この本は、ソシュール言語学を存在論の哲学に昇華している。ひとの根本的なものの見方、考え方に影響を与える。だから著者丸山圭三郎は、ソシュールを読むと興奮して眠れなくなると語っていたのだろう。
素人(ぼくのことね)には難しいが時間をかけて読んでいたく感動した。必読。
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ソシュールの思想 単行本 – 1981/7/15
丸山 圭三郎
(著)
近代言語学の父は20世紀人間諸科学に方法論と認識の共通基盤をもたらした。本書は『一般言語学講義』原資料を実証的に精査し初めてアナグラム研究等を紹介した。原初の記号理論と思想の全貌を明かす、決定版ソシュール研究。
- 本の長さ384ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1981/7/15
- ISBN-104000012207
- ISBN-13978-4000012201
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1981/7/15)
- 発売日 : 1981/7/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 384ページ
- ISBN-10 : 4000012207
- ISBN-13 : 978-4000012201
- Amazon 売れ筋ランキング: - 325,558位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,638位人文・思想の言語学
- - 21,925位語学・辞事典・年鑑 (本)
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2022年6月13日に日本でレビュー済み
本書はソシュール(Ferdinand de Saussure)氏の生涯とその研究内容の紹介・解説、
講義内容を氏の生徒がまとめたノートからによるその還元/洞察・考察などから、
その後の記号学の流れ、非記号性の世界を垣間見ることができる書となっている。
(ソシュール(Ferdinand de Saussure))
・比較・歴史言語学者『覚え書』
・一般言語学理論
・神話・アナグラム研究者(ギリシャ・ラテン詩方、ヴェーダ詩法)
(<記号学の>原理のもとに一つの糸でつながれ、一つの系を形成する)
(晩年、一歩も二歩も進めたその掘り下げ(~))
(鳴鼻音/ギリシャ語形態の前史)
(母音の原初体系/インド・ヨーロッパ語族)
(講義)
・第二回講義(リードランジュのノート)
・第三回講義(デガリエのノート)(コンスタンタンのノート11冊、407ページ)
・ゴデル・エングラーの緻密なテクスト・クリティーク
ソシュール研究のルネサンス期を拓いたロベール・ゴデル教授から、その後の、
スタロバンスキー著、アナグラム研究(ギリシャ・ラテン詩方、ヴェーダ詩法)、
伝説・神話研究の流れを考察することで、
下部集合としての記号学の流れからによる前-記号学への還元可能性、
非記号性の世界と記号学の結節点・繋索点の位相のズレから、
恣意性原理(形相/空性)と実質 substanceが浮かび上がってくるのではないか思われる。
「記号学」に照射されて一人の実像のもとに収斂するのを見、
彼の思想の底流をなしていた「構造の産物である人間の真の自由とは何か」
というテーマの前に再び連れ戻されることに気づくのである。(177)
------------------------------------------------------------------------------------
Ⅰ ソシュールの全体像
第1章 ソシュールの生涯とその謎
第2章 『一般言語学講義』と原資料
第3章 ソシュール理論とその基本概念
Ⅱ ソシュールと現代思想
第1章 ソシュールとメルロ=ポンティ ――語る主体への帰還――
第2章 ソシュールとテル・ケル派 ――貨幣と言語記号のアナロジー――
第3章 ソシュールとバルト ――記号学と言語学の問題をめぐって――
第4章 ソシュールとサルトル ――言語の非記号性と意味創造――
Ⅲ ソシュール学説の諸問題
第1章 ラングとパロールと実践
第2章 シーニュの恣意性
第3章 言語における《意味》と《価値》の概念
註
参考文献
ソシュール手稿目録
ソシュール著作目録
事項索引
人名索引
