赤瀬川氏の本をいろいろ読んだが、これは読みやすく、すぐ読んでしまった。
多くの要素が浅く広く(?)的に入っている。
ここから一部に興味を持って広げて行きたくなるような本。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
芸術原論 (同時代ライブラリー 78) 新書 – 1991/8/12
赤瀬川 原平
(著)
60年代のネオダダ,千円札模写事件,80年代の超芸術トマソン,路上観察.人々を挑発しつづける赤瀬川原平が改めて「芸術」の本質を問い直す.常識をくつがえし,既成概念に風穴をあける,脱芸術エッセイ集.
- 本の長さ337ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1991/8/12
- ISBN-104002600785
- ISBN-13978-4002600789
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
ネオダダ、千円札模写事件、超芸術トマソン、路上観察…。人々を挑発しつづけた赤瀬川原平が改めて「芸術」の本質を問い直す。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1991/8/12)
- 発売日 : 1991/8/12
- 言語 : 日本語
- 新書 : 337ページ
- ISBN-10 : 4002600785
- ISBN-13 : 978-4002600789
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,135,820位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 592位アート・芸術
- - 8,158位アート・建築・デザイン作品集
- - 8,407位アート・建築・デザインの絵画 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年6月5日に日本でレビュー済み
この本に集約された論考が書かれたのは80年代の初めから後半まで。当時の日本のアートシーンは、西武・セゾン現代美術が潮流でした。つまらない日本画を展示しているとばっさり斬られる山種美術館は茅場町にありました(2回引越しして今は恵比寿)。伊勢丹美術館で見たピカソ展の話が出てきたりして時代を感じます。メンズ館の最上階にありましたね、たしか。
日本美術展というのがほとんど話題になっていなかった時代です。正直なところ3章はまで、今となってはやや恣意的な考え方かなと首を傾げるところもあります。特に日本画に対する無理解というか嫌悪感は・・・。4章「路の感覚」、5章「芸術原論」は赤瀬川氏の真骨頂です。デュシャンから利休、トマソンまで。何と言ってもデュシャンと利休の比較というかデュシャンを通じて利休を再発見した赤瀬川氏の視点そして勅使河原宏氏の慧眼には驚かされます。
20世紀もっとも影響力があると言われるデュシャンですが、私個人的には、今でもデュシャンに世界は騙されてると感じています。よくよく冷静に考えれば便器ですし。便器の上に西洋美術史がなり立っているって・・・。それに比べて利休の見立ての見事なことよ。一重切竹花生、井戸茶碗に斗々屋茶碗、茶室「待庵」だって芸術という概念がない時代に「見立て」であれほどの「普遍的な美」を見出していたって素晴らしいと思います。茶道の侘び寂びでなく、デュシャンを通じて利休を発見したと言う意味で、赤瀬川氏の考察が日本文化に与えた影響は大きいと思う次第です。併せて、藤森照信氏「茶室学 日本の極小空間」もおすすめです。物事の新しい見方、視座の持ち方、勉強になります。
日本美術展というのがほとんど話題になっていなかった時代です。正直なところ3章はまで、今となってはやや恣意的な考え方かなと首を傾げるところもあります。特に日本画に対する無理解というか嫌悪感は・・・。4章「路の感覚」、5章「芸術原論」は赤瀬川氏の真骨頂です。デュシャンから利休、トマソンまで。何と言ってもデュシャンと利休の比較というかデュシャンを通じて利休を再発見した赤瀬川氏の視点そして勅使河原宏氏の慧眼には驚かされます。
