伏線を一気に回収しつつ著者自身の思想を全面に押し出していくという感がある。
読者が実際に原典にあたる際の一助となりうるべく、最大限の注意を著者が払っていることが伺えた。著者に誤解や誤読があるという批判はどの解説書にもあることだが、解説を鵜呑みにせずにあくまで一時的な理解とした上で原典に向かうことを著者自身推奨しているしその通りである。(たかだか数百ページで哲学書を解体しきることは出来ないし、その真髄も伝え切ることはできないことは著者は百も承知である。)
入門書・解説書はかくたるべきということを示すような一冊。もっと評価されるべき本。
また、ハイデガーの"書き換え"を詳細に扱うことで、ハイデガーの思索全体へと本書の射程を広げることに成功している。"書き換え"については1章で細かく(長々と笑)論じられており、最終章において伏線を一気に回収しつつ著者自身の思想を全面に押し出していくという感がある。
読者が実際に原典にあたる際の一助となりうるべく、最大限の注意を著者が払っていることが伺えた。著者に誤解や誤読があるという批判はどの解説書にもあることだが、解説を鵜呑みにせずにあくまで一時的な理解とした上で原典に向かうことを著者自身推奨しているしその通りである。(たかだか数百ページで哲学書を解体しきることは出来ないし、その真髄も伝え切ることはできないことは著者は百も承知である。)
入門書・解説書はかくたるべきということを示すような一冊。もっと評価されるべき本。
2023年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
原文ではないので、わかりやすく解説しています。哲学科専攻で、ハイデガーに興味ある人におすすめです。ただ、わかりやすいと言っても、それなりの哲学的思考は必要なので、哲学初心者は読めないかも。原文よりはだいぶわかりやすく買いてあると思います。
2023年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
導入が冗長で読むのが辛く、諦めて飛ばしながら見てましたが
結局途中で飽きてしまいました。残念。
結局途中で飽きてしまいました。残念。
2018年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハイデガーの「存在と時間」の書に対して私は「存在」に対する問い以上にハイデガーの思考の方法に注目していた。現象学の哲学書(細谷氏訳)を読んだのがハイデガーが初めてだったが、その思想の深さを直ちに感じる一説が、序にすでに存在していたからだ。
「存在」は、存在者についてのいかなる経験においても、表立たずではあるが、あわせて了解されている。
かような存在了解は、我々自身がそれであるところの存在者、すなわち現存在にそなわっている。
私は他の人の解釈を特に読むことがなかったが、「なぜ人を存在者や現存在と呼んでいるか」という疑問があった。
ハイデガーが「人」を「存在者」と書いたことも、「存在とは」と語る中に「存在者」という「存在」という言葉を含めていたことにも、確信ある解釈を持つことが出来なかった。
論考とは得てして助長的であることには了解していたが、無意味な言葉選びには人心を掴んで離さない名著たる力を持ち得ないという認識もあった。無意味やたらに「存在者」と書いているわけでないとを思い、ハイデガーの意図を模索していたが、わかりきれなかった。そしてわかりきれなければ、本著を腑に落としながら読み進めることは私にはできなかった。
本書の「存在と時間」入門書は、確かな読みを持つための視点を提供している。
轟孝夫氏の熱心な探求に深謝したい。本著を手に取らなければ、私は序章の数ページを何年もかけて読まなければならなかっただろう。そこには本の中だけではわかりきれないハイデガーの意図を、哲学、現象学の系譜や他の哲学者の解釈をひもときながら、「存在と時間」を読み解く視点のアイデアをそれこそ見つけては試読し、読み込めるかを検証するという行為を延々と繰り返し続ける必要があったと思う。その結果、読み筋をつけられるかどうかは別の話だが。
入門書に頼らずに「存在と時間」と奮闘してきた方がいらっしゃるなら、その方にもおすすめしたい。今理解できている部分を確認することが出来る。良き対話の友として座右に置くと、とても心強い一冊。
「存在」は、存在者についてのいかなる経験においても、表立たずではあるが、あわせて了解されている。