------------------------------------------------------------------------------------
(方法)
① 共時態と通事態の方法論的峻別
② 語のもつ意義と価値の区別
③ 形相と実質の対立
・実質の世界(自然界)
・形相の世界(視点によって創られる文化の世界)
(前-記号学)
(前-分節 purport)
(カオスのごとき実質 purport/心理的・音声的現実)
・「水と空気の接触面から生まれる波の動きのイメージ」
(コトバが主体の活動とそれによって創られる関係の形相)(6)
(視点 point de vue)
・連続・混沌・無対立
・単位などというものは予め区切られていない
「在るものは視点だけであり、このおかげで事物は二次的に創られている」(290)
(前-記号学/結節点・繋索点)
・パロール/能動的・個人的なもの
パロール① ランガージュ実現/発声作用/能力使用
パロール② 個人思想/ラング個人的行使
・アナグラム研究
①シニフィアンとシニフィエの相互依存
②シニフィアンの線状性の破壊
------------------------------------------------------------------------------------
(記号学)
①一記号内におけるシニフィアン/シニフィエの恣意的関係
②一言語体系内のシーニュが有する価値の恣意性
「社会全体も、シーニュを変えることはできないだろう、というのは、
過去の継承が、シーニュに進化事実を押し付けているからである」
(切り取られた/分節化された)
(切り取り decoupage)
・「コトバの切り取り方」の世界(体系)
(コトバ/視点が生み出す事象)
・コトバはすでに区切られた事物を指さしはしないが、
自ら切り取ったものを、二次的に指さす
(音のカオスに投影 purport/結果生ずる実質 substance/言語の網 forme/)
(指向対象 referent/構成された構造)
(レフェラン denotatum/コトバの指向対象)
------------------------------------------------------------------------------------
・アナグラム anagramme(キーワード/単音・分節/散在)
・アナフォニー anaphonie(アナグラムの不完全な形)
・イポグラム hypogramme(キーワード/いくつかの副音・分節/散在)
・パラグラム paragramme(キーワード/アナグラムよりより広い範囲/テクスト中に隠れている)
------------------------------------------------------------------------------------
(記号学的価値体系/アスペクト相)
① 主知主義的言語学(ポールロワイヤル)
② 経験主義的言語学(動植物・物質から還元)
③ 構造主義的言語学(記号から還元)
(ラング主義に還元される/反ユマニスム/アトミスム/反歴史主義)
(記号シンボル操作/「没意味的」文献実証主義)
・第二回講義
「ラングの体系の定義から出発して共時・通事言語学に至る理論的(演繹的方法)」
社会学、社会における意識者の生の諸法則の科学である。
最も明らかな条件付けの一つは、記号の存在であり、
これによって共同代の成員たちは、互いに感情、思想、意志を伝え合う。
フェルディナン・ド・ソシュール氏は、一つのまことに原理的な科学の重要性を主張し、
これを≪記号学 semiologie≫と呼んでいる。最も進んだ記号学的科学は、≪言語学≫である。
(切り取られた/分節化された)
・「ラングは形相 formeであって実質 substanceではない」
・「言語学の唯一にしてかつ真正な対象は、それ自体としてのラングであり、
それ自体のためのラングである」
(ソシュールの言にして至るところで引用)
・(~)分節言語なるものについて(~)彼らは「分節」というものを、
ことばに与えらえた「一連の概念」のごとき精神的事実と混同しているのである。
・「制度的なものは、すべて示差的である」
・「必然的なものは、すべて恣意的である」
・「私たちは言葉が制度化している世界の中に生きている」(メルロ=ポンティ)
・「コトバの切り取り方」の世界(体系)
・言表(エノンせ)/形相(無感覚/形相・表象のみ)
・いかなる事物も、いかなる対象(分節化・秩序化)も、
一瞬たりとも即自的には与えられていない。