20世紀もっとも影響力があると言われるデュシャンですが、私個人的には、今でもデュシャンに世界は騙されてると感じています。よくよく冷静に考えれば便器ですし。便器の上に西洋美術史がなり立っているって・・・。それに比べて利休の見立ての見事なことよ。一重切竹花生、井戸茶碗に斗々屋茶碗、茶室「待庵」だって芸術という概念がない時代に「見立て」であれほどの「普遍的な美」を見出していたって素晴らしいと思います。茶道の侘び寂びでなく、デュシャンを通じて利休を発見したと言う意味で、赤瀬川氏の考察が日本文化に与えた影響は大きいと思う次第です。併せて、藤森照信氏「茶室学 日本の極小空間」もおすすめです。物事の新しい見方、視座の持ち方、勉強になります。
2012年3月26日に日本でレビュー済み
赤瀬川原平氏が、様々な媒体に寄せた芸術に関するエッセイ集。
すべてが面白いわけではなく、簡単に読めそうで読めない
本でありますが、ところどころ、興味深い考察に出会います。
「子供はみんな芸術家である、労働者ではない。つまり人間は
その人生の最初期に芸術家を通り抜けて、その後で労働者と
なり、経済人となり、社会人となる。
これは人類史においても同じようで、数千種の哺乳類
の海から生まれた人類というものは、まずはじめに芸術
といいうものを通り抜けて人類になったという。」
人類→自意識→言葉→芸術の順番ではないのです。
人類→芸術→意識→言葉の順なのです。
いや、芸術→人類→意識→言葉かもしれません。
人類の歴史と人間(子供)の成長過程は、パラレルなのです。
そして、赤瀬川氏は、「路上観察」なる活動で、
路上のゴミのようなものを採集してきて感動する自分たちを
千利休に重ね合わせます。
千利休が、日常雑器であった高麗茶碗に「美」を見出した
のと同じ感性で、路上観察を行っているのです。
「美」とは、創造するものではなく、発見するものだという
ことになります。これは、芸術以前の芸術であります。
意図が強いもの、作為が見え見えなものは、美しくない
のかなぁ、とか考えたりもします。宿題を与えられた気分です。
芸術を考える上で、役に立つ本であることは間違いありません。
すべてが面白いわけではなく、簡単に読めそうで読めない
本でありますが、ところどころ、興味深い考察に出会います。
「子供はみんな芸術家である、労働者ではない。つまり人間は
その人生の最初期に芸術家を通り抜けて、その後で労働者と
なり、経済人となり、社会人となる。
これは人類史においても同じようで、数千種の哺乳類
の海から生まれた人類というものは、まずはじめに芸術
といいうものを通り抜けて人類になったという。」
人類→自意識→言葉→芸術の順番ではないのです。
人類→芸術→意識→言葉の順なのです。
いや、芸術→人類→意識→言葉かもしれません。
人類の歴史と人間(子供)の成長過程は、パラレルなのです。
そして、赤瀬川氏は、「路上観察」なる活動で、
路上のゴミのようなものを採集してきて感動する自分たちを
千利休に重ね合わせます。
千利休が、日常雑器であった高麗茶碗に「美」を見出した
のと同じ感性で、路上観察を行っているのです。
「美」とは、創造するものではなく、発見するものだという
ことになります。これは、芸術以前の芸術であります。
意図が強いもの、作為が見え見えなものは、美しくない
のかなぁ、とか考えたりもします。宿題を与えられた気分です。
芸術を考える上で、役に立つ本であることは間違いありません。
2010年1月5日に日本でレビュー済み
様々な「芸術」を論じていると思えば、宇宙論のようだったり、日本のユニークさを主張したり、まあ何がなんだかよく分かりませんが、とにかく面白い。なんたって赤瀬川さんの「感性による論理(言葉が矛盾してるかも)」展開なので、常識人には分かりようもないのも当然か。
ちょっと哲学的に言うと、これぞまさに弁証法って感じです。
しかし、文章は楽しい。例えば「「吾輩は猫である」の猫の子孫」の書き出しが、「夏の路上観察は暑い」ですからね。
ということで、分からない(私だけ?)ことがたくさん書いてありますが、読んでみて損はないことは確実です。
ちょっと哲学的に言うと、これぞまさに弁証法って感じです。
しかし、文章は楽しい。例えば「「吾輩は猫である」の猫の子孫」の書き出しが、「夏の路上観察は暑い」ですからね。
ということで、分からない(私だけ?)ことがたくさん書いてありますが、読んでみて損はないことは確実です。