かような存在了解は、我々自身がそれであるところの存在者、すなわち現存在にそなわっている。
私は他の人の解釈を特に読むことがなかったが、「なぜ人を存在者や現存在と呼んでいるか」という疑問があった。
ハイデガーが「人」を「存在者」と書いたことも、「存在とは」と語る中に「存在者」という「存在」という言葉を含めていたことにも、確信ある解釈を持つことが出来なかった。
論考とは得てして助長的であることには了解していたが、無意味な言葉選びには人心を掴んで離さない名著たる力を持ち得ないという認識もあった。無意味やたらに「存在者」と書いているわけでないとを思い、ハイデガーの意図を模索していたが、わかりきれなかった。そしてわかりきれなければ、本著を腑に落としながら読み進めることは私にはできなかった。
本書の「存在と時間」入門書は、確かな読みを持つための視点を提供している。
轟孝夫氏の熱心な探求に深謝したい。本著を手に取らなければ、私は序章の数ページを何年もかけて読まなければならなかっただろう。そこには本の中だけではわかりきれないハイデガーの意図を、哲学、現象学の系譜や他の哲学者の解釈をひもときながら、「存在と時間」を読み解く視点のアイデアをそれこそ見つけては試読し、読み込めるかを検証するという行為を延々と繰り返し続ける必要があったと思う。その結果、読み筋をつけられるかどうかは別の話だが。
入門書に頼らずに「存在と時間」と奮闘してきた方がいらっしゃるなら、その方にもおすすめしたい。今理解できている部分を確認することが出来る。良き対話の友として座右に置くと、とても心強い一冊。
2019年2月25日に日本でレビュー済み
本書は、400ページを超える。
しかし、一気に読んでしまった。
読み終わるのが、残念でさえあった。
その理由は、著者の解釈に魅せられたことにある。
著者は、『存在と時間』の解釈において、現存在の本来性と非本来性との存在的な差異を重視している。
それは、孤立しても良心にしたがって生きることと、世間に埋没して自己保身を図るように生きることとの違いのようなものである。
すなわち、生き方と存在者(自己と世界)とが切り離せないものとして、『存在と時間』を読むのである。
著者は、次のように述べている。
「すなわち現存在の本来的なあり方とは、そこで『ある』ということが真正な仕方で了解されていることを意味し、現存在の非本来的なあり方はその逆を意味するのだ。」(p.412)
したがって、存在者、及びと自己とを真正にとらえるには、自己の本来性を実現しなければならない。
本来性は、スピノザのようにかもしれないが、自己の固有の可能性をどこまでも実現することであろう。
それには、世間のなかに埋没する自己を否定し、世間的な他者との関係を断ち切り、孤独のなかで自己と向き合う覚悟が必要である。
そのような覚悟は、良心の呼び声が可能にする。
呼び声は、本来なすべきことをなそうとすることを問う声である。
まわりに左右されずに、過去の習慣からも自由になって、本来の自己は何を行うべきかと問うのである。
その背後には、何らかの危機感や漠然とした不安がある。
そもそも、自己の存在そのものが、不安とともにある。
なぜなら、自己は死ぬからである。
しかも、いつ死ぬかもしれない。
他者ではなく、ほかの誰でもない、自己の死を自覚すれば、不安にとりつかれる。
それが、「死への先駆け」であり、本来的な自己への覚悟を求めるのである。
死によって、自己の存在は終わりを迎える。
終わりは期限であり、自己の存在を完結させる。
そのように完結する自己はどうあればいいのか。
完結によって明らかになる、自己の全体はどうなのか、と問うのが「死への先駆け」であろう。
したがって、「死への先駆け」によって覚悟を決めることによって、本来なすべきことをなそうとするのである。
完結する自己、自己の全体性を求めて、未来に自己を投げ入れるようにしなければならない。
限られた時間のなかで、どう生きるかということが問われるのである。
また、どう生きるかと問い、覚悟を決めることは、自己とかかわる存在者(事物や他者)を決める。
そこでは、存在者とのかかわりを変えることになり、投げ込まれている世界も異なったものになってくる。
しかし、そうであっても、自己が自由な主体として生き方を決めることはできない。
世界内存在として、世界のなかに投げ込まれているからである。
そこには、様々な制約があるのは自明である。
たとえば、自己を見失わせる、多様な制約としての世間がある。