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講義内容を氏の生徒がまとめたノートからによるその還元/洞察・考察などから、
その後の記号学の流れ、非記号性の世界を垣間見ることができる書となっている。
(ソシュール(Ferdinand de Saussure))
・比較・歴史言語学者『覚え書』
・一般言語学理論
・神話・アナグラム研究者(ギリシャ・ラテン詩方、ヴェーダ詩法)
(<記号学の>原理のもとに一つの糸でつながれ、一つの系を形成する)
(晩年、一歩も二歩も進めたその掘り下げ(~))
(鳴鼻音/ギリシャ語形態の前史)
(母音の原初体系/インド・ヨーロッパ語族)
(講義)
・第二回講義(リードランジュのノート)
・第三回講義(デガリエのノート)(コンスタンタンのノート11冊、407ページ)
・ゴデル・エングラーの緻密なテクスト・クリティーク
ソシュール研究のルネサンス期を拓いたロベール・ゴデル教授から、その後の、
スタロバンスキー著、アナグラム研究(ギリシャ・ラテン詩方、ヴェーダ詩法)、
伝説・神話研究の流れを考察することで、
下部集合としての記号学の流れからによる前-記号学への還元可能性、
非記号性の世界と記号学の結節点・繋索点の位相のズレから、
恣意性原理(形相/空性)と実質 substanceが浮かび上がってくるのではないか思われる。
「記号学」に照射されて一人の実像のもとに収斂するのを見、
彼の思想の底流をなしていた「構造の産物である人間の真の自由とは何か」
というテーマの前に再び連れ戻されることに気づくのである。(177)
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Ⅰ ソシュールの全体像
第1章 ソシュールの生涯とその謎
第2章 『一般言語学講義』と原資料
第3章 ソシュール理論とその基本概念
Ⅱ ソシュールと現代思想
第1章 ソシュールとメルロ=ポンティ ――語る主体への帰還――
第2章 ソシュールとテル・ケル派 ――貨幣と言語記号のアナロジー――
第3章 ソシュールとバルト ――記号学と言語学の問題をめぐって――
第4章 ソシュールとサルトル ――言語の非記号性と意味創造――
Ⅲ ソシュール学説の諸問題
第1章 ラングとパロールと実践
第2章 シーニュの恣意性
第3章 言語における《意味》と《価値》の概念
註
参考文献
ソシュール手稿目録
ソシュール著作目録
事項索引
人名索引
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(方法)
① 共時態と通事態の方法論的峻別
② 語のもつ意義と価値の区別
③ 形相と実質の対立
・実質の世界(自然界)
・形相の世界(視点によって創られる文化の世界)
(前-記号学)
(前-分節 purport)
(カオスのごとき実質 purport/心理的・音声的現実)
・「水と空気の接触面から生まれる波の動きのイメージ」
(コトバが主体の活動とそれによって創られる関係の形相)(6)
(視点 point de vue)
・連続・混沌・無対立
・単位などというものは予め区切られていない
「在るものは視点だけであり、このおかげで事物は二次的に創られている」(290)
(前-記号学/結節点・繋索点)
・パロール/能動的・個人的なもの
パロール① ランガージュ実現/発声作用/能力使用
パロール② 個人思想/ラング個人的行使
・アナグラム研究
①シニフィアンとシニフィエの相互依存
②シニフィアンの線状性の破壊
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(記号学)
①一記号内におけるシニフィアン/シニフィエの恣意的関係
②一言語体系内のシーニュが有する価値の恣意性
「社会全体も、シーニュを変えることはできないだろう、というのは、
過去の継承が、シーニュに進化事実を押し付けているからである」
(切り取られた/分節化された)
(切り取り decoupage)
・「コトバの切り取り方」の世界(体系)
(コトバ/視点が生み出す事象)
・コトバはすでに区切られた事物を指さしはしないが、
自ら切り取ったものを、二次的に指さす
(音のカオスに投影 purport/結果生ずる実質 substance/言語の網 forme/)
(指向対象 referent/構成された構造)
(レフェラン denotatum/コトバの指向対象)
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・アナグラム anagramme(キーワード/単音・分節/散在)