2003年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ãè'-è...ã¯ç¾è¡"ããã«ã¡ã©ãããªã«ãããã"ããã¨çµæ§æåºãèªåã®è¶£å'³ã'å稿ç"¨ç'ã«æ¸ãã¦ããããã"ã®æ¬ã¯ãã®ç·éç·¨ã®ãããªå...容ã'ãã¡ã"ã¡ã«ã¡ãã°ãããã¦ããã赤ç¬å·åå¿è...ãå...¥é-ç"¨ã«èªãããããä½åã赤ç¬å·ã®æ¬ã'èªã"ã 人ãããã¼ãã¼ããªãã»ã©ãããããèãæ-¹ãããã¨èµ¤ç¬å·è³å'³åã'åè»ããããã®èª¬ææ¸ã¨ãããä¸åã
ãã¾ãæãã¼ã¸ã'ãããã¨ã¢ãã¯ãã®ã°ã©ã"ã¢ã並ã¶ããããããã½ã³ã§ãã£ããå®å®ã®ç¼¶è©°ã§ãã£ããããã®ã§ããã¯ã赤ç¬å·ã«é¦'æ"ã"ã 人é-"ã«ã¯ããã¼ãã¼ãããã§ã¯ãªãã§ãããããããæãã-ãããã¨ããã"ã¨ã«ãªããã"ã®æç¹ã§èµ¤ç¬å·åå¿è...ã«ã¯è¬ã®åçã並ã¶ã"ã¨ã«ãªã£ã¦ã-ã¾ãã®ã§ãã-ãããã®èª¬æãäºç'°ãã«æ¸ãã¦ãããã'ã§ã¯ãªãã®ã§ããã¯ãããããã¯ã§ããªããã!ãã½ã³ã¯ããã½ã³ã®æ¬ãå®å®ã®ç¼¶è©°ã¯å®å®ã®ç¼¶è©°ã®æ¬ã'å...ã«èªã"ã æ-¹ãããã§ã-ãããã-ãã-éã«èµ¤ç¬å·ã¦ã£ã«ã¹ã«ã©ã£ã·ãã¤ããæ°-ã¯ãªãã¨ãã人ã«ã¯ãæ軽ãªä¸åã¨ãããããã-ãã¾ãã"ã
ãã"ã®æ¬ã¯ä¸ã¤ã®åºæ¥äºã«æ·±å...¥ããããæ-ç« ãè'-è...ã®é ã®ä¸ã ã'ã§ç·¨ã¾ãã¦ããã®ã§ãè'-è...ã®ç©ã®è¦æ-¹ãèãæ-¹ã'å°ä¸æ·±ãã¾ã§æãé²ã"ã§è¦-ãã"ã¨ãã§ãã¾ãããã"ã«è¦ãã¦ããã®ã¯ä»-ã®æ¬ã§ã¯æ¢±å...ç"¨ç'ã«éªé"ããã¦ããããç¥ãã"ã¨ã®ã§ããªã赤ç¬å·å¸å½ã®å¼·åãªå°ä¸çµç¹"ã®ã¤ã¾å...辺ãã§ã¯ãªããã¨æããã¾ãã
ãã¾ãæãã¼ã¸ã'ãããã¨ã¢ãã¯ãã®ã°ã©ã"ã¢ã並ã¶ããããããã½ã³ã§ãã£ããå®å®ã®ç¼¶è©°ã§ãã£ããããã®ã§ããã¯ã赤ç¬å·ã«é¦'æ"ã"ã 人é-"ã«ã¯ããã¼ãã¼ãããã§ã¯ãªãã§ãããããããæãã-ãããã¨ããã"ã¨ã«ãªããã"ã®æç¹ã§èµ¤ç¬å·åå¿è...ã«ã¯è¬ã®åçã並ã¶ã"ã¨ã«ãªã£ã¦ã-ã¾ãã®ã§ãã-ãããã®èª¬æãäºç'°ãã«æ¸ãã¦ãããã'ã§ã¯ãªãã®ã§ããã¯ãããããã¯ã§ããªããã!ãã½ã³ã¯ããã½ã³ã®æ¬ãå®å®ã®ç¼¶è©°ã¯å®å®ã®ç¼¶è©°ã®æ¬ã'å...ã«èªã"ã æ-¹ãããã§ã-ãããã-ãã-éã«èµ¤ç¬å·ã¦ã£ã«ã¹ã«ã©ã£ã·ãã¤ããæ°-ã¯ãªãã¨ãã人ã«ã¯ãæ軽ãªä¸åã¨ãããããã-ãã¾ãã"ã
ãã"ã®æ¬ã¯ä¸ã¤ã®åºæ¥äºã«æ·±å...¥ããããæ-ç« ãè'-è...ã®é ã®ä¸ã ã'ã§ç·¨ã¾ãã¦ããã®ã§ãè'-è...ã®ç©ã®è¦æ-¹ãèãæ-¹ã'å°ä¸æ·±ãã¾ã§æãé²ã"ã§è¦-ãã"ã¨ãã§ãã¾ãããã"ã«è¦ãã¦ããã®ã¯ä»-ã®æ¬ã§ã¯æ¢±å...ç"¨ç'ã«éªé"ããã¦ããããç¥ãã"ã¨ã®ã§ããªã赤ç¬å·å¸å½ã®å¼·åãªå°ä¸çµç¹"ã®ã¤ã¾å...辺ãã§ã¯ãªããã¨æããã¾ãã
2014年12月2日に日本でレビュー済み
先頃、惜しくも他界した赤瀬川原平の芸術に関する文章のアンソロジー。
内容は、学生時代の思い出に始まり、ネオダダ、千円札事件、ハイレッドセンター、路上観察についてなど。
主要な活動範囲が網羅されており、赤瀬川を理解するための最良の本の一つだろう。
印象派の絵画を高く評価したり、ユトリロの絵が欲しいと語ったりと、
現代芸術家としての意外な側面がうかがえて面白かった。
内容は、学生時代の思い出に始まり、ネオダダ、千円札事件、ハイレッドセンター、路上観察についてなど。
主要な活動範囲が網羅されており、赤瀬川を理解するための最良の本の一つだろう。
印象派の絵画を高く評価したり、ユトリロの絵が欲しいと語ったりと、
現代芸術家としての意外な側面がうかがえて面白かった。