まわりの「ひと」と足並みをそろえなければならないことや、世間的な評価などの制約がある。
本来性へ向かうならば、それらの制約と自己とのあいだにコンフリクトが生じる。
したがって、その克服を目指すしかないであろう。
ソクラテスの場合が、典型かもしれない。
死刑の判決を受け、それでも怯むことがない。
自己の死に向き合い、自己の死を受けいれ、自己と世界のあり方を徹底的に問い続けるのである。
だからこそ、プラトンを介してだが、今日まで語り伝えられるている。
むしろ、その語りのなかで、ソクラテスは生き続けているとも言えよう。
現存在は時間的構造のなかで存在するが、同時に、事物や他者などの存在者との関係において存在し得る(世界内存在)のである。
時間的構造、及び存在者と自己との関係は、本来性と非本来性によって、変わる。
すなわち、現存在は本来的自己へと向かうなかで、真正の存在者と出会うことができるのである。
本来性へと向かう時間的な存在として、自己と存在者(世界)が存在するのである。
こうして、『存在と時間』は生きることの意味を問う書として、読むことができる。
生きることは、時間のなかで、自己と世界とのあり方を問うことなのである。
自己の能力が最大限に開かれるようになれば、真正の世界が開けてくる。
同時に、真正の世界が開かれることによって、自己の可能性、能力も最大化するのである。
このような自己と世界の相互構成のなかに、生きることの意味を見いだすことができる。
一方では、もちろん、異なる解釈もある。
倫理や道徳、生き方と結びつけることを拒否する読みの場合である。
規範的にではなく、存在の事実として、『存在と時間』が展開する自己と世界との関係についての考察を読もうとする場合である。
たとえば、『世界内存在』の著者であるドレイファスがそうであろう。
彼のような読み方も理解できる。
なぜなら、頽落、すなわち世界に埋没し、自己を見失うことにこそ世界内存在(人間)一般の本質がよく表れている、と思えるからである。
そもそも、世界と切り離すことができない、人間は自由をはじめから失っている、とも言えよう。
それは、価値とは無関係に、人間の本質なのである。
しかし、作品は、作品そのものによってのみ、その意味を決めることはできない。
読まれて、はじめて作品となるからである。
読者との関係において、作品は作品となり得る。
そこで、はじめて意味が生成する。
もちろん、読者がまったく自由に意味を決めるのでもない。
読者と作品との相互作用によって、作品は作品となり、読者は読者となる。
そのような相互構成の関係のなかに、意味は生成するのである。
なお、他のレビューでは、本書に認められる誤読がいくつか指摘されているようである。
しかし、それらはハイデガーの研究者が問題にすればいいことである。
一般の読者は、それらを気にすることなく、本書から学べばいいのである。
本書は『存在と時間』の単なる解説ではなく、『存在と時間』から生まれた新たな作品だとみなすこともできるからである。
もちろん、本書を介して、あるいはそうでなくても、『存在と時間』を読むべきである。
しかし、一気に読んでしまった。
読み終わるのが、残念でさえあった。
その理由は、著者の解釈に魅せられたことにある。
著者は、『存在と時間』の解釈において、現存在の本来性と非本来性との存在的な差異を重視している。
それは、孤立しても良心にしたがって生きることと、世間に埋没して自己保身を図るように生きることとの違いのようなものである。
すなわち、生き方と存在者(自己と世界)とが切り離せないものとして、『存在と時間』を読むのである。
著者は、次のように述べている。
「すなわち現存在の本来的なあり方とは、そこで『ある』ということが真正な仕方で了解されていることを意味し、現存在の非本来的なあり方はその逆を意味するのだ。」(p.412)
したがって、存在者、及びと自己とを真正にとらえるには、自己の本来性を実現しなければならない。
本来性は、スピノザのようにかもしれないが、自己の固有の可能性をどこまでも実現することであろう。
それには、世間のなかに埋没する自己を否定し、世間的な他者との関係を断ち切り、孤独のなかで自己と向き合う覚悟が必要である。
そのような覚悟は、良心の呼び声が可能にする。
呼び声は、本来なすべきことをなそうとすることを問う声である。
まわりに左右されずに、過去の習慣からも自由になって、本来の自己は何を行うべきかと問うのである。
その背後には、何らかの危機感や漠然とした不安がある。