・アナフォニー anaphonie(アナグラムの不完全な形)
・イポグラム hypogramme(キーワード/いくつかの副音・分節/散在)
・パラグラム paragramme(キーワード/アナグラムよりより広い範囲/テクスト中に隠れている)
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(記号学的価値体系/アスペクト相)
① 主知主義的言語学(ポールロワイヤル)
② 経験主義的言語学(動植物・物質から還元)
③ 構造主義的言語学(記号から還元)
(ラング主義に還元される/反ユマニスム/アトミスム/反歴史主義)
(記号シンボル操作/「没意味的」文献実証主義)
・第二回講義
「ラングの体系の定義から出発して共時・通事言語学に至る理論的(演繹的方法)」
社会学、社会における意識者の生の諸法則の科学である。
最も明らかな条件付けの一つは、記号の存在であり、
これによって共同代の成員たちは、互いに感情、思想、意志を伝え合う。
フェルディナン・ド・ソシュール氏は、一つのまことに原理的な科学の重要性を主張し、
これを≪記号学 semiologie≫と呼んでいる。最も進んだ記号学的科学は、≪言語学≫である。
(切り取られた/分節化された)
・「ラングは形相 formeであって実質 substanceではない」
・「言語学の唯一にしてかつ真正な対象は、それ自体としてのラングであり、
それ自体のためのラングである」
(ソシュールの言にして至るところで引用)
・(~)分節言語なるものについて(~)彼らは「分節」というものを、
ことばに与えらえた「一連の概念」のごとき精神的事実と混同しているのである。
・「制度的なものは、すべて示差的である」
・「必然的なものは、すべて恣意的である」
・「私たちは言葉が制度化している世界の中に生きている」(メルロ=ポンティ)
・「コトバの切り取り方」の世界(体系)
・言表(エノンせ)/形相(無感覚/形相・表象のみ)
・いかなる事物も、いかなる対象(分節化・秩序化)も、
一瞬たりとも即自的には与えられていない。
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2020年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
分かりやすい例えなどが載っていて、良かった。
2011年1月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近哲学に興味を持ち、とりあえず現代思想と呼ばれる「構造主義」「ポスト構造主義」あたりを読んでみようかと思っている方、ちょっと待ってください。
その前に本書を読むべきです。
ソシュールがいかにして誤解されたか、そしてその思想がどれだけ優れていたかをまず知ってから、その後の思想家に手をつけてください。
そうすると、理解がぐっと深まるはずです。というより、そうしないと二度手間です。
本書でも少し言及されていますが、後に現れるメルロ=ポンティやロラン・バルトなどは、ソシュールを批判しながらソシュールとほとんど同じことを言おうとしているといえますし、ジャック・デリダに至っては「経験主義」「主知主義」という、ソシュールがまっさきに批判した理論の陥穽に見事にはまってしまっています。
ソシュールは「現代思想の父」どころか、むしろしばしばポスト構造主義者たちの方が遅れているような錯覚にすら陥るほど、未だに先進的な思想家だと思います。もし正確に伝わっていれば、20世紀にはもっと違った哲学の展開があったかもしれません。彼は生まれるのが早すぎました。
本書はその彼の思想を途中までまったくよどみなく、美しいといえるほどの論理構成で伝えていて、思わず引き込まれます(終盤に若干おかしな部分がありますが)。再び誤解されることを避けるために著者が力を注いだ結果ではないでしょうか。
本当に素晴らしい本です。なぜ文庫化されないか不思議でなりません。
その前に本書を読むべきです。
ソシュールがいかにして誤解されたか、そしてその思想がどれだけ優れていたかをまず知ってから、その後の思想家に手をつけてください。
そうすると、理解がぐっと深まるはずです。というより、そうしないと二度手間です。
本書でも少し言及されていますが、後に現れるメルロ=ポンティやロラン・バルトなどは、ソシュールを批判しながらソシュールとほとんど同じことを言おうとしているといえますし、ジャック・デリダに至っては「経験主義」「主知主義」という、ソシュールがまっさきに批判した理論の陥穽に見事にはまってしまっています。