そもそも、自己の存在そのものが、不安とともにある。
なぜなら、自己は死ぬからである。
しかも、いつ死ぬかもしれない。
他者ではなく、ほかの誰でもない、自己の死を自覚すれば、不安にとりつかれる。
それが、「死への先駆け」であり、本来的な自己への覚悟を求めるのである。
死によって、自己の存在は終わりを迎える。
終わりは期限であり、自己の存在を完結させる。
そのように完結する自己はどうあればいいのか。
完結によって明らかになる、自己の全体はどうなのか、と問うのが「死への先駆け」であろう。
したがって、「死への先駆け」によって覚悟を決めることによって、本来なすべきことをなそうとするのである。
完結する自己、自己の全体性を求めて、未来に自己を投げ入れるようにしなければならない。
限られた時間のなかで、どう生きるかということが問われるのである。
また、どう生きるかと問い、覚悟を決めることは、自己とかかわる存在者(事物や他者)を決める。
そこでは、存在者とのかかわりを変えることになり、投げ込まれている世界も異なったものになってくる。
しかし、そうであっても、自己が自由な主体として生き方を決めることはできない。
世界内存在として、世界のなかに投げ込まれているからである。
そこには、様々な制約があるのは自明である。
たとえば、自己を見失わせる、多様な制約としての世間がある。
まわりの「ひと」と足並みをそろえなければならないことや、世間的な評価などの制約がある。
本来性へ向かうならば、それらの制約と自己とのあいだにコンフリクトが生じる。
したがって、その克服を目指すしかないであろう。
ソクラテスの場合が、典型かもしれない。
死刑の判決を受け、それでも怯むことがない。
自己の死に向き合い、自己の死を受けいれ、自己と世界のあり方を徹底的に問い続けるのである。
だからこそ、プラトンを介してだが、今日まで語り伝えられるている。
むしろ、その語りのなかで、ソクラテスは生き続けているとも言えよう。
現存在は時間的構造のなかで存在するが、同時に、事物や他者などの存在者との関係において存在し得る(世界内存在)のである。
時間的構造、及び存在者と自己との関係は、本来性と非本来性によって、変わる。
すなわち、現存在は本来的自己へと向かうなかで、真正の存在者と出会うことができるのである。
本来性へと向かう時間的な存在として、自己と存在者(世界)が存在するのである。
こうして、『存在と時間』は生きることの意味を問う書として、読むことができる。
生きることは、時間のなかで、自己と世界とのあり方を問うことなのである。
自己の能力が最大限に開かれるようになれば、真正の世界が開けてくる。
同時に、真正の世界が開かれることによって、自己の可能性、能力も最大化するのである。
このような自己と世界の相互構成のなかに、生きることの意味を見いだすことができる。
一方では、もちろん、異なる解釈もある。
倫理や道徳、生き方と結びつけることを拒否する読みの場合である。
規範的にではなく、存在の事実として、『存在と時間』が展開する自己と世界との関係についての考察を読もうとする場合である。
たとえば、『世界内存在』の著者であるドレイファスがそうであろう。
彼のような読み方も理解できる。
なぜなら、頽落、すなわち世界に埋没し、自己を見失うことにこそ世界内存在(人間)一般の本質がよく表れている、と思えるからである。
そもそも、世界と切り離すことができない、人間は自由をはじめから失っている、とも言えよう。
それは、価値とは無関係に、人間の本質なのである。
しかし、作品は、作品そのものによってのみ、その意味を決めることはできない。
読まれて、はじめて作品となるからである。
読者との関係において、作品は作品となり得る。
そこで、はじめて意味が生成する。
もちろん、読者がまったく自由に意味を決めるのでもない。
読者と作品との相互作用によって、作品は作品となり、読者は読者となる。
そのような相互構成の関係のなかに、意味は生成するのである。
なお、他のレビューでは、本書に認められる誤読がいくつか指摘されているようである。
しかし、それらはハイデガーの研究者が問題にすればいいことである。
一般の読者は、それらを気にすることなく、本書から学べばいいのである。
本書は『存在と時間』の単なる解説ではなく、『存在と時間』から生まれた新たな作品だとみなすこともできるからである。
もちろん、本書を介して、あるいはそうでなくても、『存在と時間』を読むべきである。