ソシュールは「現代思想の父」どころか、むしろしばしばポスト構造主義者たちの方が遅れているような錯覚にすら陥るほど、未だに先進的な思想家だと思います。もし正確に伝わっていれば、20世紀にはもっと違った哲学の展開があったかもしれません。彼は生まれるのが早すぎました。
本書はその彼の思想を途中までまったくよどみなく、美しいといえるほどの論理構成で伝えていて、思わず引き込まれます(終盤に若干おかしな部分がありますが)。再び誤解されることを避けるために著者が力を注いだ結果ではないでしょうか。
本当に素晴らしい本です。なぜ文庫化されないか不思議でなりません。
2020年3月28日に日本でレビュー済み
フランス語学者である丸山圭三郎(1933-1993)によるソシュール思想の研究書、1981年。
本書は、ソシュール言語学に関する研究書であると同時に、一級の解説書でもある。決して平易な内容ではないが、重要な論点に(ややくどいと思われるほど)繰り返し言及したり、箇所によってはソシュール同様に卓抜な比喩(有名なところでは、実体概念と関係概念との対比として持ち出される饅頭と風船の比喩)を用いたりするなど、手堅く丁寧な記述であるため、腰を据えて取り組めば読みこなすことができるだろう。なにより、これが翻訳ではなく自然な文章で直接に読めることが有難い。言語論的転回や構造主義などの20世紀思想に関心のある人は、まず本書を手に取ることを薦める。衒学趣味に陥ることなく正統的な学問の手順を踏んで展開される本書を通して、確かな知識を獲得しかつそれを整序して理解することができる。
□
スイスの言語学者であるソシュール(1857-1913)は、言語をはじめとする人間的事象を探求するためには、自然的世界に対するように要素還元主義的に措定される実体概念に依拠する方法論では全く不適当であり、関係概念の視点に立つことが必要であることを見抜き、自然的世界から区別される人間的事象の本質を解明するべく「記号学」を構想した。そこには、実体概念から関係概念への転換を図る思想的苦闘があった。
「自然」に還元され得ない自立的な「文化」の領域は如何にして確保され得るのか、という問題意識をもって本書に取り組んだ。論の大まかな流れを整理すると、次のようになる。
①言語に関する考察を、ランガージュ(世界を「人間精神の所有物」化する能力)から始める。②「言語は認識を表現するための道具なのではなく、言語それ自体が認識である」として、言語命名論が棄却される。③ランガージュの《構造》的実現としてのラングは、「自然」を含む一切の実体性から切り離され、恣意性を原理とする差異の体系をなす。④人間の精神活動はラングを通して為されるため、「文化」の内にも恣意的価値体系としてのラングの《構造》が見出される。⑤実体概念に基づく「自然」の領域に対して、関係概念に基づく「文化」の領域が見出される。
尤も、恣意的であるはずのラングも、その文化共同体に属する個人に対しては、抗い難い抑圧として機能してしまう。抑圧的なラングに対する個人の主体性はどのように確保され得るのか。これが丸山の課題となる。本書全体に云えることだが、「構造の産物である人間の真の自由とは何か」という問題意識が、一貫して丸山の議論の底流をなしている。
本書は、ソシュール言語学に関する研究書であると同時に、一級の解説書でもある。決して平易な内容ではないが、重要な論点に(ややくどいと思われるほど)繰り返し言及したり、箇所によってはソシュール同様に卓抜な比喩(有名なところでは、実体概念と関係概念との対比として持ち出される饅頭と風船の比喩)を用いたりするなど、手堅く丁寧な記述であるため、腰を据えて取り組めば読みこなすことができるだろう。なにより、これが翻訳ではなく自然な文章で直接に読めることが有難い。言語論的転回や構造主義などの20世紀思想に関心のある人は、まず本書を手に取ることを薦める。衒学趣味に陥ることなく正統的な学問の手順を踏んで展開される本書を通して、確かな知識を獲得しかつそれを整序して理解することができる。
□
スイスの言語学者であるソシュール(1857-1913)は、言語をはじめとする人間的事象を探求するためには、自然的世界に対するように要素還元主義的に措定される実体概念に依拠する方法論では全く不適当であり、関係概念の視点に立つことが必要であることを見抜き、自然的世界から区別される人間的事象の本質を解明するべく「記号学」を構想した。そこには、実体概念から関係概念への転換を図る思想的苦闘があった。
「自然」に還元され得ない自立的な「文化」の領域は如何にして確保され得るのか、という問題意識をもって本書に取り組んだ。論の大まかな流れを整理すると、次のようになる。
①言語に関する考察を、ランガージュ(世界を「人間精神の所有物」化する能力)から始める。②「言語は認識を表現するための道具なのではなく、言語それ自体が認識である」として、言語命名論が棄却される。③ランガージュの《構造》的実現としてのラングは、「自然」を含む一切の実体性から切り離され、恣意性を原理とする差異の体系をなす。④人間の精神活動はラングを通して為されるため、「文化」の内にも恣意的価値体系としてのラングの《構造》が見出される。⑤実体概念に基づく「自然」の領域に対して、関係概念に基づく「文化」の領域が見出される。
尤も、恣意的であるはずのラングも、その文化共同体に属する個人に対しては、抗い難い抑圧として機能してしまう。抑圧的なラングに対する個人の主体性はどのように確保され得るのか。これが丸山の課題となる。本書全体に云えることだが、「構造の産物である人間の真の自由とは何か」という問題意識が、一貫して丸山の議論の底流をなしている。
2012年8月7日に日本でレビュー済み
ソシュールを知っている、というとなんだか教養ありげな感じがするようだ、と勘違いしている人たちが多い。エドマンド・ウィルソンも「アクセルの城」で書いているように、プルーストの「失われた時を求めて」を全部読んだという人の話は9割以上嘘である。要約本を読んだだけ。
ソシュールはむずかしい。内容が難しいのではなく、「講義録」として発刊されているものが実は講義録ではなく、聴講した人間が勝手に改ざんしたのが明らかだと近年になってわかってきたからだ。笑えるのは、この事実がわかっていても、この「似非講義録」を読みながら、出来の悪い学生が書くような「読書感想文」を書き、それを出版さえしている人もいることだ。某教養文庫の中にそれがある。はじめは笑っていたが、途中で怒りに震え、私はごみ箱に捨ててしまった。話は変わるが、いい歳をしたじいさんが、読書感想文を何百も書いて、それを発表し、商売にさえしている。批評家のつもりなんだろう。困った現象だ。
さて、このような環境にあるソシュールだが、「言語学に大きな影響を与えた」なんてことは言いたくない。「どんな影響を与えたのか?」具体的にいえないからだ。丸山さんは、そこまで図々しいことはいわない。ソシュールを批判しているというデリダについても、デリダの言いたいことは結局ソシュールと同じく、記号論(または記号学)あるいは言語学(または言語論)の解体であり、それからすべてが始まるということだ。デリダもそのくらいはわかってもらいたいはずである。
ということで、この本は、他人が何を言うかなど気にせずに、アタマを真っ新にして読んだほうがいいでしょう。丸山さんもそれを期待していると思います。まあ、本屋には悪いけど、この手の本は売れないでしょうね。感想文を書いている人間が評価されるような時代ですから。売れないのに出している出版社は、エライ!
ソシュールはむずかしい。内容が難しいのではなく、「講義録」として発刊されているものが実は講義録ではなく、聴講した人間が勝手に改ざんしたのが明らかだと近年になってわかってきたからだ。笑えるのは、この事実がわかっていても、この「似非講義録」を読みながら、出来の悪い学生が書くような「読書感想文」を書き、それを出版さえしている人もいることだ。某教養文庫の中にそれがある。はじめは笑っていたが、途中で怒りに震え、私はごみ箱に捨ててしまった。話は変わるが、いい歳をしたじいさんが、読書感想文を何百も書いて、それを発表し、商売にさえしている。批評家のつもりなんだろう。困った現象だ。
さて、このような環境にあるソシュールだが、「言語学に大きな影響を与えた」なんてことは言いたくない。「どんな影響を与えたのか?」具体的にいえないからだ。丸山さんは、そこまで図々しいことはいわない。ソシュールを批判しているというデリダについても、デリダの言いたいことは結局ソシュールと同じく、記号論(または記号学)あるいは言語学(または言語論)の解体であり、それからすべてが始まるということだ。デリダもそのくらいはわかってもらいたいはずである。
ということで、この本は、他人が何を言うかなど気にせずに、アタマを真っ新にして読んだほうがいいでしょう。丸山さんもそれを期待していると思います。まあ、本屋には悪いけど、この手の本は売れないでしょうね。感想文を書いている人間が評価されるような時代ですから。売れないのに出している出版社は、エライ!